記憶とバーチャルのベルリン(5) 翻訳・多言語の街、ベルリン|河野至恩
初出:2022年4月28日刊行『ゲンロンβ72』
かつてはプロイセンの首都であり、激動の20世紀を経てもなお、現在に至るまでヨーロッパの一大都市として名高いベルリン。文学においても、レッシング、ハイネ、グリム兄弟、ブレヒト、ベンヤミンなど、ベルリンにゆかりがある著者は多い。プラハでその生涯の大部分を過ごしたフランツ・カフカも、婚約者フェリーチェ・バウアーに会いに、ベルリンを何度か訪れていた[★1]。
ベルリンという都市と文学の関係を考えるとき、カフカをはじめ、実はドイツ語を含めて複数の言語を操る作家を欠かすことはできない。例えばロマン主義文学の代表的な作品『影をなくした男」(1814)などで知られるアーデルベルト・フォン・シャミッソーは、フランス・シャンパーニュで生まれたが、15歳のとき、フランス革命のため家族でベルリンに渡り、母語ではないドイツ語で作品を著した。1985年には、彼にあやかってドイツ語を母語としない作家に贈られる文学賞「シャミッソー賞」が創立され、1996年には多和田葉子も受賞している。
もちろん、ドイツ語以外で書く作家もいる。1929年から1933年までナチス・ドイツの台頭前夜のベルリンに滞在し、当時の体験をモチーフにした小説『さらばベルリン』(1939)を著したイギリス人作家、クリストファー・イシャウッドも有名だ。日本の読者にとっては、1887年から翌年までベルリンに滞在した森鷗外も、もちろん含まれるだろう。
2019年の12月から2020年の1月、私が在外研究でベルリンに滞在している間、文学に関する講義、ワークショップ、トークイベントなどをできるだけ多く聴きに行った。今回はその中から、ドイツ語を母語としない、あるいはドイツ語と他の言語の関係にフォーカスを当てた、ふたつのイベントを紹介してみたい。ここで浮上したキーワードは「翻訳」「多言語」「複言語」などの概念だ。いまなぜ、これらに注目する必要があるのか。そして、それをベルリンで考える意義とは何か。こんな問いから、文学都市・ベルリンの現在の一面が垣間見えるのではないだろうか。
ベルリンという都市と文学の関係を考えるとき、カフカをはじめ、実はドイツ語を含めて複数の言語を操る作家を欠かすことはできない。例えばロマン主義文学の代表的な作品『影をなくした男」(1814)などで知られるアーデルベルト・フォン・シャミッソーは、フランス・シャンパーニュで生まれたが、15歳のとき、フランス革命のため家族でベルリンに渡り、母語ではないドイツ語で作品を著した。1985年には、彼にあやかってドイツ語を母語としない作家に贈られる文学賞「シャミッソー賞」が創立され、1996年には多和田葉子も受賞している。
もちろん、ドイツ語以外で書く作家もいる。1929年から1933年までナチス・ドイツの台頭前夜のベルリンに滞在し、当時の体験をモチーフにした小説『さらばベルリン』(1939)を著したイギリス人作家、クリストファー・イシャウッドも有名だ。日本の読者にとっては、1887年から翌年までベルリンに滞在した森鷗外も、もちろん含まれるだろう。
2019年の12月から2020年の1月、私が在外研究でベルリンに滞在している間、文学に関する講義、ワークショップ、トークイベントなどをできるだけ多く聴きに行った。今回はその中から、ドイツ語を母語としない、あるいはドイツ語と他の言語の関係にフォーカスを当てた、ふたつのイベントを紹介してみたい。ここで浮上したキーワードは「翻訳」「多言語」「複言語」などの概念だ。いまなぜ、これらに注目する必要があるのか。そして、それをベルリンで考える意義とは何か。こんな問いから、文学都市・ベルリンの現在の一面が垣間見えるのではないだろうか。
「翻訳アクティビズム」の拠点で語られる「翻訳不可能性」
ベルリンには文学者の記念碑やゆかりの場所が少なくない。その中で現在でも文学者が集まり、発信の拠点として活発な活動を展開しているのが、ベルリン文学コロキウム(Literarisches Colloquium Berlin、LCB)である。ベルリン市からの助成で運営されるこの文学センターは、ベルリン西部の郊外、ヴァンゼー駅の近くに所在し、書籍の新刊イベントや朗読会などが頻繁に開催されている。
私がLCBのことを知ったのは、2019年秋にゲーテ・インスティトゥート東京で開催された、翻訳出版に関するワークショップだった。日本語からドイツ語への文芸翻訳の現状が紹介され、翻訳から出版までのプロセスに関して具体的なアドバイスも提供されるものだった。
このワークショップに、LCBの副館長であるユルゲン゠ヤコブ・ベッカー氏が参加して、ドイツにおける翻訳支援のあり方を紹介していた。そこで、LCBを中心に、翻訳者の支援活動や、翻訳に関する啓蒙活動が展開されていることがわかった。例えば、LCBでは、ドイツ内外の作家や翻訳家が長期滞在できるレジデンシー・プログラムを行っている。そして、LCBも運営に参画している、ドイツ政府の助成によるドイツ翻訳基金(Deutsches Übersetzenfond)。他言語からドイツ語への文芸翻訳者を支援し、ワークショップやトークイベントも開催する公的な機関だ。ベッカー氏はこの基金の事務局長も務めている。また、ベッカー氏が創始した、文芸翻訳者を交えた文化交流イベントや出版を通して翻訳についての理解を深めるプロジェクトであるトレド・プログラム(TOLEDO Programm)の活動も紹介された。
私は文学研究者として、日本文学の作品が翻訳・流通・出版される状況についての歴史的な研究を行ってきた。同時に私自身も翻訳を出版した経験があり、現代における文芸翻訳の支援に関心を持っている。今回のワークショップでの発言を聴き、LCBがいわば翻訳アクティビズムの拠点として、文芸翻訳に対して多様な支援を展開していることに興味を惹かれた。日本でも、例えば文化庁の立ち上げた「現代日本文学の翻訳・普及事業」が翻訳コンクールやワークショップなどの活動を行っているが、ベルリン市のサポートによりこのような多岐にわたる翻訳・翻訳者支援活動が定期的に行われていることは、ひとつの都市の文化行政のあり方として非常に興味深く思われた。
河野至恩
1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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