都市へ行きて、郷村に帰りし──エコロジカルでエシカルな中国現代建築の現在地|市川紘司

初出:2021年6月25日刊行『ゲンロンβ62』
現代中国の「郷村」建築にかんする市川紘司さんの論考を掲載します。市川さんには昨年、「ゲンロンα」に論考「中国における団地──共産主義から監視社会へ」をご寄稿いただきました(https://webgenron.com/articles/article20201229_01/)。好評を博したこの論考では、ゲーテッド・コミュニティと化した中国の団地が、農村から都市への流動化が進む社会のなかで人々を「囲い」、安心を与えたことが指摘されています。
今回紹介されるのは、そういった都市から人々がふたたび地方の郷村に戻って生み出された建築です。住人を閉じ込めるのではなく、むしろコミュニティのデザインにまで拡張していくそのあり方は、現代日本の地方振興プロジェクトとも呼応します。
2022年から『ゲンロンβ』で市川さんの連載が始まります。本稿はその序説ともいえるものです。「エシカル」や「エコ」がひとつの規範となりつつあるいま、広く読まれてほしいエッセイです。(編集部)
今回紹介されるのは、そういった都市から人々がふたたび地方の郷村に戻って生み出された建築です。住人を閉じ込めるのではなく、むしろコミュニティのデザインにまで拡張していくそのあり方は、現代日本の地方振興プロジェクトとも呼応します。
2022年から『ゲンロンβ』で市川さんの連載が始まります。本稿はその序説ともいえるものです。「エシカル」や「エコ」がひとつの規範となりつつあるいま、広く読まれてほしいエッセイです。(編集部)
もうひとつの「変異」
楽しみにしていたものの、コロナ禍によって無念にも行くことができなかった展覧会のひとつに、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された〝Countryside, The Future〟展があった。
タイトルが示すとおり、カントリーサイドすなわち「田舎」を主題とした展覧会である。世界各地の田舎で起こっている興味深くも奇妙な事態──たとえば最先端のテクノロジーの導入された機械化農業、私企業による大規模な自然保護活動、都市移住を望むことなく田舎で自足する新たなライフスタイル、広大な敷地のロボットテストフィールド(これは日本の福島の事例だ)などを紹介する、リサーチ・ベースの内容だった。リサーチと展覧会を指揮したのは、建築家のレム・コールハースである。現代建築史を学ぶ人間にとっては、コールハースが田舎に注目したという、そのこと自体が興味深い。ニューヨークという世界的メトロポリスの形成原理を叙述した『錯乱のニューヨーク』(1978年)でデビューし、「大都市建築のためのオフィス」を意味する建築設計組織OMA(Office for Metropolitan Architecture)を率いるコールハースは、誰よりも、グローバル資本主義のもとでダイナミックに変容する都市にこそ注目する建築家だったからだ。
コールハースは2000年には "MUTATIONS" という展覧会を手がけたことがある。中国の深センやナイジェリアのラゴスといった、新興国で急速に進展する都市化現象が、西洋的な都市とは奇妙にも異なる姿を生み出しつつあることを生々しくレポートする内容の展覧会だった。それから20年を経て開催されたカントリーサイド展では、コールハースは都市ではなく、その外側に広がる田舎の「ミューテーション=変異」へと関心を向けたわけである。
中国郷村旅行記
カントリーサイド展はかねてより中国建築界からも注目されていた。中国の田舎が、展示コンテンツのなかで重要な位置を占めることが分かっていたからだ。
コールハースは2017年より北京の中央美術学院で中国の田舎をターゲットにしたリサーチ・スタジオを進めており、その成果は実際に、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)でのリサーチと合わせて、今回の展覧会の柱となったようだ。こうした背景もあり、中国の大手建築メディアである『時代建築』には力の入った展評が掲載されている。この展評は、展覧会全体に対しては、都市からの視点を抜け出ていないこと、それゆえ田舎で生じる諸々の事象に対して「問い」を発することに終始している点に批判的に言及している。しかし他方で、中国パートに関しては、古代思想から近現代の政策までを多面的に取り上げることで、中国的田舎を農業生産や戸籍制度に紐づく「農村」としてではなく、都市以外の領域を意味するより広義な概念である「郷村」として提示し得ていると評価した[★1]。
『Countryside, A Report』(2020年)は、展覧会に合わせて出版された文庫本サイズのカタログである。多彩なラインナップによる各地の田舎をめぐるエッセイが収録されているのだが、中国に関しては、OMA/AMOスタッフとしてリサーチを主導したステファン・ピーターマンが旅行記風エッセイを寄稿している。なお、AMOは設計組織であるOMAに併設されたリサーチ・シンクタンクである。
ピーターマンは中国で実際に訪れた四つの郷村を軽妙な筆致で紹介している。廉価な家具を製造し、ITツールを用いて中国Eコマースの最大手「タオバオ(淘宝網)」で直接販売することを生業とする江蘇省東風、鄧小平による「改革開放」以降の中国においては建前に過ぎない社会主義イデオロギーを塀に囲われた閉鎖空間のなかで貫徹する河南省劉庄、メガスケールの温室が地平線まで延々と続く一大農業地としての山東省寿光、そして流行する郷村観光(ルーラル・ツーリズム)の観光地として半ばフィクショナルに「伝統民族的なもの」が押し出された少数民族の集落である貴州省板万……。
興味深いのは、ピーターマンが訪れた村々がいずれも経済的に潤っていることだ。資本主義的自由経済が旺盛な「タオバオ村」も、ゲーテッドな社会主義コミューンの村も。山奥の少数民族の集落でさえ、村民の手には一様に「最新のアイフォンXR」がある。改革開放以降の高度経済成長のなかで、郷村はそれを下支えする安価な労働力の供給源であり、えてして格差や貧困の代名詞であったが、そのような社会的弱者としての郷村像がここにはない。中国郷村では「変異」が起こっているのと同時に、たしかな経済発展も生じていることがうかがえる。
ピーターマンのエッセイが「中国の特色ある村(Villages with Chinese Characteristics)」と題されていることに注目したい。言うまでもなくこれは、中国共産党が、革命路線を突き進んだ毛沢東時代を反省した鄧小平時代より提唱する「中国の特色ある社会主義(Socialism with Chinese Characteristics)」のパロディだ。「中国の特色ある社会主義」とは要するに、社会主義という看板を下ろすことなく、市場経済を取り入れることで国力増強を優先するというプラクティカルな二枚舌的態度のことである。ピーターマンのレポートする中国郷村の多面的な姿は、このような態度をまさに表象したものと言えるだろう。
『Countryside, A Report』(2020年)は、展覧会に合わせて出版された文庫本サイズのカタログである。多彩なラインナップによる各地の田舎をめぐるエッセイが収録されているのだが、中国に関しては、OMA/AMOスタッフとしてリサーチを主導したステファン・ピーターマンが旅行記風エッセイを寄稿している。なお、AMOは設計組織であるOMAに併設されたリサーチ・シンクタンクである。
ピーターマンは中国で実際に訪れた四つの郷村を軽妙な筆致で紹介している。廉価な家具を製造し、ITツールを用いて中国Eコマースの最大手「タオバオ(淘宝網)」で直接販売することを生業とする江蘇省東風、鄧小平による「改革開放」以降の中国においては建前に過ぎない社会主義イデオロギーを塀に囲われた閉鎖空間のなかで貫徹する河南省劉庄、メガスケールの温室が地平線まで延々と続く一大農業地としての山東省寿光、そして流行する郷村観光(ルーラル・ツーリズム)の観光地として半ばフィクショナルに「伝統民族的なもの」が押し出された少数民族の集落である貴州省板万……。
興味深いのは、ピーターマンが訪れた村々がいずれも経済的に潤っていることだ。資本主義的自由経済が旺盛な「タオバオ村」も、ゲーテッドな社会主義コミューンの村も。山奥の少数民族の集落でさえ、村民の手には一様に「最新のアイフォンXR」がある。改革開放以降の高度経済成長のなかで、郷村はそれを下支えする安価な労働力の供給源であり、えてして格差や貧困の代名詞であったが、そのような社会的弱者としての郷村像がここにはない。中国郷村では「変異」が起こっているのと同時に、たしかな経済発展も生じていることがうかがえる。
ピーターマンのエッセイが「中国の特色ある村(Villages with Chinese Characteristics)」と題されていることに注目したい。言うまでもなくこれは、中国共産党が、革命路線を突き進んだ毛沢東時代を反省した鄧小平時代より提唱する「中国の特色ある社会主義(Socialism with Chinese Characteristics)」のパロディだ。「中国の特色ある社会主義」とは要するに、社会主義という看板を下ろすことなく、市場経済を取り入れることで国力増強を優先するというプラクティカルな二枚舌的態度のことである。ピーターマンのレポートする中国郷村の多面的な姿は、このような態度をまさに表象したものと言えるだろう。
郷村と都市の関係を再構築する──新型都市化政策
コールハースが注目する中国カントリーサイドの「変異」。しかしそれは理由の不確かな突然変異ではない。21世紀に入ってから中国政府が推進してきた郷村振興政策が背景にある。
前世紀末より急速な経済成長を遂げる中国にあって、郷村エリアの発展が遅れてきたことは日本でもよく知られていよう。都市住民と農村住民は戸籍が明確に分けられ、社会保障などの格差が埋め込まれていた。
しかし、21世紀初頭になると、こうした農村・農業・農民が直面する苦境が「三農問題」として社会問題化されることになる。以降、中国政府はさまざまな振興政策を進めていく。胡錦濤が2004年に用いた「反哺」なる言葉が時代を象徴するキイワードである。すなわち、毛沢東時代から改革開放時代までの経済発展を下支えしてきた郷村に対して、十分な発展を迎えつつある都市はいまこそ「反哺=恩返し」せねばならない、というわけだ。
都市から農村(郷村)への反哺。それは胡錦濤政権においては「社会主義新農村建設」、続く習近平政権においては「美麗郷村建設」や「郷村振興戦略」といった政策スローガンのもとで具体的に取り組まれてきた。とくに現政権にとっての郷村振興は、大都市と地方都市、そして都市と郷村が調和した発展を目指す「新型都市化計画(2014-2020年)」と連動する政策として位置づけられている点が重要である。つまり、さらなる経済成長と都市化を適切に推進するという大きな目的のためにこそ郷村は振興されるのであって、郷村それ自体が独自に発展し、不可思議な変異を引き起こすわけではないのだ。
こうした国家全体の流れのなかで、郷村では道路や上下水道などのインフラ整備や、税金優遇措置等々の施策が図られてきた。農業に代わる新規産業としての観光業も振興された。中国の郷村観光は、過密や大気汚染を嫌った都市住民の田園趣味も高まっていたこともあり、この15年で膨張の一途を辿っている[★2]。2020年に発生したコロナ禍はこの郷村観光産業の急成長を一時停止させることになったが、パンデミック収束後にも「密」に対する心理的な抵抗感は一定程度残ることが予想される以上、状況が落ち着けばまた回復するだろう。
コールハースの展覧会、そしてピーターマンのエッセイがレポートしたのは、中国が国を挙げて進めてきた郷村振興政策の結果(の一端)と言ってよい。個別のエピソードはたしかにユニークである。しかしあえて批判的に言えば、原因(=国家レベルの政策)と結果(=現場の多様な変容)の因果関係は自明のため、取り立てて驚くべきものでもない。
もちろん、その原因と結果のあいだには複雑なプロセスが想定され得る。それらを丹念に読み解くことで中国社会の面白い相貌がさまざまに見えてきそうだ。たとえば、中国社会論の田原史起による、政府・コミュニティ・個人が多元的に参画する「ガバナンス」空間としての中国郷村研究[★3]の成果は、この観点から非常に興味深い。だが、ピーターマンのエッセイにはそのような冷静で勤勉な研究者の姿勢が希薄と言わざるを得ない。表面上のエピソードを面白く観察するのみで、その背景要因にまで遡っていこうとしないのだ。いびつな観光地化が進む少数民族の山村・板万を体験した彼は、「何が起こっているのかよく分からないまま、私たちは板万を後にした」[★4]とだけ書く。しかし、政府主導の観光地化と現地山村の実態が噛み合わないことなど、OMAスタッフとして中国経験の長い著者であれば事前に想像がついていたはずだ。原因に遡ることをあえて避け、アイロニカルでキャッチーな「問い」の段階に留まろうとする作為を感じてしまう。
じつは、カントリーサイド展の評価は芳しいものではない。上記『時代建築』誌の展評でも批判──都市から田舎へと「問い」を投げることに終始しているという批判があったが、このような論調は英語メディアでも見られたものである[★5]。カタログ本の最後尾を飾るコールハースのエッセイが「?」というタイトルで、20頁以上にわたって田舎の「変異」に対する疑問文をひたすら畳みかける内容となったことは、(文体はかなりの迫力があって面白いのだが)展覧会全体のある種の不完全燃焼の象徴と言えるかもしれない。筆者は展覧会を実見できていないので正確には判断できないが、ピーターマンのエッセイのような作為的な視線が全体を貫いているとすれば、批判は妥当なように思われる。
ともあれ、新型都市化政策のもとで郷村振興が推進される習近平時代の趨勢は、建築界にも色濃く反映されている。端的に、郷村をフィールドとする建築プロジェクトが増えているのだ。
都市の建築家が郷村で設計実践をすることは、文化大革命時代の「上山下郷運動」に擬えるかたちで「設計下郷」などと呼ばれる。「下郷」する建築家は近年跡を絶たない。一昔前の「中国現代建築」と言えば都市の巨大開発が想起されたものだが、いまや国内外の建築メディアを賑わすのは小規模な郷村プロジェクトであり、しかも新築ではなくリノベーションだったりする。周辺環境をていねいに読み、地場産材を積極的に使いながら過剰なデザインを控え、ローカルなコミュニティや産業の維持と発展に寄与する建築をつくる。そのようなエコロジカルでエシカルな姿勢が目立つようになっている。「変化の速さ」とは現代中国を語る際のクリシェであるが、ことは建築カルチャーにおいても同様なのだ。
都市の外側で実施される郷村プロジェクトは交通アクセスが悪いこともあり、筆者もなかなか実見する機会に恵まれていないのだが、いくつか紹介しよう。
じつは、カントリーサイド展の評価は芳しいものではない。上記『時代建築』誌の展評でも批判──都市から田舎へと「問い」を投げることに終始しているという批判があったが、このような論調は英語メディアでも見られたものである[★5]。カタログ本の最後尾を飾るコールハースのエッセイが「?」というタイトルで、20頁以上にわたって田舎の「変異」に対する疑問文をひたすら畳みかける内容となったことは、(文体はかなりの迫力があって面白いのだが)展覧会全体のある種の不完全燃焼の象徴と言えるかもしれない。筆者は展覧会を実見できていないので正確には判断できないが、ピーターマンのエッセイのような作為的な視線が全体を貫いているとすれば、批判は妥当なように思われる。
「下郷」する建築家たち
ともあれ、新型都市化政策のもとで郷村振興が推進される習近平時代の趨勢は、建築界にも色濃く反映されている。端的に、郷村をフィールドとする建築プロジェクトが増えているのだ。
都市の建築家が郷村で設計実践をすることは、文化大革命時代の「上山下郷運動」に擬えるかたちで「設計下郷」などと呼ばれる。「下郷」する建築家は近年跡を絶たない。一昔前の「中国現代建築」と言えば都市の巨大開発が想起されたものだが、いまや国内外の建築メディアを賑わすのは小規模な郷村プロジェクトであり、しかも新築ではなくリノベーションだったりする。周辺環境をていねいに読み、地場産材を積極的に使いながら過剰なデザインを控え、ローカルなコミュニティや産業の維持と発展に寄与する建築をつくる。そのようなエコロジカルでエシカルな姿勢が目立つようになっている。「変化の速さ」とは現代中国を語る際のクリシェであるが、ことは建築カルチャーにおいても同様なのだ。
都市の外側で実施される郷村プロジェクトは交通アクセスが悪いこともあり、筆者もなかなか実見する機会に恵まれていないのだが、いくつか紹介しよう。
まず、北京の籬苑図書館【図1】。中心市街から車で一時間ほどの小さな村に、香港の財団からの助成金で建てられた図書館である。周辺一帯が豊かな田園風景を楽しむ観光地へとなるなかで、観光客と村民が一緒に本を読んだり交流する施設となることが期待された。反哺政策が始められた胡錦濤政権時代の2011年に完成しており、郷村プロジェクトとしては先駆的なものに数えられるだろう。設計を手がけたのは清華大学建築学院教授の李暁東。鉄骨造による簡潔な直方体ボリュームの建築であるが、外装材に薪を用いることで村や自然の景観のなかで違和感なく存在することが試みられている。よく燃えそうだが大丈夫なのだろうか……というのが、筆者の正直な第一印象だったのだが、ともあれこのように近代的な材料を用いつつ、周辺の自然環境を意識したけれん味の少ない表現でまとめることは、郷村プロジェクトに通底する特徴である。

【図1】李暁東「籬苑図書館」北京、2011年
次に、南京の建築家・張雷による、浙江省桐廬県を舞台とした一連の郷村プロジェクトを紹介しよう。雲夕深奧里書局【図2】は、清代の木造建築が多く残る歴史的郷村に建てられた、民宿、コミュニティ図書館、観光商品の展示販売の用途を兼ねる複合施設。真っ白に塗られた丸石積みによる印象的なファサードは当地の豚小屋を参照したものだ。雲夕戴家山郷土藝術ホテルと先鋒雲夕図書館は、ともに少数民族・畬族の山村を敷地とする小さな建築である。前者は畬族のオーナーが運営するデザインホテル的な民宿【図3】、後者は南京の有名書店「先鋒書店」が展開する公益図書館【図4】と、来歴もプログラムも異なるが、設計手法としては既存建築を有効活用するリノベーションで共通する。とくに先鋒図書館のほうは、閉鎖的な既存家屋の屋根を60センチ持ち上げることで図書室に採光と通風を得るという、手数の絞られたスマートなデザインが見られる。

次に、南京の建築家・張雷による、浙江省桐廬県を舞台とした一連の郷村プロジェクトを紹介しよう。雲夕深奧里書局【図2】は、清代の木造建築が多く残る歴史的郷村に建てられた、民宿、コミュニティ図書館、観光商品の展示販売の用途を兼ねる複合施設。真っ白に塗られた丸石積みによる印象的なファサードは当地の豚小屋を参照したものだ。雲夕戴家山郷土藝術ホテルと先鋒雲夕図書館は、ともに少数民族・畬族の山村を敷地とする小さな建築である。前者は畬族のオーナーが運営するデザインホテル的な民宿【図3】、後者は南京の有名書店「先鋒書店」が展開する公益図書館【図4】と、来歴もプログラムも異なるが、設計手法としては既存建築を有効活用するリノベーションで共通する。とくに先鋒図書館のほうは、閉鎖的な既存家屋の屋根を60センチ持ち上げることで図書室に採光と通風を得るという、手数の絞られたスマートなデザインが見られる。



これらの建築を筆者が訪問したのは2017年末だが、張雷はその後も、住宅や伝統工芸アトリエなどを連続的に手がけている。いずれも小さな規模であるため、都市プロジェクトに比して大した設計料は望めなそうであるが、彼らはアカデミックな研究実践として捉えているようだ。
もうひとつ、「建築界のノーベル賞」ことプリツカー賞を中国人建築家として初めて受賞した王澍による富陽文村リノベーション計画【図5】を取り上げたい。張雷と同じく浙江省をフィールドにした郷村プロジェクトであるが、こちらは浙江省政府が推進する美麗郷村政策のモデル村として実施された公共事業である。王澍たちは明代に起源を有する文村の環境を綿密にリサーチしたうえで、村の景観と生活を漸進的にアップデートしていく農民住宅を提案している。郷村プロジェクトの多くがツーリズム関連の滞在施設であるなかで、王澍は郷村エリアの画一的な「都市化」ではないかたちでの近代化を、住宅を焦点化しながら検討しており、独自の立場に立っている。

【図5】王澍「富陽文村リノベーション計画」浙江省、2017年
もうひとつ、「建築界のノーベル賞」ことプリツカー賞を中国人建築家として初めて受賞した王澍による富陽文村リノベーション計画【図5】を取り上げたい。張雷と同じく浙江省をフィールドにした郷村プロジェクトであるが、こちらは浙江省政府が推進する美麗郷村政策のモデル村として実施された公共事業である。王澍たちは明代に起源を有する文村の環境を綿密にリサーチしたうえで、村の景観と生活を漸進的にアップデートしていく農民住宅を提案している。郷村プロジェクトの多くがツーリズム関連の滞在施設であるなかで、王澍は郷村エリアの画一的な「都市化」ではないかたちでの近代化を、住宅を焦点化しながら検討しており、独自の立場に立っている。

「批判的プラグマティズム」から「私たちの郷村」へ
最近の中国現代建築における郷村プロジェクトの存在感の大きさは、海外での展覧会に目を向けてみると、さらに明瞭になるだろう。
2016年秋、GSDで開催された「批判的プラグマティズムへ」展は、総勢60組の中国の建築家の作品を展示することで、彼/彼女らに通底する戦略的なプラグマティストとしての個性を浮かび上がらせる意欲的な展覧会だった。キュレーターは建築家・批評家の李翔寧(同済大学教授)が務めたが、彼はここで膨大な量の建築作品を五つのカテゴリーに分けることを提案している。それがすなわち、文化建築・居住建築・リノベーション・デジタル、そして郷村建築であった。
筆者の実感としては、現代中国の郷村プロジェクトは2010年代後半に加速度的に増加しているのだが、2016年の展覧会時点でも、ひとつのカテゴリーとして立つほどに存在感は大きくなっていたようだ。李は郷村プロジェクトの増加をこのように解説している。「郷村建設の勢いの激しさは、ひとつには一定数の都市居住者がのどかな田舎のなかに住宅を建てたいと思い始めたことによるし、他方では国家が農村建設のチャンスと反哺政策を強めたことによる。そしてまたひとつの重要な要素には、建築家が自らの視野を拡張し、社会へと積極的に介入し始めていることによるだろう」[★6]。都市住民の田園嗜好、国家政策、建築家の社会的責任の意識。このような複合的な背景が建築家をして「下郷」させている、というわけだ。
近年、李翔寧は中国現代建築の海外向けのスポークスマンの立場を確立しており、2018年のヴェネツィア建築ビエンナーレの中国館展示も彼のキュレーションだった。その展示テーマは「私たちの郷村(我們的郷村)」[★7]であり、郷村プロジェクトを全面に押し出すものだった。34個の郷村プロジェクトが産業・観光・社会・文化・居住・開拓という六つのカテゴリー別で展示されており、上で取り上げた建築家たちのプロジェクトも紹介されている。
もちろん、中国の建築家が郷村エリアでプロジェクトを回すこと自体は最近に始まったことではない。だが、上記の張雷や王澍などのような個人名で活動するアトリエ派の建築家が活躍していることは、やはり目新しい事態と言うべきだろう。
建築理論研究者の葉露(蘇州大学副教授)らは、現代中国には4度の「設計下郷」ムーブメントがあると指摘している。人民公社の組織された時代(1958-66年)、郷村発展が注目された改革開放初期(1978-92年)、そして胡錦濤政権が社会主義新農村建設を掲げた時代(2005-13年)と、習近平政権が新型都市化政策のもとで郷村振興を推進する時代(2013年-)である。興味深いのは、葉が現在の「設計下郷」に前三者とは異なる性質を見出していることだ。すなわち、前三者においては、基本的に郷村プロジェクトはすべて政府が推進し管理するものだったが、現在は地方政府に加えて個人や村民自治体、あるいは民間企業が建築家に発注するなど、アクターが多様化・多元化しているという[★8]。上で紹介したプロジェクトのクライアントの多様性を鑑みても、この指摘は妥当なものと言ってよいだろう。アトリエ派の建築家たちの多岐にわたる「下郷」は、このような状況の変化によって後押しされているのだ。
政治的正しさ、中国的なもの
国を挙げて進められる郷村振興のもとで、建築家たちの郷村プロジェクトは増え続けている。表現上の特徴としては、モダニズムをベースに地域固有の材料や構法を援用する「批判的地域主義」的デザインが最大公約数として抽出できそうだが、先端的なデジタル技術を導入したプロジェクトもあったりと、一概には言いがたい。それでは、ボリュームとバリエーションの増す中国の郷村プロジェクトを、私たちはどのように評価すればよいのだろうか。
注目したいのは、しばしば郷村という領域そのものが「中国的なもの」を体現する領域として捉えられていることである。この点について、ヴェネツィアでの「私たちの郷村」展がもともと「郷村オデュッセイア」として構想されていたことは示唆に富む[★9]。キュレーターの李翔寧は、中国の建築家たちの「下郷」を、長い旅路の果てに故郷に帰還した古代ギリシアのオデュッセウスに擬えようとしていた。つまり、中国現代建築は郷村に「向かった」のではなく、都市からようやく「戻った」と考えていたのである。
ここに表明されているのは、人工的な都市ではなく、その外側に広がる自然豊かなカントリーサイドこそが「中国的なもの」の始原であり原動力なのだ、という中国伝統論のひとつの型にほかならない。このような伝統観は現代中国において根強い。山水景観を追究するプリツカー賞の建築家・王澍もそうだし、あるいは「農村から都市を包囲する」ことで覇権を握った毛沢東もそうだった。このような伝統論に接続できたためか、中国現代建築を「批判的プラグマティズム」としてくくった時点での李翔寧の論調は肯定とも否定とも取れる両義的なものであったが、郷村プロジェクトにフォーカスを絞った「私たちの郷村」展では、はっきりとポジティブな評価を下している。
この点を踏まえると、近年の中国人建築家たちの「下郷」の流れは、単なる一過性の流行として捉えないほうがよさそうだ。一過的だったのはむしろ都市の巨大建築に明け暮れた時代のほうだったのかもしれない。改革開放政策によって市場経済に参入したことで、中国の現代建築は西側の資本主義圏を中心に編まれてきた世界建築史に本格的に合流することになったが、以来、欧米のコピーではない「中国的な」現代建築を模索し続けてきた。そのような約半世紀に及ぶ建築史的流れのひとつの帰結として、建築家たちの「下郷」はひとまず位置づけられるだろう。
また、ちょうどこのエッセイを書いているときにアナウンスされた、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で今年9月から始まる「リユース、リニュー、リサイクル」と題された中国現代建築展は、典型的な評価軸を提示していると言えそうだ。王澍(アマチュア・アーキテクチュア)、アトリエ・ダスハウス、アーキユニオン、徐甜甜(DnA)、董功(ベクター・アーキテクツ)などのよく知られた建築家7組を紹介するグループ展であるが、主眼が置かれているのは、彼らによる大都市ではなく地方都市そしてカントリーサイドで展開されているプロジェクトであり、それらにおける「環境への配慮」や建築家の「社会的責任」の表現の諸相であるという。
要するに、「政治的正しさ」という尺度を以て中国現代建築を測ろうとしているのである。上述したとおり、たしかに郷村プロジェクトにはエコロジカルでエシカルな側面がある。
じつは、中国の建築家へのこうした評価は今回が初めてではない。2012年、人民大会堂で催された王澍のプリツカー賞授与式でも、トーマス・プリツカーは中国の急進的な都市化への懸念をやんわりと表明しつつ、建築と自然環境の調和を目指した(と彼が考える)中国伝統建築の現代的継承者としてこそ、王澍を高く評価したのだった[★10]。なるほど、自然物を中心に据えた伝統的な山水画や田園地帯の景観を理想に掲げ、都市開発が破壊した歴史集落の欠片を集めて自身の作品へとリサイクルする王澍は、たしかにそのように評価され得る建築家である【図6】。

【図6】王澍「寧波歴史博物館」浙江省、2008年。失われた集落の多種多様な断片が外装材として転用されている。この地域の建築に伝統的に見られる「瓦爿(ワーパン)」と呼ばれる技術の再解釈であり、王澍建築のシグネチャー的表現
西洋のように建築と自然を対立させることなく、むしろ両者の調和や融合を志向すること。それは長らく西洋向けに描かれてきた日本建築の自画像だった。現在起こっているのは、中国建築もまたそのような顔を持ち始めている、ということである。そもそも日中両国の建築カルチャーは思想的にも技術的にも同根なのだから、評価が近似するのは必然と言えよう。これまで「建築と自然の調和」というお題目を「日本的なもの」として独占できたのは、単に中国の近現代建築が国際的によく理解されてこなかったために過ぎないのだ。そのうえで現状異なるのは、このお題目を日本の現代建築は美学的・空間的に体現してきたのに対して、中国の現代建築はリサイクルやリユースといった「正しさ」を纏った手法論としてアピールしている点だろうか。
いずれにしても、私たちがこれまで建築の「日本的なもの」と呼んでいたものは、中国現代建築が国際的に注目され始めた昨今、よく似た顔をする「中国的なもの」との関係性のなかで、否応なく再点検することを迫られている。郷村プロジェクトの流行とそれへの評価の高まりは、そのような状況を加速させていくだろう。

西洋のように建築と自然を対立させることなく、むしろ両者の調和や融合を志向すること。それは長らく西洋向けに描かれてきた日本建築の自画像だった。現在起こっているのは、中国建築もまたそのような顔を持ち始めている、ということである。そもそも日中両国の建築カルチャーは思想的にも技術的にも同根なのだから、評価が近似するのは必然と言えよう。これまで「建築と自然の調和」というお題目を「日本的なもの」として独占できたのは、単に中国の近現代建築が国際的によく理解されてこなかったために過ぎないのだ。そのうえで現状異なるのは、このお題目を日本の現代建築は美学的・空間的に体現してきたのに対して、中国の現代建築はリサイクルやリユースといった「正しさ」を纏った手法論としてアピールしている点だろうか。
いずれにしても、私たちがこれまで建築の「日本的なもの」と呼んでいたものは、中国現代建築が国際的に注目され始めた昨今、よく似た顔をする「中国的なもの」との関係性のなかで、否応なく再点検することを迫られている。郷村プロジェクトの流行とそれへの評価の高まりは、そのような状況を加速させていくだろう。
再帰的問い──建築家は何をデザインするのか?
郷村での仕事の多い建築家の何崴(中央美術学院教授)は、あるインタビューのなかで、郷村とは建築家の「桃花源」などではなく、あくまでも課題の山積する「現実」に過ぎないこと、そして脆弱な領域であるゆえ、そこへの介入には理性と慎重さが求められると注意を促している[★11]。たしかに、流動性が低く規模も小さな郷村において、部外者による建築プロジェクトがその社会に与えるインパクトは、それがいくら自然と社会への配慮を踏まえたものであったとしても、都市よりも遥かに大きいことは自明である。それゆえ、建築家の仕事はときにデザインや図面の世界を逸脱して、村民間の意思疎通を図るコミュニティ・デザイン的作業や竣工後の使われ方の提案などにまで拡張せざるを得ない。つまり、設計以前と竣工以後のことを総合的に考え、また粘り強く付き合わねばならない。上述の張雷がそうだったように、建築家たちの郷村プロジェクトはえてして単発で終わらずに連続的なのだが(MoMAに出展する徐甜甜もそうだ)、それは個々のプロジェクトの境界が曖昧であることに拠るだろう。
おそらく、こうした郷村プロジェクトの特性は、中国の建築家に自らの職能を自問自答させることになる。建築家がこの社会で果たすべき役割とは何か? 明瞭な与件のもとでいわゆる「建築デザイナー」として振る舞うことのできる都市では、このような問いは生まれづらい。しかし介入の繊細さと多面性が求められる郷村においては、プロジェクトのどの局面にいかに参与するかという、主体的で柔軟な判断が必要不可欠となる。
このように考えてみると、中国の建築家たちが郷村で直面する課題は、東日本大震災以降の日本の建築家が取り組んできたそれとよく似ている。2011年の震災とその復興をひとつのトリガーとして、日本の建築家たちは単なる「建てること」を超えた実践のかたちや表現手法をさまざまに発明してきた。たとえば、1980年代後半生まれのtomito architectureによる「出来事の地図」は、プロジェクトの始まりから完成、そして完成後に生じる些細な出来事までをネットワーク状に描画したドローイングであり、建築がいかに社会のなかで建てられ、そして定着していくのか、という問題関心が巧みに表現されている[★12]。彼らの視野においては、建築をデザインすることは長大に連鎖する建築的出来事のひとつの局面でしかない。
翻って、中国の郷村プロジェクトでは、いまのところ建築を美しく表現することになお注力しているように筆者には映るが、こうしたプロジェクトが本質的に備える建築以外の事象の連鎖を捉えた表現、そしてそれに適合した建築家の新たな実践形式が現れてくるのも時間の問題だろう。東日本大震災前後から脚光を浴びた山崎亮の著作は多く中国語にも翻訳されており、コミュニティ・デザイン(中国語では「社区設計」)に対する関心が高いことも、その証左だろう。
この約30年、日本は停滞して、中国は急成長を遂げた。社会の対照性は建築にも如実に反映され、なかなか共通の課題を論じるような状況にはなかった。しかし、中国の建築家たちが郷村へと向かう流れのなかで、そうした状況は急速に変化しつつある。中国現代建築の現在地は、日本のそれとほとんど重ねて見られるほどに近接してきている。
写真提供=市川紘司
★1 鐘念來「從城市到郷村──庫哈斯新展 "郷村,未來所在"」、『時代建築』2020年第3期、172-175頁。
★2 たとえば2014年の郷村観光客は延べ14億人であり、これは中国全体の観光客数の30%を占めるボリュームだった。こうした観光業に携わる農村住民は3300万人で、3200億元の収入があった。参照:鐘雲瓊+秋山邦裕「中国における郷村観光の展開と「農家楽」の実態分析──広西チワン族自治区桂林市恭城県を事例として」、『鹿児島大学農学部学術報告』第66号、2016年、37-44頁。
★3 田原史起『草の根の中国:村落ガバナンスと資源循環』東京大学出版会、2019年。筆者による書評「ガバナンスの一形態として建築を見る視点」が『建築討論』2019年11月号に掲載されている。
★4 Stephan Petermann, "Villages with Chinese Characteristics", AMO, Rem Koolhaas ed., Countryside, A Report, Taschen, 2020, p.133.
★5 たとえば建築評論家のJustin Davidsonによる "Farm Livin’ Is the Life for Me, Ja? Rem Koolhaas Tries Out Country Life" (Intelligencer, FEB. 24, 2020, URL= https://nymag.com/intelligencer/2020/02/rem-koolhaass-countryside-the-future-at-the-guggenheim.html)など。日本では本展覧会へのレビューが少ないが、日埜直彦「漂流する人間環境のナヴィゲーション」(『現代思想』2020年9月臨時増刊号、青土社、60-64頁)が展覧会内容を手際よくまとめつつ、田舎が依然として都市からの評価に留まっていることの「退屈さ」をやはり厳しく批判をしている。
★6 李翔寧編著『走向批判的実用主義──当代中国建築』広西師範大学出版社、2018年、337頁。
★7 ちなみに英文タイトルは "Building a Future Countryside" であり、コールハースらによるグッゲンハイム美術館での "Countryside, The Future" 展を多分に意識したものとなっている。
★8 葉露+黄一如「当代郷村営建中〝設計下郷〟行為的表征分析與場域解釋」、『建築師』2019年第5期、97-102頁。
★9 「現場與回望:2018年威尼斯建築双年展與中国建築師」、『新建築』2019年第1期、14頁。
★10 Thomas J. Pritzker, Ceremony Speech. URL= https://www.pritzkerprize.com/sites/default/files/inline-files/Tom_Pritzker_Ceremony_Speech_2012_Shu_0.pdf
★11 何巍「建築師應理性看待 "下郷"」、『芸術市場』2018年第7期、28-29頁。
★12 「『建築の民族誌』を考える――2018年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館を通して 3.出展作家へのインタビュー(1)tomito architecture」 URL= https://jp.toto.com/publishing/bookplus/bp190311/index.htm


市川紘司
1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科助教。桑沢デザイン研究所非常勤講師。専門はアジアの建築都市史。博士(工学)。東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、明治大学理工学部建築学科助教を経て現職。2013〜2015年に清華大学建築学院に中国政府奨学金留学生(高級進修生)として留学。著作に『天安門広場──中国国民広場の空間史』(筑摩書房)など。論文「20世紀初頭における天安門広場の開放と新たな用途に関する研究」で2019年日本建築学会奨励賞を受賞。