簒奪される空間体験|四宮駿介

うだるような暑さで限界を迎えていたお盆休み。帰省するでもなく、せめてどこか出かけようかとInstagramを眺めていた。きれいなカフェや体験型施設の写真やストーリーが流れてくる。いつからかそういったものが琴線に触れなくなってしまった。テンションをあげようと、とっておきのK-POPマイベストを爆音で流す。10年前ぐらいの写真から順にドロップボックスの奥深くを漁り始めた。長い休みになると、不思議と近過去を懐古したくなるのは人間の性だろうか。8年前の写真で目が留まった。建築学専攻の学生時代、単身でオランダはロッテルダムの設計事務所にインターンに行っていた頃のものだ。海外も一人暮らしも初めてで、翻訳アプリの入ったスマホを竹槍のように握りしめ、不安の中で暮らしていた時期だった。
目に留まったのは、アントワープのノートルダム大聖堂の側廊から、奥のステンドグラスを切り取った構図の写真であった。この場所を気に入って撮ったことは間違いない。しかし不思議なことに、『フランダースの犬』で有名なルーベンスの《キリストの昇架》や《キリストの降架》は1枚も撮っていなかった。観光地を訪れながら、その象徴的な絵画を写真に収めなかったのだ。SNS時代の若者としては失格かもしれない。
ただ、その写真をきっかけに当時の感覚が蘇った。インターン生活が1カ月ほど過ぎ、ようやく日常に慣れた頃のことだ。土曜の朝にふと思い立ち、「アントワープに『フランダースの犬』の舞台となった教会があったはずだ」というおぼろげな記憶だけを頼りに隣国の港町を目指した。観光サイトでもない個人ブログの、ブレた写真を数枚見ただけ。マップで大まかな場所を確認し、最低限の装備で出発した。
鉄とガラスと石でできたアントワープの駅舎を降り、ぶらぶらと街を歩く。直線的で近代的なロッテルダムとは異なり、曲がり道や街角のアート、白壁に映える赤いレンタサイクルが目に入る。文化の匂いを感じながら進むうちに、鬱屈とした不安は自然と晴れていった。

やがて路地の先に聖堂の塔が見え、足取りが自然と速くなる。広場に出ると、その建物の大きさは想像の倍もあり、迫力に息を呑んだ。観光客の間をすり抜け、重い扉を押し開けた瞬間、呑んだ息がそのまま流れ出す。圧倒され、呆然とし、ただ立ち尽くす。感動という言葉では美化しすぎる。もっと生々しく、初めて味わう空間の手触りだった。特に心を打ったのは、軸線上の大伽藍ではなく、側廊から周歩廊を見やる視点だった。薄暗い空間に、ステンドグラスからの天空光が滲み、空気を満たしていた[図2]。

この一連の回想から思い至ったのは、観光ガイドや写真で情報として摂取していた場所であっても、現地での感覚はまったく別物であるという、当たり前の結論であった。そして同時に、この「現地で初めて完結する空間体験」が、現代ではどれほど困難になっているかを考えざるを得なかった。
私は設計事務所で働き、日々図面やパースを描いている。それをクライアントに提示した瞬間、空間のイメージはある程度合意され、体験はほとんど完了してしまったかのような感触が残る。日常でも空間体験の洪水から逃れることはできない。SNSを開けば、まだ訪れていないカフェ、見たことのないホテル、住んだことのない部屋が次々に流れ込み、見られた瞬間に消費され、完了していく。そこでは「行って初めて体験する」という当たり前が失われ、空間体験はあらかじめ簒奪されている。
さらに現代の「見られる空間」は、単に視覚的に魅力的なだけでなく、説明可能であることを前提に機能している。提示されたパースに意味が付与され、「なぜこの形なのか」「何を象徴しているのか」といった答えが整えられる。説明可能性こそが空間の価値を保証するという暗黙のシステムが、視線の背後で作動している。EXPO 2025大阪・関西万博の大屋根リングをめぐっては、建築家の藤本壮介氏がネット上で徹底的な説明を余儀なくされ、開催前からたびたび大きな議論を呼んだ。沖縄のテーマパーク「ジャングリア」の開業に際しては、パースと現実のギャップが火種となりSNSで炎上した。南国の自然に包まれたトロピカルな世界観を期待して訪れた観光客は、現地の比較的簡素な施設に失望したのだろう。
こうして振り返ると、現代の空間は、実際に体験する前から説明され、理解され、消費されてしまう環境の中にあることがわかる。問題は、そのような「説明可能性」に依存する空間体験の変質に対して、建築批評がまだ十分に応答できていない点だ。建築における批評の力が弱まって久しい今、SNSでは断続的に議論が湧き上がってはすぐに消えていく。そうした業界内の論争を眺めて落胆するたびに、私は思う。建築を語る前に、まずは受け取る側の空間体験そのものがどう変わっているのかに注視すべきではないか。空間が説明可能なかたちで見られることによって不当に簒奪されてしまう、この時代のメディア環境。そのことについてこそ、もっと真摯に考える必要があるのではないだろうか。
見ることの制度化と流通
空間体験は、いつ、どの時点から始まるのだろうか。
現地に立ち、扉を押し開けた瞬間からだろうか。あるいは、そのもっと前、街角に塔の影を見つけ、無意識に足を速めたときからだろうか。いや、さらに遡れば、観光ガイドやSNSでその断片的な写真を目にした瞬間から、すでに私たちの体験は始まっているのかもしれない。空間は、実際に訪れる以前に、情報やイメージのかたちで先取りされる。だが同時に、現地での匂いや音、温度の手触りによって、その像は更新され、上書きされていく。いずれにせよ、その契機は「見ること」によって始まっている。では、この「見ること」が空間体験の始まりとして位置づけられたのは、いつの時代からだったのだろうか。
今から約600年前の15世紀初頭に時を遡ってみよう。ブルネレスキによる遠近法の発明は、空間体験の質が大きく変わる転換点であった。彼は理論を語るより先に、透視装置を用いた実験によって「現実には存在しない空間を、現実のなかに差し込む」という経験を提示した[図3]。

出典=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Brunelleschi%27s_Rediscovery_of_Linear_Perspective.jpg CC0 1.0
空間体験とは「見ること」から始まる。この直観は、まさしくここに起源を持つ。辻茂はブルネレスキの思考の順序を以下のように看破する。
ブルネレスキが、もしも、自らの工夫で生み出したばかりの作図理論で遠近法絵画を仕上げたのだったとしたら、その理論を構築するだけでも、またそれによって絵画を仕上げるだけでも、たいそうな仕事だったにちがいない。それなのに、それにとどまらず、描きあげた絵画を、さらに〈透視装置〉にまで加工せねばならない理由があったなどとは、とても考えられない。話は逆で、ブルネレスキが意図したのは、作図法理論でも、絵画でもなく、光学的な〈透視装置〉だったのだろう。それも、はじめは、暗箱現象の実験の一環として、投影像の定着と再現を試みることだったのが、結果として〈透視装置〉にまで到達したのだろう[★1]。
この装置的経験は、視覚体験を装置によって操作することであり、目の前の現実にもうひとつの虚構を重ねてみせるという行為だった。やがてこの装置的経験は、アルベルティによって理論化されていく。『絵画論』において、彼は視点を頂点とするピラミッドを想定し、それを画面で切断することで像が生じると定式化した。ブルネレスキが直観的に提示した「見ることの実験」は、ここで幾何学的に整理され、誰もが共有可能な「制度」となったのである。世界は経験的な連続体ではなく、測定可能な対象へと変換され、観者は一点から視線を統御する主体となった。つまり、空間体験は「見ること」によって始まるだけでなく、「見ること」そのものが制度化されることで、建築をどう経験するか、というフレームが規定されていった。
このフレームは、ルネサンスの発明にとどまらず、近代に至ってさらに強化されていく。とりわけ20世紀初頭、モダニズム建築が台頭する時代には、建築はメディアと同一化して「読まれる」ようになった。ビアトリス・コロミーナは、ル・コルビュジエの建築は実際に訪問されるよりも、雑誌や写真を通して読まれることによって存在していたと指摘している。建築は現地での体験よりも、紙面や写真としての視覚像によって先取りされ、消費されていったのだ[★2]。
1920-30年代のヨーロッパでは、L’Architecture d’Aujourd’huiやDomusといった専門誌が次々と創刊され、最新のモダニズム建築を鮮明な写真とともに紹介した。1932年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が開いた「モダン・アーキテクチャ」展では、実物ではなく大判の写真パネルでヨーロッパの新建築を展示し、それがアメリカにおけるモダニズム普及の決定打となった。ル・コルビュジエは自ら雑誌L’Esprit Nouveauを刊行して自作建築や室内写真を掲載し、生活様式そのものを提案した。こうして、建築は現地で訪れる以前に紙面や展覧会で先取りされる存在となった。
戦後になると、このメディア性はさらに強化される。アメリカではエズラ・ストーラー、ジュリアス・シュルマンといった建築写真家が、モダニズム住宅や超高層ビルを精緻なモノクロームで撮影し、そのイメージが雑誌 Architectural ForumやArts & Architectureを通じて全米・全世界に拡散された。彼らの写真は、建築そのものの見え方だけでなく、ライフスタイルや社会的理想までも構図に織り込み、建築の「正しい見方」を作り出した。
戦後の日本でも、この傾向は加速する。二川幸夫のGAシリーズは、建築家と写真家と編集者が一体となって、世界中の建築を大判の写真で「見るための対象」として提示した。その紙面体験は、建築を一望可能なオブジェへと変え、現地での偶発的な感覚や時間的な経験を二次的なものに押しやる。空間は、触覚や音響、温度や匂いといった雑多な要素を切り捨て、「見えるもの」としてだけ再編成された。
そして現代、スマートフォンの画面の中で流通する空間の写真は、その制度を極端に先鋭化させている。SNSに並ぶのは、一瞬で理解可能な記号的断片ばかりである。大山顕は、スマートフォンにおける写真の「小ささ」に着目した。スマートフォンの枠の中に収まる写真はたいてい実物よりも小さく映り、それは建造物を捉えるのには不利であると看破する[★3]。この「小ささ」は人や料理など、ある程度の大きさにとどまる「対象物」を捉えることに特化していった。空間はそのフレームに合うように切り出され、あるいは切り出しやすいような空間が用意され、「映えるもの」として流通するようになった。大山の議論は写真に特化したものであったが、当然のごとくこれはTikTokのような切り貼りされる動画メディアにも当てはまる事態だろう。空間の写真や動画は説明可能であることによって評価され、「行って体験する」という当たり前は後景に退く。
視覚偏重への批判とメディア環境
だが、こうした視覚優位の構造は、近代を経て現代に至るまで批判の的であり続けてきた。ユハニ・パッラスマーは、20世紀建築が「網膜の建築」へと傾き、触覚・聴覚・嗅覚といった他の感覚を切り捨ててきたことを世紀末に告発している。彼によれば、建築写真や模型が大量に流通する中で建築は物理的に訪れられる前に視覚的に消費され、「経験は網膜に還元される」危うさが蔓延した。
パッラスマーの批判の背後には、メルロ゠ポンティの哲学がある。彼は、人間の感覚はそれぞれが孤立して働くのではなく、身体を媒介に相互に浸透し合うと説いた。視覚もまた、運動感覚や触覚、聴覚と分かちがたく結びついている。たとえば空間を「見る」という行為は、眼球や頭部の微細な運動、皮膚や筋肉に伝わる感覚と常に連動している。世界は網膜に投影される像ではなく、身体全体を介して開かれる「ひとつの全体経験」なのだ。それにもかかわらず、近代以降の建築は「説明可能な像」としての視覚を偏重し続けてきた。光や風の変化、足裏の感覚や匂いといった「説明しにくい要素」は意図的に捨象され、空間は整然としたパースや写真の構図に収められてきた。
結果として、空間体験は単純化され、「見ればわかるもの」として簒奪されてしまう。こういった、視覚偏重主義への批判はある種正しく倫理的な印象である。ところが、既にメディア環境が多様化してしまった現在では、そうも言ってられないだろうというのが私の率直な意見だ。あくまで視覚偏重のメディアが混在する中でどのように全体経験をアレンジできるのか、それが空間を設計する上では求められているのではないか。
視覚偏重の時代を批判する一方で、パッラスマーは「眼は建築においての支配的な立場を、実態なき観察者(bodiless observer)という観念の出現とともに着々と獲得している[★4]」と述べ、かつてはそうでなかったという事実を示唆する。では、空間体験を本来支配していたのはどういった立場だったのだろうか。パッラスマーは以下のように述べる。
建築的経験として大きな意味をもつのは、一連の網膜イメージだけではない。建築の「構成要素」は、視覚ユニットでも形態でもない。遭遇であり、記憶と互いに影響を及ぼし合う対峙なのだ[★5]。
建築的経験が「遭遇であり、記憶と互いに影響を及ぼし合う対峙」であるとするならば、それは、どういった条件で起き得るのだろうか。
ここで、現代のメディア環境をあらためて見直そう。大山が論じているように、スマートフォンというデバイスは写真を「小さく」「触れるもの」に変えた。大山はスマートフォンが画面に「触れる」ものであるということに改めてその特徴を見出した。フィルムや大判プリントが前提としていた「遠くから一望する」鑑賞態度に対し、スマートフォンの画面は指で拡大縮小し、スクロールし、スワイプするという操作を伴う。視覚像は触覚的な行為と不可分になり、むしろ「視る」と「触れる」の区別を曖昧にしてしまう。視覚の制度が長らく他感覚を抑圧してきたことは確かだが、皮肉にも、スマートフォンという最新のメディア環境は、視覚の中に触覚や操作感覚を再び忍び込ませている。そこには、視覚を捨てることなく、むしろその内部から他感覚へと開く可能性がある。
空間の体験に関する「見ること」の制度化と流通、そして現在のメディア環境についてざっと見てきたが、問題はそういった制度化によって硬直しメディア環境に振り回される「空間体験」というものをどのように取り戻すことができるかということだ。
制度からの逸脱
散々、「見ること」の制度化や視覚偏重について批判的にたどってきたが、私はいまだに視覚に対する期待を捨て切れないでいる。なぜなら、私がこれまで培ってきた職能はまさに、いかに「見せる」か、いかに「説明する」かということに直結していたからだ。視覚を捨てるのではなく、それを揺さぶり、再構成し、記憶と影響を及ぼし合うように促す方法はないのだろうか。
そのヒントを求めて、再び歴史を振り返ってみたい。アルベルティの遠近法が、視覚体験を理性によって形式化することで、「制度としての視線」を確立したルネサンス期。そこでは、建築の空間はもはや「身体の中を通って」見えるものではなく、「測定可能な対象」として処理されるようになる。岡﨑乾二郎はこの流れに批判的であり、遠近法の歴史的評価を一から問い直している。
当時の画家たちが熱中したのは、実は透視図法そのものでなく、透視図法という仮説を設定したとき産出される、こうしたパラドックスをいかに解決するか、という問題であった[★6]。
透視図法には多くのパラドックスが生じ、画家たちはその検証に躍起になっていたという。そして、ブルネレスキの装置はそれらのパラドックスが生じない方法であったのだ。アルベルティによって方法論化された透視図法によって、多くの人が同じ制度のもとで空間を「私物化」することができるようになった一方で、ブルネレスキが人間の知覚に訴えかけるような装置で意図していたことは失われていってしまった。岡﨑はそこに〝待った〟をかけ、ブルネレスキの視点を再評価したのであった。
ところで、この後の時代のパース表現を見るにあたって、むしろこの「透視図法の不完全性」によってこそ創作者たちの関心が喚起されていったのではないかと、私は考える。たとえば、岡﨑も同書の中で以下のような例を取り上げている。
「世界の遠景」を喚起するために、むしろ完結した一つの空間を無数の不連続な場面に分節してしまう必要に迫られたということである。その方法の一つが、画面の奥行きをたとえば前景、中景、遠景という隔てられた三つのプラン(面)に分離し(これはアニメーションで使われる技法である)、その重なりとして構成するという、いわゆるプランの分離の方法であり、もう一つは「ヴェドゥータ」(街景)と呼ばれる、連続した空間の中に無数の穴をあけるように別の空間を嵌め込んでいく方法であった[★7]。
前景、中景、遠景という隔てられた3つのプラン(面)に分離する手法は岡﨑の述べる通りアニメで使われる技法であり、あるいはゲームのレベルデザインでも使われる手法であろう。実写合成でもそういった効果を念頭においた映像は枚挙にいとまがない。
また、ヴェドゥータの登場は示唆的なものである。ヴェドゥータは辞書的には「都市の景観をきわめて精密かつ大規模に描いた絵画または印刷物」であるが、岡﨑はそこに空間の閉鎖的表現に欠如していた「広がり」への憧憬を読み取る。ヴェドゥータの画家たちは複数の視点を織り交ぜ、時には建物があって立てるはずもない視点から描くことで、理想的な景観をキャンバスの中に作り上げた。
18世紀にこの逸脱の系譜の先に登場するのが、ピラネージである。ピラネージは、スケール、透視、光を攪乱することで、空間を「測定可能な対象」から「没入的な経験」へと転換した。彼の版画は、遠近法という制度の内部でその秩序を反転させ、視覚の中に他の感覚の予感を忍ばせる装置であった。遠回りにはなるが、ピラネージの生涯と作品性をすこし概観してみたい[★8]。
ピラネージは生涯を通じて「記録」と「幻想」のあいだを行き来した作家であった。彼の出発点は、ローマの都市景観を一点透視図法で緻密に記録したジュゼッペ・ヴァージの流れにあった。グランド・ツアーの旅人たちは、都市を「絵のフレーム越しに見る」訓練を積んでおり、ヴァージの版画はまさにその需要に応えるものだった。しかしピラネージは、ヴェネツィアで触れた奇想画(カプリッチョ)の系譜や、舞台装置家ビビエナ一族の斜角透視舞台に学び、記録を超えて空間そのものを操作する方法を模索する。こうして正確な遺跡描写と幻想的な構成力を併せ持つ独自の作風が形づくられた[図4]。

彼の版画の特徴は、スケール・透視図法・光という三つの要素を徹底的に攪乱していることにある。遺跡の細部は精緻に描かれるが、視線を奥へ進めると階段や梁が果てしなく連鎖し、消失点は逃走し続ける。空間は無限に広がるかのようでいて、逆に閉塞感をも喚起する。この「無限と閉塞の同居」という逆説は、彼の作品が単なる記録や装飾を超え、視覚を強度のある経験へと変容させている証であった。
その効果は、技法の変遷にも表れている。代表作《牢獄》シリーズは初版と再版とで大きく印象が異なる。初版が淡い素描的線描だったのに対し[図5]、再版では腐食を深く施し、暗部を劇的に増強している。そこでは、単なる遺跡の写生ではなく、版を再加工することで「見ること」そのものを再構築する意図が明確に示されている[図6]。


出典(図5)=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Giovanni_Battista_Piranesi_-_The_Drawbridge_-_Google_Art_Project.jpg
(図6)=https://www.artic.edu/artworks/7358/the-drawbridge-plate-7-from-imaginary-prisonsともにPublic Domain
さらに主題の面でも、ピラネージは人物中心の場面から離れ、建築や廃墟そのものを主役へと据えた。人物はしばしば豆粒のように描かれ、観者はむしろ巨大な建築空間そのものに眼差しを投じることを強いられる。結果として、鑑者は画面を一望するのではなく、内部を彷徨うように探索する体験へと誘われる。ここにおいて、見ることは単なる理解ではなく「迷い込む」経験そのものとなる[図7]。

出典=https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/360270 Public Domain
彼の革新は、「版画」というメディアを通じて空間体験そのものを再編成した点にある。正確な記録性を出発点としながら、それを攪乱し、視覚を強度のある経験へと変換する。こうした営為は、遠近法という制度の内部でその秩序を反転させる試みであった。ピラネージは「見ること」を安定した知覚の手段から揺さぶり、身体を巻き込む空間体験へと引き上げたのである。
だが、それを21世紀の空間体験及び設計に応用するとしたらどうなるだろうか。現代の建築家は、ピラネージのように紙上で空間を構築するだけでなく、写真、パース、VR、SNSといったメディアを通じて先に「見られてしまう空間」を扱わざるを得ない。あくまで、ピラネージの時代には移動と流通が十分に行えず、代替手段として見ることに空間体験を担わせたという見方もできるだろう。制度と流通が強固になった今、様々なメディアにどのように介入し、どう多感覚的な空間体験へと開くことができるのだろうか。
コラージュとモンタージュ
強調しておきたいのは、ピラネージの逸脱の試みはあくまで一例にすぎないということだ。ピラネージの後には、ルドゥーやブーレーといった「幻想の建築家」たちが登場し、幾何学的で壮大な構想を紙の上に描き出した。ソ連のレオニドフは実現を前提としながらも、政治的状況によって結果的に「ペーパーアーキテクト」として記憶されることになった。さらに20世紀中盤に入れば、アーキグラムのように、建築そのものをメディア上で拡散することを前提とした実験的集団も現れる。彼らのカラフルで漫画的なドローイングは、従来の「建築写真」や「透視図」とは全く異なる方法で空間を提示し、むしろ広告やポスターに近い形で受け手の想像力を刺激した[★9]。
このアーキグラムの手法の背後には、シュルレアリスムの影響が色濃い。異質なイメージの断片を切り貼りし、現実には存在しない不条理な光景を提示するコラージュの方法は、夢と現実を接続する「デペイズマン」として、20世紀初頭の芸術において試みられていた。ここで重要なのは、シュルレアリスムが単なる主観的な夢想を肯定したのではなく、むしろ「無意識」という個人的領域を掘り進むことで、その奥に潜む普遍的な客観に到達しようとした点である。すなわち、夢の断片や不合理な光景は、偶然の遊戯ではなく、人間存在に共通する認識の地層を顕在化させる手段だった[★10]。
ダリの描く溶け落ちる時計や歪んだ空間は、そのもっとも大衆的な象徴である。そこには「個人的な幻想」ではなく、制度的に整えられた理性の秩序を撹乱し、その背後に隠された客観的な不安や欲望をあらわにする力があった。建築家たちはこうしたシュルレアリスム的な手法を受け継ぎながら、現実の建築を超えて「紙の上での建築」を豊かに展開していったのである。
そして20世紀後半に至っても、このシュルレアリスム的なイメージ戦略は重要な参照点となっている。レム・コールハースは『錯乱のニューヨーク』で、マンハッタンを一種の「集団的無意識の産物」として描き出した。そこでは、建築は論理的に設計されるものではなく、むしろ夢や欲望、イメージの切り貼りによって形成されるものとして記述されている[★11]。コールハースのテキストに添えられたコラージュ群は、単なる挿絵ではなく、都市そのものを視覚的な物語として体験させる装置だった。
こうして、「見ること」の制度を揺るがすコラージュという手法は十分に効果的で影響力を持った。だが、忘れてはならないのは、コラージュという手法そのものが抱える限界である。異質な断片を並置することで現実には存在しない空間を提示できる一方で、その提示はあくまで「1枚の紙面」に依存した異化効果の域を出ない。どれほど挑発的な構成であれ、受け手は静止した画面を眺めるほかなく、その体験は時間的な展開や感覚の遷移を十分には含みえない。紙面の強度は同時に、その閉塞でもある。
ただし、コラージュの限界を補うものとして、映画論における「モンタージュ」の概念を参照することはできるだろう。セルゲイ・エイゼンシュテインは、モンタージュを「異なるショット同士の衝突によって新たな意味と感覚を生み出す方法」と定義した[★12]。静止した画面の内部で秩序を探るのではなく、ショットとショットの「あいだ」に力を仕掛けるという考え方である。そこでは観者は断片の連鎖を時間的に辿りながら、静止画では到達できない強度を体験する。とはいえ、モンタージュもあくまで映画という時間芸術に根ざした手法である。ショットは一筋の時間に連ねられ、順序と速度を持って進行していく。その強度は確かに高いが、同時に「時間の一本の流れに閉じ込められる」という制約を伴う。体験の可能性が一つのシークエンスに規定されてしまう点で、空間体験の多方向性や偶発性とは距離がある。
だからこそ、建築における応用を考えるなら、モンタージュをそのまま移植するのではなく、その「断片を組み合わせてあいだに力を仕掛ける」という発想を、より自由でメディア横断的な形式に展開していく必要があるだろう。
ティーザー的空間体験
そこで参照できるのが「ティーザー」という形式である。ティーザーは、映画の予告編や広告手法として広まったもので、全体像を提示せず、断片だけを切り出して観者の期待や想像を刺激する。重要なのは、ティーザーが一本の時間に縛られることなく、断片を自由に配置し、メディア横断的に展開できるという点だ。ポスター、短い映像、SNSでの断片的な画像やコピー、それらが同時多発的に配置されることで、体験の「入り口」を複数の場所に仕掛けることができる。
モンタージュが時間的な連鎖によって意味を立ち上げるとすれば、ティーザーは空間的・媒体的な分散によって体験の回路を編み込む。観者は断片をひとつずつ拾い集めることで、全体像を自ら組み立てていくことを余儀なくされる。この「想像による補完」こそが、空間体験をあらかじめ簒奪するのではなく、むしろ体験へと開く仕掛けになりうるのではないか。
唐突に私がティーザーについて語りだしたのには訳がある。じつは私は、長年K-POP産業のファンとしてあらゆるチームの活動を追いかけてきた。だからティーザーの力を、誰よりも身体で知っている自信がある。新曲が出る数週間前から、小出しに公開される数秒の映像や一枚の写真。それらは全貌を示すどころか、むしろ「まだわからない」という欠落を強調する。だが、その断片こそが人々の想像力を喚起し、ネット上には考察や憶測が渦を巻く。
K-POPにおける戦略は映像や写真にとどまらない。新曲の発表に合わせて展開されるのは、インタビュー、チャレンジ動画、アルバムのパッケージ、ポップアップストアやグッズなど、多層的なメディアの連鎖である。それぞれは断片的に「触れる」ことができるよう設計されており、すべてを横断して初めて全体像が立ち上がる仕組みになっている。この手法はスマートフォンというデバイスと抜群に相性が良い。画面に表示された映像や画像はタッチで拡大縮小でき、スクロールやスワイプで次々に消費される。つまり視覚は触覚的な操作と分かちがたく結びつき、断片が「小さな体験」として積み重なっていく。K-POPのマルチメディア戦略は、スマホ時代に最適化された全体経験の設計そのものなのである。
そして思い返すと、私自身のアントワープでの経験もまた、偶然ティーザー的に準備されていたのだった。出発前に手にしていたのは観光サイトでも公式ガイドでもなく、誰かがブログに載せた数枚のブレた写真。それとおぼろげな物語の記憶。それは不十分で、断片的で、全貌を示すものではなかった。しかし、その「欠落」こそが私を現地へと駆り立て、到着した瞬間の圧倒的な体験をより鮮烈なものにした。つまり、あの大聖堂での経験は、あらかじめ簒奪されることなく、むしろ断片的な情報によって「未完結のまま温存されていた」からこそ可能になったのだ。
もっとも、ティーザーは両刃の剣でもある。断片は人を惹きつけるが、過剰に消費されれば「行かなくてもわかる場所」をつくり出してしまう。むしろ「行かずにはいられない」という欲望を過度に刺激してしまう危険すらある。K-POPの歴史を振り返れば、それに対するカウンターとしての動きもあった。たとえば、今や時代の寵児となるも困難に直面しているNewJeansのデビュー戦略。それは、従来型の過剰なティーザー消費を逆手に取り、予告なく現れた「不可視のプロモーション」として人々の耳目を集めた。ティーザーは注意深く設計されなければ、過剰に欲望を喚起してしまう仕掛けにもなりうるのである。
だからといって、ティーザーをプロモーションやマーケティングなるものの枠で資本主義の闇として捨て置いてしまうのは早計だ。空間体験に応用する際に重要なのは「どのように断片を組み合わせるか」である。単なる断片の氾濫は、空間を過剰に説明し、現地での体験の余白を塗りつぶしてしまう。あるいは、欲望を喚起し過ぎた結果、現地の体験が見劣りし、消費者の失望と怒りを生んでしまう。当然、そういった事前のメディア露出を乗り越えうる圧倒的な設計をすべきであるというマッチョイズム的な設計論を唱えることは簡単だ。しかし、私がここで考えたいのは、より普遍的でメディアと手をつなぐことのできる空間体験の在り方なのである。
メディア環境を乗りこなす空間体験へ
今の建築メディアを眺めると、竣工主義とでも呼ぶべき構造が支配している。建物は竣工写真によって完結し、完成した瞬間から「消費されるオブジェ」として紙面を飾る。そこでは、空間はすでに「説明可能な像」として整えられ、実際に訪れる前に意味が固定されてしまう。こうしたメディアの形式は、建築が持つ時間性や感覚の多層性を切り捨ててしまう。
これに対抗する方法は、必ずしも「視覚を拒否する」ことではない。むしろ視覚の断片を、コラージュやモンタージュ、さらにはティーザー的に編集し、異なるメディアに散らすことだ。雑誌の誌面における一枚の竣工写真に収束させるのではなく、SNSにアップされたスナップ、インタビューに挟まれたドローイング、展示空間に並ぶ模型、あるいはグッズのパッケージ。そうした断片を複数の媒体に「ちりばめる」ことで、空間の像はあえて宙吊りにされる。
重要なのは、この断片化が「完結を遅らせる」という効果を持つ点だ。すべてを語る竣工写真のかわりに、断片を散布する。すると、受け手の体験は「行ってみなければわからない」余白を含んだものとなり、現地に立ったときに初めて結晶化する。これはK-POPのティーザーが示してきた戦略とも通じる。断片的な映像や写真が連日公開され、ファンは想像をふくらませる。そういった小さな体験の積み重ねが、ステージでのパフォーマンスが生む高揚感を最大化する。その構造は、空間を「先取りされるもの」ではなく「待ち望むもの」として再定位させる仕組みになりうる。そして、完結後の時間的な変化をも想像させる力を持ちうる。
本論でたどってきたのは、空間体験がいかに簒奪される仕組みの中に置かれてきたか、という歴史であった。ブルネレスキとアルベルティによる遠近法は「見ること」を制度化し、建築を測定可能な対象へと変えた。ピラネージ以降の建築家たちは繰り返しその制度に逆らい一定の成果を上げてきた。ところが、20世紀のモダニズムは建築を「読まれる物」として消費させ、竣工写真文化は見ることの制度的な傾向を流通を通して極限まで推し進めた。そして現代のSNSは、空間を「小さく」「瞬時に」消費可能な記号へと還元している。空間体験は、訪れる前から説明され、理解され、消費される。
だが、同時にそこには別の可能性も開けている。コラージュは、1枚の画面に異質な断片を共存させることで制度の隙間をあぶり出した。モンタージュは、時間的連鎖によって断片をつなぎ、感覚の強度を立ち上げた。そしてティーザーは、断片をメディア横断的に散布し、完結をあえて遅延させることで、最終的な経験への期待と余白を確保する戦略となった。これらは、いずれも「見ること」を捨てるのではなく、むしろ視覚を入り口にして他感覚や時間的厚みへと導く装置である。
空間体験にとって重要なのは、いかに視覚的イメージを扱うかである。竣工写真の一望的な完結に代えて、断片を散布すること。スマートフォンの小さな画面やスワイプ操作を前提に、視覚と触覚を往還させること。空間を「行かなくてもわかる場所」にしてしまうのではなく、「行かなければわからない経験」へと宙吊りにしておくこと。そのとき、建築はふたたび、現地での身体経験を中心に据えながら、メディアを含めた全タッチポイントを統合する知覚のコンポジションとして構想されるだろう。
アントワープのノートルダム大聖堂で私が味わったように、現地での光や匂い、石の冷たさやざわめきが、断片的に知っていた映像や物語を上書きして全体の体験を結晶させる。その順序と強度こそが空間体験である。だからこそ、空間体験を設計する際はそれが「簒奪される」構造をむしろ逆手に取り、断片を戦略的に配置せねばならない。説明可能性や写真一枚に空間を収束させるのではなく、むしろ未完結の断片を散布し、触覚や記憶や時間と結びつけて最後に体験として回収するのだ。
この論考は私にとってはひとつの始まりに過ぎない。今後は、ピラネージをはじめとするペーパーアーキテクトたちの逸脱の試みを改めて分析し、彼らがどのように「制度の隙間」を開いたのかを精査していこうと意気込んでいる。同時に、現代のメディアであるSNS、VR、AR、あるいはK-POP的なマルチメディア戦略がどのように空間体験をあらかじめ簒奪し、あるいは逆に新しい余白を開くのか、注意深く観察していきたい。
空間体験とメディアが切り離せない時代において、その関係を批判的に記述し、なおかつ設計の戦略へと翻訳していくこと。そこに、これからの建築の仕事があると私は確信している。
★1 辻茂『遠近法の誕生──ルネサンスの芸術家と科学』、朝日新聞出版、1995年、215頁。
★2 ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』、松畑強訳、鹿島出版会、1996年。
★3 大山顕『新写真論──スマホと顔』、ゲンロン、2020年。
★4 ユハニ・パッラスマー『建築と触覚──空間と五感をめぐる哲学』、百合田香織訳、草思社、2022年、48頁。
★5 同書、111頁。
★6 岡﨑乾二郎『ルネサンス 経験の条件』、文藝春秋、2014年、69頁。
★7 同書、238頁。
★8 長尾重武『ピラネージ──幻想の建築家』、中央公論美術出版、2024年。
★9 『10+1 №23 特集=建築写真』、INAX出版、2001年。
★10 巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』、筑摩書房、2002年。
★11 レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』、鈴木圭介訳、筑摩書房、1999年。
★12 エイゼンシュテイン『映画の弁証法』、佐々木能理男訳、角川文庫、1953年。



四宮駿介
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