お手軽な一攫千金を狙い「案件」に挑む即席チームのリアル 「ルフィ」事件は「地面師」とどう違うか 前略、塀の上より(17)|高橋ユキ

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webゲンロン 2024年9月26日配信

 いろんな裁判や事件を取材している私が現在、記事を書いている場所は、9割9分、ウェブ媒体だ。記事を書く時に常に念頭におくのは「取材した当人」のことと「その先にいる読者」のことである。どんな読者が読む媒体なのかということはかなり重要なことで、それによって対応も、書く話も変わる。たとえばYahoo!ニュースなど外部プラットフォームに配信されるようなニュース性の高い記事は、媒体のファンが見るわけではない。誰が読んでも伝わるように分かりやすい言葉を使う。かつ取材した当人に誹謗中傷が及ばないよう、細心の注意を払う。そこで読者が求めているのは「事件の情報」であり私の見解は必要ない。

 webゲンロンは勝手が違う。読者は、長い時間をかけて作られてきたゲンロンというコミュニティのファンが多い。私はここで、普段取材するなかでの見解などを主に書くことになっている。慣れないことに四苦八苦である。媒体の向こうにいる読者は私の記事で何を得たいのか? 他の方々による連載や記事などを読んで考えてみるのだが、いまいちつかめないままもう17回目だ。

 最近周囲を眺めると、ニュースでも何でも動画でインプットしている人が増えている。そんな時代にあえてテキストでインプットを求める時、読者は何を求めているのだろう。これはこの時代に書籍を読む人が何を求めているかという問いに似たものがあるように思う。そこでAmazonで売れているノンフィクション本のタイトルを眺めると、やたらと「得」を押し出していることに気づく。読めば自分が変わり、向上できる。そんなイメージで売っている本が、わりかし売れている。即効性があり、劇的な変化を得られる……まるで違法薬物のような効果を本に求めている読者がいるようだ。

 そのため、この連載ももしかしたら「1分で読めて、読み終わったらIQが100上がる」ぐらいの意気込みで宣伝し、またそう錯覚させるように書いたほうがいいのだろうか。といったことを考え続けて17回目なのである。しかし、そういったものはまるっきり性に合わない。おそらくゲンロン編集部の方も私にそんな記事を求めていない(はず)。編集部が求めていないということはきっと、その先の読者も、それを求めていない(はず)。私には、自分の原稿で「学び」を得られた、など思って欲しくないというあまのじゃくな考えも元々ある。

 などと毎回そんなことをひとまわり考え最終的には、自分が気づいたことを書けばきっと喜んでもらえるのではないか、という結論に着地し、そして原稿を書き始める。基準は自分なので、毎回テーマが違っていて、読者の皆さんを混乱させているかもしれない。そこはご容赦いただきたい。今回は自分基準でいま興味がある、ルフィ事件についてお届けしようと思う。本連載では珍しくただ裁判をリポートする。

 

 昨年1月に東京・狛江市で起こった強盗致死事件は、それまで各地で頻発していた広域強盗のなかでも世間の注目度が違っていた。強盗らが押し入った家に在宅していた女性が殴られて死亡したからだ。捜査の結果、この事件だけでなく複数の広域強盗事件において、フィリピンの入国管理局ビクータン収容所にいる日本人らが指示役となり、秘匿性の高いアプリ「テレグラム」を介して犯行を指示していたことが分かった。ひとりの指示役のアカウント名が「ルフィ」だったこともあり、同一グループによる複数事件は「ルフィ事件」などと呼ばれている。

 

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。
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