平和について、あるいは「考えないこと」の問題──『ゲンロン17』より|東浩紀

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webゲンロン 2024年9月30日配信

 

 2022年の2月24日、ロシアがウクライナを全面侵攻し始めたとき、まず読んだのが経済学者のブランコ・ミラノヴィッチのブログだった★1

 ミラノヴィッチの名は、その前年に日本でも話題になった『資本主義だけ残った』という書籍で知っていた。彼はその本のなかで、リベラリズムと権威主義の対立が話題になっているが、実際に起きているのは能力主義的資本主義と権威主義的資本主義というふたつの資本主義モデルの競争であり、20世紀の共産主義の広がりもじつは後者成立の前段階でしかなかったという歴史観を披露している。新鮮で印象に残っていた。

 とはいえ、ミラノヴィッチの著作で読んだのはその1冊だけで、熱心な読者というわけではなかった。それなのに彼のブログにまで辿りついてしまったのは、侵攻当日、戦争勃発で興奮したのか、ここぞとばかりに正義について語り始めた「国際政治学者」や「軍事評論家」たちのツイートにうんざりしていたからかもしれない。プーチンが悪いことはわかっている。ロシアを撃退しなければいけないこともわかっている。でもそれ以外の視点も欲しかった。

 ミラノヴィッチの24日の投稿は、そんな専門家の興奮とは対照的にとても静かなものだった。彼はそこで、ロシアによるキーウへの攻撃には短く触れただけで、おもに1999年にベオグラードに対して行われた空爆について語っている。それはロシアではなくNATOが行なった空爆だ。

 

 ミラノヴィッチは、その名から察せられるとおりセルビア系の人物だ。彼は1953年にベオグラードで生まれた。当時はまだユーゴスラヴィアという国があって、ベオグラードはその首都だった。

 ユーゴスラヴィアは、セルビアを中心に6つの社会主義共和国から成る連邦国家で、冷戦が終わるとともに崩壊を始めた。スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナといった国々がつぎつぎに連邦から離脱し、1990年代後半に入るとセルビア南部の自治州、コソヴォでも激しい衝突が起きた。コソヴォには多数のアルバニア人が住んでいて、セルビアからの独立を求めていたのだ。

 コソヴォ紛争の模様は日本でも報道されたので、ぼくの世代以上は多くが記憶しているだろう。報道では、だいたい悪者はセルビアになっていた。その親玉が、当時のユーゴスラヴィア大統領で、セルビア出身のスロボダン・ミロシェヴィッチという独裁者だった。彼はコソヴォの独立運動を許さず、活動家に激しい弾圧を加え、その過程で「民族浄化」と呼ばれる虐殺や迫害も行なった。欧米の世論はそのような人権侵害に強く反発し、それにあと押しされるかたちでNATOは軍事介入を決めた。空爆は1999年の3月から6月にかけて、セルビアとモンテネグロ──当時は両国だけがユーゴスラヴィアに留まっていた──全域の軍事施設に対して行われた。首都も対象となった。

 ベオグラードが攻撃されたとき、ミラノヴィッチはすでにセルビアを出てアメリカに住んでいた。けれども家族や友人は現地にいた。ミラノヴィッチは当時の記憶を淡々と記している。

 多くの市民が、当初空爆は数日で終わるだろうと考えていたこと。その期待が裏切られ、少しずつ生活が変質していったこと。標的は当初軍事施設に限られていたが、徐々に民間施設も攻撃され始めたこと。爆撃機のいくつかはアメリカ本土から10時間以上をかけてわざわざ飛んで来ていたこと。ベオグラードの都市機能を支える橋を守るため、夜な夜な100人以上の市民が橋梁のうえに集まり、人質となって攻撃を阻止していたこと。

 投稿の最後はつぎのように締められている。戦争は楽しいものではない。よいものでもない。funでもgoodでもない。ベオグラードではよいものでなかった。サラエヴォでもよいものではなかった。コソヴォでもよいものではなかった。そしてキーウでもよいものではない。このようなことは二度と起こるべきではない……。

 

 ミラノヴィッチの投稿は長いものではない。内容も単純だ。ところがふしぎと心を動かされた。

 ロシアによる不条理な空爆が始まったときに、NATOによる別の不条理な空爆の話をする。その「バランス感覚」は、リベラリズムと権威主義の対立をふたつの資本主義の対立として捉えて相対化する、前出の『資本主義だけ残った』に通じるものかもしれない。

 最近はそのようなバランス感覚は歓迎されない。正義と悪、どちらに立つかがつねに問われている。いまメディアで支配的な語りからすれば、1999年のNATOによる空爆は正義の空爆であり、ロシアによる2022年の悪の空爆とは比較できない。そもそもロシアは歴史的にセルビアを支えてきた国だ。内戦当時もミロシェヴィッチの独裁を支え、空爆にも反対した。そして結果としてNATOの空爆で民族浄化は止まり、コソヴォ独立への道も開けた。ミラノヴィッチはその成果を無視し、セルビアとロシアの悪を相対化しようと試みているのだろうか。そのような解釈もありうるだろう。

 けれども、ぼくは少し異なったメッセージを読み取った。たしかにNATOの空爆は正義で、ロシアの空爆は悪かもしれない。しかしそのような「真実」とは関係がなく、爆撃され、生活を破壊される人々にとって空爆は恐怖でしかない。

 正義か悪かの対立とは別の、もうひとつの判断基準がある。おそらくはそれがミラノヴィッチが伝えたかったことで、だからこそ彼は最後に、同じことがサラエヴォでもいえる、コソヴォでもいえると別の地名を付け加えたのではないか。

 ベオグラードではセルビア人が被害者だった。しかしサラエヴォとコソヴォではセルビア人が加害者だった。だからある視点からすれば、ベオグラードの市民が苦しんだのは自業自得ともいえる。実際そのようにして民間人の犠牲は正当化された。けれども、そのような加害・被害の区別とはべつに、そもそもの害の存在そのものが「楽しくない」。つまり戦争はよくない。

 それはじつに単純なメッセージだ。しかしそれこそが、その日のぼくにとっては必要なものだった。

 さきほども記したとおり、ロシアがウクライナを侵攻したあの日、日本のSNSは興奮を隠しきれない専門家たちの語りで満たされていた。みながロシアを糾弾していた。ぼくもむろん糾弾したいと感じた。

 しかし、同時に、みながロシアが悪だと糾弾し続けなければならない状況、それそのものにも強烈な負荷を感じた。そんな現実とどのように距離を取ればよいのかわからなくなり、いささか混乱していたぼくに、ミラノヴィッチのその単純な指摘はとても解放的に響いたのだ。

1

 戦争はよくない。あらためて繰り返すが、それはじつに単純なメッセージだ。

 にもかかわらず、ぼくがそんな単純なメッセージから議論を始めたのは、それこそがいま、ぼくたちが素直に思考し表明できなくなっているものだからである。

 戦争はよくない。停戦するべきだ。いまはそう発言するだけで、おまえはロシアを擁護するのかと批判される。少なくとも日本のSNSではそうだ。そうじゃないといくら説明しても聞いてもらえない。

 これはたいへん不自由な状況だ。不条理でもある。最近のゲンロンカフェの講演で話したように★2、じつはここには哲学的な問題が隠されている。

 戦争と平和は対立する。それはなにを意味するのだろう。

 まずは素朴に理解すれば、それが意味するのは平和とは「戦争の欠如」だということだ。平和時には戦争は存在しない。戦争は見えない。戦争について考えなくていい。少なくとも考えないことが許される。平和は「戦争が存在しないこと」なのだから、当然戦争とは対立する。

 ところが戦争が始まると、まさにこの対立が維持できなくなる。なぜなら、戦争が始まるとは、「戦争の欠如そのものが消える」こと、つまりすべてのひとが戦争について考えねばならない状況になることを意味するからだ。平和時には戦争と平和は対立するが、戦時にはその対立じたいが消えてしまう。平和について考えること、それそのものが不可能になってしまうのである。

 

 これは言葉遊びではない。平和時には、戦争が必要か不要かの判断以前に、そもそも戦争についてなにも考えていない、無定見の市民が一定数現れる。いわゆる「平和ボケ」である。

 平和ボケは批判される。たしかになにも考えていない市民ばかりだと困る。しかし、裏返せば、そんな彼らの存在こそが平和の本質を表しているともいえる。平和ボケは平和だからこそ存在できる。実際、戦争が始まると平和ボケは姿を消す。少なくとも大幅に数が減る。ほとんどの市民は、戦争に協力するか抵抗するか、どちらかに態度を決めなければならなくなるからである。

 かわりに戦時には「反戦」が生まれる。平和と反戦は似ているようで異なる。

 繰り返すが、平和時には人々は戦争について考えなくてよい。平和ボケが許される。しかしそれは、平和時にはだれも戦争について考えないということを意味するものではない。平和時にも軍人はいる。小さな紛争も起こるだろう。政治家や学者は戦争について考える。あたりまえだ。

 そうではなく、大事なのはつぎのようなことなのである。いわゆる平和時には、軍事的な衝突が起こっても、またそれらの話題がネットやマスコミを席捲しても、つねにそれとは切り離された人間活動の領域が大きく広がっている。またそれが許されてもいる。

 平和時には、特定の著者の小説を読んだり、特定の楽曲を聴いたり、特定のスポーツチームを応援したりといった活動が、必ずしも彼ら作家や選手が属する共同体についての政治的な意見表明につながらない。少なくともそう捉えなくてもよいという合意がある。恋愛や結婚の相手を選ぶにあたっても、相手が所属する国や民族との政治的な関係は致命的な障害にならない。少なくとも障害にしてはならないという合意がある。ぼくは、そのような政治的な思考停止についての合意の広がりが、社会が平和であることの重要な条件だと考える。

 けれども戦争が始まると、そのような合意の領域は急速に狭まっていく。なぜこの小説を読むのか、なぜこの曲を聴くのか、なぜこの選手を応援するのか、なぜこのひとと結婚するのか、すべてで政治が問われるようになるからである。それは実際にいまロシアやウクライナで起きていることだ。

 

  戦争は人間の活動のすべてを呑み込み、みずからとの関係で有用性を再定義しようとする。あらゆる「私」を「公」に呑み込んでしまう。そのような政治の全面化こそが戦争の本質だ。

 したがって、いちど戦争が始まってしまうと、もはや「考えない」ことは意味をもたなくなる。どんな非政治的な活動も、それじたい戦争との関係を問われてしまうからだ。平和ボケは機能しなくなる。平和を実現するためには、むしろまったく逆に、政治に深く入り込み、戦争を推進する勢力と厳しく対峙する態度が必要になってくる。

 その対決の姿勢こそが「反戦」と呼ばれるものである。反戦は、デモに始まり、合法的なアクション、半ば非合法な地下出版、完全に非合法なテロや革命まで、さまざまなかたちを取りうる。いずれにせよ、反戦はそれそのものがひとつの戦いである。だから哲学的には、さきほど定義した平和とは区別される。

 これは反戦の批判ではない。反戦は必要である。尊敬すべきものでもある。しかし、そのような緊張感をもった平和への志向が、弛緩した平和の享受(平和ボケ)とまったく質が異なることはたしかだ。

 平和時には戦争と平和は対立する。平和は戦争の単なる欠如であり、平和ボケが可能だからだ。

 しかし戦時には対立することができない。平和は「反戦」を通してしか実現できず、それもまた戦争のかたちを取らざるをえないからだ。そこでは平和もまた戦争の一部になる。戦時にはこのような概念の変質が起こる。

 ぼくは、日本ではいまそのような概念の変質が急速に進んでいるのではないかと思う。平和について語ることがむずかしくなったのはそのためではないか。

 かつては素朴に、戦争はよくない、NO WARと叫んでいても理解された。ところがいまは、戦争はよくないと言うと、ではおまえは平和を取り戻すためにどちらの側で戦うのか、ロシアなのかウクライナなのかと問われてしまう。平和について語りたかったのに、戦争の磁場へと引きずり込まれる。それは不条理だが、平和時と戦時の齟齬によるのだと考えれば理解できる。

 日本はまだ戦争に巻き込まれていない。けれど言論状況としては確実に戦時に足を踏み入れつつあるのだ。

 

 戦時には平和は語れなくなる。平和ボケが許されなくなる。みながつねに戦争を意識するようになる。

 それはいいことだろうか。いいことだと考える読者も多いだろう。社会は政治でできている。戦争は必ず起こる。戦争を意識しないで生きるのはそもそも甘えであり、日本人も戦後80年を経てようやく大人になり始めたのだと言われれば、そのとおりかもしれない。

 しかし、ぼくとしては、逆にだからこそ、いま、さきほど定義したような平和と平和ボケの価値を議論しておくべきだと考える。

 なぜならば、かりに現在の状況が続くとすれば、これからそのような価値について考えるのはどんどん困難になるからである。それどころか議論の必要性すら忘れられていくからである。

 平和を守るためにこそ銃を取るべきなのだと、これから現実主義者は言い出すだろう。その理屈は戦時には正しい。ぼくだって(年齢の問題はあるが)銃を取るかもしれない。

 しかし、だからこそ、そんな戦時においても、そもそも守りたかったものがなんだったのか、最初の動機を忘れてはならない。戦時において守るべきなのは、あるいは取り戻すべきなのは、反戦という名の戦いが延々と続く永久革命の世界ではない。銃を取る可能性なんて考えすらしなかった、あの平和ボケの日常のはずなのだ。反戦を戦い抜いたあと、みなが平和ボケの価値を忘れてしまっているとしたら、いったいなんのための反戦だろう。

 だからぼくは以下、平和について語ろうと思う。それは戦時における「思考不可能なもの」について考えることでもある。

 平和は戦時には思考不可能なものへと変わる。だからそれは、政治家でも軍人でもなく、哲学者が取り組むべき課題となるのである。

2

 とはいえ、ここでは論文を発表したいわけではない。ぼくは数年前に『観光客の哲学』という本を書いた。その主張をなぞり、今回もまた、ある旅を参照項にしながら、紀行文のような歩みで思考を展開してみたいと思う。

 今回ぼくが訪れたのは、旧ユーゴスラヴィアのふたつの国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとセルビアである。(『ゲンロン17』へ続く)

10月4日書店発売の『ゲンロン17』では、本論考の続きとともに、旧ユーゴ圏への取材をもとにした記事を計4本収録。ボスニア戦争に従軍した作家へのインタビュー等を通して、現在の戦争を考えるヒントを探ります。さらに暦本純一さん、清水亮さん、落合陽一さんによる座談会、『世界は五反田から始まった』の星野博美さんによるエッセイ、メディアアーティストの藤幡正樹さんによる特別寄稿などを掲載。戦争、AI、万博、絵本、チベット映画、左翼運動、アフリカ哲学ほか、多彩なテーマから社会を考えます。ぜひ、以下よりご予約・ご購入ください。

★1 URL= https://glineq.blogspot.com/2022/02/how-modern-bombings-look-bombing-of.html
★2 東浩紀「東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛」、2024年5月19日。以下のURLで視聴可能。URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240519

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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