運動についての一考察、あるいは中年を生きるということ 前略、塀の上より(19)|高橋ユキ

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webゲンロン 2024年11月28日配信

 いろんな刑事裁判を傍聴したり、事件を取材したりして記事を書いている。裁判取材の際は、法廷の前に1時間以上並ぶこともあれば、寒空の下、傍聴券の抽選に並ぶこともある。事件取材では、数時間歩きながら、その地域の人々を訪ねることもある。たまに限界集落を歩き回ることもあるし、地元の人の案内で、小一時間山歩きをすることもある。つまり何が言いたいかといえば、この仕事はかなり体力を使う。しかも私は、なるべく長くこういう生き方をしたいと思っている。にもかかわらず、不安になる出来事があった。3年ほど前のことだ。

 激しい雨の日、裁判の開廷に遅れそうになっていた私は、駅の階段を小走りで駆け降りていた。そのとき恐ろしいことに、足を滑らせ激しく転倒した。転倒というよりも、足を滑らせたまま、階段を尻で滑り台のようにドンドンドン……と滑り落ちたというほうが正しい。これにより背骨を圧迫骨折した。痛みが引かず、翌日、近所の整形外科にかかったところ、コルセットを巻かれしばらく安静に過ごすよう言い渡されたのである。

 この出来事によって私は、将来……いや老後をかなり真剣に考えた。なるべく長くこういう生き方をしたい、老婆になっても取材をしたい。だからこそ、不注意や自己管理不足でその時間が短くなることは避けたいと強く思った。今回はむしろ運が良かった。転び方が悪ければ、もっと深刻な結果をもたらしていたことだろう。よくよく振り返ってみれば私はとにかくよく転んでいた。午後の裁判に間に合うために、あそこの信号を渡っておきたい。そんな思いから信号目指してダッシュしたところ、激しく転び、コートが破れた。高校時代の体育祭でもそうだ。リレーでモタモタと走り終え、バトンを次の走者に渡した瞬間に激しく転び、体の前面にまんべんなく擦り傷を作った。恥ずかしくて起き上がれずに倒れたままでいたら、なおさら皆の注目を浴びた。ちょっとおしゃれしてヒールの靴を履いた時にかぎって、足を捻ってまた激しく転ぶ。……この辺まで考えてみて閃いたのは、履いている靴が悪いんじゃないか? ということだった。そこで同業の友人に、転ばない靴はないか、と尋ねたところ、失笑され、運動を勧められた。

 正直に言えば、運動はなるべく避けたい。とにかく運動神経が悪いのである。当たり前だが足も遅い。区の施設でヒップホップダンス教室に参加してみたら「盆踊りじゃないですよ」と泣ける指摘をされたこともあったし、学生時代、ソフトボールのクラスマッチでは、私と一緒のチームになった級友らに申し訳ない気持ちになった。それでも練習を重ねて本番を迎えたその日、なんとかバットにボールを当てて一塁めがけてモタモタと一生懸命に走っていると、キャッチャーから飛んできた球が耳に当たり鼓膜が破れ、そのまま病院に連れて行かれた。そんなわけで私は運動神経が悪いうえに、運動に全くいい思い出がないのだ。

 体育祭が嫌すぎて、こんな行事を強制的にやらせる学校という組織、大人たちは狂っている……と思春期をこじらせにこじらせた。すべては運動のせいである。しかし、背骨を圧迫骨折するほどどんくさい私は、むしろ運動して少しぐらい転ばない体づくりをしたほうがいいのではないか? 老後が見えてきた中年真っ盛りであることも手伝って、今回初めて、運動の必要性を痛切に感じ、アクションを起こすことにしたのである────。

 

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。
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