高橋ユキさん(50)をめぐるひと騒動──取材をしている人間が取材を受けたら 前略、塀の上より(20)|高橋ユキ

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webゲンロン 2024年12月26日配信

 ある出来事がきっかけで、11月から大量の取材依頼が私に舞い込むことになった。今回はそれにまつわることを書きたい。

 

 兵庫県内で発生し、長く未解決状態にあった女児殺人・刺傷事件について、11月6日の神戸新聞がスクープしたのは、服役中の45歳男が関与を認めているという衝撃的な内容だった★1

 男がこの当時認めていたのは、2006年9月に兵庫県たつの市で小学4年の女児が刃物で刺されて重傷を負ったという殺人未遂事件(以下、たつの事件)と、2007年10月に同県加古川市で小学2年の女児が刺殺されたという殺人事件(以下、加古川事件)のふたつだった。記事が出た翌7日、男はまず、たつの事件の容疑者として逮捕される。さらに同月27日には加古川市事件で再逮捕された。12月11日からは、責任能力の有無を調べる鑑定留置が始まっている。

 神戸新聞のスクープが衝撃的だったのは、もちろん「長年未解決だったふたつの事件がいよいよ解決する可能性を見せた」ことが理由のひとつである。しかし、私としては、それよりも「本当に逮捕されることになったのか」という気持ちの方が大きかった。なぜなら男は逮捕前である夏から、私に対して事件を認めていたからだ。

 私はいろんな刑事裁判を傍聴したり、事件を取材したりして記事を書いている。そのため、当事者に話を聞くために獄中取材を行うことももちろんある。その男、勝田州彦くにひこ(45)は私が3年にわたり文通をしていた相手だった。やりとりが始まったのは2021年11月。彼は2004年9月に岡山県津山市で小学3年の女児が殺害された事件(以下、津山事件)に関与したとして2018年に逮捕され、殺人などの罪に問われた。手紙が送られてきたのは、岡山地裁で津山事件の裁判員裁判が行われていた時期にあたる。逮捕される際も、実は彼の身柄は刑務所にあった。兵庫県内で女子中学生をナイフで刺したという殺人未遂罪で懲役10年の判決が確定し、服役していたためである。同種前科は他にも複数あった。

 意味が分からなければググってもらいたいが、服役中の逮捕であったため、彼の立場は被疑者や被告人であると同時に受刑者である。扱いとしては後者が優先されるため、面会は制限され、文通のみでのやりとりとなっていた。また彼はその津山事件について逮捕当初は犯行を認めていたものの、のちに否認に転じる。一審の無期懲役判決を不服として控訴、上告し、これらが棄却され2023年に刑が確定しても、再審請求への意欲を見せていた。

 こういった経緯や彼の過去、手紙の内容についてはいくつか記事に書いたのでそちらをお読みいただきたい。

【独自】「ワタクシがやったんですよ」…たつの女児刺傷「勝田州彦」が“直筆手紙”で告白 2つの“未解決事件”で「真犯人として逮捕される予定です」
(『デイリー新潮』、2024年11月8日。URL= https://www.dailyshincho.jp/article/2024/11080602/?all=1
 
【独自】「良くて無期懲役、悪くて死刑のレベルですね」…女児刺傷「勝田州彦」が手紙に綴っていた逮捕直前の“自供”内容
(『デイリー新潮』、2024年11月8日。https://www.dailyshincho.jp/article/2024/11080603/?all=1

 今年の夏から秋にかけて、私は彼から唐突に、たつの事件と加古川事件について関与を認める手紙を受け取った。津山事件を認めていない彼に、他の事件についての疑いをぶつけることはいかがなものかという考えから、これまで3年間、(報道関係者のあいだでは勝田の関与が囁かれていた)両事件について本人に問い質したことはなかったにもかかわらず、である。そのうえ、それまで認めていなかった津山事件の関与までも認めてきた。

 当時はとにかく驚いた。だが、事件を認めることにした心境の変化や事件で何をやったのかを詳しく聞こうとしていた矢先、勝田の身柄は徳島刑務所から神戸刑務所へ移送された。そして、11月6日の神戸新聞のスクープで彼が逮捕されることを知ることになる。彼が逮捕前に手紙で複数の事件を認めてきたことを、私は秘密にしていた。勝田は津山の殺人事件をずっと認めていなかった。突然別の事件を認めるということについて、カジュアルな言葉を使えば、ほんとかよ、という半信半疑の気持ちがあったことが理由の一つだ。しかし神戸新聞のスクープによって、逮捕されることがはっきりした。ここでようやくXにて、彼から受け取っていた手紙のことを発信したのだった。慌ただしい日々が始まってしまうとは露ほども思わずに……。

 

 このとき、私は居住地の東京ではなく仙台にいた。2023年4月に宮城県柴田町で起きた殺人事件を梅雨の頃から取材しており、前日からようやく裁判員裁判が始まっていたためだ。ホテルで寝ていた早朝、スマホのニュース速報で勝田が逮捕間近であることを知ってすぐにXに「男とは文通を続けていまして、私の手紙にも先日突然、たつの市と加古川の事件を認めてきました。>rp」とポストし★2、そのあとは歩いて地裁に出向き傍聴していた。閉廷後の夕方に東京行きの新幹線に乗り、のんびりとパソコンを開いたところ、SNSに公開しているメールアドレス宛に、取材依頼がいくつも届いていたことにようやく気づいた。

 公開用のアドレスの宿命であるが、通常、この宛先に届くメールの9割9分はスパムである。PayPayのキャンペーンだとか、銀行からのお知らせだとか、メールをクリックさせて怪しいURLを踏ませようと躍起になっているメールばかりだ。そのなかに、いきなり複数の取材依頼メールが来ていたことにも驚いたのだが、もっと驚いたのは、これが新聞社やテレビ局、通信社からのものばかりなことだった。フリーライターはその名の通り、どこにも属さずに活動している、なんの後ろ盾もない、吹けば飛ぶような立場である。新聞社やテレビ局の殿上人が、フリーライターの発信を取材したいなどというのは異常事態だ。このとき改めて、自分の受け取っていた手紙が大きな意味を持つものとなったことを理解した。

 11月6日から同月末にかけ、本件について取材依頼が来たメディアの数を振り返ってみたら12社だった(人を介して届いた依頼も含めればもうすこし増える)。とくに最初の数日は立て続けに依頼メールが届き、どうしたものかと考え込んでしまった。新聞社や通信社の取材を受けることはボランティアであり、依頼に応じるために割くことのできる時間も労力も限られている。方針を決めなければ立ち行かなくなるだろう。なにより、彼から受け取った手紙について、私自身が記事にする前に報じられてしまうのは、当然ながら避けたい。原稿を書いている間、少し待ってもらいながら、どこの社の依頼を受けて、どの情報を出して、何を出さないかを決めることにした。まず物理的に時間がかかり、伝え方によっては誤解が生じる可能性のあるテレビは一律NGと決め、次に「それまでに津山女児殺害事件を取材していたか否か」という視点で、メディアを選ばせてもらうことにした。事件の性質上、取材依頼は関西の記者さんからのものが多かったので、この条件で見れば受ける取材は自ずと絞られてくる。こうして、唯一条件を満たしていた読売新聞の取材を受けることに決めた。

 単純に人として、頼み事をされれば、役に立ちたいという気持ちが生じてしまう。そのうえ、取材を断られて困ってしまう気持ちはとてもよく分かる。だからなるべく取材には応じたいと思ってしまうのだが、今回は数を見ても全てに応じることは不可能だ。一社に応じたら、もうそれで終わりになるだろう、そんなふうに考えていたところ、読売新聞の記事が出てからなんと依頼が増えてしまった。周りの記者仲間に愚痴をこぼすと「あそこが応じたならウチも、となるでしょ」と、言われてみれば当たり前のことを指摘されてしまった。なので、次に設けた条件「自分が購読している新聞社」に当てはまった複数の新聞社の依頼に応じた。

 いっぽうこの頃、私は徐々に、次から次へとやってくる依頼について熟考し、返信したり、対応したりすることに疲れてきていた。大げさではなく、最初から弁護士同席のもと記者会見を開いていれば、取材は一度で済んだのかもしれないという後悔すらある。私も取材をする立場の人間なので、取材を受ける立場になれば、相手が何を求めているのかうすうす分かる。「勝田州彦の手紙」を、どこよりも早く掲載したい、あるいはウチだけ落としたということがないようにしたい、そんなところなのだ。取材対応に疲れすぎてXで吠えたりもした。ヤバい中年女というパブリックイメージを確立させて依頼が来ないようにしたいと本気で思っていたからだ。

 こういうときに、届いた取材依頼メールを改めて見直すと、勝手な想像をしてしまう。きっと彼らは現場の記者で、上から「絶対話取れよ!」なんて、すごく強く命じられて慌てて私にメールを送ったんじゃないか。――これはもちろん想像なのだが、文面が非常に簡素で、なぜ取材をしたいのかが全く書かれていないメールも多々あったため、そんな想像すらしてしまった。メールを送ってきた本人が勝田の手紙の内容を知りたいわけじゃなさそうな匂いが漂っているのだ。それにしてもフリーランスの自分が取材先に送ったら怒られそうな文面だな、と思った。彼らは会社という名の下駄を履いていることに無自覚なのかもしれない。私が断ったことで彼らは上司に怒られるんだろうか。などといった想像までめぐらせてしまうのだが、よくよく考えてみたら、私が取材に応じる必要は別にない。

 断るということは意外と疲れる。立て続けの取材依頼を断るという行為に疲弊しながら、取材に応じると決めた社には応じ、今に至る。掲載された記事には高橋ユキさん(50)と年齢まで出てしまったが、この一ヶ月で疲弊して、気分は高橋ユキさん(100)である。どこの社かは言わないが、やりとりのなかで手紙を「掲載できない」と言われ、一度だけキレた。頼み事をしてきたほうが何を言っているのか? そもそもこっちは掲載してくださいなんて一度も頼んでいない。傲慢さが骨の髄まで染み込んでいるのだろうと思った。彼らにはフリーランスはこういう言動を一番嫌がると知っていてほしい。さらには当日午後に夜の出演依頼をしてきた社もあった。物理的に無理である。

 メディアの人間は、その取材姿勢を褒められることがほとんどない。今回の取材騒動で私自身がそれを再確認した。なので最後に書いておきたいのは、今回の読売新聞の記者さんの対応だ。メールに取材の目的や質問事項等がしっかりと記載されており、こちらも話す内容を事前に考えて臨むことができたうえ、最初から最後まで、とても丁寧に接してくださった。また勝田からの手紙のうち、私が公開すると決めている部分を超えて「見せてほしい」などと言われることもなかった。何より私はそれが一番安心できた。そして今言えないことを深く追及しようとすることもなかった。掲載用の写真をその場で確認できたことも、あとあと手間がないうえ、安心できた。とにかく安心感が半端なく、これは取材者への信頼につながることを実感した。物理的なフットワークの軽さにも敬服している。今後、自分が取材する際にも真似したい、参考にさせてもらいたいと思うような記者さんだった。

 


★1 「17年前の女児殺害、45歳男が関与認める 事件当時、現場の加古川在住 岡山で別の女児刺殺し服役中」、『神戸新聞NEXT』、2024年11月6日。URL= https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202411/0018309684.shtml
★2 URL= https://x.com/tk84yuki/status/1853933875715813773

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

1 コメント

  • TM2024/12/30 14:56

    取材する側がされる側になる。その希有な体験がとても興味深かったです。 結局高橋さんがどういう人なのかという点に意識を持った取材が読売新聞のそれだったのかもしれません。 フリーのライターである高橋さんにとってきついことを避け、信頼関係を築けたのは、読売新聞の記者自体、高橋さんを単なる記事の源としてではなく記者としての高橋さんにリスペクトを持って接していたのではないでしょうか? こうした取材の心得みたいなものはよく言われることではあるかもしれないけれど、沢山の取材依頼の中でそれができたのが1社だけというのがマスメディアの現状を晒しているようにも感じました。

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