記憶とバーチャルのベルリン(9) ベルリンで思い出す、大江健三郎が残したもの|河野至恩
ベルリン出発前の訃報
2023年3月、昨年から企画に関わってきたベルリン・フンボルト大学でのワークショップ「森鷗外と知の多様性」に参加するためにベルリンに出発する直前、作家の大江健三郎さんが亡くなったというニュースが目に留まった。
ここ数年は新作小説の発表だけでなく、新聞などのメディアへの寄稿やインタヴューもなくなり、表向きの作家活動から引退したのだろう、とは思っていた。それでも、今回の死去の報には、「ついにその時がきたか」という思いを抱いた。
大江健三郎といえば、言うまでもなく戦後の日本文学において最重要の作家のひとりであり、また護憲派の論客として活躍した知識人でもある。私個人としても、その作品のいくつかに深く没入する体験を与えてくれた、大きな存在であった。高校生時代に読んだ、氏の文学論をまとめた『新しい文学のために』(岩波新書、1988年)は、「文学」を読むということについて概念的に考えるきっかけとなった。また、アメリカで過ごした大学生時代に『人生の親戚』(新潮社、1989年)を読み、作家の生活に根ざした小説世界と、外国文学のテクストの解釈(この作品の場合はフラナリー・オコナーなど)を通して、文学を探究することの意味について考えさせられた。その体験はのちに文学研究を志す際のひとつの手がかりにもなったりもした。私の世代には、そのように大江の作品に触れた読者も多いだろうと思う。
しかし、それとは別に、私には、大江本人に出会い、その人となりに触れる機会も何度かあったため、この訃報は、より個人的な形で受け止めていた。訃報の数日後にはベルリンへの飛行機に乗り込んだのだが、今回は、大江健三郎という作家の記憶を抱えながらの旅となった。そして、その記憶を辿ることは、私と「文学」の接点について改めて考えることとなったのだ。
『取り替え子』に描かれた、ベルリンでの quarantine
さて、大江健三郎の小説には、氏のベルリン滞在中の体験が刻まれた小説がある。2000年に刊行された『取り替え子』(講談社)だ。くしくも、この小説は、亡くなった人を想起することがテーマとなっている。
大江の分身と思われる主人公・作家の長江古義人は、映画監督の義兄・塙吾良の死に大きな衝撃を受ける。古義人は、吾良の死がメディアでさまざまに語られることに納得できず、吾良からもらったカセットテープを「田亀」と名付けられたカセットデッキで貪るように聴き、録音された吾良の声を通しての彼との「対話」に閉じこもっている。そんなとき、カセットテープの吾良の声は、古義人に "quarantine" (カランティン)を勧める。
「そこで考えたんだがね、どこかへ息抜きに出かけたらどうだ? きみももう何十年も苦しげに作家生活を続けてきた。古義人にはそろそろ quarantine が必要だよ。おれはきみがいったん小説から離れて、ある期間……すっかり行きっきりでは千樫もアカリ君も困るだろう、だからその、ある期間。つまり quarantine を自分に課してさ、毎日この国のジャーナリズムと面と向かう暮らしから離れることをすすめるね。」[★1]
この小説では、ベルリンの滞在が "quarantine" として描かれている。小説中、古義人は、吾良から quarantine という言葉を聞いた後、辞書で引く。もともとは「40日間」を表すこの語は、防疫上の隔離期間を表し、一般的には孤立化という意味があると古義人は知るのだった。
古義人は、この言葉に押し出されるように、また、吾良の記憶やその死をめぐる喧噪から距離を置くためにも、以前から届いていたベルリン自由大学の客員教授のオファーを引き受け、ベルリンに向かった。
現実に、1997年、大江の義兄の映画監督・伊丹十三が自殺した後、大江は1999年11月から数か月、ベルリン自由大学に客員教授として滞在している[★2]。この小説は、伊丹十三の死を受け止めきれない大江が、その経験をフィクション化することで乗り越える、そのような物語として読むことができる。
河野至恩
1 コメント
- moriatyj2023/09/03 01:16
2023年3月の大江健三郎の逝去に際して、いくつかの文芸誌で特集が組まれ、またマス・メディアでもその訃報が報じられた。前者は主に現役作家らの小説家・大江に関するエッセイ集であり、後者は活動的知識人・大江に関する簡単な生前の活動報告だった。また、主要な複数の純文学雑誌に掲載されたエッセイのいくつかは、書き手が重複しているものもあった。 無論、それらが無意味だというのではない。書き手の数だけ、また書かれたエッセイの数だけ大江に対する知見や、感想や、思い出があることは事実だ。 そうした一連の大江逝去に関する文章の中でも、当記事は群を抜いてユニークなものだと思われる。 河野氏がベルリン出発前に大江の訃報に接することから、大江がベルリン自由大学赴任を契機に、義兄・伊丹十三の死をめぐる世間的喧騒から“quarantine” した経験を取り入れた小説『取り替え子』を主題とし、大江作品の、特に後期作品に顕著になってくる(私見では50歳代に書かれた『懐かしい年への手紙』から)独自の私小説性、それを「オートフィクション」に近いと評し、モデルの存在するフィクションを書くことで、大江が如何に現実の困難さを乗り越えてきたかを示唆する。 また、大江がプリンストン大学に赴任していた頃、大学院生として同じ大学に所属していた河野氏が、大江の為人にエピソードと共に触れているのは、非常に貴重で、大江のインタビューやいくつかのエッセイに垣間見えていた大江のユーモラスな一面が生き生きと報告されている。2018年から2019年にかけて『大江健三郎全小説』(実際には全小説が収録されている訳ではないが)が刊行されたが、大江のエッセイもまたあるものはユーモアに富んでいるものも多い為、まとまったものが広範に読まれる日を望みたい。 そうした河野氏の実体験による大江の人柄や思い出、そして大江とその作品を通じた「文学」との向き合い方が綴られていて、ある意味緊急に濫造された数ある大江健三郎・追悼の中でも稀有で一層興味深い記事となっている。 創作は私的な側面を持つ。しかし言葉で書かれた小説は、それ故に繋がりを持つことが出来る。特に後期の作品で、世界文学からの引用が方法的に多用される大江作品において、読者は大江の小説を通じ、世界文学へとつながる。『取り替え子』の開始時点で自殺した塙吾良の「交際」は国境を越えたつながりを想起させる。 そうした『取り替え子』を起点として、大江自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と呼ぶ一連の作品は、死んだ者の思い出に囚われた者が、生者も死者も主眼ではなく、ただこれから生まれてくる者のみに思いを巡らすことを願い、始まるのだ。
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