読むと人生が変わる本 殺人事件ノンフィクションの現在地 前略、塀の上より(24)|高橋ユキ

傍聴取材のため札幌地裁へ出向いた日のこと。目当ての裁判が閉廷して少し時間ができたので、開廷表を眺めて、不同意わいせつの法廷に入った。昼下がりの時間帯に刑事裁判をやっている法廷はふたつだけで、うちひとつは法廷が狭く空いている席が少ない。そんな事情による。
開廷時刻はとうに過ぎている。証言台の周囲には衝立が置かれていて、奥から質問に答える女性の声が聞こえてくる。途中からの傍聴は、やりとりを聞きながらどんな事件か推測するしかないのだが、パキスタン人の男性被告人が、どうやらこの衝立の奥にいる女性に対してわいせつな行為をしたとして起訴されているようで、被告人は否認している様子だった。なぜそう推測できるのかといえば、いま行われているのは、被害者とされる女性の尋問であり、被告人が公訴事実を認めていれば、ほぼ女性の調書が採用され、尋問が行われないからだ。
などとキャリア21年目の古参傍聴人ぶった解説をしてみたが、遠方の裁判所に出向いたときは、こうして空き時間に色々な裁判を見ることが多い。尋問では「セイコーマートにいた時間はどれくらいか」、「セイコーマートのトイレに行く前にイートインコーナーに何分座ったか」など、とにかくセイコーマートというワードが頻出した。こういうとき、北海道に来たことを実感する。
普段、いろんな裁判や事件を取材して記事を書く私は、前回の連載にも書いた通り、傍聴人がこうじてライターになったので、取材としての裁判傍聴が終われば、傍聴人に戻って開廷表を眺め、あれこれ傍聴する。逆にちょっと早く裁判所に向かい、傍聴したりもする。地元の方と少し話をしたり、気になる裁判の話を聞いたりもする。
私がこんな生き方をすることになった経緯は前回記した通り、殺人事件のノンフィクション書籍を読み漁ったことがきっかけのひとつである。その書籍のうち、清水潔さんの『桶川ストーカー殺人事件』には前回触れたが、きっかけとなった書籍はほかにもある。それらを紹介しつつ、事件ノンフィクションの現在地についても主観を綴りたい。
一冊目は『愛犬家連続殺人』 (志麻永幸著・角川文庫)。「愛犬家連続殺人」と称される事件には大阪で発生したものと埼玉で発生したものがあるが、本書は後者について、共犯とされる男が記したという建て付けのものである。「される」「建て付け」などと書いているのは、関係者による書籍にしては妙に文章が巧みであり、本人ではない第三者が関係者に聞き取ったうえで構成した雰囲気を大いに感じさせるからだ。陰惨を極めた描写に引き込まれるのもそれゆえだろう。主犯のひとりが、死刑確定後に再審請求を続けている今、改めて読み直すと、本書のどこまでが「事実」なのかという疑問も生まれてくるのであるが、ともかく2005年当時、私はこの書籍を読み、主犯として一審・浦和地裁(当時)で死刑が言い渡され控訴中だった関根元・風間博子の控訴審を東京高裁で傍聴した。
「殺人犯のまとう雰囲気は、それ以外の人とは異なるのか?」そんな質問を受けることがこれまでたびたびあった。それはもう、何回もあった。長く傍聴してきた私の答えは、「なんか違う」「なんか異様な雰囲気がする」という印象は、傍聴席に座る側の勝手な思い込みでしかないだろうということだ。
さまざまな事件の発生時の報道で、容疑者に対し、「事件を起こすような人に見えなかった」といったコメントを見かけることがある。だが、第三者に事前にわかるほどの異様さが滲み出ている者はなかなかいない。死刑確定後、絞首台にのぼることなく病死した関根元も、背丈はやや低めの、お人好しにも見えるような中年男性だった。
当時読んだ書籍は他の場でも紹介したことがある。「またかよ」とならないよう、取り上げたことのない一冊を挙げるとすれば、『別冊宝島Real』シリーズ第七弾「未解決事件の謎を追う:英国スッチー、グリ森、オウム、赤報隊から政界疑惑まで」も私の行動に影響を与えた。私は未解決事件にも関心がある。かつて、凶悪事件を取材して発表する雑誌は、週刊誌のほかにもあった。講談社『g2』、新潮社『新潮45』が有名だが個人的にはこの『別冊宝島Real』(宝島社)もよく読んでいた。
読み直しながら原稿を書こうと書棚を眺めるも、なぜか見つからないので記憶を頼りに書くが、この書籍に収録されていたルーシー・ブラックマンさん殺害事件の記事は、絶対に傍聴したいと思った事件のひとつだ。事件から裁判までの様子は、当時何度も法廷で見かけたリチャード・ロイド・パリー氏による『黒い迷宮』に詳しいのでそちらを参照していただきたい。
置いてあったはずの本が、なぜか見つからない現象が頻発する魔窟となっている我が家の書棚からは『現代殺人事件史』(ふくろうの本・河出書房新社)も一度消えてしまい、買い直した。誰か本棚を整理してくれる人がいないかと本気で思う。こちらはこれまでいろんなところで何度も紹介している書籍であるが、昭和から平成までの重大事件が写真とともに見開きで紹介されている。ルーシーさん事件や桶川ストーカー殺人事件も収録されている。写真がふんだんに使われていることで当時の空気感が伝わる。今でも時折ページをめくる。この本の平成〜令和版を作りたいと本気で思う時がある。
傍聴を始め、ライターになってからも、個人的関心から、できるだけ殺人事件関連のノンフィクション書籍をたくさん読みたいという思いで、定期的にインターネット上をパトロールしている。その巡回先のひとつがAmazonランキング「殺人関連」カテゴリだ。ここに掲載されている書籍はだいたい持っている。たとえば特定の事件についてテレビ番組で特集が組まれれば、その関連書籍がランキングに入るときがあり、そこでまた未読の書籍を見つけることができる。
そして、このカテゴリからは、殺人事件ノンフィクションの現状も垣間見ることができる。とにかくまず一番に言えるのは近年、殺人事件ノンフィクション書籍の刊行数が少ないということだ。次に、新聞社やテレビ局の取材班による書籍が増えたこと。逆に言えばフリーランスによる書籍が減った。自分が書く側になって、理由もわかるようになった。これは雑誌に元気がなくなってしまったことと大いに関係がある。
事件の取材にはどうしても……主に交通費が必要になる。かつては、まず週刊誌や月刊誌に連載という形で取材執筆し、のちにそれをまとめて書籍とするのが一般的な流れだった。この流れにおいて、取材費は雑誌が持つ。しかし事件を取り上げるような雑誌が休刊、廃刊となったことで、受け皿がほぼなくなってしまった。そうすると書籍は書き下ろしとなり、出版する部署が取材費を持つことになるのが順当な流れであるが、それが難しい。ウェブ媒体の多くが取材費を全て持つことができないのと同じようなものだ。書籍を担当する部署としては、取材も全て終わっている完パケ原稿が欲しい。それゆえに、テレビ局や新聞社に所属し、その組織の仕事として、かかる経費を局や社に持ってもらいながら取材したような成果物が歓迎されるようになった。
世間を賑わせた『東電OL殺人事件』 (佐野眞一著・新潮社)や少年法の議論を引き起こした市川一家4人殺人事件を取材した『19歳』(永瀬隼介著・光文社文庫)でも雑誌が経費を持ち、海外取材を敢行している。いまフリーランスがこうした取材を行うとなると、ほぼ自分で取材費を持つことになるので、できるだけ書籍を売って印税収入を増やさなければならなくなるが、ノンフィクション書籍をめぐる現状はそこまで楽観的なものではない。これを「仕事」として見た場合、多くのフリーランスは割に合わないと判断するはずだ。事件を長く取材して書籍を出すよりも、コタツ記事を書いた方が時間的にも費用的にもメリットがある。
私は個人的に、テレビ局や新聞社によるノンフィクション書籍は、ひとつの事件に関するひとつのデータとして重宝してはいるが、その視座はしっくりこない。常に「正しい」側から犯罪者を見るそのまなざしには、驕りや自信も見えてしまう。公共性を強く意識しすぎるあまり「同じ犯罪を防ぐには」という意味合いでの識者インタビューなどが収録されていることもあり、鼻白む。なので読者としては何が飛び出すかわからないフリーランスの書き手による事件ノンフィクションがどうしても好きなのであるが、先述したとおりの事情から、こんな時代に事件を長期的に取材するのはなかなか大変だ。それでもどうしても、いつもAmazonランキングを眺めては、新しい書籍が出ないかチェックしてしまう。フリーランスによる事件ノンフィクションの刊行をいつも待っている読者として、私は私がいつか読みたいという理由で、取材を続けている。
ちなみに事件ノンフィクションは単行本という形式だけでなく、文庫本、新書としてのアウトプットがなされることがある。それゆえ探すのに骨が折れる。Amazonはもちろん書店でも「新書」「文庫」カテゴリに属してしまい、あちらこちらと棚を移動しながら、時々検索端末まで用いるはめになる。本当に探すのが大変だ。フォーマットにこだわらず事件ノンフィクションをまとめてくれている書店は少ない。自分で書店の棚を作りたくなるときもある。こうした事情がますます事件ノンフィクションを読者から遠ざけていると思う。
ところで、今回までほぼ毎月書き続けてきた本連載は、以後、不定期更新となる予定である。これからもどうぞよろしくお願いします。


高橋ユキ
前略、塀の上より
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