東京・西新宿タワマン殺害事件 容疑者に同情し「因果応報」と世界に向けて発信する者たちの加害者的視点 前略、塀の上より(13)|高橋ユキ

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webゲンロン 2024年5月23日配信

 主に殺人など凶悪事件の裁判を傍聴して20年目になる。傍聴回数は年によって異なるが、少なめに見積もれば年100回程度。通算1900回ほど傍聴してきた。

 普段はこんな胡散臭いSNSプロフィールのようなアピールはしないが、今回、初っ端から数を押し出してみたのには理由がある。面白いことに人は数にひるむ傾向があるためだ。傍聴回数を記すことで、私はこれから書くことについて権威性を持たせようとしている。「これだけ傍聴してきた人が言うことだから、そうなのだろう」と思ってもらおうという魂胆だ。

 人は凶悪事件のニュースには慣れているが、自分がそれに巻き込まれるとは思っていない。そのため凶悪事件は「何か特別な人」が巻き込まれるものであり、またそれには「巻き込まれるだけの理由があったのだろう」と思いがちだ。しかし法廷で数多の凶悪事件裁判を見ていると、実際はほとんどがそうではないことが分かる。被害者は会社帰りの社会人だったり、またバイトに勤しむ大学生だったりと「我々と変わらないどこにでもいる人々」が突然命を奪われる。映画でも小説でもなんでもない。家に帰ると見知らぬ男が家にいて、突然強姦されたうえに殺害されるということが実際にある。

 裁判では被害者が当時着ていた血のついた着衣や、現場となった自宅の見取り図、凶行の後に撮影されたと思しき現場写真、そして被害者がどのような傷を負ったのかという写真やイラストなどが証拠として取り調べられる。亡くなった被害者の家族が陳述を行い、生きていた被害者との思い出を涙ながらに語る。雪崩のように迫り来る情報は、これは現実に起こったことなのだという強い実感を否が応でも持たせる。裁判を傍聴すると、より事件を現実のこととして受け止めるようになるため、SNSで事件に言及する際もおのずと、関係者が目にすることを想像するようになる。

 そんな毎日を送っていれば、凶悪事件とは必ずしも「特別な人」が巻き込まれるわけではないことや「巻き込まれるだけの理由」がない場合があることも知っているのだが、ニュースだけでそれを見聞きする人々は、被害者は「特別な人」で、「巻き込まれるだけの理由があった」から、命を落としたのだ……と思い込む場合がある。最近起こった凶悪事件のニュースでその思いをまた強く持った。

 

 今年の5月8日、東京都新宿区西新宿のタワーマンション中庭で、住人の25歳女性が神奈川県川崎市に住む51歳の男に刺された。殺人未遂容疑の現行犯で逮捕された男は、果物ナイフ2本を持って現場マンション付近で女性を数時間待ち伏せしたのち、コンビニに来た女性に声をかけ、腹や首など複数箇所を刺したという。女性は病院に搬送されたが死亡した★1

 

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

1 コメント

  • qpp2024/05/27 15:00

    以前裁判の傍聴に行った時にも感じたけど、 加害被害は簡単に逆転する。 大人になっても人は弱く、欲は捨てられないし、 悪意がなくとも多くのことは思い通りにはいかないし、 現実は、一般的に見える人の中でもとても複雑。 人間関係、特に恋愛感情が絡むものについて どちらかが一方的に悪いということは簡単には言えないと思うけれど、殺すのは絶対にだめ。 加害者に必要なのは同情よりも償いで、 罪は「理由があればしてもいいもの」ではなく「してはいけないもの」として心に置き、 自省をしながら償いをした先にこそ 赦しがあるのだと思います。

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