手錠+腰縄=犯罪者? 裁判員裁判から導き出された偏見の法則 前略、塀の上より(9)|高橋ユキ

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webゲンロン 2024年1月25日配信

 刑事裁判の詳細を書いてウェブ媒体に公開されると、ヤフーニュース等の外部配信サービスにも同じ内容が配信される。外部配信サービスのコメント欄は心を削られるため、なるべく見たくはないが、たわむれに眺めてみることもある。よく見る批判が「三流記事」「ライター失格」。こんなライターに書かせるなというコメントだ。他のライターが書いた記事にも同様の内容が書き込まれていることがあり、自分だけが三流ではないと知る。これと似たものとして、たまに見かけるのが「法曹関係者でもないのに」といったコメントである。総じて、書き手に知識も経験も不足しているという批判がヤフーニュースのコメントには多い。経験を重ねても収まる気配がないので、死ぬまで同じようなコメントが書き込まれることだろう。

 ヤフコメ界隈の常識では、裁判記事を書く資格があるのは法曹関係者だけのようだが、そもそも裁判を傍聴するのに資格はいらない。いまやX(旧Twitter)では日本全国の傍聴人たちが感想や情報を書き込んでいる。法曹関係者でなくとも裁判は傍聴できるし、法曹関係者でなくとも裁判記事を書くことはできる。逆に、私のような永遠の素人が日々傍聴に励んでいると、ふとした違いが気になり、そこからいろんな疑問が湧いてくる。今回はそんな疑問のひとつについて書いてみたい。

 

 傍聴を始めたのは裁判員制度が始まる前。当時は殺人事件も裁判官だけで審理していたが、2009年に全国初の裁判員裁判が東京地裁で開かれて以降、一般市民から選ばれた裁判員が参加するようになった。制度導入には刑事裁判に市民感覚を反映させるなどの狙いがあったと言われてはいるものの、いまだにその市民感覚がどのようなものか、判決のどこに反映されているかはピンとこない。そんな裁判員裁判対象事件は公判前整理手続を経て、事前に事件の争点や採用する証拠などを決めるという。「という」と伝聞調で書いているのは、手続きが非公開だからだ。そしてその後、公開の法廷では、手続きで決めた通りに進むことになる。裁判員の拘束日数をなるべく少なくするという配慮か、集中審理といって連続開廷することが多い。刑事裁判がすべて裁判員裁判になるわけではなく、対象外の事件は、従来のように裁判官だけで審理が進められている。

 裁判員裁判とそれ以外の刑事裁判には違いがいろいろある。前者は公判前整理手続を経ているため、全ての証拠が揃っている状態で初公判を迎えるが、後者はそうではない。ひとつめの事件で起訴したのちも捜査が進んでおり、追起訴がなされることもままある。その場合、例えば1時間という枠が取られている新件(初公判のことをこう言う)でも、ひとつめの起訴状の読み上げや冒頭陳述を終えたら次回に続行となったりする。正味10分ほどで閉廷してしまい、傍聴人としては泣きたくなる瞬間だ。追起訴が続く刑事裁判を見るのはかなりの胆力が必要となる。被告人質問がいつ行われるか分からないまま傍聴を続けるのは、社会人にはちょっと厳しい。たまに次回期日が突然取り消されるという地獄のパターンもある。法廷の前に着いてようやくそれを知ったときのショックは計り知れない。改めて期日を問い合わせ、そしてまた傍聴し……判決まで数年かかる事件もザラにある。

 このように追起訴だらけで傍聴に骨が折れた刑事裁判であっても、そんなことは事件の本筋とは関係ないため、記事には書けないのだが、例えばこの裁判も、追起訴が続いたのちに被告人の主張が変わり、判決まで2年を要した。

 

 長い前置きになった。同じく事件の本筋と関係ないため、普段の裁判記事には書かないことのひとつが、手錠腰縄についてだ。いつものように裁判員裁判を傍聴するため開廷前の傍聴席に座っていたとき、ふと気づいた。

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。
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