どこにも属さない……いや、属せない私のBØCHØ物語──傍聴活動20年を振り返って 前略、塀の上より(23)|高橋ユキ

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webゲンロン 2025年4月24日配信

 普段、いろんな裁判や事件を取材して記事を書いている。などと毎回書いていて、さすがに覚えてくれた人もいるかと思うが、しつこく書いておかなければ「どんなやつが書いているんだ」「素人か」などとネガティブなことを言われてしまうのがウェブ媒体なので、やっぱりしつこく書いていこう。

 裁判の傍聴を始めてなんと、丸20年が経った。この世に生まれた赤ちゃんが、お酒を飲める年齢になるぐらいまでの時間を傍聴席で過ごしてきたと思うと、自分でも若干引いてしまう。ちなみに今年から21年目である。節目というのは記事になりがちだ。未解決事件などでは発生からX年として記事になる。今回は節目にちなんで、印象深い裁判話や、これまでの傍聴生活を振り返ってみたい。

 などと書いておきながらのっけから全く文脈の違う思い出話をさせてもらおう。よくよく考えてみれば、毎月こんなふうに、自分の考えを自由に書くことができる場があるのは、相当ありがたいことである。そして、こんなありがたい状態が一生続くわけではないことも、長いライター生活を経て理解しており、毎回、これが最終回だと思いながら書いている。加えて、20年も傍聴しているのだから当然ながら年もとり、忘れっぽくなった。忘れてしまわないうちに書いておきたいことがある。

 

 バンドブームの足音が聞こえてきた中学2年生の頃、仲の良かった友人のお兄ちゃんからCDがまわってきた。「友達のお兄ちゃん」というのは中学生にとってあらゆる意味で絶対的な存在だ。「友達のお兄ちゃんからまわってきたCDなんだからこれが今一番かっこいいんだ」と思わせるに十分な影響力を持つ。結局お兄ちゃんとは会わずじまいだったが、このときのCDこそが、前年に渋谷公会堂で人気絶頂の中、解散宣言をしたBOØWYの『BEAT EMOTION』だった。

 私がCDを手に取ったとき、すでに東京ドームでの最終公演『LAST GIGS』は終わっていたが、そこからBOØWYにハマりにハマった。実は今でも大好きで、なかでも氷室京介のファンである。目覚ましアラームはもちろん『ONLY YOU』。令和のいまでもカラオケではBOØWYと氷室京介縛りを自分に課しており、同行した友人知人を苦笑させていると思う。『DREAMIN’』を歌う際にはもちろん「最後に夢を見てる奴に送るぜ!」と叫ぶことも欠かさない。

 BOØWYの「Ø」とはなにかといえば空集合である。BOØWYクイズ初級編第一問レベルの話だが、「どこにも属さない」という意味が込められている。それを知った時、厨二……いや中2の私はしびれた。曲にも歌詞にもしびれた。出席番号で呼ばれるたびに、「いつからか番号だけで 呼ばれ」と『DREAMIN’』の歌詞が脳内をこだました。「ボルト&ナットのしくみで 組みこまれる街で」意味のよく分からないそんな歌詞にも大いに影響され、スーツを着て毎日同じ電車に乗るサラリーマンはダサいと思うようになった。中学生なので許してほしい。

 バンドブームも下火となり、私はBOØWY信仰者であることをひた隠しにしてアルバイトとゲーム漬けの大学生活を送った。しかし、弾けたバブルの影響で、大学時代のクラスメイトが福岡からはるばる東京まで就活に行くのを横目に、私の動きが遅かったのも、当時から根強く私の中に残っていたその思想が影響している。ユキ……あんたはどこにも属さないんじゃなかったのか? ボルト&ナットの仕組みで社会に組み込まれるのか? とはいえ、さすがに将来がヤバくなり、そんな声を必死で無視してようやく就活し、なんとかサラリーマンになった。かろうじてスーツは着ない、同じ時間に出勤する必要のない職種にした。が、そのうち鬱病を発症。本当にどこにも属さない人間となってしまう。

 いや、属さないというよりも属せない人間だったのだ。鬱病時のスーパーネガティブ思考も手伝い、自分は無価値だという思いを強くした。北九州からはるばる東京まで出てきて、自分は何をしているのか。とはいえ鬱病で本当に何もできない。何か答えが書いてあるかも、と救済を求め鬱病関連の書籍を手に取るも、太陽の光を浴びましょう……なんて、わかりきったことばかりが書いてある。早起きできたら鬱病など治っている。それができないから困っているんだ馬鹿野郎。ますます落ち込んだ。

 いつしか治すことを諦め、せっかく人生の中で何もしない時間ができたのだから、と、気になっていた事件にまつわるノンフィクション本を読むようになった。ひとつの本から、その関連書籍に飛び、さらにWebサイト「無限回廊」を読んでは、そこに記されている参考書籍を全て(本当に全て)読み漁るという日々を送った。すると、いくつかの本のテーマになっている事件で「裁判が進行中」とある。そこで私は閃いた。自分でその続きを見に行こう。これが全ての始まりである。

 

 振り返れば、鬱病を発症したとき、サラリーマンであろうとする私は死んだと思う。どこにも属さない……いや、属せない人間なんだから、本当に好き勝手に生きてやろう。傍聴に行き、ますます事件と人間に対する興味が湧いた。傍聴に連れて行って欲しいと連絡をくれた女性たちを誘って傍聴グループを立ち上げ、mixiにコミュニティを作って傍聴記をアップするようになった。事件について私と同じように詳しく知りたい人がいるかもしれない、とコミュニティからブログへ移行。それが書籍化され今に至る。

 東京ドーム……BOØWY風に言えばBIG EGGでの『LAST GIGS』終盤で氷室京介は叫んだ。「俺たちはまだまだ伝説になんかなんねーぞ!」。ゼロ年代に一瞬話題になった傍聴グループの解散を数年後に決めたときも、氷室京介のその言葉が私の頭にあった。鬱病、そして傍聴グループの解散を経て、やはり私はどこにも属せない人間なのだと痛感した。サラリーマンはダサいと今は思っていない。むしろ毎日同じ場所に同じ時間に通勤することができる人たちを心底尊敬している。そのレベルで私はどこにも属せないのである。

 BOØWYの再結成を望む声がどれほど多くとも、氷室京介はソロ活動に邁進した。私もおこがましいが信仰する氷室京介の背中を追いかけながら、ひとりで傍聴活動に邁進してきた。何かをやめる、もしくは強制的に終わる時、伝説は生まれがちだ。伝説になることを考える自分にもはなはだ笑えてしまうが、伝説にはならない……そんな思いで、傍聴活動、そしてライターを続けている。つまり傍聴を続けて20年が経ったということは、一度死んだ私が、どこにも属せないながらも自分のできることを探して20年もがいてきたということでもある。そういう意味で感慨深い。

 本当は属せないのに、属さないだけだ、というと負け惜しみ根性が滲んでしまうが、そんなBOØWY思想の影響で私は、カテゴライズされることも好きではない。そのためなるべく、他の人にもそうしたくはない。ジャーナリスト、と自分では名乗りたくないのも、これが関係している。フリーライターだなんて、何をやっているのか分からない感じがしていいではないか、と気に入っている。譲りに譲って、傍聴ライターと名乗ることもあるが、この20年のなかで傍聴する人が増え、カテゴライズされかねない空気が生まれてきた。なのでいっそのこと肩書きを「Ø」にしてしまおうかと一瞬思う時もあるが、中年がそんな厨二センス炸裂した肩書きを用いるのはさすがにヤバいだろうと自重している。

 

 さてさて、ここまで書いて終わりにしようと思っていたが、印象に残った裁判の話を書く、と冒頭で宣言していた……というよりも今回はこれをテーマに書くことになっていたので触れておきたい。みんな言うのである。「印象に残った裁判はどんなものでしたか」。ふんわりしすぎているではないか。オーダーがざっくりしすぎなのだ。どういう意味合いで印象に残ったかで、浮かんでくる裁判は全く異なる。

 それでもあえて考えてみるとすれば、やはり鬱病時代に読み漁った書籍に登場する被告人を法廷で見たことが印象深いといえば印象深い。というよりも、実際に生身の人間を見ることで、リアルに感じるのである。書籍を介して知った事件は、誰かが作った物語ではなく、実際にあったことであり、その事件によって亡くなった方や、それを悲しみ続ける遺族が実在するということを。

 最初にそれを強く感じたのは桶川ストーカー事件・小松武史(被害者の交際相手の兄)の控訴審だった。もちろん清水潔さんの著作★1を読んだことにより傍聴に行った。当時の警察の対応は、どう見ても適切とは言えず、この事件をきっかけに、ストーカー規制法が制定されている。私は時々、本件と同じように、ストーカーが暴走して女性を殺害したり重傷を負わせたりするような事件を傍聴するが、これはサラリーマン時代に私もストーカー被害に遭ったことが影響していると思う。90年代当時の会社では、好意を持った男性とのコミュニケーションをこじらせた私が悪いという不条理すぎる言い方をされた。事件化していない私でもこのように絶望を味わうのであるから、被害女性たちの苦しみは想像を絶するものがある。

 なぜか今年のはじめに、小松武史から年賀状が届いた。これまで連絡を取り合ったことは一度もない。なぜなのかまったく分からない。私にとって2025年初のミステリーだった。

 伝説になるのは死ぬときである。まだまだ傍聴や取材を続けていくつもりで、老婆になっても現場取材をしたいと思う。

 

★1 清水潔『桶川ストーカー殺人事件―遺言―』新潮社、2004年。

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。
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