天球から怪物へ──国学の図像的想像力|石橋直樹
ここに、ひとつの流れ着いた図がある。完全な円のうちに天と地と海が並べられ、その円そのものが世界を包含しているようにすらみえる[図1上]。これは地球だろうか。しかし、面足尊・綾惶根尊の神名がそれに対応する円に書き込まれるとき[図1下]、それはわれわれが知っている地球ではないことが明らかになる。少なくともいえるのは、この図は世界をひとつに記述していこうとする思考そのものであるということだろう。

宇宙はかくしてひとつの簡単な図に集約される。「古は地形方にして、未だ円なるを知らず。慶長年中、蛮人ここに往来して以後、正に人は地の表裏にありて、全体は円なるを知る。始めて聞く者はみな驚く[★1]」。図像という思考、それは形への衝撃とともにある。近世の日本において、ひとつの世界が構築されるとき、まさにそれはこのような〈図像的想像力〉とともにあった。
怪物的真理の発見
いま、ここで観ているのは、日本初の国産暦である貞享暦を作成した暦学者・渋川春海(1639─1715年)の世界図である。おそらく近世において最も卓越した科学者の一人であろう。
春海は、中国暦法の範とされる授時暦の推算法に習熟しながら、日本における地域差(里差)と時代差(消長法)を考慮に入れて貞享暦を作成した。しかし、春海には裏の顔があった。神道家として土守神道を創始し、神武天皇が作成したとされる「失われた古暦法」を復元していったのである[★2]。この復元は後世偽造とも指摘されるものなのであって[★3]、暦術や天文術を実際に運用する近世的科学者としての春海が、ある種の断絶をもって宗教者へと変貌していったといえる。
そこで問うべきは、科学なるものの反転可能性、すなわち、この科学思想の芽生えが切れ目なく、〈神代〉の発見という問題に変容していくこと自体だ。そうして発見された〈神代〉がたとえば、国学者の平田篤胤(1776─1843年)へと至ってどのように変遷していくのかということがこの新たな時代に考えられるべき問いなのである。


石橋直樹




