フィンガーメイド時代の芸術作品|布施琳太郎

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 私たちは1日の多くの時間を指だけを動かして過ごしている。ある研究では、平均的なモバイルユーザーの指は1日あたり2617回もスマートフォンの画面をタッチしているという★1。もはや街に出るまでもなく、うす暗いベッドルームのなかでクネクネと動く指先だけで、政治的なこと、生活上の手続き、趣味の品々の購買、恋人探し、仕事の連絡までのあらゆることが完結する(させられようとしている)。そんな時代を私たちは生きている。

 この状況を思想的かつ倫理的な問題として捉え、「フィンガーメイド時代」という区分を構想すること、そしてそうした時代において作品制作、発表、鑑賞を一体化させる「ベッドルーム神話」を提示すること。その2点がこの文章の目的である。

 2025年8月、何年も前から野鳥を撮影して投稿してきたXアカウントが、生成AIを用いて生み出された画像を突然投稿して、小さく炎上した★2。人々は、どこにも行かずに野鳥の写真を手に入れた人物の何に怒っていたのだろう? あるいは同年10月初頭、大手家電量販店のYouTubeチャンネルに新製品のカメラの紹介映像がアップロードされたが、それはどう見ても動画生成AIによってつくられたものだった。モデルが手に持つカメラは歩くたびにかたちがビヨビヨと伸び縮みしているし、当のカメラで撮影されたかのようにスライドショー形式で画面に表示される写真群もまた(おそらく)生成AIによるものだった。

 これらの事例は、外に出なくとも「野鳥観察や旅行、観光に行った」という見せかけの事実をつくるだけで満足できてしまう(かもしれない)人々の到来を露わにしている。それを悲観的に捉えても意味はないし、別に私は生成AIの批判がしたいわけでもない。私たちの人生にとって「何かをつくること」とは何だったのかを検討したいのだ。

 この文章の目的は「フィンガーメイド」という私の造語からタッチスクリーン以降の芸術作品の制作と鑑賞のあり方を考えることである。それは芸術作品を批評することで、タッチスクリーンをはじめとしたインターフェースについて再考し、人間とコンピュータのかかわり方を、大企業が提供するのとは異なるかたちで提示する試みでもある。前半では技術史的なまとめを、後半では作品についての記述を行う。

 この試みのベースには、私がアーティストとして行ってきた、現代美術領域での作品制作や企画制作の経験がある。私にとって作品や展覧会とは、理論やコンセプトの視覚化、体験化ではなく、理論を発生させるきっかけとなる装置である。メディア考古学において、すでに忘れ去られた技術が現在の状況を再構成するきっかけとなるのと同じように、作品や展覧会は世界を線型的に捉えずに思考するための大いなる可能性を秘めている★3。正直に述べれば、現状の美術がそのようなものであるとは言いがたいが、だからこそ現代美術に限らない「作品」という枠組み本来の価値を示したいと考えている。

ハンドメイドからフィンガーメイドへ

 まず見取り図を示そう。フィンガーメイドは、すでにひろく人々に使用されている「ハンドメイド」に対比される言葉として構想したものだ。この対比において問題とされるのは、手と指の区別であり、それらに可能な身ぶり(gesture)の違いである。

 もちろん、指は手に含まれる身体部位である。だからこれらを「区別しよう」という提案は奇妙に思われるかもしれない。しかし後に論じるように、マウス、トラックパッド、タッチスクリーンという日常的なインターフェースの開発史は、エンジニアやデザイナーが「ユーザーの指を発見していく」プロセスとして要約できる。つまり、インターフェースの経験によって指は手から切り離されていったのである。だからこそ最終的に、フィンガーメイドの枠組みは、現状のインターフェースのあり方を批判的に捉えるための提案となるだろう。

 半世紀ほど前、人類学者のアンドレ・ルロワ゠グーランは、人類の進化を「直立二足歩行」という姿勢の変化による「手と口の解放」から語りはじめた★4。しかし現代において、人類の生は肉体によって歩き回られる空間だけでなく、スクリーンに現れる情報によっても形づくられている。スクリーンは、都市を歩きながら触れることも、ソファに寝そべりながら眺めることもできる。その経験を「手の話」として終わらせるのは困難であり、「手と指」の距離を再発明していくようなインターフェースや芸術作品を論じる必要があるだろう。

 フィンガーメイドの前提となるのは、トラックパッドやタッチスクリーンをタップし、スワイプし、タイピングし、画像を加工して合成し、情報を拡散したり「いいね」したりする指先である。今日のDIY(Do It Yourself=あなた自身でやろう)は、手ではなく、指先で行われる。ソーシャルメディアにおいて日々バズを狙うインフルエンサーたちは時として「クリエイター」と呼ばれるが、彼ら彼女らの表現は、かつての作家たちの「手仕事」に対比して「指仕事」と呼ぶことすらできるかもしれない。「好きなことで、生きていく」というキャッチコピーのもと、あらゆる表現ジャンルの境界が溶けていき、あらゆることがクリエイティブになった。ただし、指先で触れられる限りにおいて

 新型コロナウイルスが世を騒がす直前に、私は、スマートフォン登場以降の芸術作品について「幻想の触覚」という観点から論じて、最終的には「孤独によって芸術が生産される時代から、芸術によって「新しい孤独」が生産される時代へ」と移行すべきだと結論づけたことがある★5。しかしその後、不必要なまでに人々の相互接続は加速していった。

 時代は変わった。この文章はまったく別の角度から、今求められる「新しい孤独」を定義し直し、より実用性のあるマニフェストとすることを意図して書かれている。

ベッドルーム神話

 現代において「ベッドルーム」は、スマートフォンやパソコン、ゲーム機といったコンピュータを「使う」場所となっている。しかし50年前、そこはコンピュータを「つくる」場所だった。

布施琳太郎

1994年生。アーティスト。東京藝術大学大学院映像研究科(メディア映像専攻)修了。主な活動にプロジェクト「パビリオン・ゼロ」(2025/葛西臨海公園、コスモプラネタリウム渋谷など)、展覧会「150年」(2025年/豊島区東池袋)、個展「新しい死体」(2022/PARCO Museum Tokyo)、キュレーション展「惑星ザムザ」(2022/小高製本工業跡地)など。その他、ルーブル・アブダビ、国立西洋美術館、金沢21世紀美術館などで作品を発表。著書に『ラブレターの書き方』(2023/晶文社)、詩集『涙のカタログ』(2023/パルコ出版)。
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