ライプツィヒから〈世界〉を見る(2)プラハのカフカ・ミュージアムと「世界文学」の時代の文学館|河野至恩

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初出:2012年10月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #5』
 今回は、今年の夏にチェコ共和国の首都・プラハで訪れたカフカ・ミュージアム(Franz Kafka Museum https://kafkamuseum.cz/en/)を紹介したい。『変身』『審判』など不条理な世界を描いた20世紀を代表する作家フランツ・カフカが、その人生のほとんどを過ごした街・プラハ。市街地の中心の広場の近くには、彼の生家が残され、公開されている。しかし今回紹介するのは、生家から少し離れた、ヴルタヴァ川の岸辺に建てられたカフカ・ミュージアムだ。

 カフカ・ミュージアムの創立は2005年と比較的新しい。その展示はそもそもバルセロナ現代文化センター(CCCB)の「作家とその都市」シリーズの一環として「K.の街:フランツ・カフカとプラハ」展として企画されたもので、ニューヨークでの巡回展を経てプラハに常設展示として設置された。

 展示の前半「プラハの中のカフカ:実存的空間」では、カフカが過ごした20世紀前半のプラハの状況が当時の映像等を通して紹介されている。販売されているプラハ市内のカフカゆかりの場所の地図と併せ、後でプラハの街を歩くとミュージアムで見た情景と重なって都市空間の体験が豊かになるような構成だ。また、カフカにまつわる写真、手紙などの資料や日記からの引用が彼の家族などとの人間関係を照らし出す。照明や展示テーブルのデザインにも凝った展示で、ミュージアムの空間自体がカフカの孤独な人生を連想させる。
 
カフカ・ミュージアム正面入り口 撮影=河野至恩
 
「カフカの中のプラハ:想像のトポグラフィー」と題された後半の展示では、カフカの『城』、『流刑地にて』などの小説世界が様々なメディアを通して再現される。小説『城』にインスパイアされた雪景色のような殺伐とした映像があるかと思えば、書類棚を模した狭い通路(引き出しの一つ一つにはカフカの作品の登場人物が書かれている)では、金属的な音や電話のベルなどの効果音が訪問者の神経を苛立たせる。展示だけでなくミュージアムの空間全体がカフカの人生、そしてカフカ的(Kafkaesque)な小説世界を体験出来るようになっているのだ。

 



 汗ばむ陽気の夏の日、ひんやりと冷房の効いた空間でカフカ・ミュージアムの展示を追いながら考えた。カフカの作品を熟読したと思われるいかにも文学好きの中年の女性が熱心に説明を読んでいるかと思うと、Tシャツに短パンというカジュアルな出で立ちの、ふらりとこのミュージアムを訪れたようなカップルもいる。様々な国からたまたまプラハを訪れた、それぞれ異なる言葉でカフカの作品を読んだ読者が、この空間で「カフカ的なもの」を体験しているのだ。その体験はどこまで共有されているのだろうか。

 



 このカフカ・ミュージアムは、基本的に外国のカフカ読者によって、外国の読者のために企画されている。企画の総指揮を執ったのはバルセロナ現代文化センターのキュレーターだ。展示のほとんどはチェコ語・英語・ドイツ語の3か国語で説明されているが、この展示のために書き下ろされた本格的なテクストが用意されている。展示内容も、カフカ作品の初版本を揃えていたり、カフカ直筆の手紙を展示したりしてはいるものの、それは決して展示の中心ではなく、むしろ観客の「カフカ的世界の体験」に重点が置かれている。

 その「体験」にしても、映像などの完成度は非常に高いものの、その内容として「カフカ的」なるものを「実存の不安」「不条理」などのよく知られた概念からどこまで深められているか、カフカの研究者が見たら物足りないものと映るかもしれない。しかし、一人の外国人観光客としてこの空間を歩いていると、このような文学館のあり方もあるのではないか、とも思えてくるのだ。カフカの作品は、20世紀文学の代表的な作家として世界中で広く読まれている。そしてプラハを訪れる世界中の作家が「カフカ的なもの」について何らかのイメージを持っている。そうした様々な国の観光客のために、カフカの読書体験とプラハの都市空間の体験の橋渡しをする施設があってもいいのではないか。

 そしてこのようなカフカ・ミュージアムのあり方は、「世界文学」の時代の文学館のあり方についても考えさせられる。作家と関係のある場所を「創作の原点」という特権的な場所として提示する文学館と、作家を翻訳で読む読者に開かれた文学館。この区別は、デイヴィッド・ダムロッシュが『世界文学とは何か?』(国書刊行会)で論じた「世界文学」と「国民文学」の区別に呼応するように思われる。ダムロッシュは、「世界文学」的な読み方を、「翻訳によって豊かになる文学」と定義し、オリジナルの歴史的/文化的文脈に深く依存しているため翻訳によって価値が失われてしまう「国民文学」的な読み方と対比する。ダムロッシュは、最近のカフカの英訳について、実存の不安を体現する「普遍的なカフカ」と、プラハという場所、ユダヤ人として背負った歴史に根ざした「エスニックなカフカ」の葛藤が見られると指摘する。カフカ・ミュージアムが、普遍的なカフカと、場所の歴史に根ざしたカフカの両方を、翻訳でカフカを読んだ読者に伝えているというのは、まさに世界文学の時代の文学館といえるだろう。

 ひとつ応用問題を考えてみよう。村上春樹『1Q84』英訳が出版される前、『ニューヨークタイムズ・マガジン』が村上春樹の特集を組んだ。その時、電子版では「村上春樹の東京」というマルチメディア企画が組まれた。(“Murakami’s Tokyo” http://www.nytimes.com/interactive/2011/10/23/ magazine/20Mag-Murakami-Tokyo.html)この企画では、神宮球場、真夜中のファミレス(『アフターダーク』)、青山一丁目駅(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』)などの東京の場所が、「村上作品に描かれた場所」として特集されている。例えばこのアイディアをもとに、外国人の村上春樹ファン向けに「村上春樹ミュージアム」を作れば、東京の都市空間の体験や、東京という場所の文脈と「ムラカミ的なもの」を橋渡しする機会を提供できるのではないだろうか。日本の読者にしてみればあまりに「ベタ」な企画かもしれないが、外国の読者の視点から見れば意義のある企画だと私には思われる。村上春樹にこだわる必要はない。要は、日本の作家を外国人の読者にアピールする形で提示する、という視点こそが求められているのだから。

 

河野至恩

1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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