横浜地裁、市教委による傍聴ブロック事件と「プライバシー保護」の嘘 前略、塀の上より(14)|高橋ユキ

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webゲンロン 2024年6月27日配信

 裁判の傍聴は誰でもできる。なので傍聴は簡単だと思われがちなのだが、実際はさまざまな苦労がつきまとう。これはどんな界隈でも同じことだろう。そのひとつが、傍聴席に座るまでの苦労である。

 まず注目事件であれば「傍聴券」が交付され、そのための抽選が行われる。外れれば傍聴は叶わない。次に、傍聴券交付とまではいかないものの、それなりに注目を集めているような事件では、季節や地域によって、傍聴希望者が法廷前に列を作ることがあり、油断していると「傍聴席が満席になり傍聴できない」事態となる。裁判所は立ち見を厳しく禁じており、席が空かなければ法廷に入ることはできないのだ。法廷ドアに「満席」の札がかけられても、先に法廷に入った傍聴人が途中退席する可能性にかけて、開廷後も引き続き法廷前に並んだりもする。

 夏場は裁判官らが休みを取る関係から開廷が減るにもかかわらず、夏休みの学生さんが傍聴につめかけがちだ。他の季節でも、社会科見学とおぼしき大勢の学生さんが先生に伴われて法廷にぞろぞろとやってくることもある。こういう学生さんたちは途中で退席しがちなのだが、最後まで誰も退席しないパターンもあったりして、先が読めず、なかなか大変だ。ただ、「空き待ち」行列は通常、数名程度であるのが普通といえば普通である。

 

 こんなニッチな傍聴事情を書いてどうする、とツッコミを入れられそうだが、今回のテーマを語る上で欠かせない前提知識なのでご容赦願いたい。この「傍聴券交付ではないが、法廷前に行列ができる裁判」について5月末、東京新聞や共同通信、読売新聞などが一斉に報じた★1。おそらく傍聴マニアだけでなく世の中も騒がせたことだろう。

 今回書くことはいつものように私が取材で得た話であるため、参考文献や、根拠となる記事が存在しない部分がある。取材をするということは、記事になっていない話を集めることともいえる。信じてもらえなければ仕方ないが、本当に聞いた話であるので読んでいただければ嬉しい限りである。毎回このような注意書きを入れてしまい申し訳ないが、媒体の性格上、必要なことだと思うのでご容赦いただきたい。

 

 騒動の舞台は横浜地裁だった。各社報道を要約すると、特定の刑事裁判において、横浜市教育委員会が多数の職員を動員して傍聴席を埋め尽くし、一般傍聴人はおろか記者も傍聴できなくなるという異常事態が発生していたというのだ。これらの記事は、謎の行列に違和感を抱いた記者クラブ加盟社の記者らが連帯してその行列の正体を突き止め、かつその目的までも明らかにしており、記事が公開された当時は、記者らの粘り強い取材にSNSで賞賛の声も見られた。

 動員は何回かけられたのか。傍聴マニア仲間の学生傍聴人さんが書いた記事によれば、「市教委は会見で、2019・23・24年度に行われた4件の公判の計11回で、1回当たり最大50人を要請・動員したことを認めた。なかには、出張手当を支給したものもあり、要は公金を使って「裁判公開原則」を無視した傍聴人の閉め出しをしていたというのだ」という★2。何のために市教委が動員をかけたのかといえば「第三者の傍聴を防ぐため」。動員がかけられた事件は全て教員や小学校校長が被告人となったものだった。

 司法記者クラブの記者らが気づくほどの異様さに、横浜地裁の傍聴人が気づかなかったわけがない。むしろ記者よりも先に気づいていたのではないか。この連載は本来、普段の取材から思うことなどを綴るというコンセプトなのだが、今回は好奇心からつい追加で新たな取材をしてしまった。やはり彼らは気づいていたようだ。まずは傍聴人Aさんが言う。

「話題になっていました。開廷のかなり前からすごい行列で、なんだあれは? と皆不思議に思っていました。わたしは昨年末頃、初めてその行列を見ましたが、何だろうと思っただけでした。今年1月にその年末とは違う事件番号の行列があり、なんか変だなぁと思って開廷中に小窓から覗いたら、行列の人達からジロジロ見られました。行列はスーツ姿などの男女で、ざっと数えても50人以上はいました。無言でじっと並んでいて、異様な感じでした。
 行列は他の人に傍聴させないようにしてると思いました。市教委と発覚するまでに何回か行列を見ましたが、とにかく大人数で、満席どころか開廷しても10人以上は並んでいて絶対に他人は入れたくなさそうな感じでした。傍聴仲間がある日行列に滑り込んだので、被告人が校長と判明。その次の期日に私も並ぶつもりで行ったら、開廷90分前なのにもう大行列で無理でした……」

 今回の一斉報道に一役買った、傍聴人Bさんも言う。

「私が本件を傍聴するきっかけとなったのは、1月9日に行われた別件(不同意性交等被告事件)がそもそもの発端です。この時、閑散としている裁判所で何故か401号法廷前にだけ行列が出来ており、しかも並んでいる人の身なりがやたらきちんとしているので「どこからか動員したのだろう」と思い、傍聴しようと試みたものの出来ませんでした。
 そうこうしているうちに、2月22日にも404号法廷(強制わいせつ被告事件)に公判開廷1時間以上も前なのに身なりのきちんとした人の行列が出来ていたので「これは絶対に何かある!」と確信して行列に潜り込んで傍聴。市教委の関与を疑いました」

 法廷前の行列は珍しいことではないのだが、AさんもBさんも異変を感じていた。満席(開廷後)の法廷前にできる行列にしては多い、皆同じような服装をしている、なぜか会話がない……そんな特徴が、傍聴人らのアンテナにひっかかっていた。たしかに開廷90分も前から大行列になるのはかえって悪目立ちし、注目を集めてしまう行為だったといえよう。張り切りすぎなのである。私が横浜地裁にいても、よほどの注目事件なのだろうから行列に並んでみようと思う。

 被告人の職業と関連する教育関係の機関、それも横浜市教委が絡んでいるのではないか、と最初から睨んだBさんに、そう思った理由を尋ねると、次のように語った。

「横浜地裁管轄内にある市教委で、50人もの多数の人を動員できるのは横浜市以外に考えられない、と思ったこと。次に、仮に並んでいたのが警察官ならば、もっと体格ががっしりして目つきが鋭い筈だと思った。もう一つ重要なのは、並んでいた人に女性の姿が目立っていたからです。仮に警察(県警本部)ならば、男性だけが並んでいた可能性が高く、そうした観点からも教職関係者だろうと推察しました」

 記者らの取材により、なぜ教員や校長らの裁判で「第三者の傍聴を防ぐため」の動員をかけたのかも判明した。東京新聞5月25日配信の記事には、「市教委は21日の会見で、動員を始めたきっかけは、過去の裁判で被害者の保護者が一般傍聴者に事件の内容を知られるのを望まなかったことだと説明」したとある★3。つまり、そもそも被害者側が「傍聴ブロック」を望んだのだ、と市教委は言っている。それが徐々に慣習となっていったのか。

 だが、さまざまな媒体がすでに報じている通り、昨今、裁判所は特定の裁判において適宜、被害者秘匿の決定を下す。たとえば、事案はわいせつ、被害者は児童、教職員が被告人。そんなケースであれば、確実に被害者の氏名が伏せられる。学校名や被告人名を出すことで被害者のプライバシーが暴かれるおそれがあれば、それも伏せられる。つまり、公開の法廷で明らかになる情報だけでは、被害者の個人情報には辿り着けないようになっているのだ。市教委が本当に、被害者側から第三者の傍聴の妨害を求められたのだとしても、本来行うべき対応は、法廷に動員をかけることではなく、刑事裁判での被害者秘匿の実態をきちんと被害者側に説明し理解を求めることだったと思う。

 きっかけとなった「被害者側の求め」の根拠となる文書も市教委が公表した。NPO法人が差出人となっている2019年4月21日付の文書には「今回の傍聴については、被害の実態を知ってほしい、性暴力は犯罪であり、防止に役立ててほしい、という被害者の両親と伴走支援してきた支援者の意向でもあり、性被害傍聴マニアの傍聴を狭めたいという狙いもあります」などと記されている。よく読めば、そもそもは「被害者の支援者」の意向であるようだ。この文書が本当に被害者側の支援者によるものなのかという疑いも生じるが、報道では、「市議からは、この文書がなぜ市教委宛ての要請文書といえるのか質問が上がり、下田康晴教育長らは「団体の担当理事に直接会って、間違いなく要請した文書だと確認できた」と説明するにとどめた」とあり★4、現時点ではそれを信じるしかない。

 

 この騒動は裁判傍聴における秘匿の問題を浮かび上がらせる。市教委は、きっかけとしては被害者側の求めにより“動員”を始めたにせよ、その後は求められてもいないのに続けてきた。これでは、市教委に「教職員の不祥事を広く知られたくない」という意向があったのではと疑われても仕方がない。「性被害傍聴マニア」の傍聴を狭めるには全ての傍聴人の傍聴を狭めるしかない。そのため大量動員という結果になったのだろう。

 しかし、憲法第82条には「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と定められている。つまり公開法廷を傍聴する権利が我々にはあるのだ。ここに被害者側のプライバシーを尊重するという視点が加わり、最近の一部の公開裁判では、これまで述べたような秘匿の措置が取られている。市教委の行動は、情報の秘匿を建前にして傍聴する権利を侵害するものだといえよう。もちろん被害者の意向は大切だ。だが、それを理由に全てを秘匿すれば刑事裁判はブラックボックスになってしまい、裁判手続きが適切に行われたのか、有罪無罪の判断に疑問はないかを見届けることはできなくなる。冤罪を訴えている被告人の裁判に、多数の動員がかけられ、その内容が公にされないという場合を考えてみれば、そこに大きな問題があることは誰の目にも明らかだろう。

 そもそも昨今「被害者のプライバシー」名目で刑事裁判の情報は秘されがちだ。だがそこには、隠されているのが本当に被害者のプライバシーと関係ある情報なのか、という問題がある。先日、東京地裁立川支部でのあるやりとりを記事にまとめた★5。裁判員裁判においては、法廷壁面に備え付けられている大型モニターの電源が切られ、どのような証拠が取り調べられているのか全くわからないということが少なくない。

 その裁判員裁判ではこれに弁護人が異を唱え、急遽モニターの電源が入った状態で裁判を傍聴することになった。しかし、モニターに映し出されたのは被告人の手などの写真であり、被害者のプライバシーとはどう見ても全く無関係のものだった。「被害者のプライバシー秘匿」という名目の情報の制限は、それが目的にかなった対応であるかよく検討されなければならない。

 

 また、この件について他の視点からも言っておきたいことがある。今回、謎の傍聴人集団が市教委の面々だったということを暴いた横浜の記者クラブ加盟社の取材には感服したが、ある面においては彼らマスコミ側の人間も、ときに傍聴の機会を奪う存在であることがある。冒頭に書いた傍聴券交付裁判において、多数の記者を動員し、複数の傍聴券を当ててしまうからだ。彼らが当てすぎて傍聴券が余った結果、法廷が空席だらけになっている裁判をこれまでいくつも傍聴してきた。

 市教委のように妨害の意図はなくとも、最終的に一般人の傍聴機会を奪う可能性をマスコミが認識していたとしたならば、それはこの行動が「妨害」となっても仕方ない、という認識をうすうす持っていたとみなされる。今回の取材で、彼らも傍聴できないことの悲しみを共有できたことと思う。これから変わっていってくれたらと思うばかりだ。

 

 最後にもう一つ。観察しているなかでは10年以上、同じように動員がかけられている裁判がさいたま地裁でも存在する。これは男性だけのスーツ軍団で、傍聴券交付の抽選でよく見かける。彼らは券を余分に当てても傍聴しないのだ。そのため、法廷は空席だらけとなる。さいたまの傍聴人たちも怒り心頭であり、これについては私も今、取材を進めているところである。

 

 なお、今回のテーマについては、福島県の雑誌『政経東北』にも記したので、福島在住の方はよかったらそちらもご覧いただきたい。


★1 「なぜか満席の横浜地裁…記者は1人の傍聴者の後を追い、確信した 横浜市教委の「傍聴ブロック」発覚の経緯」、「東京新聞 TOKYO Web」、2024年5月22日。URL= https://www.tokyo-np.co.jp/article/328551 
「教員わいせつ事件の裁判、横浜市教委が職員動員して傍聴席埋める…4事件で1回に最大50人」、「読売新聞オンライン」、2024年5月21日。URL= https://www.yomiuri.co.jp/national/20240521-OYT1T50110/ 
「裁判の傍聴席が満員「この人たちはどこから来たのか?」違和感から重ねた取材 地裁に通い続け、尾行、質問状、記者会見。粘り強く不祥事を明らかにした2か月半」、「47NEWS」、2024年6月3日。URL= https://nordot.app/1169110406000132186?c=39546741839462401
★2 学生傍聴人「小学校校長が“9歳女児”に恋愛感情を…。元教員の性犯罪裁判で起きた“異様な光景”の正体」、「日刊SPA!」、2024年6月13日。URL= https://nikkan-spa.jp/2007591
★3 「「傍聴ブロック」なき今、強制わいせつ罪に問われた元校長に判決 被害者の不信を強めた横浜市教委のやり方」、「東京新聞 TOKYO Web」、2024年5月25日。URL= https://www.tokyo-np.co.jp/article/329223
★4 「「マニアの傍聴狭めたい」被害者側の要請文書公開、傍聴動員問題で」、「朝日新聞デジタル」、2024年6月1日。URL= https://digital.asahi.com/articles/ASS504FLGS50ULOB008M.html
★5 高橋ユキ「刑事弁護のレジェンド「裁判は公開が原則だ」大型モニター切る運用批判 裁判員裁判、傍聴席から証拠見えず」、「弁護士ドットコムニュース」、2024年1月26日。URL= https://www.bengo4.com/c_18/n_17106/

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。
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