AI研究に学会は不必要?──『ゲンロン17』より|暦本純一+清水亮+落合陽一

本記事は、2024年6月7日にゲンロンカフェにて行われた以下の公開講座を編集・改稿したものです。ぜひあわせてお楽しみください。(編集部)
暦本純一 × 清水亮 × 落合陽一 拡張する人間──AIが可能にする新たな融合の世界
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240607
LLMの衝撃
清水亮 知能/生命研究家の清水亮です。本日は情報科学者の暦本純一さんとメディアアーティストの落合陽一さんとともに、「人間の拡張」というテーマでお話ししたいと思います。暦本さんは落合さんの大学院時代の師匠にあたり、最近では『2035年の人間の条件』という共著を刊行されています。そもそもどうしてこの本を作ることになったのでしょうか。
暦本純一 きっかけは2023年の3月に、落合くんの番組に出演したことです。好評だったので書籍化することになったのですが、AI研究は時間の流れが速い。そのまま本にすると情報が古くなってしまうので、年末にあらためて対談を行いました。
落合陽一 「最新」を伝えてもどうせすぐに古くなる。むしろ一種のエスノグラフィーを目指しました。
清水 おっしゃるとおりAI研究の状況が日々目まぐるしく変わるなかで、あの対談はタイトルのとおり、とても普遍的な議論がなされているものでした。
暦本 要は「2023年ごろの人類はなにを考えていたのか」を残そうとしたわけです。ぼくも落合くんも、来年にはぜんぜんちがう考え方やアイディアを持っているかもしれません。それくらいAIの世界は日進月歩です。
その意味で、この5月にハワイで開催されたCHI(Conference on Human Factors in Computing Systems)という国際学会は象徴的でした。ほんらいはグラフィックスや入出力デバイスを中心に、人間とコンピュータの関係をあつかう学会です。VRやマウス、キーボードのように、手や身体を使ってリアルタイムに操作するもののイメージですね。そんな身体的なインタラクションの牙城とも言える学会に、AI研究が突然大量に入り込んできたんです。
清水 AIはエージェントですから、人間が直接操作するものではありませんよね。
暦本 そうです。同じ学会の発表内容が、たった1年でここまで変わることはかつてなかったと思います。
落合 ぼくも参加しましたが、今年はLLM関連の発表ばかりでしたね。ただ困ったことに、採録は23年の9月だったので、実際に発表されるときにはどれも賞味期限が切れてしまっていました。
清水 なるほど。半年以上もまえの研究だからもう古くなっていたんだ。
暦本 たとえば「なぜLLMは “Knowledge Navigator” を作れないのか」という趣旨の発表がありました。「Knowledge Navigator」は1987年に Apple が制作した映像作品で、そこではタブレット端末に搭載されたAIのエージェントが、ユーザーと流暢に会話する様子が描かれています。
清水 あの映像はとてもおもしろいですよね。約40年前の映像作品とは思えないほど未来を先取りしている。「なぜLLMは “Knowledge Navigator” を作れないのか」とはつまり「なぜAIはふつうに会話できないのか」ということですね。
暦本 そのとおりです。たしかに発表が採録された2023年の段階では、AIは「Knowledge Navigator」ほど自然に会話できませんでした。しかし奇しくも当の発表の前日、2024年5月13日に ChatGPT-4o が公開されてしまった。あまりに自然に会話ができるので、みな衝撃を受けました。その翌日に「なぜAIはふつうに会話できないのか」という発表を聞くのは、なかなか気まずい体験でした。
落合 今回は工学系の発表は退屈でしたね。むしろ人間に焦点を当てた研究のほうがおもしろかった。「ロボット掃除機にあだ名をつけてしまうのはなぜか」とか「VRで飲み会をやるとふだんより酔いやすい」とか(笑)。
暦本 CHIはわりとなんでもありなので、そういうおもしろい発表もできます。他方で研究の対象や分野がきっちり決まっている学会は、このゲームチェンジに対応するのが大変かもしれません。
落合 もはや学会の存在意義そのものが謎ですよね。論文の発表を中心とするいまの学会のあり方は、19世紀に形成されたフォーマットです。しかしもはや、学会がほんらい行うべき知の交換と、根本的にスピード感があっていない。AIをめぐる現状はそれを可視化したように思います。
暦本 すぐれた研究は「arXiv」などでプレプリントをさきに読むから、学会はたんなる答え合わせの場になっていますよね。
清水 たしかに、ぼくも学会のあり方は疑問で、とくに査読がそうですね。いわゆる World-Wide Web 論文や、ChatGPT を支える深層学習モデル「Transformer」を提案した Attention 論文といった、重要な論文が査読で落とされた事例は少なくない。議論があまりに先駆的だと、内容が正しいかどうかの判断がむずかしいですから。
落合 新しい情報やアイディアの交換はもうすべてX(旧 Twitter)で済ませればいいんじゃないですかね。
暦本 もちろんそのほうがスピード感は出ますが、発表の場がウェブだけになると、発信力の強いプレイヤーだけが生き残ってしまう懸念もあります。まったく無名のひとがいい研究を発表しても、同時期に同じような内容をGoogleやMetaが公開してしまったら、そのひとの研究成果は埋もれてしまう。学会とは、どんな無名のひとでも研究の内容そのものを適切に評価しようとする、例外的なコミュニティです。とはいえ、非効率性や査読の正確性といった問題があるのはそのとおりなので、よしあしは慎重に検討しなければいけませんが。
清水 これからは自由で雑多な研究をテンポよく共有できるような、新しい学会のフォーマットが必要なのかもしれませんね。
茶室から鏡の間へ
暦本 最近の学会の問題は、詭弁で論文を書くひとが増えたことにもあります。数年前に「HCIおもちゃ論争」というものがありました。コンピュータのユーザーインターフェースについて研究するHCI(Human Computer Interaction)という学問分野は、なんの役に立つかもわからない「おもちゃ」のようなものに、ただ詭弁や屁理屈をつけているだけなんじゃないかという批判です。この批判はあながち的外れではなく、最近では詭弁を回すテクニックのみで生きているひとが地位を得るようになっていると感じます。
落合 戯画的に言えば、「ひとの全身を包むスポンジ型のインターフェースを作りたいので、その作り方をリサーチしました」みたいな論文で業績をつくるといったことですね。「これを作りたい」と前提にされているものがほんとうに有用なら価値がありますが、そうでなければいくら査読をクリアできたとしても情報としては無に等しい。哲学なき詭弁で作られた怪しい研究が、ひまを持て余したアカデミックポストから無限に量産されているんです。
清水 でも、落合さんがやっていることも、語り口だけ見ればかなり「詭弁」っぽくないですか。
落合 (笑)。でもぼくはアートをやるときはアートの文化や形式に則りますし、研究のときは研究の作法で仕事をしています。そこを分けることで悪しき詭弁を回避している。たとえば最近「テンセグリティ構造」を用いた《ヌベルニ庵》という茶室を制作しましたが、こういうものはあくまでアートであって、論文にはしません。
清水 あれはすごい作品ですよね。糸と織物の張力で全体のバランスを取っているから、壁や柱で支えなくても茶室が崩れない。
暦本 テンセグリティを駆使した構造物はなかなか均衡が取れないから、実現がむずかしかったでしょう。
落合 それに剛性の問題もあります。茶室らしさを感じさせるためにはあるていど広い空間が必要ですが、大きいものをテンセグリティ構造で作るとゆがみが生じやすい。相当うまく計算しないと崩れてしまいます。茶室の中央の天然木は、乾くと形も重心も変わるので、かなり調整が大変でした。
清水 そりゃそうでしょう!(笑) なぜこの作品を作ろうとしたんですか。
落合 そもそものコンセプトは、[……](『ゲンロン17』に続く)
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