記憶とバーチャルのベルリン(2) ベルリンでパパ鉄──父と子で味わうドイツ・ベルリンの鉄道文化|河野至恩
初出:2021年8月30日刊行『ゲンロンβ64』
「入り口」としての鉄道
2019年12月23日、妻と息子がベルリンに合流した。到着してすぐに誕生日を迎えて4歳になった息子は、ドイツ語も英語もできるわけでもないし、約一か月の滞在では現地の幼稚園などに通わせるには短い。ベルリンの生活を楽しめるか、少し不安ではあった。しかし住んでいたアパートの近所の公園で子どもたちと一緒になって遊んだり、街に買い物に行ったりしているうちに、徐々に生活にもなじんでいったようだ。ちょうどクリスマスマーケットがベルリンのあちこちで開催される季節。日が短くなる頃に出かけると、イルミネーションに照らされた屋台で温かい飲み物を飲んだり、仮設の観覧車に乗ったりできて、息子も楽しく過ごしていた。
何より、息子がベルリンという街を知る手段として大きな役割を果たしたのが、鉄道などの乗り物だった。
私たちのアパートは、Uバーン(地下鉄)のU3線のリューデスハイマープラッツ駅から歩いてすぐの所にあった。普段使いのスーパーマーケットや食料品店などには歩いて行ったが、他の買い物や用事には、地下鉄やバスを利用した。特に地下鉄は便利で、客員研究員を務めていたベルリン自由大学には一本で通うことができるし、都心の主要な駅にもだいたい一回の乗り換えで行くことができた。
息子は、駅でもらってきたベルリン鉄道網の路線図がお気に入りで、いつもながめていたのだが、そのうちにリューデスハイマープラッツだけではなく、近所のUバーンやSバーン(近郊線)の駅名を次々と覚えてしまった。そして、ヴァンゼーやアレクサンダープラッツといった少し離れた場所も、ベルリンの路線図で確認して知っているようだった。
息子の電車好きはベルリンに来て始まったことではないのだが、新しい環境になじむのにも鉄道が生きるとは……と、新鮮な驚きを感じた。
内なる「パパ鉄」の発見
息子の電車好きに気づいたのは2歳頃のことだったと思う。「きかんしゃトーマス」のアニメが気に入って繰り返し見たり、デパートのおもちゃ売り場にあるプラレールのディスプレイに見入ったり、というのが始まりだったかもしれない。その後、祖父母に連れられて近所の踏切を通過する電車を見たのが楽しかったらしく、最寄り駅のホームで往来する電車をながめたり、特に目的もなく電車に乗ったりというリアルな鉄道体験を楽しむようになった。5歳になったいまも、電車への興味は収まるどころか、さらに広がりつつある。
弘田陽介『子どもはなぜ電車が好きなのか 鉄道好きの教育〈鉄〉学』(冬弓舎、2011年)によると、乳幼児が電車を好きになるのにはいくつかの段階があるという。まず乳児は、電車がやってきて、去っていくという「動き」の感覚や、「がたんごとん」という音に代表される音を、体全体で感じる。電車の魅力の原体験だ。
その後、2歳から3歳にかけては、そうした感覚から少し距離を置き、電車ごっこや絵本を通した「操作」の喜びが生まれる。さらに、幼稚園や保育園の年中や年長の年齢になると、路線図や時刻表を見ることを通して、電車をシステム的に理解して、所有しようとする。それらのひとつひとつが子どもの発達段階に対応しているのだという。本書の著者は教育学の研究者で、カントの身体論についての著書もあるのだが、子どもの体験からアプローチする「子どもと鉄道」論は、息子が電車に傾ける情熱を人文学の知見を通して読み解く試みとして示唆に富んでいる。
さらに弘田は、近著『電車が好きな子はかしこくなる』(交通新聞社新書、2017年)で、電車好きであることは、子どもが知識や理解を深めるための「認知スキル」だけでなく、人とのコミュニケーション方法や社会性などの「非認知スキル」を伸ばし、自分と社会の関係を知り、深める格好の教材となりうるのだと指摘している。鉄道は社会を知る入り口になるのだ。
河野至恩
1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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