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1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
ライプツィヒから〈世界〉を見る(4) ルターからジョブズへ――出版メディアと美意識|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(5) ドイツのコスプレと批評の読者|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(3) ドイツ語か、英語か|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(1) 自分をorientするということ|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(1) 移動できない時代の「散歩の文学」――多和田葉子『百年の散歩』を読む|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(2)プラハのカフカ・ミュージアムと「世界文学」の時代の文学館|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(6) ライプツィヒの面影を感じて|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(2) ベルリンでパパ鉄──父と子で味わうドイツ・ベルリンの鉄道文化|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(7) ザクセンの歴史が刻まれた クリスマスマーケット|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(3) ライプツィヒ日本学とは何か(前篇)──「なんでこうなったのか知りたい!」シュテフィ・リヒター『闘う日本学』を手がかりに|河野至恩
ライプツィヒから〈世界〉を見る(最終回) 「ベルリン森鷗外記念館」と「ドイツ語落語」|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(5) 翻訳・多言語の街、ベルリン|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(8) 人生を通しての言語とのつきあい方|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(9) ベルリンで思い出す、大江健三郎が残したもの|河野至恩
「移動」の文学について考え続けること──多和田葉子『雪の練習生』を読む 記憶とバーチャルのベルリン(最終回)|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(7) 2022年のベルリンと鷗外(後篇)|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(6) 2022年のベルリンと鷗外(前篇)|河野至恩
記憶とバーチャルのベルリン(4) ライプツィヒ日本学とは何か(後篇)──空き家、西田幾多郎全集、そして学びの〈場〉|河野至恩