前略、塀の上より(2) 殺人未遂で逮捕されていたはずでは……通称「罪名落ち」がもたらす不利益|高橋ユキ

シェア
webゲンロン 2023年6月22日配信
 約20年ほど裁判所に通っている。同じ場所に通い続けていると、些細な変化に気づくこともある。最近の例でいえば、霞ヶ関の裁判所ロビー壁面に「禁煙」のポスターが等間隔に貼られたことがあった。数年前、敷地内が完全禁煙になってしまい、また屋外の喫煙所もないので、こっそり吸うという事例が報告されたのだろうか。些細な変化から、そんなことを想像して、エレベーターに乗り込む。上階で降りると、そこにも貼られていた。 

 ロビーやエレベーター周りの「禁煙」ポスターも気になるが、もっと長いスパンで見た裁判所の変化が、今回のテーマだ。 

 裁判員裁判が始まったのが2009年。それから数年経って、ふと気づいたことがあった。 

「殺人未遂の公判が減ってるんじゃ……?」 

 気になる。しかし、そんなことを地裁総務課に尋ねたところで、分からないと言われるのは当たり前。厄介傍聴マニアの烙印を押されかねない。長く通う場所であるからこそ友好な関係を続けたい。葛藤の結果、疑問は疑問として残したまま、また時間が経った。そしてあるとき、裁判所ロビーで開廷表を眺めていて気づいた。ちなみに開廷表とは、各裁判所入口に置かれた、その日の裁判プログラムみたいなものだ。 

 開廷表を眺める手を止めたのは“なんとなく報道で見た名前だな”と思ったからだ。私が記憶しているのは、殺人など重大犯罪の被疑者被告人の名前である。実際、調べてみると、逮捕時は「殺人未遂」の容疑で逮捕されていた報道が見つかった。ところが開廷表にある起訴罪名は「傷害」だったのである。

 辿り着いた仮説は「殺人未遂容疑で逮捕されても、傷害罪で起訴されているケースが増えたのでは?」ということだ。しかも、これは殺人未遂だけにとどまらない。強盗殺人容疑の逮捕でも起訴罪名は強盗と殺人になっていたりする。強盗強姦致傷でも強盗強姦になっていたりする。量刑としては軽くなる方向に罪名が変わる。 

 この現象になにか名前があるのだろうか? 傍聴マニアに尋ねると“罪名落ち”だと言った。ググると法律事務所のブログ記事などが出てくる。冒頭陳述をボーチンと、未決勾留日数をミケツというような、その界隈だけに通じる隠語のひとつなのだろうか……。 

 交通裁判を多く傍聴する先輩傍聴人・今井亮一氏は「駐禁取締の警察官をボンネットに乗せて900メートル以上走行したとして殺人未遂容疑で逮捕されていた男が、公務執行妨害での起訴になっていた」という事例も見たことがあるという。 

 さらに考えた。裁判員制度については「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」にもろもろ定められており、どういう事件が「裁判員裁判対象事件」となるのかも、しっかり記されている。 

 

裁判員裁判(裁判員の参加する刑事裁判)の対象事件は,死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に係る事件及び法定合議事件(死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役・禁錮に当たる罪(強盗等を除く。)) であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係る事件である。★1



 要するに結構大きな事件と覚えておけば、さほど間違いはない。殺人、強盗致傷、傷害致死、強盗殺人、覚醒剤取締法違反(密輸)などがこれにあたる。未遂も裁判員対象事件になる。 

 自分の感触でいえば、殺人未遂は裁判員制度が始まってから減った。裁判員裁判対象事件はまず、非公開の公判前整理手続で争点や証拠を決め込み、実際の法廷では、裁判員にわかりやすくプレゼンする要領で進む。普段の裁判よりも、もろもろ負担が大きいように思える。また、法曹界ではない“一般市民”が裁判に参加するため、判決が予想しづらい。検察の負担、そして“負ける”リスクは裁判員裁判のほうが大きい……と考えて、裁判員裁判“非”対象事件での起訴に持っていく動きが進んでいるのではないか? そんな推測をしていた。 

 こういう推測は実際にデータを見なければ確信を得られないが、困ったことに「未遂」は「既遂」に含む統計が多く、私が求めるデータはなかなか見つからない。 

 ただの思い込みか、それともこの感覚と推測は概ね当たっているのか、不安な日々を過ごすなか、突如“罪名落ち”というワードが用いられた報道が出た。裁判員制度開始から10年が経った、2019年のことだ。この記事は今も残っている。隠語だと思っていたものに光が当たった瞬間だ。


【裁判員制度10年】死刑判決を高裁が破棄…娘殺害された母の嘆き「一審なんか無くていいんじゃ」 
 



 記事後半にはなんと、裁判員制度が始まって以降、“罪名落ち”が増えている、とあったのだ。殺人未遂ではなく殺人(未遂含む)を例に挙げているが、気のせいではなかったようだ。理由については明記されてはいないものの、コメントの形で「裁判での失敗を怖がっているのかもしれない」とあり、推測と一部一致する。記事は検察の起訴が、より“手堅い”方向に進んでいることを示唆する内容だった。 

 “罪名落ち”。刑事裁判の被告人にとっては胸を撫で下ろしたくなる傾向ではあるだろう。たとえ触法行為に及んでも、できれば軽い刑がいい、そう思うのが人間だからだ。そのうえでひとつ気がかりなのは、報道の問題である。裁判員裁判対象事件にかかわる容疑での逮捕は、なにかと広く報じられてしまう。ところが殺人未遂容疑で逮捕されたにもかかわらず傷害罪で起訴されるのであるから、逮捕時の報道は結果的に「実際はそこまでやってないのに大々的に報じられた不名誉な内容」となる。 

 このように重大事件容疑で逮捕されたが、結局“罪名落ち”していた事件のうち、とくに逮捕時の報道が騒がしかったものは、記憶にも強く残る。当然法廷で“罪名落ち”に検察官が言及することもない。傍聴してみると「これは確かに殺意を立証できないな」など事情が薄々分かってくるものもあるが、あくまで推測しかできないまま、裁判は進んでいく。それゆえなかなか、忘れられない。2019年に東京地裁立川支部で傍聴した傷害罪の裁判もそうだった。 

 事件は同年4月に起きた。当時55歳の女性Aは、同居していた60歳の元夫を殺害したとして逮捕された。このときの報道は今も残っている。そのうちのひとつには〈アパートから「元夫が起きない」と119番通報があった。消防隊員らが駆けつけ、60代くらいの男性を病院に搬送したが死亡した。男性には頭などに外傷があり、通報した女が殺害を認め、警視庁は住民で無職の自称A容疑者を殺人容疑で逮捕し、発表した〉と、また別の記事には〈元夫は皮膚がめくれるほどの火傷を負っていた〉とあった。当時テレビにも取り上げられ、リポーターは「[妻は]パートの収入を全部自分の遊興費につぎ込み、[元夫が]口出しすると殴られるという壮絶な夫婦生活が20年間続いてきた」と発言していた。ところが裁判所に行ってみると、Aは殺人ではなく傷害で起訴されていた。 

 元夫は亡くなっている。せめて傷害致死ではなかろうか。そんな疑問が消えないが、傷害罪である。これには本当に驚いた。おそらく元夫が亡くなったことと、Aの行為の因果関係を立証できないと検察が判断したのだろう。 

 逮捕時のニュース映像でAは車椅子に乗り、上半身を大きく右側に倒して目を閉じていたが、法廷にも同じように車椅子で現れた。起訴状によればAは、自宅アパートで元夫の頭部をハンマーで殴り、熱湯をかけて加療1週間の熱傷を負わせたとされる。元夫の死亡とは本当に無関係の事件になっていた。

 金遣いが荒く、元夫に暴力を振るい続け、挙句、熱湯をかけて死なせた女……報道でのAはそういうイメージだった。だが審理が進み弁護人が質問をすると、Aはこんなことを語り始めたのである。 

「[元夫に]足を蹴られて頭を殴られました。左足の膝の裏あたりです。ただイライラしてたから[私も暴力を振るったの]だと思います。私も眠かったんで、居間に行って寝ました」 

 実は報道とは逆に、Aは元夫から暴力を受けていたというのである。さらに、Aの足を蹴り、頭を殴ったという元夫はその後、四畳半和室で仰向けにひっくり返って眠ってしまい、翌朝Aが起こしても起きる気配がない。 

「起きなかったことも腹が立ったし、前日の、蹴られたこと、殴られたこと、腹立った、ってところもあります」と、前日に暴力を振るわれたことも合わせて腹立たしさが募り、犯行に及んだのだと語った。 

 なぜこの話を逮捕当時にしなかったのかというと「頭がパニックになってて、言えなかった」のだという。時間が経つにつれ「やっぱり暴力を受けてたことを言わなきゃな」と思い直し、元夫からの暴力を明かしたようだ。 

 報道とは異なる構図が見える裁判は少なくないが、この事件は群を抜いている。とはいえ、対する検察官から犯行時の様子を問われたAは、不穏なことを織り交ぜながら語った。 

「猫に餌をあげてから、そのあと[元夫に]ハンマーを見せて『まだ起きれないの』とか『遅く帰ってくるのに、遅くならない、とか嘘ついて』とか言いました。その後11時くらいに……お昼近かったせいもありますが、なかなか起きてくれなかったことに腹が立ったので、もっかいハンマーを持ち出して『まだそんなとこで寝てんの、いい加減にしたら』と言いました。 

 元夫は、う〜ん、とか言いましたが起きませんでした、目は開いていました……。それで、ハンマーで『前みたいに、痛い思いしたいの?』と言って、それで殴っちゃいました。4〜5回ぐらい、頭部を……。それ以外は、熱湯を、お勝手のところで、洗面器に入れて……。ん〜それを、頭めがけて、胸のあたりぐらいまで、ジャーっとかけました。4〜5回ですね」 

 元夫から暴力を受けていたと語っていたはずだが、“前みたいに、痛い思いしたいの?”との発言は一体なんだろう? もともと暴力を振るっていたのは元夫ではなくAなのか? しかも、起きないだけでここまでやるものだろうか? どちらがどれぐらい暴力を振るっていたのかが気になってくる。だが裁判は淡々と進み、終わった。 

 検察官はAに「話し合いにより穏便な解決が可能であるのにいきなり暴力を振るった」「本件以外にもハンマーで暴行を振るっていたことが強くうかがわれる」などとして、懲役3年を求刑。執行猶予判決が言い渡されている。元夫によるDVへの反逆か、それとも逆DVの果ての暴行か、もはや真相は藪の中だ。 

 罪名落ちの理由は推測するしかない。おそらく死亡との因果関係の立証が困難だと判断されたのだと思われる。であれば夫はなぜ亡くなったのか。それすら裁判では明らかにならなかった。 

 逮捕後の容疑者が不起訴となった場合、これが報じられることがある。そういった記事ではほぼ「検察は理由を明らかにしていない」と記されている。検察はなかなか理由を明らかにしない存在なのだ。この事件も殺人未遂として大々的に報道された一方、妻は結局傷害罪で起訴されたなどという罪名落ち報道はなく、それゆえ当然、検察のコメントもない。起訴時の報道がないことに違和感はないが、司法記者が追えるであろう裁判の記事すらも見当たらない。これは由々しき事態であると、私は当時、Aの裁判記事をある媒体に書いたが、掲載されないまま、今に至っている。地味な話は、なかなか世に出ない。そんな話をこれからも、ここで書いてゆきたい。

 



参考文献 

「裁判員裁判の実施状況について(制度施行~令和5年3月末・速報)」、「裁判員制度ウェブサイト」、2023年5月25日公開。 URL=https://www.saibanin.courts.go.jp/vc-files/saibanin/2023/r5_3_saibaninsokuhou.pdf 
「裁判員制度10年、殺人罪起訴率4割減 未遂含め 『自白なし』慎重対処」、「西日本新聞me」、2019年5月17日付。 URL=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/510733/?phpMyAdmin=cfc2644bd9c947213a0141747c2608b0 
「あまりにも壮絶な20年の夫婦生活 ハンマーと熱湯で殺された元夫はなぜ逃げなかった?」、「J-CASTテレビウォッチ」、2019年4月16日付。 URL=https://www.j-cast.com/tv/2019/04/16355358.html 
「元夫をハンマーと熱湯で殺害した女の『超凶暴素顔』」、「週刊女性PRIME」、2919年4月23日付。 URL=https://www.jprime.jp/articles/-/14998 
「『元夫が起きない』通報した女を逮捕 熱湯かけ殺害容疑」、「朝日新聞デジタル」、2019年4月15日付。 URL=https://digital.asahi.com/articles/ASM4G74NNM4GUTIL01R.html

 


★1 『平成29年版 犯罪白書』、法務省、2017年。 URL=https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_2_3_2_3.html

 

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

2 コメント

  • Hiz_Japonesia2023/06/27 06:16

    こんな軽やかにドス黒いことが書かれている文章を、私は生まれてはじめて読みました。ゲンロン総会のシラスは配信で高橋ユキさんが北九州ご出身だと知ったので、どうしても松本清張を連想してしまいます。約20年前、大卒後に運転免許を取得して直ぐ、「地元山陰←→北九州←→福岡」と自分で自動車を運転して往復してみたのはいい思ひ出です。道中、松本清張記念館に立ち寄り館内で風間完氏の挿絵をそのままアニメ化した映像作品『点と線』を視聴したのもいい思ひ出です。 ~ 「そんな話をこれからも、ここで書いてゆきたい。」と締めくくられていますが、この一文もとても印象に残ります。そんな話をこれからも、ここで読んでゆきたい。と、思ひました。

  • qpp2023/06/27 21:43

     何年か前に一度だけ裁判傍聴に行った事があります。 「傍聴好き芸人が、風俗店のガサ入れ裁判は面白いって言ってた」そんな話を聞いて軽い気持ちで訪れた高等裁判所。残念ながら風俗店ガサ入れ案件はなかったので、なんとなく目に留まった裁判員裁判を傍聴する事にしました。将来裁判員に選ばれるかもしれないし、まぁ見とくか。というこれまた軽い気持ちで。裁判員裁判は重めの事件が多いなどという事は全く知りませんでした。  事件の内容は男女関係のもつれによる殺人未遂。生々しいテープレコーダーの録音による犯行状況の立証や、現場となった被害者宅の住所や外観まで公開されるという事にも驚きましたが、何より一番驚いたのは、最初に出てきた温和で誠実そうな60代後半くらいの男性が、被告だったという事です。  その日は判決日ではなかったので、事件がどういう結末を迎えたのかは知りません。一度見ただけで随分疲弊してしまった私は、もやもやした気持ちを抱えつつも最後まで見届けようという気にはなれませんでした。  今回の高橋さんの記事を読んで、たとえ最後まで見ていてもやっぱりもやもやは消えなかったかもなと思いました。裁判所は白黒はっきりつけてスッキリする場所ではなく、永遠に消えないもやもやを作り出す場所なのかもしれません。  そんなもやもやについてもっと色々考えてみたい。  高橋さんのこれからの連載も楽しみにしております。

コメントを残すにはログインしてください。

前略、塀の上より

ピックアップ

NEWS