タイのキャラクターとマイペンライにまつわる覚書、2025年版 タイ現代文学ノート #12|福冨渉

ゲンロンの編集部から「令和カルチャー」の特集内に入るかたちでタイのことについて書いてほしいという依頼をいただいた。どうしたものか、どうしたものかと悩んでなにも書けないうちに、2年半ぶりのバンコク渡航の機会が訪れた。5日間程度の滞在だったのだが、ずいぶん視界がクリアになり書けそうな気持ちになってきている。やはり困ったときは現地に行くに限る。
今回筆者は、タイの旅行会社と協力して、タイの「本」をめぐる一般向けの観光ツアーというものを企画した。本連載でもたびたび取り上げている年2回の大型ブックフェアの時期にバンコクへ渡航してフェアを見学。さらに作家、出版社、独立系書店など、現代のタイの出版業界の関係者に話を聞いてみるという旅だ。
ツアー自体の詳細はまたどこかで書いたり話したりしようと思うが、ツアーのなかで、ゲンロンにも寄稿したことのある小説家ウティット・ヘーマムーン(อุทิศ เหมะมูล)に会って話を聞くというプログラムをセッティングした。きわめて政治的な純文学の作家が現代のタイでどう生計を立てているのかという話や、創作方法に関しての話を起点にしたのだが、気がつくと、なぜかツアー参加者たちがウティットに人生相談をするという空間になっていた。本人も本人でいつにも増した饒舌さで、(ワイングラスを片手に)自身の執筆にまつわる思想や方法論をもって真摯に参加者たちの悩みに応えていき、その言葉に感極まって涙するひとが出るほどだった。こう書くと怪しげな自己啓発サークルの集会のようでもあるが、実際になかなか神秘的な時間だったと思う。
さてそんな対話のなかで、ある参加者への回答として、ウティットがこんな話をしていた。いわく、自分にとっての創作というのは、自身の思想や魂に形式を与えることである。かたちのないもののために「蛹」をつくって、人々のまえに置くようなことなのだと。今度はこの「蛹」という単語に反応して、若いクリエイターの参加者が聞く。その蛹が羽化して蝶になるのはどういうときなのか。
通訳をしながらだったのでダイアローグの順番の記憶があいまいなのだが、その問いに並行してさらに別の参加者からこんな質問があった。ウティットがアジアで芸術を学びながら生きていくなかで、西洋的な教養や規範を受け入れることと、アジア的なものとのあいだの齟齬や葛藤はなかったのか。
かれからは「蛹」と絡めてこんな回答があった。西洋的な自己や自我の感覚とアジアのそれとは違う。自分は、つくり上げた作品に自我が宿るというような感覚はもっていない。魂にかたちを与えて蛹にしてほかのひとがそれに触れられるようになったら、自我はまた次の創作のためにほかの場所に行く。そこにある本は抜け殻のようなもので、中身は空っぽだ。だからその空っぽの蛹が羽化して蝶になることもない。
そんなウティットの言葉を聞きながらふと、2年半ぶりのバンコクの風景のなかで目に留まったもののことを思い出した。カプセルトイの自販機だ。
今回はBTSと呼ばれる高架鉄道での移動が多かったのだが、改札内の通路にカプセルトイの自販機が並ぶ駅がいくつもあった。数年前には見られなかった光景である[図1]。筆者が見たものの料金はいずれも100バーツで、現在の円安レートだと500円くらいになる。料金を支払ってレバーを回すと、カプセルに入ったグッズが落ちてくる。それは日本と同じだが実際はレバーはカプセルの射出と連動していないようで、単に回すアクションを楽しむためのギミックとして設置されているようだった。

カプセルのなかには手のひらサイズより一回り大きいくらいのキャラクターのぬいぐるみが、ギュッと詰め込まれている。今回のツアー参加者が購入したものを見せてもらったところ、つくりがずいぶんとしっかりしている。タイでもこういうクオリティの製品をつくれるだけの環境が整ってきているのだろう。
ただ筆者はべつに、タイの製造業全般の技術的な成長や、屋台料理の2倍や3倍もの値段のするカプセルトイを買うようになったバンコキアンの経済的な余裕を喜びたいわけではない(現在のタイはそこまで好景気ではない)。筆者はそもそも、タイで「キャラクター」が増えていることに興味をもったのだ。
もちろん一昔まえのタイだって、マスコットやキャラクターの類がいなかったわけではない。ただこの数年のタイは、現実世界でもオンライン世界でも、ありとあらゆる機会に新しいキャラクターが生まれている印象すら覚えるほどなのだ。もちろんこれは、中国企業のポップマート発のキャラクターであるラブブの世界的流行などと並行する、国際的なIP(知的財産)ビジネスの広がりの一環ともとらえられる[★1]。
ただタイの新興キャラクターたちを見ていていつも気になるのは、そうしたビジネスの側面よりも、その設定やアイデンティティに関する「一貫性のなさ」みたいなものだったりする。先述したウティットの言葉ではないが、一度かたちを与えられたキャラクターは完成してしまえばその中身は空っぽで、あとはそれが状況に応じて、適宜、新しい利用のされ方をしていく。すべてが(ネット)ミーム的ともいえるのかもしれない。ただ、ミームほどにもとのキャラクターのアイデンティティを破壊することもない。それも程度の違いはあるのだが、3つほど例を見てみよう。
まずは比較的穏当な例だ。この数年のタイでもっとも有名なキャラクターといえば、バターベア(Butterbear / น้องเนย)だろう。バンコクの大型ショッピングモールに展開している有名なカフェレストランが経営する、同名の菓子店のマスコットキャラクターだ[図2]。もともと2023年の6月にオンラインでオープンした菓子店が、翌2024年にショッピングモールに実店舗を出店する。同年5月から6月ごろにかけて、マスコットキャラクターが店舗の前で踊るようすがティックトックなどを通じて拡散されて、社会現象的なブームとなった。バターベアの着ぐるみが店舗に登場する日には長蛇の列ができてしまい、ショッピングモールへのトラフィックが30パーセント増加したという数字もある[★2][図3]。2025年11月時点でのティックトックのフォロワー数は80万人ほどだ。


これだけならば単にマーケティング戦略の成功といったところで片付きそうなのだが、実際のバターベアは、菓子店のマスコットという当初のアイデンティティを超えて、独立した人気キャラクターとしての道を歩んでいく。
ブームが冷めやらぬ2024年6月後半には、ソロ楽曲(?)の「かわいいかは知らないけれど น่ารักมั้ยไม่รู้」を発表している[★3]。このMVのユーチューブでの再生回数は2025年11月時点で2000万回を超えている。爆発的というほどではないが、タイ国内の人気アーティストの楽曲と肩を並べるくらいではある。
続く8月には、人気俳優でモデルの「アポ อาโป」ことナッタウィン・ワッタナキティパット(ณัฐวิญญ์ วัฒนกิติพัฒน์)とのペアで、タイ国政府観光庁のキャンペーンに登場する。アポとバターベアのふたり(?)がタイのさまざまな地域を観光する動画シリーズが6カ月にわたってユーチューブにアップされていき、国内外からの観光を促進しようとするものだ[★4]。菓子店発祥のキャラクターが、あっさり国家レベルのキャンペーンに登用されるまでに至ったわけだ。
そもそもこのアポという人物は、2022年に公開されたアクションBL(ボーイズラブ)ドラマ『KinnPorsche』の主演を務めて人気を博した俳優だ。タイのBL・GL(ガールズラブ)ドラマ業界では、人気作品で主演となった俳優のペアを、作品終了後も継続してさまざまなキャンペーンに用いたり、まったく別の世界観の他作品でも主演カップルとして出演させたりする「CP(カップル)営業」と呼ばれるマーケティング手法が定着している。バターベアとアポの動画シリーズも、CP営業のスタイルを意識したものともいえるかもしれない。動画が観光庁のチャンネルなどではなく、アポの所属事務所であるBe On Cloudのチャンネルにアップロードされていることからも、アポやドラマのファンを意識したマーケティングであることは想像にかたくない。その後もバターベアは、国内外のさまざまな俳優やアーティストとのコラボレーションをしている。
さて俳優とくれば、あとはファンミーティングだろう(?)。2024年11月9日と10日には「Butterbear’s 1st Fam Meeting Adventure Awaits!」と銘打ったイベントが開催された。「Fam」は「Family」の略だ。ステージのようすなどが動画で公開されているが、かなり大がかりなセットで、多くの著名人がゲスト出演する豪華なイベントだったようだ[★5]。チケット代は特典に応じて段階があるのだが、写真撮影+最前列ブロックとなる最も上のランクだと5900バーツ(2万9000円程度)。いまだ大卒の企業初任給が2万バーツ台(10万円前後)というのがザラなので、それと比べるとなかなかの金額だ[★6]。会場となったホールはシッティングで4000名程度の規模らしく、少なくとも公演初日のチケットはソールドアウトとなったようだ。チケット代もキャパシティもさすがに超大物アーティストなどには及ばないが、ブームからおよそ数カ月でこのレベルのイベントが開催されたと考えれば、なかなかの驚きである。
もはやもともとの菓子店との関連が見えてこないくらいに、単独のキャラクターとして活躍を続けるバターベアだが、最近はほかの食品や飲食店とのコラボレーションなども積極的におこなっていて、ますますなんのキャラクターだったかはよくわからなくなっている。実際筆者も今回の滞在で、まったく関係ないメーカーの製造したタイ伝統菓子のパッケージにバターベアが印刷されたものを買ってきた[図4]。ほかにも大手フライドチキンチェーンであるKFCとのコラボレーション企画なども存在している。キャラクターとしての一貫性といったものはもはや重視されていないし、人々も気にしていない。独立したかわいいキャラクターの活躍を推しているという状況なのかもしれない。みなで「かたち」を愛でているともいえるだろうか。

次に、エンターテインメント企業GMMTVに所属する俳優たちのイメージキャラクターを見てみよう。GMMTVとは、番組や音楽の制作、芸能マネジメント、さらに放送・配信までおこなう多業種企業で、ここ何年かのタイBL・GLドラマの世界的流行の火付け役といっていい。自分たちがマネジメントした俳優たちを、自分たちが制作した番組に出演させ、それを自分たちのもつテレビやユーチューブのチャンネルで放送するという手法で、ファンのエンゲージメントを高めている。日本にもファンが多く、特定の所属俳優を応援するだけでなく、「GMMTV箱推し」という事務所全体のファンを自称する推し活用語があるほどだ[★7]。
さてそんなGMMTVに所属する俳優たちのイメージキャラクターが「MY IDEAL FAN」である。これは俳優たちがなにかのブランドのイメージキャラクターになっているわけではなく、俳優たちが「自分たちの理想のファン」をコンセプトにデザインしたマスコットたちのことを指している。さらに独特なのは、俳優ひとりに対して1体のマスコットがいるとは限らず、先述した「CP営業」のCP1組に対して1体のマスコットがいたりもする点だろう。こうしたマスコットたちは、特にBLドラマに出演する俳優CPと対応するかたちで、多く誕生している。
この「理想のファン」たちは2024年ごろから、俳優ごと・CPごとにすこしずつお披露目されていった。はじめのうちはコンセプトを体現して、俳優やCPのファンダムを象徴するようなキャラクターとして扱われていたのだが、徐々に個別のキャラクターとしての存在感が増していく[★8][図5]。

キャラクターごとにタイミングはいろいろではあるのだが、誕生後ほどなくしてこれらのキャラクターの着ぐるみが開発されて、俳優たちのイベントなどに登場するようになる。さらに「MY IDEAL FAN」たちの個別のSNSアカウントも開設され、文章や動画などでの発信をおこなうようにもなっていった。
そうした露出が増えていくなかで見られた特徴的なふるまいがある。それは、キャラクターたちが自分のインスパイア元である男性ジェンダーの俳優たちを「お父さん พ่อ」や「パパ ปะป๊า」という親族呼称で呼ぶようになったということだろう[★9]。ファン代表として誕生したはずのキャラクターが、なぜか俳優たちの子どもとして再定義されるようになったのだ。
そもそも近年のタイドラマのファンダムにおいては、俳優たちを「子」、女性ジェンダーが圧倒的に多いファンたち自身を「母」と呼ぶという慣習が強い。「理想のファン」たちのふるまいはそうした俳優とファンの擬似的な親族関係のなかに自らを置いて、より強固な親密圏を構成しようとする戦略とも考えられなくはない(実際、マスコットたちが実際のファンのことを「おばあちゃん ยาย」などと呼ぶこともある)。ただ管見の限りだと、GLドラマに出演している女性ジェンダーの俳優CPのキャラクターたちが俳優たちを「母」と呼ぶことはあまり多くないようだ。紙幅の問題もあるので深入りは避けるが、このあたりは、男性ジェンダーの俳優CPと女性ジェンダーの俳優CPに期待される役割や物語に差があるのではないかとも考えられる。
また状況が複雑できちんと追いきれていないのだが、最近ではキャラクターたちがSNS上で個別に交流することで、独自の世界やストーリーを構築しているらしい。実際の俳優たちの人間関係とは別のところで、「子」たち同士が勝手に生き始めているともいえるのかもしれない。
とにかく、当初の「MY IDEAL FAN」というコンセプトそのものはどうも割とあっさりと形骸化していったようで、最近ではこのキャラクターたちだけが登壇するようなイベントもひんぱんに開催されている。2025年11月には、埼玉県の羽生市で開催された「世界キャラクターさみっとin羽生」に、GMMTVのキャラクター4体が出演している[★10]。もともとは「ファン」の一員であるとされていた存在のもとにファンたちが集まっていくというのはなかなか混乱を招く状況ではあるが、こうした変化もまた、キャラクターたちへの「かわいい」といった評価とともに自然に受け入れられているようだ。
最後に、日本で展開されたタイのキャラクターの例を見てみよう。昨年10月に閉幕した大阪・関西万博。タイ王国もパビリオンを出展しており、「プーム/プーミ ภูมิ」という言葉をテーマにした展示がおこなわれていた。この語は土地、大地、気候、地理、免疫、知恵など、かなり広い意味合いで使われる語で、あるものごとの根底とか基盤となるものを指す。パビリオン内ではタイの公衆衛生や現代医療、あるいは健康維持のためのタイ料理などに関する、体験型の展示が多く展開されていた。タイマッサージの実演コーナーもあり、筆者が訪問したときも多くのひとがマッサージを受けていた。
このパビリオンの公式キャラクターとして発表されたのが「プーム・ジャイ ภูมิใจ」である。タイ語で「誇り」を意味するこのキャラクターは、白い身体に4つの耳と5つの目をもっている。そう書くとややグロテスクに響くかもしれないが、実際は「癒し系」とも説明されるかわいらしいマスコットだ[★11][図6]。

万博の公式SNSでの説明によるとこのプーム・ジャイは、タイの伝説上の生き物である「四耳五目/メーン・シーフーハーター แมงสี่หูห้าตา」をもとにデザインされており、耳と目はそれぞれ「仏教の教えである「四無量心」と「五戒」を象徴」しているらしい[★12]。四無量心というのはタイ側の仏教の理解でいうと、他者と共生するための、慈・悲・喜・捨と呼ばれる心の4状態を指す。五戒のほうは日本でも比較的知られているかもしれないが、仏教で守るべきとされる5つの戒律、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒のことだ。
ということでこのマスコットは、理念としてはかなり清浄無垢な存在として設定されていることがわかる。医療や健康をテーマとしたパビリオンにはぴったりなのかもしれない。とはいえ、実際にプーム・ジャイに与えられた人格(というべきか?)は、そんなふうに仏性をたたえる静かな存在というわけでもなかったようだ。
来場客がパビリオンに入館すると、最初の待機スペースで紹介動画を観賞することになる。そこにアニメ化されたプーム・ジャイが登場してタイ語の挨拶などを教えてくれるのだが、子どものような高めの声が当てられていて、大変明るくフレンドリーなキャラクター設定だった。
また残念ながら筆者は目にする機会がなかったのだが、図6のような着ぐるみも存在しており、入館者を歓迎してくれることがたびたびあったらしい。ただSNSでプーム・ジャイの評判をすこし検索してみると、大部分の「かわいい」という評判に交じって、「めちゃくちゃ馴れ馴れしい」であるとか「ファンサが激しすぎて引き気味」といった評判がちらほらと見られた。
着ぐるみの場合は「中の人」のさじ加減もあるだろうが、なんにせよキャラクターの理念的なところとはやや離れた形で運用がなされていたともいえるのかもしれない。ただもちろん、パビリオンでひとを出迎えるマスコットとしてはフレンドリーで人懐っこいほうがいいのは当然であって、それが悪いという話でもないだろう。筆者は単に、そういう理念と実態の「ズレ」みたいなものがあったようだ、ということを言いたいだけだ。
さらに付記しておくと、そもそもこのプーム・ジャイのモデルとなった「四耳五目」についての伝承には、もうすこし過激な(?)バリアントがある。この生き物はもともとタイ北部の伝説に由来するものなのだが、耳と目の数を仏教の教えと結びつけたのは、最近まで存命であった北部ラムプーン県の高僧らしい。だが同じく北部チェンマイ県の寺院に残る経典では、だいぶ趣が異なっている[★13]。ちょっと長くなるが、以下に内容をまとめてみる。
その昔パントゥマティ(พันธุมต)の国に、7人の妃をもつ王がいた。国の北方には両親とともに貧しく暮らす少年がいたのだが、幼いころに母を、11歳のときに父を失う。だが父は少年に遺言を残していた。いわく、自分の遺体を埋めたのち、頭(頭がい骨か)が遺体から外れたら、その頭を朝晩拝むこと。16歳になるまでそれを続けたら、頭を引きずってパントゥマティの国の山に行くこと。そこで頭が止まったところに罠をしかけること、と。
少年が遺言のとおりにすると、とある洞窟のまえで父の頭がい骨が止まる。そこに罠をしかけると、翌朝にはクマのような大きな動物がかかっていた。耳が4つあり、目が5つあるこの動物を少年は家に連れ帰ることにしたのだが、エサがわからない。なにをあげても食べようとせず、動物は寝てばかり。だが偶然、少年の起こしていた火から炭の燃え殻がはねて、動物の目のまえに落ちた。すると動物がこの炭の燃え殻を食べる。そこで少年が火を起こした残りの燃え殻を動物のまえに積んでおくと、それを食べたこの動物が、翌朝に金の糞をしていた。これを利用して、少年は大量の金を手に入れることができた。
さてそんな折に、パントゥマティの王のお触れが出る。諸外国の王から娘への求婚がやまないことに嫌気が差した王は、自身の居所から王宮まで金の樋といを通すことができた者に、娘との結婚を許すことにしたのだった。
誰にも達成できないと思われたこの条件だったが、ホー(ฮ่อ)と呼ばれる中華系ムスリムの商人たちの助けを得た少年が、あっさりと樋を建造してしまう。驚いた王にどうやって金を手に入れたのか尋ねられた少年は、四耳五目の話をして、実際に見せてやろうと動物を連れてくる。だが集まった群衆に驚いた四耳五目が走り出して、もともと罠にかかった洞窟まで逃げていってしまう。
どうにか四耳五目を捕まえたい王は洞窟に入るのだが、入口が土砂崩れを起こして、なかに閉じ込められてしまう。片目で外を覗ける程度のわずかな隙間しかない状況で、王は自らの最期を悟り、7人の妃を洞窟のまえに呼び出す。そして、もう自分はここで死ぬので、身につけた巻きスカートをめくって、最後に性器を見せてくれないか、と(なぜ?)。
1人目から6人目までの妃は恥ずかしがってその願いを断るのだが、7人目の妃だけが、同情から巻きスカートをめくり、王に性器を見せてやる。するとそのようすを見ていた洞窟の土砂たちが笑いをこらえられなくなってはじけ飛び、ふたたび洞窟の入口が開いたのだった。
そうして生き延びた王に少年は婿に迎えられ、次代の王となり、パントゥマティ(現在のチェンラーイ県とも言われる)を平和に治めて、貧しい人々を助けていった。こういうできごとがあったので、男というのは本妻よりも妾のほうを愛でるようになったのだった。めでたしめでたし(?)。
こうした伝承から四耳五目は幸運を呼び込む存在として認識されていて、北部のいくつかの寺院には像が建立されていたりするそうだ。とはいえ、もはやオチの部分には四耳五目も登場しないし、物語そのものも教訓も欲望にまみれていて、「プーム・ジャイ」の設定に用いられた仏教の教えとは正反対とすらいってよいだろう。
べつにこのバリアントのほうが特別に認知度の低い物語というわけでもなく、四耳五目の像があるような寺院ならば当然伝わっているもののようだし、インターネットでもすぐに検索できる。タイパビリオンのキャラクター選定の詳しいプロセスまではわからないが、ナショナルイメージにも直結する話なので、こうした伝承についてまったく把握せずにモチーフにしているということもないはずだ。先に挙げた2例のような、誕生したキャラクターのあとからの変化とはすこし違うが、もともとの伝説のいいところだけを自分たちの都合にあわせて利用してキャラクター化しているという点では、これもやはり「一貫性のなさ」のひとつといえるだろうか。四耳五目という「かたち」を自由に使っているわけだ。
話が飛ぶようであるが、タイから帰国後に、とあるPR誌から「タイの『マイペンライ ไม่เป็นไร』という言葉について紹介してください」というインタビューの依頼を受けた。これは「大丈夫」とか「なんともない」とか「問題ない」とか「気にするな」とか、文脈によってさまざまな意味をもちうる表現で、タイの人々やタイ社会の「ゆるさ」とか「おおらかさ」とか「適当さ」みたいなものを体現する象徴的な言葉として、特にタイ好きの外国人のあいだで昔から好まれている。以前の筆者なら、こうした「タイは気楽だ」というようなステレオタイプを強調すること自体にあまり価値を見出せなかったかもしれない。
ただ今回の短い滞在で、古くからの友人たちとひさびさに言葉を交わすなかで、かれらのある種のおおらかさというか「一貫性のなさ」みたいなものにあらためて触れられる瞬間が何度かあった。そして同時にそれが、人間とか社会のもつ強靭さみたいなものとして感じられた。
本連載でもたびたび触れているが、2000年以降のタイは、激しい国内の分断と対立の渦中にあった。そこにようやく変化の兆しが見えたのが、2019年の総選挙における民主化政党、新未来党(พรรคอนาคตใหม่)の躍進と解党、それに続く2020年以降の若者たちによる民主化運動だったといえるのかもしれない。だがそれも結局は弾圧され縮小していった。次におこなわれた2023年の総選挙では新未来党の政策を継いだ前進党(พรรคก้าวไกล)が第一党となったが、これもやはり司法クーデターで解党されるのが2024年。残されて与党となったタイ貢献党(พรรคเพื่อไทย)政権(いっときは前進党と連立を組もうとする程度にはリベラルな政策をもつ政党だった)も、やはり超法規的な司法介入で首相の解任からの解党と続き、2025年11月現在のタイは、結局王党保守派の連立政党が政権を握るかたちになっている。
こうした民意の反映されない政局の混乱に対する失望が続き、さらに絶対に越えられない王室不敬罪の壁が高く立ちはだかるなかで、すこしまえならばもっと政治的にアクティブであったろう友人たちも、かなり「落ち着いて」いるように見えた。その代わりかどうかはわからないが、各々が、いまは自分のために楽しく時間を使う時期というふうに割り切っているようだった。そういう自分の行動を「種まき」と称しているひともいた。一昔まえの政治的な激しさから見ればずいぶん柔和になったというか、あえていやらしい言い方をすれば「転向」したのかとすら思えるくらいに、みんながおとなしく、静かに、丁寧に暮らしていた。
これを「一貫性がない」といって批判するのはかんたんだろう。実際に政治犯としてまだ獄中にいる民主活動家たちも数多いような状況で、暴力的な不正義と不公正が変わらず跋扈するなかで、自分が楽しむために時間を使うなんて、と。ワイン片手に日本人観光客の人生相談に応じている場合か、と。ただタイの感覚でいえば、それはやはり「マイペンライ」なのである。生生流転でも諸行無常でもなんでもいいが、人間はつねに変化を続けていて、そのときそのときのいまをきちんと見つめていく以外に、きちんと生きていく方法もないのだ。
でもそれはただ刹那的で即物的なだけではなく、そのときの自分たちが残した蛹とか抜け殻も、あとから触れられる過去の軌跡として、そこに置かれている。タイのキャラクターたちがどんどんと一貫性なく変化していくのをみなが自然に受け入れているのと同じように、自分たちの変化もそうやって受け入れていけるのかもしれない。今回はそういうおおらかさとか気楽さのなかに、強さとか希望を感じられる滞在でもあった。
とりあえず次回の渡航ではタイ北部に向かう時間をつくって、四耳五目の像がまつられている寺院を訪れてみたい。どうにか幸運にあやかりたいものだ。
本稿は、筆者の企画したツアー参加者との対話があって生まれた。ツアーの参加者および主催者のみなさんに、あらためて感謝する。またさまざまなキャラクターの写真を、ツアー参加者と、日本国内でタイ関係の活動をされる方々から提供いただいた。記して感謝する。
本連載は『ゲンロン』誌との横断連載です。
次回は『ゲンロン19』に掲載予定です。(編集部)
★1 この数年、日本でも、タイ国大使館商務参事官事務所が主催する「タイキャラプロジェクト」と呼ばれる企画展示がたびたび開催されている。タイのさまざまなブランドがデザインしたキャラクターを紹介して、グッズの販売などをおこなうプロジェクトなのだが、残念ながらラブブほどの話題にはなっていない。タイキャラプロジェクト公式アカウントの note を参照。 URL=https://note.com/thaichara
★2 OKI. “ส่อง 5 ปรากฏการณ์ “หมีเนย” มาสคอตสุด (คิวท์) ไวรัล ที่ปลุกทราฟฟิกให้ Emsphere เพิ่ม 30%.” Brand Buffet. 3 Jul. 2024. URL=https://www.brandbuffet.in.th/2024/07/how-butterbear-mascot-effect-to-emsphere/
★3 ““BUTTERBEAR - น่ารักมั้ยไม่รู้ ( Narak Mhai Mai Roo ) | Official MV.” YouTube, uploaded by Butterbear, 24 Jun. 2024. URL=https://youtu.be/VxXqiU34PsM?si=TUKTI7aNQPM94C9L
★4 この動画シリーズだが、そもそもバターベアが基本的に言葉を発さないゆえに、ドラマなどではクールなイメージで知られているアポがテンション高めにひとりで喋り続ける構成になっていて、シュールな雰囲気を醸し出している。ただなんとなくバターベアの「大物感」みたいなものが伝わってきたり、ふたりの動きやリズムが割とマッチしていたり、タイのバラエティー番組によくある意味不明な効果音が多用されていたりして、キャンペーン動画としては結構おもしろい部類に入るのかもしれない。興味のある方はご覧いただきたい。“สุขทันทีกับอาโปและน้องเนย | EP.1 สุขในกรุง.” YouTube, uploaded by Be On Cloud, 16 Sep. 2024.
URL=https://youtu.be/kgeutk7qrzQ
★5 “Butterbear’s 1st Fam Meeting Adventure Awaits! [OFFICIAL AFTER MOVIE].” YouTube, uploaded by Butterbear, 14 Nov. 2024. URL=https://youtu.be/grxkSg3EhP4
★6 参考までに、2025年1月にバンコクで開催された日本のアーティストYOASOBIのアジアツアーのチケットが、最も高い最前列のもので5300バーツだった。なお2025年10月に、タイ出身のメンバーがいる韓国のグループBLACKPINKの世界ツアーの公演がバンコクで開催されたが、こちらは一番高いチケットが8800バーツだった。
★7 「箱推し」は日本の推し活界隈でもともと使われている語で、アーティストやアイドルのグループ全体、あるいはアニメ内に登場するグループなどの集団を応援する行為を指していた。特定のひとりを応援する場合は、「単推し」。
★8 なお「MY IDEAL FAN」についての記述は、本文冒頭に記したツアーの参加者であり、写真の提供もおこなってくれたK氏との会話に示唆を得ている。記して感謝する。
★9 たとえば「テイ เต」と「ニュウ นิว」の愛称で知られる俳優タワン・ウィホックラット(ตะวัน วิหครัตน์)とティティプーム・テーチャアパイクン(ฐิติภูมิ เตชะอภัยคุณ)のキャラクターであるポルカサン(POLCASAN)は、テイのことを「パパ ปะป๊า」、ニュウのことを、タイ語で「お父さん」の語をくりかえした「ポーポー พ่อพ่อ」と呼ぶ。ポルカサンのインスタグラム投稿を参照。URL=https://www.instagram.com/p/DM2q7_qz3lH/
★10 ちなみにGMMTVの公式Xでこのイベント出演を告知する投稿には日本のファンに向けた日本語が添えられているのだが、そこには「皆さん、世界キャラクターサミットin羽生2025で一緒に孫を可愛がりましょう!」と書かれている。
URL=https://x.com/GMMTV/status/1989302298363973757
★11 万博タイパビリオン公式サイトでの説明による。URL=https://thailandpavilionworldexpo2025.com
★12 大阪・関西万博公式フェイスブックページ、2024年12月10日の投稿より。 URL=https://www.facebook.com/expo2025japan/posts/pfbid0C2e6KVPY5x7jPmcw9zhD4cKDxyj3qALoLBRninZwxuR8hRXzoq9HBr9rHvgXWWiFl
★13 本段落以降の伝承についての記述は、以下の記事などを参照した。“สี่หูห้าตาคืออะไร เปิดตำนานความเชื่อโบราณ ช่วยเสริมดวงเรื่องใดบ้าง.” ไทยรัฐออนไลน์. 4 Dec. 2023. URL=https://www.thairath.co.th/horoscope/belief/2745536 ; “แมงสี่หูห้าตา.” คลังความรู้ล้านนา (Lanna Magazine on Cloud). 28 Jun. 2022. URL=https://accl.cmu.ac.th/Knowledge/details/2681



福冨渉
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