『ゲンロンy 創刊号』投稿論文──総評・投稿作品一覧

総評
創刊にあたって『ゲンロンy』誌では、ひろく読者より投稿論文を募集した。掲げた条件は「自由な関心や着眼点、問題意識をもって、わたしたちが生きる時代や社会を考えようとする、意欲的な論考」であること。テーマやジャンル、文章のスタイルは問わない。
まだ姿かたちもない雑誌にだれが投稿してくれるのだろう。選考委員のそのような不安と緊張を裏切って、最終的に、投稿論文には63篇の応募作が集まった。すべての論考に編集委員が目を通したうえで、最終候補作として15篇に絞り込み、さらに討議を重ねて、4篇の掲載作を選出した。およそ5時間に及んだ選考委員の討議から、要点を紹介したい。
応募作は全体として非常に完成度が高く、力のある論考が集まっていた。目立った傾向として、社会論が多数を占め、作品論が少なかった。具体的な作品を取り上げるものもあったが、内容をくわしく論じるよりも、それらの背景にある状況や構造を関心の対象とする論考が多かった。また選ばれるテーマには、労働やビジネスといった、いわゆる「社会人経験」にもとづくものがすくなくなかった。同時に、たとえば『批評空間』の関心領域を引き継ぐような、オールドスクールな批評文も新しい世代の書き手によって書き続けられている。「ビジネスパーソンのための/による批評」と「オールドスクールな批評」のふたつの極が、たしかに令和の批評シーンをかたちづくっている。そのような整理が討議のなかで述べられていた。
このような状況のなかで、今回の選考では、書き手の実存と大きな問題とがうまく接続された論考に、高い評価が集まった。状況分析や理論的考察にかたよって言葉が上滑りしてしまうことなく、かといって自分ひとりの生活や感傷に閉じこもってしまうわけでもない、パブリックに読まれる強度をもった文章が選び出されることになった。
ここに掲載する4篇は、形式的にみれば、「当事者研究」から「カルチャー批評」、「視覚文化論」、「社会派エッセイ」とそれぞれ大きく異なるスタイルである。しかしいずれも、著者の顔が浮かんでくるような問題意識や具体的経験と、あるテクストを批評や評論たらしめるだけの理論的密度とを兼ね備えているといえよう。みずからの病とそれをめぐる人生によって得た思索を、ある画家の分析をつうじて「共病」として概念化しようとする、のしりこ論文。「ボイパ」と「ビートボックス」の現代日本における形成史をたどりながら、それを口腔表現として人類史的な射程のなかに位置づけようとする杉村論文。旅先の土地でなにげなく撮ったスマホの写真から近現代の視覚空間をとらえなおし、建築メディアの新たな可能性をひらこうとする四宮論文。そして、エッセイふうの軽やかな読みくちの文章でいて、批評や思想にたずさわる者たちを鋭く批判し反省を迫る河村論文。思いがけず多様な書き手と文章が集まったが、同時に、共通した時代性と、それが生みだした批評文の魅力も見いだされるだろう。
投稿作の全体をみて、あらためて希望を感じることがあった。たぬかなやたむらかえといったインフルエンサー、タイパや労働法、反出生主義といった社会現象など、いまだ批評がその対象として十分にとらえきれていない新しい話題に果敢に斬り込む文章がいくつも見られたことだ。常識を裏切り、予想不可能なテーマに出会うことこそ、批評の醍醐味である。その楽しさを『ゲンロンy』は追い求めたい。
編集委員 植田将暉、五月女颯、森脇透青、栁田詩織
──────
各編集委員による選評は、今夏刊行予定の『ゲンロンy落選論文集(仮)』に掲載します
◎掲載作 ◯最終候補作 著者より承諾のあった論文を掲載しています
◯うどん二郎 風景今昔──日付と場所から写真を考える
花澤哲文 現実と私小説とフィクションの境界──原田宗典『メメント・モリ』の生と死をめぐる表現から
九里八 大文字の文学のための「まにふぇすと」
飯田千景 「ぷち排外主義」に対抗するための〝 緩い〟多文化共生社会の志向──『クロシオカレント』の「高知県」から
佐藤宏 小説成長論
◯室原卓弥 ブドウ畑と水田──国営ワイナリー播州葡萄園の跡地を歩く
中川瞬希 罪悪感の贈与論──ギフトの毒から回復し続けるために
多賀郷人 実存と実践の狭間で──実存ベースの人間から/へ
◯ガモさん ヒーローとヴィラン──ジャンプ漫画と揺れ動く善悪の価値観
サイトウナヲキ ボンドガールの後ろ髪について──Mr.Children『HANABI』の楽曲分析
◎のしりこ 共病のすすめ──フリーダ・カーロと病いを生きること
ズーガズー 道徳は人類を征服するか──個の困難について
オータ。 スーパーフラットとはなんだったのか
◯黒澤舜 ゲームによって〝 洗浄〟される労働の強制
井上竜也 現代日本の問題点とその克服についての予察──民俗社会を捉え直す
清水純也 「出生を肯定する」とは何か
松井健人 『思考の整理学』を思考する──自己啓発的読書のありか
木村政樹 「批評と研究の接点」再考──ゼロ年代批評に宿る可能性
◯齋藤恵汰 戦後80年の運動感覚、小泉明朗「Theaters of Life」
羽賀尚生 競合する被害者たち──イスラエル・パレスチナを歩く
新井崇夫 批評の可能性について──対話が成り立たない現代社会
池原優斗 たむらかえ論──「変なこと」のデザインと、それをやってみるオートエスノグラフィー
鈴木アリサ シリン・ネザマフィ「サラム」が照らす日本社会
◎杉村一馬 口腔表現のルネサンス──なぜ若者は口で音楽を奏でるのか?
◯宮本綾 「ハーパシー」というミソジニー──あるいは、ルンペンプロレタリアートの潜勢力を否定するもの
◯草野大地 タイパと会計──Z世代論
堀雅之 エンタメと訂正可能性、そのラカン的転回
森田健人 「知られていない人の歴史を書く」という方法──歴史家ナタリー・ゼーモン・デーヴィスのミクロヒストリーについて
中島翔平 経験の条件としての可能世界──試論
◎四宮駿介 簒奪される空間体験
草香竜之進 権威主義的パーソナリティ概念と離散的行動状態概念──ドゥルーズ・河合隼雄・中井久夫
尾太優斗 消費に淫する労働者たち──「労使対立」の労働法レジームを撃つ
◯大村壮太 加害者だけがいない社会──たぬかな現象と現代弱者言説の構造分析
泉碩晴 友と敵を超える──選択的夫婦別姓制度を参考に
岡部泰河 全てが「大衆」に飲み込まれた時代
中川有杜 徳としての愚かさ
◯福本英人 「手法」の時代に
正林俊介 境界を越える熱 アートと思想のヒートマップ──五浦からアブダビへ、文化の越境をめぐって
藤橋宙生 好奇心・誇り・恐怖──リチャード・ローティの感情教育論における「文学」の役割
金玄郁 『敗戦後論』後論──ナショナリズムを媒介せず戦後責任を論じることは可能か
三ツ木ニレ 分離する医療を受け止める
◯登坂車線 「めでたい」のまわりをブラブラ歩いてみたこと
田渕舜也 「データベース消費」からみた参政党「新日本憲法(構想案)」──民主主義による自由主義の溶融に抗して
夏井俳玖 「アカデミック」と「非アカデミック」の間で考える──大学内外の研究スタイルとニューロダイバーシティ
輿水光明 自転車泥棒──公認心理師キンキーのケア論
◎河村賢 ユーモアとしての菜食主義
◯福田健心 瑠璃を数えあげたら──地蔵の宇宙技芸とヤドカリの慰霊碑
アイスカハラ 「そのライヴの〈作者〉とは誰か」
磯部鑑セス ランドロギュノス試論──21世紀の柄谷・ジジェク主義者
江永泉 「力こそパワー」──ポストモダン、サイコパス
おちちうえ 言葉と金



植田将暉

五月女颯

森脇透青

栁田詩織
『ゲンロンy 創刊号』
- ついに発売!『ゲンロンy 創刊号』はウェブでも読める
- 【全文無料】『ゲンロンy 創刊号』編集後記|植田将暉+五月女颯+森脇透青+栁田詩織
- ヒューモアとしての菜食主義|河村賢
- 簒奪される空間体験|四宮駿介
- 口腔表現のルネサンス──なぜ若者は口で音楽を奏でるのか?|杉村一馬
- 共病のすすめ──フリーダ・カーロと病いを生きること|のしりこ
- 『ゲンロンy 創刊号』投稿論文──総評・投稿作品一覧
- 瀬戸内海に権利はあるか──自然の権利2.0と憲法学の想像力|植田将暉
- 無垢なる自然よ現われよ──パソナの地域開発と淡路島|林凌
- 四国には日本のすべてがある|三宅香帆+谷頭和希+植田将暉
- 政治認識論の意義 惑星的なものにかんする覚書 第6回|ユク・ホイ 訳=伊勢康平
- デジタル帝国と電車男──専制と民主主義のはざまで|李舜志
- はてなき天下の夢──現代中国の「新世界秩序」について|伊勢康平
- 陰謀論を育てる──ジョージアのディープな夢|五月女颯
- 新しい帝国とその時代|石橋直樹+伊勢康平+五月女颯+森脇透青+植田将暉
- 聖なるルーシと狂った夢──戦時下のロシアから|大崎果歩
- 天球から怪物へ──国学の図像的想像力|石橋直樹
- フィンガーメイド時代の芸術作品|布施琳太郎
- 陰謀の手応え──擬人の時代について|森脇透青
- 指先から考える──導入のための短い会話|森脇透青+布施琳太郎+石橋直樹+植田将暉
- タイのキャラクターとマイペンライにまつわる覚書、2025年版 タイ現代文学ノート #12|福冨渉
- 斉藤さんへ|伊藤亜和
- AIにメンケアされる私たち──感情労働はいかに代替可能か|佐々木チワワ
- The Streets Are Alright.──ストリートは反革命の場となるか|中村拓哉
- 令和カルチャーって、なに|森脇透青+山内萌+吉田とらじろう+植田将暉
- かわいいDIY|山内萌
- 【全文無料】創刊にあたって|『ゲンロンy』創刊号編集委員



