世界は五反田から始まった(16)アイウエオの歌|星野博美
初出:2020年4月17日刊行『ゲンロンβ48』
前回は百年前のスペイン風邪(一九一八‐一九二〇年)に寄り道をしたが、今回は再び荏原無産者託児所に戻る。
一九三一(昭和六)年十一月、桐ケ谷に荏原無産者託児所が開設すると、東京にはさらに二つの無産者託児所が開かれた。一九三二年三月、南葛飾郡亀戸町にできた亀戸無産者託児所と、翌四月に南葛飾郡吾嬬町にできた吾嬬無産者託児所である。いずれも低賃金労働者の多かった地域だ。これら託児所の統一的運営にあたったのは、日本労農救援会準備会である。この労農救援会は、日本共産党の指導のもとに労働者、農民の生活と運動への援助と救援をめざして設立された組織だったが、「準備会」のまま姿を消すことを余儀なくされた。弾圧によって全員が検挙されてしまったからだ。無産者託児所も一九三三(昭和八)年八月、弾圧が激しくなって存続が不可能になった。二年足らずの短い命だった。
無産者託児所の経営は、「我々無産者の立場に立つ託児所を設立しなければならぬ」という理念に共鳴した著名人や親たちの寄付に頼っていた。「無産者託児所設置協力よびかけ」に応じて、維持会員として募金に応じた各界人士には、長谷川如是閑(ジャーナリスト、評論家)、大宅壮一(評論家)、恩地孝四郎(版画家)、織田一磨(版画家)、丸岡秀子(社会運動家)、平林たい子(作家)、三好十郎(作家)、秋田雨雀(作家、社会運動家)、柳田國男(民俗学者)、新居格(評論家、社会運動家)、河崎なつ(女性解放運動家)、柳瀬正夢(画家)、山本有三(作家)、河上肇(経済学者)、長谷川時雨(作家、社会運動家)、細田民樹(作家)、神近市子(ジャーナリスト)、中条百合子(作家、のちの宮本百合子)……といった、当時の文芸界や社会運動を代表する、そうそうたる面子が揃っている[★1]。
荏原無産者託児所設立当初の児童数は男児九人、女児十人の十九人で、保護者の職業は工場労働者十人、失業者三人、石工一人、小商店主一人、その他四人だった。
二年足らずしか活動できず、地元住民の記憶にもまったく残っていない荏原無産者託児所に、永遠の命を吹きこんだのが宮本百合子の小説『乳房』である。
初めて読んだ頃、その託児所がどんな場所だったのかを私はよく理解していなかった。彼女が共産党員であること(小林多喜二と同じく一九三一年に入党)や、共産党員の宮本顕治の妻となる(一九三四年入籍)ことなどは知っていたものの、「貧しい労働者のために無償保育を行う託児所」というイメージを終始抱いていたのである。
しかし無産者託児所の成り立ちを知るにつれ、それは大きな思い違いだとわかった。ここはただの、そしてタダの託児所ではない(微々たる託児料を徴収していた)。当時すでに非合法化されていたが、日本共産党の肝煎りによる託児所だったのだ。
子どもたちがここで歌っていた歌を見れば、一目瞭然であろう。
社会主義国家フェチだった私などは、「ピオニール(ピオネール)」という言葉を耳にするだけで、奥底にしまいこんだ遠い記憶がうずくようで胸が震える。こんな当時の新聞記事が『品川の記録』に掲載されている。
戸越銀座を児童が革命歌を歌いながら練り歩いていたのか! こういう事実は、戸越銀座商店街の片隅に展示された銀座のレンガ(関東大震災で壊滅的被害を受けた銀座が、大量の瓦礫の処分に困っていたところ、戸越銀座の商店主たちがレンガを譲り受け、水はけの悪い通りに敷いたのである)とともに、銅板プレートに刻みこんで展示してもらいたいものである。
一九三一(昭和六)年十一月、桐ケ谷に荏原無産者託児所が開設すると、東京にはさらに二つの無産者託児所が開かれた。一九三二年三月、南葛飾郡亀戸町にできた亀戸無産者託児所と、翌四月に南葛飾郡吾嬬町にできた吾嬬無産者託児所である。いずれも低賃金労働者の多かった地域だ。これら託児所の統一的運営にあたったのは、日本労農救援会準備会である。この労農救援会は、日本共産党の指導のもとに労働者、農民の生活と運動への援助と救援をめざして設立された組織だったが、「準備会」のまま姿を消すことを余儀なくされた。弾圧によって全員が検挙されてしまったからだ。無産者託児所も一九三三(昭和八)年八月、弾圧が激しくなって存続が不可能になった。二年足らずの短い命だった。
無産者託児所の経営は、「我々無産者の立場に立つ託児所を設立しなければならぬ」という理念に共鳴した著名人や親たちの寄付に頼っていた。「無産者託児所設置協力よびかけ」に応じて、維持会員として募金に応じた各界人士には、長谷川如是閑(ジャーナリスト、評論家)、大宅壮一(評論家)、恩地孝四郎(版画家)、織田一磨(版画家)、丸岡秀子(社会運動家)、平林たい子(作家)、三好十郎(作家)、秋田雨雀(作家、社会運動家)、柳田國男(民俗学者)、新居格(評論家、社会運動家)、河崎なつ(女性解放運動家)、柳瀬正夢(画家)、山本有三(作家)、河上肇(経済学者)、長谷川時雨(作家、社会運動家)、細田民樹(作家)、神近市子(ジャーナリスト)、中条百合子(作家、のちの宮本百合子)……といった、当時の文芸界や社会運動を代表する、そうそうたる面子が揃っている[★1]。
荏原無産者託児所設立当初の児童数は男児九人、女児十人の十九人で、保護者の職業は工場労働者十人、失業者三人、石工一人、小商店主一人、その他四人だった。
ここんちブルジョアだね
二年足らずしか活動できず、地元住民の記憶にもまったく残っていない荏原無産者託児所に、永遠の命を吹きこんだのが宮本百合子の小説『乳房』である。
初めて読んだ頃、その託児所がどんな場所だったのかを私はよく理解していなかった。彼女が共産党員であること(小林多喜二と同じく一九三一年に入党)や、共産党員の宮本顕治の妻となる(一九三四年入籍)ことなどは知っていたものの、「貧しい労働者のために無償保育を行う託児所」というイメージを終始抱いていたのである。
しかし無産者託児所の成り立ちを知るにつれ、それは大きな思い違いだとわかった。ここはただの、そしてタダの託児所ではない(微々たる託児料を徴収していた)。当時すでに非合法化されていたが、日本共産党の肝煎りによる託児所だったのだ。
子どもたちがここで歌っていた歌を見れば、一目瞭然であろう。
「アイウエオの歌」
アイウエ オヤジハストライキ
カキクケ コドモハピオニーロ
サシスセ ソレユケオーエンダ
タチツテ トチユノテキドモヲ
ナニヌネ ノコラズケシトバシ
ハヒフヘ ホンブヘキテミレバ
マミムメ モリモリビラスリダ
ヤイユヱ ヨシキタオラピケダ
ラリルレ ロシアノコドモラニ
ワヰウエ オレタチャマケナイゾ
用意はいいか さあいいゾ[★2]
社会主義国家フェチだった私などは、「ピオニール(ピオネール)」という言葉を耳にするだけで、奥底にしまいこんだ遠い記憶がうずくようで胸が震える。こんな当時の新聞記事が『品川の記録』に掲載されている。
「子供を誘惑する赤い保母檢擧 無産者託兒所で活動」
数日前市外荏原町戸越通りを数名の小兒が一團となつて革命歌をうたひ歩いてゐたのを荏原署高等係が怪しみ内偵すると市外大崎町桐ヶ谷一一六荏原無産者託兒所保母川崎けい子(二三)が全協教育労働部の指令によりピオニール(赤色少年團)の結成に努めすでに付近の小學兒童四、五十名を誘ひこんでゐた事が發覺。川崎は二十六日来留置され引つづき多數の關係者が召喚されてゐる
川崎けい子は昨年八月本所業平小學校を赤化運動で解職されたが同年十一月前記荏原託兒所開設と同時に保母となり頑是ない幼兒に赤い息を吹きこむべくプロレタリア兒童學藝大會を催す一方幼兒の家族の少年少女をも集めつねに左翼劇場の観覧や兒童プロ演劇「赤いメガホン」を演出させたりしてゐた(後略)
東京朝日新聞(昭和7年5月29日)[★3]
戸越銀座を児童が革命歌を歌いながら練り歩いていたのか! こういう事実は、戸越銀座商店街の片隅に展示された銀座のレンガ(関東大震災で壊滅的被害を受けた銀座が、大量の瓦礫の処分に困っていたところ、戸越銀座の商店主たちがレンガを譲り受け、水はけの悪い通りに敷いたのである)とともに、銅板プレートに刻みこんで展示してもらいたいものである。
いま広く読んでほしい、東京の片隅から見た戦争と戦後
星野博美
1966年東京・戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家、写真家。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第2回いける本大賞、第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著書に『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『のりたまと煙突』(文春文庫)、『みんな彗星を見ていた―私的キリシタン探訪記』(文春文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)など、写真集に『華南体感』(情報センター出版局)、『ホンコンフラワー』(平凡社)など。『ゲンロンβ』のほかに、読売新聞火曜日夕刊、AERA書評欄、集英社学芸WEBなどで連載中。
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