「エモい記事」に未来はあるか|西田亮介+大澤聡+東浩紀

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webゲンロン 2024年11月6日配信
2024年9月30日にゲンロンカフェで行われた、西田亮介さん、大澤聡さん、東浩紀の3人による「エモい記事」をめぐる座談会を掲載します。西田さんの記事が発端となった「エモい記事」論争には、ジャーナリズムの未来を占う大きな問題が隠されていました。報道の現状とあるべき姿について、通史的・共時的なパースペクティブの両面から迫ります。そして今後、新たな展開も……? ぜひお楽しみください。(編集部)
 
西田亮介 × 大澤聡 × 東浩紀 エモさと「論壇」──新聞は批評的メディアたりうるか
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240930

東浩紀 本日は社会学者の西田亮介さんと批評家でメディア史研究者でもある大澤聡さんに来ていただきました。西田さんはいま朝日新聞との「エモい記事」論争の渦中にいます。データやエビデンスではなく、感情に訴えるナラティヴ(物語)中心の記事が新聞で増加していることに対し、西田さんが問題提起したのがきっかけでした。大澤さんは新聞や評論の歴史を踏まえて西田さんを擁護し、『PRESIDENT』の2024年9月13日号で対談も行なっています[★1]。今回は「エモい記事」論争の経緯を振り返りながら、ジャーナリズムの未来について考えていきたいと思います。

西田亮介 よろしくお願いします。今日は誤解を全部払拭するとともに、明確に説明し、態度を鮮明にするつもりで来ました。

大澤聡 ぼくは6年ぶりのゲンロンカフェです。未来のジャーナリズムのために少しでも貢献できればと思って、出て来ました。

「エモい記事」論争とはなにか

 さっそく「エモい記事」をめぐる出来事を見ていきましょう。論争の直接のきっかけは、2024年3月29日に「朝日新聞デジタル」の「Re:Ron」に掲載された、西田さんの「その「エモい記事」 いりますか」という記事です[★2]。ただじつは西田さんは2023年にもおなじような発言をされている。

西田 はい。そうです。そもそもエモい記事とは「地方の食堂が閉まることになり、お世話になった学生が集いました」といった類の記事のことで、ここ数年夕刊の一面に掲載されることが増えています。2023年の毎日新聞の「開かれた新聞委員会」で、そうしたナラティヴ中心の記事への違和感を表明しました[★3]。このようなエピソードは個別事例のひとつにすぎないのだから、紙面に必要か、と指摘しただけなのですが、社会部長らにいやな顔をされたうえに打ち上げの席で苦言を呈されました。それで、これは思ったより根深い問題だと感じ、きちんと準備をして「Re:Ron」の連載であらためて問いかけたわけです。

 ぼくの主張は単純です。紙の新聞は掲載できる記事数にかぎりがあり、あとでデータをお見せしますが、いまやどの新聞社でも支局数や記者数といったインフラ部分が相当に弱っている。そのような状況下でナラティヴ重視の記事を一面に掲載する必要性や、ひいてはネットに情報が氾濫するいま新聞が果たすべき役割について、きちんと考えませんかということです。 

西田亮介

 ぼくは「Re:Ron」の記事を読んだとき、西田さんの主張は至極まっとうなものだと思いました。しかしSNSや朝日新聞デジタル、あるいは「コメントプラス」(朝日新聞デジタルの有識者によるコメント機能)を中心に賛否両論が寄せられ、たちまち大きな話題になった。ここまでの論争になるとは予測できませんでした。

西田 ぼくも同感です。あまりの広がりにおどろいています。

大澤 そもそも西田さんは「エモい記事はダメ、排除しろ!」と言っているわけじゃないんですよね。

西田 そう、ぼくは「エモい記事警察」をしたいわけではありません。たしかにコメントプラスで批判をいくつか投稿しましたが、要は言いたいのはバランスが大事だということです。新聞社に余力があったころならともかく、いまはかぎられたリソースをいかに有効活用するかを考えないといけない。紙の新聞は毎月4000-5000円しますが、果たしてエモい記事を読むために新たに購読をするひとがいるのか相当疑問です。

 しかし朝日新聞系の論客を中心に西田さんの提言への批判が寄せられたことで、論争の体をなしていきます。コメントプラスに「エモい記事」を擁護するコメントが複数寄せられたほか、7月1日にはナラティヴ中心の記事を肯定するインタビューが2本公開される[★4]。それぞれ米ジャーナリストのチップ・スキャンランさんと、メディア学者の林香里さんが発言しています。とくに林さんは、データと感情を対比させること自体を疑問視しつつ「一般論として、データやファクトが上で、エモーショナルが下と見下すカルチャーは、女性蔑視に基づく性別役割分業の考え方に少し似たところがあります」と言っています。これは西田さんへの明確な批判だと思いますが、どうでしょうか。

西田 繰り返しますが、報道の公共性にとってほんとうに必要なら、また理由があるならナラティヴを中心にした記事も当然あり得ると思います。ぼくが差別的かのような言われ方をしているのは明らかな誤解であり、心外です。ぼくが問いたいのは、単に惰性で掲載しているのではないか、紙面構成の現代的意味を考えているか、ということです。そのインタビューが出るひと月まえには「ポリタスTV」に依頼されて元朝日新聞記者の宮崎園子さんと対談しました[★5]。ぼくは宮崎さんに誘われて出演し、もっぱら質問に答えていただけなのですが、後日視聴者から「西田はマンスプレイニングをしている」と批判されたことにも驚きました。「続編も」という話でしたが、結局、現在に至るまで実現していません。

大澤 最近のナラティヴ研究の動向を念頭におくと分かりやすいかもしれません。古代ギリシア哲学以来、西洋形而上学の歴史は男性中心主義的で、論理や理性を異様に重視し、物語や感情を排除してきたという総括がそこではなされがちです。いまはその反省のもと、後者を評価したり、両方を組み合わせたりするようなアプローチが流行しています。新聞の現場の人たちもそうした研究の動向を汲み取っている。

 それにしても、この批判の背後には「論理」や「データ」が男性的なもので、エモーションが女性的なものだという考え方があるように思えるのですが、そのほうが差別的ではないですか。報道におけるデータ重視を男性中心主義と同列に扱うのは違和感を覚えました。飛躍がある気がします。

西田 朝日新聞が一方的にぼくを批判する記事を出すばかりで、反論の機会を与えないこともおかしいと感じています。編集部には「批判があるなら受けて立つので、公開の場できちんと議論しましょう」と何度も公式非公式に呼びかけてきました。なのにまったく応じてくれない。

 彼ら自身が気にしている部分に触れてしまったのかもしれないですね。

西田 このあたりの時期から、ぼくの記事を理解していないか、そもそも読んでいないように見える批判が増えてきました。たとえば8月には社会学者の津田正太郎さんが、「西田亮介さんが批判しているエモい記事、僕は嫌いではない」「そんなに悪いことだろうか」などとXに投稿しています[★6]。ぼくはエモい記事自体が悪いとは言っていないので、ぼくの記事を読んでないでしょうと反論しましたが、移動中だとかで論難されたにもかかわらず一方的に議論を打ち切られてしまった。本件がこの手の後味の悪い事案を多く招来していることは確かです。

 大澤さんも津田大介さんとXで議論をしていましたね。

大澤 エモい記事自体が悪いのではなく、掲載される場所や頻度が問題なのだと発信したところ、津田大介さんから新聞紙の一面に載るのはせいぜい「1年353日分の朝刊のうち10日あるかないか」だし、「厳しいマネタイズ環境に置かれている新聞側の事情」を汲むべきだとコメントがありました[★7]。でも、全国紙の朝刊の一面に年10回も載ればメディアのポリシーをぶれさせるという意味では十分じゃないでしょうか。それに夕刊の一面に関しては10日どころではない。マネタイズについても、エモい記事がどれだけ効力を持つのかそもそも疑問だし、そこはきちんと説明してほしい。仮にいくらか効果があったとしても長期的にはマイナスの方がデカいと思うんですよ。ご事情お察しします的なスタンスばかりでは、未来のジャーナリズムへ向けた真剣な議論なんてできっこない。

西田 津田さんが朝日新聞側のポジションにつく理由はよくわからないですね。なぜなんでしょう。

 左派のあいだでアイデンティティ・ポリティクスがつよくなりすぎていることが背景にあるかもしれません。いま左派の言説は、「マルクス主義の復活」とか「資本主義の終焉」みたいなきわめて大きな物語と、「個人的なことは政治的なこと」というたぐいの小さな物語に分裂している。これはひと昔まえの言葉で言うと「セカイ系」で、つまり個人と世界のあいだにある社会を語れなくなっている。いまの左派はセカイ系なんです。だから逆に個人のエモい物語や町のちょっといいエピソードみたいなものも政治に見えているのでしょう。でも、それでは実効的な政策提言はできません。

大澤 文字通り象徴界が抜け落ちているわけですね。アイデンティティ・ポリティクスは当事者主義やケア論との親和性が高くて、ナラティヴに関する研究や実践ともつながります。

 もちろん、個人の物語は大切です。けれどそれだけでは世界は成立しない。個人へのケアと社会全体についての議論では、考え方を切り替える必要がある。例えば若いひとから「大学行くべきですか」と相談されたときに「これからの時代、知識はいくらでもネットで手に入るので大学は無意味」と一律に答えるのはおかしい。個別の事情があるのですから。しかしそのことと、大学が消滅する可能性を議論することは両立します。今回の論争も、データとナラティヴのどちらを取るかではなくて、あくまで両者をきちんと区別すべきというだけの話だと思います。

先祖返りする全国紙

西田 その点で大澤さんが『Voice』7月号に書いてくれた論考は、両者の対立に歴史的な観点から切り込み問題の射程をぐっと広げてくれました[★8]。「エモい記事論争」には不毛なものも少なくないので、とてもありがたかったです。

 「再「小新聞」化するジャーナリズム」というタイトルですね。内容を解説していただけますか。

大澤 近代日本の言説状況をもとにジャンル横断的に切り込んだのですが、ここでは分かりやすくメディア史にしぼって説明してみます。明治10年代の日本の新聞には「大新聞おおしんぶん」と「小新聞こしんぶん」という二系統が存在しました。大新聞は国家や政治に関する論説を扱うもので、文体もかなり硬い。小新聞は娯楽寄りで、町のちょっとした話題や事件、花柳界のゴシップなどを主に扱います。「続きもの」といって虚実織り交ぜて物語化する連載も流行しました。小新聞の場合、たいていの記事は説諭といって「ひとは真面目に生きねばならない」「これぞ人情」みたいな忠君や孝行のテンプレを締めくくりに持ってくるのが定番です。

 まさに「エモい」結びですね。

大澤 ネット記事っぽいですよね。たとえば読売新聞は明治7年の創刊、朝日新聞は明治12年の創刊ですが、どちらも小新聞として出発している。ですから、エモい記事の流行は先祖返りとも言えるわけで、そのことを「再小新聞化」と表現しました。ちなみに朝日新聞の創刊号には「勧善懲悪の趣旨を以て、専ら俗人婦女子を教化に導く」と書いてあります。

 大変興味深いです。小新聞だった朝日の「婦女子を教化」するという表現には、政治を扱う大新聞が男のものだという前提がうかがえます。先ほどの林さんの指摘にあったジェンダーの分割は、それを無意識に引き継いでいる。

西田 「教化に導く」のマッチョイズムもすごい。当時から朝日新聞は上から目線だったんですね。

大澤 このあたりは当時の思想の限界ですね。

 ところでいまのお話だと、政論(オピニオン)の大新聞とエンタメの小新聞があり、いまの新聞は後者から出てきたということでした。だとするとオピニオンでもエンタメでもない「客観的な報道」はどこから生じたのでしょうか。

大澤 ひとつのきっかけは明治10年の西南戦争で、ここで戦局を速報的に東京や大阪へ伝達することの需要が生まれました。それも物語的な演出を入れず客観的に書いた記事へ評判が集まる。これは大新聞による成果でしたが、その報道路線を西南戦後の平時にもいかして、エンタメと報道の二本柱で発展したのが小新聞の読売新聞です。さらにその成功を参考にして大阪で創刊したのが朝日新聞。そうした勢いもあって、明治20年ごろには大新聞と小新聞の境界がなくなって、近代的新聞のプロトタイプが誕生します。

西田 夏目漱石が部数が拡大する朝日新聞に登場するのも明治時代後半のことですね。一方で大新聞はビジネスとして成立しなくなり消えていきます。

大澤 大新聞は政党機関紙の側面が強かったので、新機軸を打ち出せなかった新聞は消えました。資本主義の発達につれて客観的なファクトへの需要が高まって商業紙の時代に入る。それに大新聞は政論メインなので発禁処分を受けることがしょっちゅうでした。その点、小新聞はエンタメなので処分の対象になりにくく、相対的に安定した経営が可能だった。このあたりは「発禁」を「炎上」に置き換えてみると、現代のエモい記事の増加を考えるヒントにできます。

 そうやって小新聞が大新聞を吸収し、維新以来の枠組みが壊れていく。

大澤 大小両者が融合して「中新聞」化したかんじですね。その後、大正時代に一気に拡大した読者層に合わせていくことになります。

 考えさせられますね。大正時代には菊池寛の『文藝春秋』(1923〈大正13〉年創刊)などが出てきます。その後最近にいたるまで、日本の評論の場は少なからず文芸誌によって成り立ってきた。現に『文藝春秋』は、もともと文芸誌だったのに、いまや日本を代表するオピニオン誌です。

 しかし評論を文芸誌が担うというのは、考えてみればおかしな現象です。大澤さんのお話を聞いていて、その背景には、かつて大新聞が担っていた政論の場が一度壊れてしまい、その空白を大正時代に登場した文芸誌が文学の側から埋めたということかなと思いました。この見方は正しいでしょうか。

大澤 雑誌で言うと、例えば『太陽』(1895〈明治28〉年創刊、1928〈昭和3〉年廃刊)や『中央公論』(1899〈明治32〉年創刊)、『改造』(1919〈大正8〉年創刊、1955〈昭和30〉年廃刊)などの総合雑誌がありましたし、政論の場が完全に空白になったわけではないのですが、大きな流れとしてはそうですね。そして昭和に入って言論の大衆化のかなりの部分を文芸誌がカバーするようになります。

大澤聡

西田 一方新聞の歴史を考えるうえでは、評論や文芸の歴史と区別することも重要です。とくに大正から昭和に入ると、新聞業界は新聞紙法と治安維持法によって国家主導で再編されてしまう。先日ジャーナリストの武田徹さんと対談したのですが[★9]、彼が面白い指摘をしていました。日本の新聞が基本的に無記名なのは、敗戦の影響が大きいと言うんです。戦前の新聞には署名記事も少なくなかったのですが、戦後は戦時の報道への罪悪感から客観性を追求するようになり、無記名記事が中心になった。いまの日本の新聞では、複数の記者でひとつの記事を書くことも珍しくありません。

 つまり、戦前にいちど大新聞的な言論の場が小新聞と文芸誌に吸収されたのち、こんど戦後になって全国紙は客観報道中心へシフトしていった。かくして、オピニオンはとても文学的でエモくなってしまった。いまわれわれが置かれているメディア環境にはそのような前史があるわけですね。

絆ではなく公共性を

大澤 無署名は客観性を印象付ける意味でも必要でしたが、責任の所在が明確になりません。そこで近年は署名記事が復活します。エモい記事はその延長にあるとも言えるんじゃないでしょうか。ノンフィクションやエッセイめいた記事が可能になる土壌ができていたと見るわけです。そこに固有名の立つ記者も出てくる。

西田 最近の朝日新聞デジタルでは「推し記者」を作ろうという流れがありますね。これも、いかがなものかと思います。「新聞を読む、購読する」という行為は、朝日新聞にせよ、読売新聞にせよ、日経にせよ、ある企業が組織として提供する、それなりに確立された信頼性を背景に新聞を購読するのであって、ブログのように個人としての記者の記事を読むわけではなかったはずです。これではもはやネットと区別できません。

大澤 ぼくの用語で言えば「報道の文学化」です。客観的な報道からこぼれた私的なナラティヴをすくうのは、長らく文学の役目でした。ところがいまでは、少しずつその領域に報道が食い込んできている。興味深いのは、反対に文学の側は政治化、社会化していることです。毎月ぼくは毎日新聞の文芸時評を担当していますが、小説は社会的なトピック勝負になっている。こっちは言ってみれば「文学の報道化」です。ちょうどクロスの関係にあるんですね。このままでは、報道の言語も文学の言語もともに弱ってしまうのではないかと危惧します。今回の論争でぼくがもっとも主張したいのはここです。

 理論やオピニオンに対しては、賛成なり反対なりの議論が可能です。その議論から公共性が立ち上がります。しかしエモい記事のような感情やエピソードへは共感できるか共感できないかしかない。議論しようがありません。議論がないから炎上も少ないし、私と私との間の「絆」も生まれる。しかし絆と公共性は似て非なるものでしょう。新聞が担うべきは公共性の方です。

 重要な指摘です。絆とはひとりひとりがつなぐもの。尊いものですが、基本的には私的なものであり、いくら積み上げても公共性とは異なります。公共性とは「共感できないけど重要性はわかる」とか、「反対だけど立場は尊重する」とか、ときに私的な感情や利害を超えた判断を必要とするものだからです。

 これはさきほどの左派の「セカイ系」化の話と直結しています。「個人的なものは政治的なもの」というキャッチフレーズや、ミシェル・フーコーの生権力などの議論は、1960年代から70年代にかけて浮上してきた。それは要は公と私の境界を変える試みでした。それはそれで必要だったわけですが、結果としていまやプライベートなことを取り上げるのが政治だとみなされるようになった。いまや「文春砲」が政治を左右しているし、いわゆる「エモい記事」だけでなく、ハラスメントやジェンダーなど、一昔前ならプライベートな問題とみなされたものもいまや政治的だと考えられている。この流れは世界的なもので、じつは1960年代以降の現代思想の帰結といってもいい。

 ぼくはここでそれがよくないと言いたいわけではない。ただ一方で、私こそが公なのだと言いつづけた結果、本来の公共性を見失っているところもあるのではないか。

西田 エモい記事の増加は、新聞記者が私的なものと公的なものを区別できなくなっていることの表れなのでしょうか。

大澤 いまの記者はそこをあえてやっているのだと思います。ところがその「あえて」も世代が交代していくと、きっとベタになって経緯が見えなくなる。ぼくたちはいま、50年、100年のスパンの日本語をめぐる分かれ道に立っているのです。

西田 しかし、そうだとすると、具体的にどうすれば公共性を回復できるのでしょうか。

大澤 難しい課題ですが、少なくともこうやって言語を使って継続的に議論するところからしか始まらないと思うんです。2000年代以降、そのつどブログやツイッターから立ち上がる公共圏に期待がかけられましたが、どれも失敗に終わりました。いつでも離脱や修正が可能な空間に個別事例をいくら積み上げても、公共性にはつながりません。これで新聞の役割はいっそう明確になったはずです。

 そこは理論的に考えてもしかたなくて、実際にコミュニティをつくって持続し、多様なひとと関わっていく実践しかないように思います。

 これは言い換えると、「中道」とはなにかという問題でもあります。ぼくは自分をリベラルだと思っているのですが、読者には保守のかたも少なくない。でも彼らともコミュニケーションが取れている。「東さんの歴史認識は正しくないと思いますが、国を愛する気もちは伝わります」と言われることもあります(笑)。自分でもほんとかなと思いますが、そうやってこちらがコントロールできないくらい多様な受け取り方をする人々に届くことが、思想というものの本来のありかただと思うんです。その点、いわゆる「リベラル知識人」はぜんぜんだめです。彼らは読者の属性を限定している。

 中道とは、右と左のバランスではなく多様性ということで、その現実の確保が公共性の前提なんですよね。報道やジャーナリズムは、多様な立場や階層にはたらきかけることで、はじめて公共に開かれるのだと思います。

報道のインフラをどう維持するか

西田 ぼくからは、エモい記事批判の現代的な背景を掘り下げたいです。研究者としてのぼくの問題意識はむしろそちらで、「エモい記事」論争はジャーナリズムが直面する大きな問題に関心を持ってもらうための実践のひとつにすぎません。

 新聞業界はいま非常に厳しい状況にあります。この表のとおり[図1]、ここ10年ほどで新聞紙全体の発行部数は約4割減少し、従業員数は約2割減少しました。また1世帯あたりの部数を見ると、10年前は約0.9、つまり10世帯のうち9世帯が新聞紙を取っていたのに対して、2023年には0.49にまで落ち込んでしまっている。過半数の世帯が新聞紙を購読していません。新聞紙はもはや「マス」メディアと呼べない時代に突入しています。

図1

 これは衝撃的ですね。

西田 つぎにこちらを見てください[図2]。これは主要三紙の支局数の変化を示したものです。東日本大震災と能登半島地震の比較のために取ったデータですが、2011年から24年のあいだに、朝日新聞の支局や通信部はほぼ半減し、毎日新聞は3分の1になったことが分かる。読売新聞は元データの都合で東京支社の支局数しかありませんが、それでも2割減っていることがわかります。

図2

 東日本大震災と能登半島地震では、報道の量の差が話題になりました。みな能登が遠いことに注目していたけど、実はその背景にはこの13年で新聞社が全国規模で急激にスケールダウンしていたという事情があったわけですね。

西田 そのとおりです。ぼくは全国紙には、日本国内の「トラストな情報基盤」を維持するという重要な役割があると考えています。「トラストな情報基盤」とは信頼できる情報をきちんと作成し、流通させるためのソフトとハード両面のインフラのことです。現状それを構成するアクターはおおむね4つあり、全国紙、NHK、通信社、そして民放のネットワークです。このうち民放のテレビ局の多くは新聞社が設立したものですから、その意味でも全国紙の弱体化が情報環境におよぼす影響は非常に大きいといえます。

大澤 他方で全国各地にはその地域の方々だけが読むような地方紙がたくさん存在しますよね。はじめはたいてい政治のツールとして出発したわけですが、早々にそうではなくなりました。個人的には地方紙にエモい記事が載ることは問題ないと思っています。むしろそれこそが期待されている。ただ、全国紙でそれをやるとなると意味がまったく違ってきます。

西田 同感です。とはいえ地方紙は基本的に県域単位で仕事をしている以上、日本全国という意味では、単独でトラストな情報基盤にはなりえません。もちろんこれはあくまで役割分担の話であって、地方紙が不要だということではまったくありません。それでも全国紙には、全国紙にしか担えない役割がある。それは明らかで、ぼくは新聞社は重要な存在だと思っています。

 全国紙の支局が減少すると、西田さんのいうトラストな情報基盤が根底から崩れてしまう。そのことこそが問題の核心であると。

西田 能登半島地震発災時を例に取れば、毎日新聞と朝日新聞の支局は能登半島にはひとつだけ、それも金沢にしかありませんでした。しかしご存知のように、金沢と能登はかなり距離が離れていて、交通の便もよくありません。災害時にはなおさらでしょう。にもかかわらず、現地に支局がない以上滞在先がありませんから、当初記者の方々は毎回その道を往復していたんですよ。それでは報道の速度や量が落ちるのも当然です。

 災害時には県庁所在時からのアクセスが絶たれてしまう。おまけにホテルも機能しないので、支局の有無が取材力を決定的に左右する。それは目から鱗ですね。言われてみればそのとおりだ。当然災害はどこで起きるか分からないから、県庁所在地にばかり支局があってもしかたない。

西田 だからつぎに大きな災害が起きたときに同じ問題が生じないよう、トラストな情報基盤を物理的にどうやって維持するかを議論すべきなんです。ぼく自身は、補助金を投入して支局網を維持するべきだと考えています。もちろん多元性や多様性、独立性も重要ですが、「情報のナショナル・ミニマム」(国民に対する最低限の生活保障)も重要です。情報インフラ維持に不可欠な事業者を支える仕組みについての議論が必要です。

大澤 歴史的にみれば、草創期の朝日新聞が政府の資金援助を極秘で受けていて、そのあと東京進出を果たすなど、あの手の秘話はそれなりにあります。中立性の確保が難所ですが、奇跡のような黄金時代は終わったのだから、どのみち何か新しい方法を考えるしかない。

西田 そもそも大手新聞社は過去にたいてい国有地の払い下げを受けていますし、NHKの受信料も新聞協会や共同通信の加盟料といったかたちですでに新聞業界に少なからず入っています。軽減税率の対象にもなっている。新聞社はすでに相当下駄を履かされているわけですから、いまさら国の補助金を毛嫌いするというのは道理が通りません。同時に、果たすべき公共性の議論を積極的にすべきです。それはもはや現代の伝統芸能と化してしまっているNIE(Newspaper In Education: 教育における新聞活用)ではないはずです。

 もちろんかりに補助金を分配することになった場合、新聞社はどのイシューを取材して記事にするかをより一層シビアに考えなければなりません。それ以前に、自分たちの仕事や存在そのものが公益に資することを社会に対して十分に説明する責任がある。新聞社やメディア業界は偽情報対策の文脈などで、プラットフォーム事業者にコンテンツ・モデレーションが不透明だなどと批判しますが、コンテンツの作り方やその過程を日本のメディア各社は社会に説明してきたでしょうか。製造物責任が問われる時代にもかかわらず、日本のメディアは予算の国会承認に代表されるように受信料に対して説明が厳しく求められてきたNHKを除くと驚くほど閉鎖的です。

 エモい記事批判はまさにこうした問題意識から行なっています。どんな記事であれ、それを書くためのコストで別の問題を取材することもできたわけですから、ひとつひとつの記事が紙面に掲載される必然性を説明できるようにしないといけないはずです。ぼくが問いかけたいのは、新聞社はその努力をしていますか、ということにつきます。

 さらに言えば、玉石混交の情報であふれている現代社会において、ジャーナリズムの役割は単に記事を出すことではないはずです。むしろを整理して分析しつつ、どのように読み解けばよいかを説明することこそ求められているのではないでしょうか。ぼくはここ10年ほど、それを「規範のジャーナリズムから機能のジャーナリズムへ」の転換と呼び、実践的な問題提起も行ってきました。

 新聞は情報を安定して供給するだけでなく、その意味づけや読者の啓蒙も同時に行うべきだということですね。「規範のジャーナリズム」と「機能のジャーナリズム」だって二者択一ではない。

 ところで、支局の維持に補助金を出すのはありうると思うのですが、一方でこの国では補助金は腐敗とすぐに結び付いてしまう。そこを防ぐ制度設計をどうするか。かりにふだんの取材は県庁所在地からの往復で問題なく、災害時にだけ機能すればよいのであれば、社員を常駐させる必要はないわけで、むしろ社を横断して使える報道用スペースを国が用意するのでもいいのかもしれない。さらにいえば、そこへの家賃補助でもよいかもしれません。

東浩紀

西田 それは斬新ですね。その方式なら各社持ち回りで月1回メンテナンスを行なって設備を維持し、いざというときには取材の拠点にするという公共支局という在り方も可能になる。それだけで災害時の報道の精度は大きく向上するでしょう。

終わりなき戦いへ……

大澤 新聞の非マス化と支局の激減、とても重要な論点でした。エモい記事で盛り上げて業界と世間の注目を集めつつ、こうした実直な議論を滑り込ませていく。それが西田さんの戦略なんですね。やっと見えてきた。

西田 それが滑り込んでくれないんですよ(笑)。エモい記事とか言っているとすっかり面倒なやつだと認定されちゃって、その背景にある議論を聞いてくれません。

 いや、でもそれはしかたない面もあるでしょう。最近『週刊現代』にもすごい記事が載ったじゃないですか[★10]。「「エモい記事論争」勃発のなかで、西田亮介教授のもとに朝日新聞から届いたヤバいメールの中身」。タイトルは編集者が付けたんだろうけど、これはさすがに煽っているのではないか(笑)。

西田 もちろんタイトルはぼくが考えたわけではありません(笑)。ただぼく自身も、今後朝日新聞と仕事ができなくなっても構わないという程度には覚悟しています。そのことの意味を結局、企業人の朝日新聞の編集者は理解していないでしょう。それくらい腹に据えかねている。というのも、コメントプラスで何度かエモい記事を批判したタイミングで、それまで会ったこともないコメントプラスの担当から、全ライターに対して「ポリシー違反に注意しましょう」という通達があったんです。しかもそれと全く同じ内容を、一度も直接会ったこともない「担当者」はぼくにだけ個別でもう一度送ってきた(笑)。

大澤 いいか、お前に言ってるんだからなと(笑)。

西田 さらに後日、その担当から「会って話がしたい」とメールがあったので断ると同時に要件を明確にするよう求めると、ただ一言「残念です」とだけ返ってきたまま音沙汰がない。「担当としてコミュニケーションがしたかった」はずなのに。するとその次には朝日新聞デジタルの次長から、「我々の紙面もネットも公共的なものだが、あなたの発言はポリシーに違反しているから気を付けろ」という趣旨のメールが来るんです。具体的にどの発言がどのポリシー違反なのかをたずねても、それにはまったく答えずに。さすがに捏造や戦争協力の歴史に触れながら、おかしさを指摘すると、また「会って話したい」と返事が来る。さすがにこの展開はあまりに失礼だし、具体的な違反箇所や内容を示さずに「気を付けろ」とだけ言うのは明らかかに不公正です。

 ぼくが朝日新聞と揉めたのはこれが初めてではありません。2016年に紙面批評を担当したとき、憲法改正の主張をしている学者の実名を紙面で取り上げたら、編集部から「実名を挙げるな」と言われた。ぼくは応じなかったんですが、別の仕事をしているあいだに、その学者の名前を削って校了されたんです。そのことをSNSに書いたら、かなり炎上して、その日のうちにコンプライアンス部門の担当者がわざわざ東工大まで会いにきた。

 つまり、朝日新聞からこういう仕打ちを受けるのは2度目です。しかしかつてのぼくには「弱さ」がありました。今後も朝日と仕事をできたほうがよいと「合理的」に判断してしまい「校了の都合なら仕方ないですよね」と折れてしまったんです。その8年前の出来事が、ずっとぼくの中に残っていた。今は違います。

 いいですね。久々に西田さんのヤンキー性を見ることができた気がします(笑)。権威とのつながりや界隈での立ち位置を気にせず、言うべきことを言い、信念のために戦う。そういう姿勢は論客としてきわめて大事なことです。

西田 最近はシラスやReHacQsもそうですが、仕事をする機会も増えてきて、朝日新聞やその周辺の界隈で仕事ができなくなってもいいかなと思えるようになったことも大きい。折れる気はありません。ぼくは端的に朝日新聞に非があると考えており、正面から議論したいと考え、打診もしてきました。一方的に朝日新聞はこれを断り、内々でのコミュニケーションを図ろうとした。「おかしくないですか?」ということを何度でも問いたい。そしてささやかでも活字に、記録として残したい。新聞社の電子版やコメントプラスなどは、縮刷版などに残らないので、いずれ埋もれてしまう可能性が高いからです。

 そういう覚悟は、業界での評判を飛び越えて、読者にはちゃんと伝わると思います。

大澤 今回の論争について、言論人や大学人は総じて反応が鈍いですね。今後も新聞各紙と平和に仕事していきたいという心理がブレーキになっていないとは言えない。それこそ精神的自立の欠如でしょう。ぼくもこれだけ援護射撃している以上、仕事は半ばあきらめています。というか、事後の対応にがっかりしている。たかが一部の記事ではないかと思われる方もいるかもしれませんが、これは思考の規範のかなりの部分を担ってきた新聞の言語が不定見なかたちで変わろうとしている症候なんです。ならば、みんなで知恵を出し合いながら当事者としてジャーナリズムの未来をいっしょに考えていくしかないじゃないですか。もしこれを観てくれている現場の方がいれば、ぜひ西田さんと議論の場を。

西田 ぼくはあくまで戦いつづけます。二度と手打ちにはしない。

 (笑)。とはいえ、こうしてヤクザの抗争のようなモードになっている西田さんを鎮めるためにも、やはり朝日新聞にはきちんと場を設けていただきたい。今回の鼎談がそのきっかけになればと思います。

大澤 ぼくたちは対話を求めています。

 

 

本記事は、2024年9月30日にゲンロンカフェで行われた公開座談会「エモさと「論壇」——新聞は批評的メディアたりうるか」を編集・改稿したものです。

2024年9月30日
東京、ゲンロンカフェ
構成・注・撮影=編集部


★1 この対談記事はウェブでも公開されている。西田亮介、大澤聡「なぜ新聞を取る人が少数派に転落したのか…生き残りをかけて「エモい記事」を氾濫させる新聞の根本問題」、「PRESIDENT Online」、2024年8月30日。URL=https://president.jp/articles/-/85250?page=1
★2 西田亮介「その「エモい記事」 いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言」、「朝日新聞デジタル」、2024年3月29日。URL=https://digital.asahi.com/articles/ASS3W319WS3WULLI003M.html
★3 開かれた新聞委員会「2023座談会(その2止) 政治の不作為に焦点を」、『毎日新聞』2023年7月24日朝刊。URL= https://x.gd/h5bVo
★4 チップ・スキャンラン、聞き手=藤えりか「記事は感情に訴えるべきでないのか 米国で長年議論、ナラティブの力」、「朝日新聞デジタル」、2024年7月1日。URL=https://digital.asahi.com/articles/ASS6V3FSSS6VULLI001M.html
林香里、聞き手=畑山敦子、山田暢史「データか「エモい」かでない補完こそ 林香里さんと考える新聞の役割」「朝日新聞デジタル」、2024年7月1日。URL=https://digital.asahi.com/articles/ASS6W1TM5S6WULLI005M.html
★5 西田亮介、宮崎園子「勃発した「エモ記事」論争 新聞報道に求めるものとは」、「ポリタスTV」、2024年6月10日。URL=https://www.youtube.com/watch?v=p_lPyNIY6Sc
★6 津田正太郎氏の投稿は以下を参照。URL=https://x.com/brighthelmer/status/1827038161849225224
★7 津田大介氏の投稿は以下を参照。URL=https://x.com/tsuda/status/1827541199479304230 https://x.com/tsuda/status/1827558867414536490
★8 大澤聡「再「小新聞」化するジャーナリズム」、『Voice』2024年7月号、PHP研究所。また続篇にあたる「客観報道の由来――再「小新聞」化するジャーナリズムII」が同誌の2024年12月号に掲載されている。
★9 西田亮介、武田徹「「エモい記事」論争から考える報道の未来」、『Voice』2024年10月号、PHP研究所。
★10 「「エモい記事論争」勃発のなかで、西田亮介教授のもとに朝日新聞から届いたヤバいメールの中身」、「週刊現代」2024年9月7日号、講談社。URL= https://gendai.media/articles/-/136517
 

西田亮介

1983年京都生まれ。日本大学危機管理学部教授/東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特任教授。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同政策・メディア研究科助教(研究奨励Ⅱ)、(独)中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て、2024年4月日本大学危機管理学部に着任。現在に至る。 専門は社会学。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)『ネット選挙——解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)『情報武装する政治』(KADOKAWA)他多数。

大澤聡

1978年生まれ。批評家、メディア史研究者。近畿大学文芸学部准教授。博士(学術)。著書に『批評メディア論』(岩波書店)、『教養主義のリハビリテーション』(筑摩選書)、『1990年代論』(編著、河出ブックス)など。講談社文芸文庫の『三木清教養論集』『三木清大学論集』『三木清文芸批評集』の編者。『群像』にて「国家と批評」を連載中。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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