ライプツィヒから〈世界〉を見る(7) ザクセンの歴史が刻まれた クリスマスマーケット|河野至恩

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初出:2014年3月20日刊行『ゲンロン通信 #11』
 日が短くなる季節、明かりがともりだす夕刻になると、ライプツィヒで過ごした冬を思い出す。

 昨冬の冬は初めてライプツィヒで過ごした。緯度の高いドイツでは、サマータイムが終わると駆け足で日が短くなり、長い冬の訪れを実感する。

 冬が来ると、気温よりもむしろ夜の長さと曇りがちの気候による「暗さ」が気分に影響する。冬至の頃は、午後4時にはすっかり暗くなった。春の新緑から夏の青々とした緑、そして鮮やかな紅葉を見せてくれた国際宿舎の隣の公園の木々も、その葉を落として灰色一色になってしまう。春がやってくるのは何か月先かと思うと、少し気が重くなる季節だ。

 私の場合、帰国が3月末と決まっていたので、帰国前に少しでも春の気配を感じられたら…と希望をもって冬を耐えていたが、結局帰国の直前まで最低気温が氷点下という日々が続き、根雪がまだ残るベルリンから帰国することになったのだった。

 



 そのような暗いドイツの冬の心の重さを少しでも和らげようとしているかのように、この季節の街は電飾でほのかな光に包まれる。

 12月になると、街のオペラではクリスマスの定番の『ヘンゼルとグレーテル』が上演され、子どもたちもドレスアップして集う。

 そして、市街の市場マルクトではクリスマスマーケットが始まる。市場の広場では、さまざまなクリスマスの飾り、ろうそくや木製おもちゃ、シュトーレンという洋酒に浸した果物のケーキなどの屋台がところ狭しと並び、人々でにぎわう。それぞれの街で、特色のあるクリスマスマーケットが展開し、街中がクリスマスの日を待っているように感じられる。

 またグリューワインという温かいワインやレバーの煮込みなど、さまざまな食事やスイーツを楽しむことができる。仕事帰りに、友人や同僚と外の屋台でグリューワインを飲む。ともすると部屋に閉じこもりがちになるこの季節、このように外で楽しめる習慣はありがたい。

 そして、新年は、街の中心地で若者がそれぞれ花火を持ち寄って派手に祝う。広場の各地で打ち上げ花火やネズミ花火が爆発し、けたたましい爆音ともうもうとした煙とともに迎える新年は、除夜の鐘でおごそかに迎える日本の新年とは対照的だった。

 



 さて、日本でも、クリスマスマーケットは、ヨーロッパ、特にドイツのクリスマスを彩る年中行事として知名度が上がっている。各地のクリスマスマーケットをめぐるツアーも組まれているようだ。

 しかし、ドイツの街のクリスマスマーケットは、それぞれの街の歴史や生活文化を反映していて、ちょっとしたおみやげものにも、その地域の歴史の深さを感じることがある。ライプツィヒから近いザクセン州の首都・ドレスデンのクリスマスマーケットは、地域性、歴史性を色濃く感じさせるものだった。

 ドレスデンのクリスマスマーケットは、1434年にすでに記録があるという、ドイツ最古のクリスマスマーケットのひとつである。ドレスデンで生まれたクリスマスの定番のお菓子、シュトーレンの名前を取って「シュトリーツェルマルクト」(シュトーレン市)といわれる。
 ドレスデンのクリスマスマーケットで目立つのが、精巧な木製おもちゃのかずかずだ。日本でもよく知られたくるみ割り人形のほかに、ろうそくを両手に持っている天使と鉱夫の人形、煙をはくロイヒャーマンという人形、ランタンなどのクリスマス飾りなどのさまざまなおもちゃが屋台で売られている。

 これらのおもちゃは、ドイツのクリスマスマーケットではよく見かけるが、このおもちゃはドレスデンの近郊の、現在のチェコとの国境に近いエルツ山地の特産品として知られる。

 このような木製人形の定番として、「シュトーレン市の子どもたち」(シュトリーツェルキンダー)という人形がある。マフラーを身につけた男女の子どもが、人形やお菓子などが入っている箱を持って立っている人形だ。

 じつはこの図柄にはモデルがある。1853年に新聞に掲載されて有名になった木版画【図1】だ。

 
【図1】ルードヴィッヒ・リヒテルの木版画。
 
 エルツ山地は、かつては鉱山の街だったが、19世紀になると多くの鉱山が閉鎖される。いっぽうで、当時鉱山労働者の副業としてすでに定着していた木製おもちゃを、ドレスデンのクリスマスマーケットで売る許可が与えられ、鉱山町の子どもたちがマーケットに来て売るようになっていた。

 1853年、そうした子どもたちを、地元の木版画家のルードヴィッヒ・リヒテルが描き、当時の新聞に掲載されて大変有名になった。男女の子ども二人が、プラム人形を売りながら、寒そうに身を寄せ合っている。産業が空洞化した過疎の村で、子どもたちが家計を助けようとけなげに働く姿が、人々の同情を呼んだのだ。そして、この木版画をモチーフにした「シュトーレン市の子どもたち」【図2】のおもちゃは人気商品となる。

 
【図2】 「シュトーレン市の子どもたち」の人形。撮影は筆者。
 

 古典的な工業から、新聞メディアで付加価値のついたキャラクター・グッズへ。この人形ひとつに、19世紀の産業構造の転換の歴史が刻まれている。

 その後、木製おもちゃはこの地域の産業となり、東ドイツ時代も外貨を稼げる数少ない高級品として、この地域を支え、現在に至っている。

 そうした木製おもちゃの産地としてもっとも有名な、ザイフェンという村のクリスマス祭りにも行ってきた。チェコとの国境には車で10分という小さな村で、ドレスデンからローカル線を乗り継ぎ、最寄り駅からはバスに乗ってたどり着いた。街には木製おもちゃの工場や専門店が数多くあり、観光客で賑わっていた。クリスマス祭りのハイライトは、子どもたちが影絵を描いたランタンを掲げながら行進するパレードで、ランタンの光が暗くなった小さな広場をやさしく照らしていた。

 



 じつはこうした19世紀のドレスデンのクリスマスマーケットを体験していた(らしい)日本人がいる。森鷗外だ。

 森鷗外は、1884年(明治17年)から1888年(明治21年)まで、ドイツに留学している。当時の日々の記録として『独逸日記』が遺されているが、当時の鷗外の行動や、鷗外の触れたドイツの社会や文化についてはさまざまな研究が進められている。

 一昨年は鷗外生誕150周年で多くの研究書・伝記が出版されたが、そのなかでも興味深いのが、ベルリン・フンボルト大学で今年まで日本学主任教授を務めたクラウス・クラハト氏と克美・タテノ゠クラハト氏の共著による『鷗外の降誕祭 森家をめぐる年代記』である。

 日本にクリスマスがどのように定着したかを、鷗外の家族の歴史を通してさまざまな角度から追った著作だ。鷗外研究において意外に注目されていなかった「鷗外とキリスト教」というテーマを分厚く深めた研究なのだが、キリスト教がそれほど普及していない日本という国でクリスマスがどのように祝われるようになったかというテーマの研究としても興味深い。

 この本を通して、鷗外が見たドイツのクリスマスを追ってみよう。ドイツに住んだ1年目の1884年、鷗外はライプツィヒでクリスマスを迎える。12月25日の日記には、「けふは祭日にて、こゝの人々互いにおくりものす。」と、あっさりと記述されている。

 2年目の1885年、鷗外はライプツィヒからドレスデンに引っ越すが、ライプツィヒ時代に昼食を取っていたペンションの経営者のフォーゲル氏に招かれ、そこでクリスマスを祝っている。しかしその前に、鷗外はドレスデンの「シュトリーツェルマルクト」も訪れていたのではないか、と推測している。著者は、「閉店売りつくし」の木版画も紹介しながら、「失業、貧富の差、煙害が深刻化」した大都市ドレスデンのクリスマスをどのように見ていたのだろうかと問いかけている。

 また、フォーゲル家のクリスマスパーティーには、当時ベルリンに留学していた井上哲次郎が集い、その後、鷗外と哲次郎は、ゲーテの『ファウスト』の舞台となったアウエルバッハス・ケラーというレストランで食事をしながら、『ファウスト』を日本語に翻訳する夢を語り合ったという。その後鷗外は日本語初の『ファウスト』全訳を刊行し、そのことを記念してアウエルバッハス・ケラーには鷗外と哲次郎を描いた大きな壁画が最近登場している。鷗外のライプツィヒのクリスマスはそのような出会いの場でもあった。

 その後、1913年(大正2年)には森家でクリスマスツリーが飾られている。当日の鷗外の日記には「夜樅の木に燭火を点してNoëlの祭の真似を為す。」とある。森茉莉をはじめ子どもたちの心に深い印象を残したことだろう。

 


 
 私の家でも、この冬はシュトリーツェルキンダーの人形を出して飾っている。この小さな人形にも、ザクセン地方の近代史、メディアの変遷などを手触りするように感じ取ることができる。

 鷗外がドイツで初めて祝った新年についての記述(1885年)で、今回の記事を結ぶこととしよう。


 明治一八年一月一日。こゝの習にては、この日の午前零時に元旦をいはふ。われは此時をば、水晶宮 Krystallpalast の舞踏席にて迎へぬ。おほよそ一堂に集へるもの、知るも知らぬも、「プロジツト、ノイヤアル」 Prosit Neujahr! と呼び、手を握りあふことなり。
参考文献
見市みいちとも『ドイツクリスマスマーケットめぐり』産業編集センター、2012年。
クラウス・クラハト、克美・タテノ゠クラハト『鷗外の降誕祭 森家をめぐる年代記』NTT出版、2012年。

河野至恩

1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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