聖なるルーシと狂った夢──戦時下のロシアから|大崎果歩

モスクワではとうに初雪が降り、寒さも厳しい初冬のことだった。市内を移動しようとタクシーに乗ると、中年の運転手がさっそく話しかけてきた。モスクワの運転手はよくしゃべる。「どこの国から来たのか?」「働いているのか? 留学か?」
タクシーでのおしゃべりは、街で働く見知らぬ人の声を聞ける貴重な機会だ。
私が「日本から来て、大学院でロシアの言葉と文化を学んでいる」と答えると、運転手は突如、妙な話を語り出した。
「あと10年もすればな、世界中の国境は消滅して、世界中の人々はお互い愛しあって、抱擁しあって、踊って、そうして世界中がロシア語を話すようになって、日本はロシアの領土になるんだ。だからあんたはロシア語を勉強していて正解だったな!」
なんという未来! 博愛的なユートピアの到来を予言したかと思ったら、話はシームレスにロシアの世界支配へと飛んでいった。
運転手は上機嫌で、悪意は全然なさそうだった。
2021年11月、ウクライナ侵攻が始まる3カ月前のことだった。
コロナ禍と戦争下のロシア留学
私は4年間モスクワに住んでいた。期間は、2017年秋から1年間、2019年秋から1年間、そして2021年10月から2023年12月。目的は、ロシアのキリスト教を学ぶことだった。
日本でキリスト教といえばカトリックかプロテスタントがまず思い浮かぶだろう。だが、ロシアでの主流は11世紀にカトリックと袂を分かった東方正教だ。私が留学先に選んだのは、聖チーホン正教人文大学という、モスクワの中心部にある正教研究が活発な大学だった。
なぜロシア留学なのか。そもそもは、大学でソ連の思想と歴史を学びたくて、第二外国語としてロシア語を選んだのが始まりだった。そこからドストエフスキーやトルストイなどのロシア文学に接し、その思想の根底にあるキリスト教に惹かれるようになった。たとえば、ロシア文学には多様なだめ人間が登場する。ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくる、極貧のなか娘が家族のために身体を売って稼いだ金まで飲み尽くすアルコール中毒の父親はその筆頭である。そんな人間の弱さが、神の大いなる憐れみのなかで逆説的に光る。私は、その魅力的な思想の源をもっと知りたいと思ったのだ。
ロシアのキリスト教とはどういうものなのか? 本で知るだけでなく、実際にその環境に飛び込んで、ロシアの正教徒の生活や文化、価値観を学んでみたい。そんな願いから、モスクワへ留学したのである。
2017年に留学を始めたころ、モスクワの発展は勢いに満ちていた。しかし、2020年春にコロナ禍が世界を襲い、生活は一変した。追い打ちをかけるように、2022年2月にはロシアのウクライナ侵攻が始まった。留学を決めた当初には想像もしなかった状況に直面することとなった。
ウクライナ侵攻開始時、たくさんの日本人がロシアを離れた。外務省「海外在留邦人数調査統計」によると、すでにコロナ禍の前後でロシアに在留する日本人の数は13%ほど減っていた。そこに侵攻が追い打ちをかけた。2021年には2,202名いたのが、翌年には1,321名にまで減少している。わずか1年で、4割の日本人がロシアから去ったことになる。ちなみに、2025年時点でアメリカに41.6万人の日本人が在留していることを考えると、ロシアにいる日本人がいかに少ないかがわかる。そうした状況下、ウクライナ侵攻開始時と、その後しばらくの間をモスクワで過ごした数少ない人間の一人として、その記録を書き残しておきたいと思う。
本稿ではまず、正教とその文化の基本的な側面を紹介する。そのあとに、ふたつのテーマについて触れたい。
ひとつめのテーマは、組織としてのロシア正教会の動きについてだ。ロシア正教会のトップであるキリル総主教が「一なるルーシ」を唱え、プーチン政権下のウクライナ侵攻を思想面から支えてきたことはよく知られている。侵攻開始前後で、ロシア正教会にはどんな変化が見られたのか。私が実際に見聞きしたことを紹介したい。
ふたつめは、ロシアで出会った人々の暮らしや考え方についてだ。モスクワでの日常のなかに、いかに戦争が混ざり合ってきたのか。当時のモスクワの空気を、少しでも伝えられれば幸いだ。
正教とは何か
ロシアのキリスト教といえば、東方正教だ。いまの正教圏は、4世紀、ローマ帝国が東西に分かれたときに東側のビザンツ帝国となった地域を起点としている。その後、東西教会の分裂は徐々に進み、カトリックと東方正教として別々の道を歩むようになる。現在、東方正教は、ギリシャや東欧、ロシアに多くの信徒を有している。
ロシア正教会の歴史は、現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシの源流であるキーウ・ルーシが、10世紀末にビザンツ帝国からキリスト教を受け入れたことから始まる。ロシア帝国時代、正教はロシアの国教であった。
正教会は日本にもある。御茶ノ水のニコライ堂をご存じだろうか。日本では稀有なビザンツ建築として国の重要文化財にも指定されているニコライ堂(東京復活大聖堂)は、ロシア正教会を母教会とする日本正教会の代表的な聖堂である。
日本では、19世紀にロシアから来た宣教師ニコライによって正教が広められた。日本におけるキリスト教徒の割合は全体の0.7%だが、正教徒はその全キリスト教徒のさらに0・7%、人数にして約9,000人だ[★1]。
翻ってロシアでは、人口の73%が正教徒だ[★2]。とはいえ、信仰の熱心さには幅がある。日本で、仏教徒といっても葬式でしか仏教に触れない人が少なくないのと同じで、ロシアでも、幼児洗礼を受けただけで正教についてほとんど知らない人もいれば、熱心な教会生活を送る人もいる。とある調査では、正教徒のうち、年に数回教会へ通うと答えた人が4割、毎週通っていると答えたのは3%だという[★3]。ソ連時代には宗教が弾圧されていた。それゆえ、年配の人からは、ソ連崩壊後、成人してから洗礼を受けて教会へ通うようになったという話もよく聞く。
教会生活と食事
正教では、土曜の夜と日曜の朝に奉神礼(礼拝)に行くことが勧められる。もっとも、奉神礼自体は毎日ある。ロシアの街の聖堂なら、朝と晩にそれぞれ2時間程度、修道院ではもっと長時間だ。土日のほか、教会暦上重要な日にも、奉神礼に参加することが推奨される。
教会との関わり方は人それぞれだ。教会によく通う信者は、きまった神父を「霊的な父 духовный отец 」(いわゆる聴罪司祭)として慕い、自らの罪を告白し、また精神生活や日常での悩みを相談して、道を示してもらうことがある。
正教では、斎と呼ばれる食事規定もある。キリストの受難を記憶する日などに、肉、乳製品、卵、魚を口にしないという決まりだ。1日だけのときもあれば、1カ月以上にわたるときもある。長期の斎として代表的なのは、復活祭前の48日の斎や、降誕祭(クリスマス)前の40日の斎だ。
そんな冬の時期、ロシアの友人がキュウリとトマトのサラダの写真を添えて、SNSにこんな投稿をしていた。「斎の時期は喜びです。夕食に何を作ろうか、あれこれ考えなくていい。そのかわり、その分の時間を、祈りに費やすことができるのです」。
正教徒としてはめずらしくない、模範的な考え方だ。しかし、極寒のロシアの冬、私などは食こそが塞ぎの虫への対抗手段だった。肉を食べて憂鬱に抗い、こってりしたクリームスープを飲んで温まりたい、そんな欲望にとらわれる。そうしたなかで、この制限に喜びを感じている彼女に尊敬の念を抱いた。新約聖書に書かれている言葉を思い出す。「「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。[……]何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイによる福音書 6:31-33)[★4]。まさに聖書のとおりの精神だ。
倫理観についても印象的な会話があった。ある老主教は、ソ連崩壊後の混乱期、人々に倫理を教え、精神面でロシアを再建したのは正教なのだという自負を私に語った。またあるとき、若い神父から日本の宗教事情を尋ねられた。私は、「日本では、聞かれれば仏教徒だと言う人は多いけれど、教義を深く知って真剣に信仰している人は少ない」と答えた。すると彼は重ねて尋ねる。「もし宗教を信じていなかったら、倫理はどこからくるのですか」。
絶対者が不在でも、人と人との関係のなかで倫理が作り上げられる日本の世の中に慣れていた私の耳に、その質問は新鮮に響いた。
ちなみに、その若い神父は大学寮の担当でもあり、キリスト教精神の豊かさを体現するような人物だった。あるとき寮のキッチンで、ちょっとした問題が起きた。たまに個人の食料が消えるのだ。学生のひとりは食料泥棒を非難し、監視カメラをつけるべきだと主張した。そのとき神父は提案した。「だれかが、お金がなくて食べるのに困っているのかもしれない。キッチンにフードバンクの箱を作って、食料を寄付できるようにしよう」。
その後、キッチンには寄付用の箱が設けられ、食料消失問題が議題に上がることはなかった。
ロシアで正教聖歌を学ぶ
そんなロシアで、私は神学研究科の博士課程に所属しつつ、その大学の聖歌学部が社会人向けに開講している聖歌・聖歌指揮コースにも通った。このコースは、ただ歌の練習をするだけではない。ロシア正教会の奉神礼の構成はとにかく複雑だ。365日、毎日異なる聖人に祈りを捧げ、さらに曜日や時間によっても奉神礼のテーマが変わる。それゆえ、このコースの主眼は、歌の技術を学ぶことよりも、むしろ毎日変化する複雑な奉神礼の構成や、それぞれの祈りの意味を学ぶことに置かれていた。
正教の奉神礼とはどのようなものだろうか[図1]。私は日本のプロテスタントの教会で、日曜礼拝の際、信徒がギターを奏で、自由な言葉で陽気に神への賛美を歌うのを見たことがある。そういったスタイルとは、正教はまるで違う。

まず、楽器は使わない。声だけだ。これが正教聖歌の大きな特徴である。さらに、祈祷文には厳密な決まりがある。原則として、自分の言葉で作った祈りを自由に挟むということはない。
さらに、ロシア正教会の奉神礼は、教会スラヴ語という、ロシア語の源流となった古い言語で行われる。ちょうど、日本人が古文を読んで意味を正確に理解するのは難しいと感じるように、ロシア語話者が、教会スラヴ語の祈祷文を読んで正確に内容を理解するためには、そのための勉強が必要となる。
もちろん、多くの人が内容を理解できるように、現代ロシア語に切り替えるべきだと主張するロシア人もいる。だが、ロシアに留まらない、地域や時代を超えたスラヴ圏の共通言語で祈ることが、かの地の正教徒の精神的一体性にとって欠かせない、という価値観が根強くあるようだ。
奉神礼には、読む部分と歌う部分がある。この歌う部分を担うのが聖歌隊だ。教会によっては、プロの歌手を聖歌隊として雇っているところもある。けれども大多数の教会では、普段からその教会に通う信徒がアマチュアの聖歌隊を構成している。
祈祷文そのものは厳密に定められている。だが、その祈りをどのようなメロディに乗せて歌うか、そこには多くの選択肢がある。中世ロシア的なものもあれば、西欧音楽風のものもある。聖歌指揮者がその日の奉神礼の内容や聖歌隊員の技量をみて、その教会でよく用いられるレパートリーのなかから適切なものを選択するというのがよくあるやり方だ。
ロシア聖歌といえば、20世紀を代表する作曲家ラフマニノフの「徹夜祷」が日本でも有名である。ほかにも、チャイコフスキーやボルトニャンスキーなど、名だたる作曲家が正教聖歌を手がけ、豪華で荘厳な作品を残してきた。
こうした西欧音楽の影響を受けた華やかな聖歌は、楽譜も複雑で、歌う側には高度な技術が求められる。そのような事情もあって、いわゆる「作曲家もの」の聖歌は、通常の奉神礼ではあまり用いられず、教会よりもコンサートの場で耳にすることのほうが多い。
神を賛美するなら、壮麗であればあるほど良いのだろうか。実際には、そのような「コンサート」的な聖歌が必ずしも好まれるわけではない。著名な作曲家が作った華麗な聖歌がある一方で、もっと昔から受け継がれてきた、作者不詳の「モスクワ旋律」「キーウ旋律」「ギリシャ旋律」といった素朴な旋律の聖歌も存在する。歌うのは作曲家ものほど難しくないが、四声が重なりあったときの響きは驚くほど美しく、心を揺さぶるようなものになる。街の教会でよく歌われるのはこちらのほうで、聖歌コースで学ぶのもこちらだ。
教会生活に親しんでいる信徒からは、次のような意見がよく聞かれる。「我々は教会へ祈りに来ているのであって、コンサートを聴きに来ているのではない。歌そのものに気を引かれてしまうような複雑で華やかな聖歌は、むしろ祈りの妨げとなることがある。それよりも、自分も心のなかで一緒に歌えるような、伝統的で素朴なメロディのほうが好ましい」と。
ウクライナ侵攻前後の正教会の動き
ここまで、正教の教会生活や聖歌について見てきた。ここからは視点を変え、ウクライナ侵攻前後に見られたロシア正教会の動きとして、3つの話を紹介したい。ひとつめは、奉神礼における「聖なるルーシの祈り」の義務化、ふたつめは「ロシア大統領のための祈り」の存在、3つめはロシア軍主聖堂についてだ。
1 奉神礼における「聖なるルーシの祈り」の義務化
2022年9月25日、ルーシの勝利を願う「聖なるルーシの祈り」[★5]が、キリル総主教によって公表された。侵攻開始から7カ月後、部分動員が最初に発表された週の日曜日のことだった。すぐさま、総主教の祝福によって、この新しい祈りを、ほぼ毎朝行われる聖体礼儀、つまり最も重要な奉神礼に組み込むべきだとの通達がなされた。
この祈祷文も教会スラヴ語で書かれている。内容を見てみよう。
まず、戦争を望む者たちが聖なるルーシに対して武器を取って立ち上がったこと、彼らが一なるルーシの民の分裂と滅亡を望んでいるということを神に訴える。そして「神よ、立ち上がってあなたの民を助け、あなたの力によって私たちに勝利を与えてください」と願う。続いて、権力者に善と知恵を、兵士に神の支えを、戦争で苦しむ者に癒やしを、戦没者に罪の赦しと安息を与えるよう求め、最後に、「聖なるルーシのすべての国」に再び平和と一致がもたらされるようにとの祈りで締めくくられる。
ここで言う「聖なるルーシのすべての国」とは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシを指す。プーチン政権やロシア正教会は、この3国をロシア語と正教を共有するひとつの民族文化圏「ロシア世界(ルースキー・ミール)」と呼んでいる。そこには、ウクライナを独立した主権国家としてではなく、ロシアの勢力圏に従属する存在とみなす視点が透けて見える。
ロシアの源流は、9世紀に北東ヨーロッパに生まれた最初の東スラヴ国家、キーウ・ルーシにあるとされる。この大公国は、10世紀末にビザンツ帝国から正教を受容したが、13世紀のタタールのくびきによって消滅した。その後、ルーシの伝統を継承したのはモスクワだと、ロシア側は位置づける[★6]。こうした歴史観に立てば、古くから「ルーシ諸都市の母」と呼ばれてきたキーウは、ロシア世界の源流をなす不可欠の要素となる。
そんなキーウを首都とするウクライナで、反ロシア勢力が台頭し、欧米への接近を強めることは、ルーシの一体性を壊す行為と捉えられる。ウクライナはロシアに戻るべきだ──こうした論理を、プーチン大統領は侵攻開始以来繰り返し主張してきた。
つまり、この祈りを唱え、ルーシの一致を望む側の勝利を祈ることは、現在のロシア政府の行動を支持するということを意味する。
この祈りは、実際の教会でどのくらい唱えられているのか。唱えずに済ますことは可能なのだろうか。
とある報道によると、著名な神父が、奉神礼でこの祈りの朗読を拒否した。また別の神父は、苦肉の策として、「私たちに勝利を与えてください」という箇所の「勝利」を「平和」と言い換えた。その結果、彼らは告発され、聖職位剥奪の処分を受けたという[★7]。聖職位を剥奪されると、国内のどのロシア正教会の聖堂でも神父として勤められなくなる。すなわち失業を意味する。彼らはのちにモスクワ総主教庁からコンスタンティノープル総主教庁に移ることができたが、すべての神父が移籍できるわけではない。この祈りは、まさにウクライナ侵攻に対する「踏み絵」となっている。
とはいえ、これら一連の出来事は、ロシア正教会信徒の大多数がウクライナ侵攻を支持し、ロシアの勝利を祈っていることを意味してはいない。たとえ信徒の多くがこの神父の行動を支持していたとしても、参祷者のなかにひとりでも過激な侵攻支持者がいれば、この「問題行動」が上に報告されて、処罰されてしまう。つまりこれは、神父には、説教のなかでウクライナ侵攻を批判するような言論の自由がないどころか、強いられた祈りを唱えないという消極的な抵抗の自由すらないということを表しているのだ。
2 「ロシア大統領のための祈り」のチラシ
2022年6月14日、私はモスクワから車でサンクトペテルブルクへ旅行し、近郊の島クロンシュタットにある海軍大聖堂(Морской Никольский собор)を訪れた。この大聖堂は、白を基調とした堂々たる装飾と、聖歌隊の並外れて美しい響き、そして軍事色の強さが印象的であった。聖堂には、碇を模した屋根の金模様、聖アンドレイ十字と呼ばれるロシア海軍旗が描かれた王門の幕、ロシアの各艦隊に関するパネルなど、随所に海軍を象徴するデザインや展示がちりばめられていた。
そんな聖堂の入口付近で、プーチン大統領のための祈りを書いたチラシを見つけた[図2]。A5サイズで、表には「ロシア大統領のための祈り」という題と大天使ミハイル(ミカエル)のイコンが、裏には祈祷文が刷られている。私は正直ぎょっとした。戦争が始まると、侵攻支持がこんな形でも表れるのか、と暗い気持ちにもなる。けれど、チラシが机の上に無造作に置かれ、ロシアの人々にはあまり見向きもされていない様子を見ると、それもまたこの戦時下の空気を表しているように感じた。

そのチラシには、どんな祈祷文が書かれていたのか。内容を紹介しよう。
主なる神よ、大いなる王よ、初めなき方よ、主よ、あなたの大天使ミハイルをあなたの僕ウラジーミルの助けに遣わし、彼を目に見える敵と見えざる敵から取り去ってください。おお、主の大いなる大天使ミハイルよ、悪魔を打ち砕く者よ、彼と戦うすべての敵を脅かし、敵を羊のようにし、風の前の塵のように彼らを打ち砕いてください。
こうした祈祷文が5つほど続く。要するに、大天使ミハイルに、ウラジーミル──つまりプーチン大統領の守護と勝利を願うものだ。
大天使ミハイルは聖書に登場する天使で、正教だけでなくカトリックでも天の軍勢の長として古くから崇敬されている。そのミハイルに向けられた「ロシア大統領のための祈り」は、現代に誰かが即興で書いたものではなく、16世紀から伝わる定型の祈祷文だ。文中には守護を願う人物の名を入れる空欄があり、そこに任意の名前を当てはめて唱える仕組みになっている。今回のチラシでは、その欄に「ウラジーミル」が差し込まれていた。
私は当初、これはウクライナ侵攻後に作られた祈祷文だと考えた。内容が軍事上の加勢を願うものだったからだ。しかし予想に反して、この祈祷文は、2004年にはすでにインターネット上に存在していたことがわかった。プーチン大統領を支持する団体が、インターネット初期から自らのウェブサイトにこの祈祷文をアップし、大統領に熱烈なラブコールを送っていたのだった[★8]。
プーチン大統領を名指しした祈りを見たのははじめてだった。だが、為政者のための祈り自体は、正教会の毎日の奉神礼に含まれている。
たとえば、現代のロシア正教会では「神によって護られている我々の国、その政府と軍のために主に祈らん」という祈祷文が繰り返し読まれる。この箇所は、ロシア革命前の祈祷書では、皇帝一家のための祈りだった。日本正教会では「我が国の天皇及び国を司る者の為に主に祈らん」と言う。ここで政府よりも天皇が前に出ているのは、明治時代にロシア革命前の祈祷書をもとに日本語訳が作られ、それを今日でも使用していることが影響しているのだろう。
これは、為政者を神のように崇める祈りではない。この祈りの勧めは、新約聖書にも書かれている[★9]。もともとは、為政者が神から与えられた責務を果たし、平和な統治を行うよう、神の守護を願うものだ。このことは、聖体礼儀において、聖変化の直後に司祭が唱える祈祷文からも知ることができる。「この霊智なる奉事を[……]神が護る我らの国ロシアとその民、国を司るすべての者に捧げます。主よ、彼らに平和な統治をお与えください。私たちが、彼らの平穏において、あらゆる敬虔と清廉とをもって、安らかで平和な生を送れるように」[★10]。とはいえ、ロシアの現政権について言えば、ロシア正教会のトップがプーチン政権に「平和な統治」を願っているとは思えないが。
3 ロシア軍主聖堂
2022年9月11日、私はモスクワ郊外にあるロシア軍主聖堂(Главный храм Вооруженных Сил Российской Федерации)を訪れた。これは、2020年5月9日、大祖国戦争(独ソ戦)の戦勝75周年記念日に完成した、ロシア正教会の巨大な聖堂だ[図3]。

聖堂の中心をなす円筒部の直径は19.45メートルで、8つの窓がある。その上を飾る円屋根の直径は22.43メートル。これは、1945年5月8日22時43分、ドイツの無条件降伏文書が調印された日時に由来する数字だ。中心部を囲む4つの円屋根の高さは14.18メートル。こちらは大祖国戦争が1418日間続いたことにちなむ。
外壁は、教会建築ではめったに目にすることのないオリーブグリーン色で、いかにも軍聖堂といった趣である。階段はドイツ軍の戦車を溶かして作られていて、歩くたび敗者の兵器を踏みしめる仕組みだ。とにかくいろいろな数値や意匠がナチス・ドイツへの勝利を記憶するものとなっている。これが夜になると、派手にライトアップされて夜空を背景に黄金にまばゆく輝き、昼間とはまったく違う印象となる。
この聖堂を囲むように「記憶の道」博物館が建てられている。展示通路には1日あたり1歩分の長さのタイルが敷かれ、大祖国戦争の1418日を1日ずつ追うことができる。展示室はソ連の兵器や実物大の戦場のジオラマ、そして無数の戦没者の顔で埋め尽くされている。大祖国戦争で亡くなった自分の親戚を、壁一面の顔写真のなかから探しにきていた入場者の姿も見られた。
博物館の最初の展示室は平和な日常に満ちている。だが次の部屋に足を踏み入れた瞬間、空気は一転する。壁一面がナチス・ドイツによる激しい攻撃の炎に包まれ、キーウなど、急襲を受けたソ連の諸都市名と攻撃時刻が並ぶ。いかに突然、ソ連がナチス・ドイツによる攻撃に晒されたかを劇的に描き出す構造だ。まったく同じことを今度はロシアがやっているではないか、これは1941年6月22日ではなく、2022年2月24日についての展示なのではないかと思うほどだった。
博物館を出て、軍主聖堂に入る。聖堂内部はオリーブグリーン色の壁と壮麗なモザイク画で覆われている[図4]。至聖所の紺青の天を背景に、黄金の輝きを放つイエス・キリスト像は、まるで天上からロシアの国と軍を守るかのような圧倒的な迫力に満ちていた。壁には軍事的主題のモザイク画が並ぶ。そのなかには、日本軍に対する勝利を描いたものもある。

構図を見てみよう。天には竜退治で知られる聖人ゲオルギイ。地には輝かしき勝利を成し遂げたソ連兵たちと、敗北したナチス・ドイツと日本の旗。その下には「東欧諸国の解放 ベルリンの戦い ファシストのドイツの降伏 軍国主義日本の粉砕」と刻まれている。一番上には旧約聖書の言葉──「戦いの勝利は兵士の数の多さによるのではなく、ただ天の力によるのみだ」(マカバイ記一 3:19)。通常、聖堂の壁にこんな生々しい戦争画を描くことはない。この軍主聖堂の存在はロシア国内でも激しい論争を巻き起こした。
こうした大聖堂は、地域の信者が日常的に通う聖堂とは趣を異にする。街の聖堂には、神父を慕って信者が集まり、日常的に神に祈りを捧げ、自分が大切にしている死者と生者の名を奉神礼で記憶し、聖書を読み、聖歌隊員として歌い、教会運営を支え、貧しい人に食事を分け与える──そんな場が数多くある。
私自身、ロシアでは正教精神に根ざした深い親切に、数え切れないほど助けられてきた。だからこそ、ロシア正教会のセンセーショナルな側面だけを切り取って「実態」だと示すことには抵抗がある。正教を含め、キリスト教には、世俗的な人間の想像を超えた徳を示す力が、たしかにあると思う。それが十数年関わってきた私の実感だ。それだけに、ロシア正教会が現政権を翼賛し、日々人々が戦争で命を落としている現実を、重苦しく思わずにはいられない。
ウクライナ侵攻はロシア社会を変えたのか
これまでは組織としてのロシア正教会の動きを紹介してきたが、ここからは、私が暮らしていたモスクワでの、周囲の反応に話を移したい。
2022年2月24日、ウクライナ侵攻が始まった日、SNSはロシアの知人たちの激論で埋め尽くされた。峻烈な非難の声も、「プーチンよくやった!」との声もあった。ウクライナとロシア両方にルーツを持つ友人は、両国に対する愛情と激しい衝撃を吐露していた。ネット上では反戦デモが組織され、集合場所の情報が飛び交った。
数日後、デモ参加者が次々逮捕されているという報道が飛び交い始めるのと時を同じくして、インターネットにさらなる規制がかかるようになった。FacebookやInstagram、Twitterは、まったく読み込めなくなった。しかたなくVPN(仮想プライベートネットワーク)を使うと、すこし遅いが無事接続できた。そのような状況は、帰国するまでずっと続いた。
ロシアではインターネットが規制されていて、政権に都合のいい情報しか見られないのではないかという懸念が、外国ではしばしば報じられる。だが実際には、見ようと思えば国外の情報にもアクセスできた。「ドゥームスクローリングдумскроллинг」という言葉が流行した。破滅的なニュースを延々と探してスクロールし続けることだ(думは「死」や「破滅」、「運命」を意味する英単語のdoomに由来している)。スマホ世代はみな、VPNを入れて気が滅入るほど情報を浴びていた。
その頃日本では、キーウ空爆が報じられていた。だが授業へ行くと、こう声をかけられる。「私はキーウに親戚がいるけど、親戚は何も起きていないって言っているから、そんな嘘のニュースに惑わされちゃダメだよ」。同じ教室内に並行世界が立ち現れているようで怖くなったのを覚えている。
ロシア即時撤退を求める国連決議に141カ国が賛成し、5カ国が反対したというニュースが流れた。それを見たクラスメイトは「我々にはまだシリアと北朝鮮がいる!」と叫んだ。本気だろうかと思った。
別の大学で受けていたロシア語クラスのグループチャットで、イタリア人留学生がメッセージを書き込んだ。「私はロシア人が戦争を望んでいないってわかっているからね。平和を祈ります」。すかさずロシア人講師が応じた。「ネオナチによって占領されたウクライナにいるロシア人がロシア軍によってついに解放されますように!」
私は、ウクライナだけでなく、ロシアの未来をも破壊するこの戦争には、周りのロシア人も皆反対しているものだと思っていた。事実、身近にも激しい反対を表明する人はいた。友人は愕然として、「今や世界にとって、ナチストとは我々になってしまった」と嘆いていた。だが結局、周りの人がどう考えているのか、自分にはわかっていなかったのだと思い知った。
「プーチン大統領を選んだのはロシア国民なのだから、その責任をとるべきだ」──そんな声は日本からも聞かれた。もっともであるとも思う。ただ、日本とロシアでは選挙に対する温度差があるようだ。ロシアの選挙について、何人もの知人がこう語るのを聞いた。「どうせ不正選挙なのだから投票なんて意味がない。上のことは上が好き勝手にやっていて、自分たちはプーチンなんて選んでもいなければ、こんなことはまったく賛成もしていない。ただどうしようもないのだ」。背景には、ソ連時代から続く政治的無力感があるのだと思う。
撤退と動員
もうふたつ、触れておきたいことがある。ひとつは撤退だ。
侵攻開始後、たくさんの欧米企業が撤退した。マクドナルドの跡地にフクースナ・イ・トーチカ Вкусно – и точка(「おいしい、以上」の意)が、スターバックスの跡地にスターズコーヒーが現れた[図5]。買収によって原材料や設備を受け継いだところもあるが、いずれにせよ二番煎じで出てきた国内企業は質も落ちそうに思われる。だが、名前のどこにもMがないのにモスバーガーのようなロゴが描かれたフクーソチカ вкус очка(フクースナ・イ・トーチカの略称。略すと「ケツ穴の味」の意になるとネット上で揶揄された)のポテトは、マックより太くホクホクしていてむしろおいしかった。

コカ・コーラとペプシが消えたあとには、雨後の筍のように多様なコーラ的飲料が出現した。撤退発表時には、あんな健康に悪いものはむしろ撤退してくれたほうがロシア人の健康に良いという声も聞こえたが、代替製品登場後もハンバーガーやコーラの人気は衰えなかった。
欧米企業の撤退には、ロシアの人々に生活レベルで侵攻への否を伝えようとする側面があったのではないか。けれども、ロシア企業がたちまちその穴を埋めたことによって、逆にロシア人の自信を強めたように見えた。「我々は意外にも、外国なしでもこんなに以前と同じようにやっていける」と。
もうひとつは動員のこと。戦争が始まって半年後、部分動員が始まった。膨大な数の若い男性が動員を逃れるためにロシアから出国した。
近所のスーパーに行くと、レジのおばちゃんが、暗い表情で商品をスキャンしながら、自分の息子が徴兵されたと同僚に話していた。客には一瞥もくれず、不安そうで、心ここにあらずといった感じだ。息子が徴兵されても、ただなす術なく出勤する。大日本帝国のように「万歳」で送り出すこともない。こうして、人々の生活は戦争によって蝕まれていく。
まったく違う反応を見たこともある。バイカル湖のツアーに参加したときのことだ。参加者に、若い息子を持つ母親がいた。娘を連れて来ていて、世間話のように言った。「もし息子が徴兵されたら、私も娘を連れて前線近くへ行って支援活動をするつもり」。
ただ、その口調には深刻さがまるでなかった。まるでピクニックに行くかのような調子で、愛国的行為に参加できることを楽しみにしているようだった。戦争への恐怖も、子どもを戦場に送る不安も、欠落しているように見えた。どうしてそんな調子で語れるのか、私にはわからなかった。
他方、今やロシア側がナチになったと嘆いていた友人は言った。「自分は何があっても兵役拒否する。強制的に連れて行かれても、ウクライナで誰かを殺すくらいなら自分が死ぬ」。
彼の妻も医療従事者で、動員される可能性があった。彼は言った。「もし妻に動員がかかったら、腕を折ってでも逃れようって昨日話し合ったんだ。そんなことをするのは本当に嫌だけど、人殺しに加担させられるよりはずっとましだ」。そんな会話が交わされる日が現実になるなんて、少し前までは思いもしなかった。
日本では、「侵攻開始時には黙っていたのに、いざ自分が戦場に送られるとなると逃げ出すのか」という批判も見かけた。だが、反戦デモに参加すれば、治安当局によって拘束され、長期勾留や警察による暴力、罰金、さらには最大15年の懲役刑が科される。部分動員令が発せられた2022年9月には、抗議デモで拘束された人々に、その場で軍の召集令状が手渡されることもあった。
こんな状況下では、反戦運動がどれほど困難か理解できよう。抗議の声を上げるには、国も仕事も家族も捨てて国外に移住するくらいの覚悟が要る。だからこそ、今もなお声を上げている人々が、どれほど大きな危険を背負い、どれほど多くの大切なものを犠牲にしているのか、その重みを想像する必要がある。
おわりに
冒頭の、モスクワで出会ったタクシー運転手の言葉に、当時の私はただ面食らうばかりだった。だが、今振り返れば、あれは彼ひとりの狂った夢ではなかったのかもしれない。日本がロシアの一部になるというのは極端にしても、ロシアが再びユーラシアの覇者となり、かつてのソ連のような超大国へ返り咲くことを夢見る人々は、たしかに存在する。ほかでもないプーチンもその一人だろう。
本稿では、ロシア正教とその文化を概観し、さらにウクライナ侵攻前後における正教会の動きと人々の反応をたどってきた。
今回の侵攻で改めて目の当たりにしたのは、ひとつの出来事に対してとる立場に違いがあるというよりも、判断の根拠となる「現実」そのものが人によってまったく異なるという事態だった。メディアが偽情報を故意に流し、あるいは人々が自分の信じる情報を正義感のもと拡散することによって、同じ場所にいながらまったく異なる並行世界が立ち現れる。誰もが発信できるインターネット上で、真偽を確認する間もなく情報の洪水が押し寄せ、分断が加速していく──これが21世紀の戦争なのだ。
異なる現実が立ち現れるのは、戦時下という特殊な状況に限らない。プーチンのロシアでは、すでに何年も前からこうした分断が広がり、戦争への土壌を形づくっていたのだろう。
そしてこの分断は、トランプのアメリカにも、現在の日本にも同じように立ち現れている。私自身もまた、他者の目には別の現実を生きる存在として映るだろう。分断が加速するなかで、異なる現実の住人と対話する方法について、いまだ答えを見いだせずにいる。
★1 文化庁宗務課『宗教年鑑 令和6年版』、2024年12月。URL=https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/index.html
★2 ロシアの独立系世論調査機関「レバダセンター」の2025年9月の調査による。URL=https://www.levada.ru/2025/10/28/religioznye-predpochteniya-rossiyan/
★3 ロシアの研究機構「SREDA」の2012年の調査による。URL=https://sreda.org/opros/43-kto-iz-rossiyan-postitsya-nosit-krestik-molitsya
★4 以下、本稿における聖書の引用は、『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、1987年)による。[ ]は引用者。
★5 「聖なるルーシの祈り」の原文は以下。URL=http://nbt.rop.ru/?q=texts/chin/634
★6 高橋沙奈美『迷えるウクライナ──宗教をめぐるロシアとのもう一つの戦い』(扶桑社新書、2023年)に、この一連の歴史的経緯が詳述されている。また同書は、モスクワ中心の歴史観に対抗するウクライナ独自の史観の存在についても指摘している点で重要である。
★7 Ксения Лученко. «Испытание молитвой. Какие перспективы у антивоенной части РПЦ» // CARNEGIE POLITIKA. 13. 02. 2024. URL=https://carnegieendowment.org/russia-eurasia/politika/2024/02/the-anti-war-faction-in-the-russian-orthodox-church-has-yet-to-find-its-voice?lang=ru
★8 2004年12月にはすでに「ロシア正教徒メセナクラブ」のウェブサイトに掲載されていることが確認できる。URL=https://web.archive.org/web/20041226204638fw_/http://www.rkpm.ru/molitva.html
★9 テモテへの手紙一 2:1-2。
★10 『主日奉事式』(日本ハリストス正教会教団、2014年、271頁)を参照しつつ、教会スラヴ語から訳出した。



大崎果歩
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