世界は五反田から始まった(27) 焼け野原(4)|星野博美
初出:2021年3月24日刊行『ゲンロンβ59』
2021年2月13日に福島県沖を震源として発生した地震は、品川区も震度4の揺れとなり、久々に緊張が走った。他の部屋は何事もなかったが、仕事部屋の本棚に適当につっこんでおいた本が崩れ、20冊ほど床に散乱した。片付けていたら、その中から山田風太郎の『戦中派不戦日記』(講談社文庫、2002年)が出てきた。
それは買ったけれどまだ読んではいない、いわゆる「積ん読本」だった。2002年版なのでここ数年の間に買ったものと思われるが、特に山田風太郎の読者でもない自分がなぜこの本を買ったのか、理由も覚えていない。私が彼について知っていることといえば、『魔界転生』の著者だということくらいだった。それも小説を読んだわけではなく、1981年に公開された沢田研二主演の映画(深作欣二監督)に熱狂しただけ。
なぜなんだ……記憶を遡っていく。そしてようやく、ネットで見かけた記述を思い出した。戦前東五反田にあった五反田劇場という映画館に、山田風太郎が通っていた、というものだ。
それで本書を買った割にはそれも放りっぱなしで、地震で崩れたからようやく手にとるという体たらく。自分の怠惰さに情けなくなる。
そしてようやくいまになって読み始めた。結論から先にいうと、山田風太郎は大五反田と関係大ありだった。
それは買ったけれどまだ読んではいない、いわゆる「積ん読本」だった。2002年版なのでここ数年の間に買ったものと思われるが、特に山田風太郎の読者でもない自分がなぜこの本を買ったのか、理由も覚えていない。私が彼について知っていることといえば、『魔界転生』の著者だということくらいだった。それも小説を読んだわけではなく、1981年に公開された沢田研二主演の映画(深作欣二監督)に熱狂しただけ。
なぜなんだ……記憶を遡っていく。そしてようやく、ネットで見かけた記述を思い出した。戦前東五反田にあった五反田劇場という映画館に、山田風太郎が通っていた、というものだ。
それで本書を買った割にはそれも放りっぱなしで、地震で崩れたからようやく手にとるという体たらく。自分の怠惰さに情けなくなる。
山田風太郎と大五反田
そしてようやくいまになって読み始めた。結論から先にいうと、山田風太郎は大五反田と関係大ありだった。
『戦中派不戦日記』は、満23歳の医学生だった山田風太郎(本名、山田誠也、1922-2001)による、「私の見た『昭和二十年』の記録」である。あとがきの期日が昭和48(1973)年2月なので、少なくとも敗戦から28年がたってから公表されたものだ。
誠也は、亡母の再婚相手である叔父の家を出奔して上京し、昭和17(1942)年に軍需工場である大崎の沖電気に就職した。すでに職業選択の自由はなく、職安で紹介される仕事は軍需工場ばかりだった。そしてこの日記を書く前年の昭和19(1944)年に召集令状を受け取るものの、徴兵検査に不合格。その直後に東京医専(のちの東京医科大学)に合格して、医学生となった。この日記を執筆中の身分は医学生である。下宿先は本書に頻出する「高須さん」の家で、下目黒は大鳥神社の近くにあった。高須さんは沖電気時代の上司で、医学生になったあとも誠也を下宿させてくれた恩人である。のちに誠也は、高須夫人が先夫との間にもうけた娘を伴侶とすることになる。
大鳥神社は、転げ落ちそうになる傾斜で知られる権之助坂を下りきり、山手通りと交差する地点に位置する神社だ。この一帯は、目黒不動尊(瀧泉寺)をはじめ、寺が集中する寺町で、寺が多いのは、江戸時代から桐ケ谷に焼き場があったからだ。私は幼い頃、毎年酉の市になると祖父に連れられ、商売繁盛を祈願する熊手を買いに大鳥神社へ行った。一方、毎月28日に開かれる目黒不動の縁日へは、祖母が連れて行ってくれた。祖父と祖母では、出入りする寺社が微妙に違っていた。
誠也は日記を文語体で書いている。たとえばこんな具合だ。
誠也は、亡母の再婚相手である叔父の家を出奔して上京し、昭和17(1942)年に軍需工場である大崎の沖電気に就職した。すでに職業選択の自由はなく、職安で紹介される仕事は軍需工場ばかりだった。そしてこの日記を書く前年の昭和19(1944)年に召集令状を受け取るものの、徴兵検査に不合格。その直後に東京医専(のちの東京医科大学)に合格して、医学生となった。この日記を執筆中の身分は医学生である。下宿先は本書に頻出する「高須さん」の家で、下目黒は大鳥神社の近くにあった。高須さんは沖電気時代の上司で、医学生になったあとも誠也を下宿させてくれた恩人である。のちに誠也は、高須夫人が先夫との間にもうけた娘を伴侶とすることになる。
大鳥神社は、転げ落ちそうになる傾斜で知られる権之助坂を下りきり、山手通りと交差する地点に位置する神社だ。この一帯は、目黒不動尊(瀧泉寺)をはじめ、寺が集中する寺町で、寺が多いのは、江戸時代から桐ケ谷に焼き場があったからだ。私は幼い頃、毎年酉の市になると祖父に連れられ、商売繁盛を祈願する熊手を買いに大鳥神社へ行った。一方、毎月28日に開かれる目黒不動の縁日へは、祖母が連れて行ってくれた。祖父と祖母では、出入りする寺社が微妙に違っていた。
誠也は日記を文語体で書いている。たとえばこんな具合だ。
〔一月〕三日(水) 晴
(中略)大みそかの空爆にて、三百軒ばかり焼けたる跡を見る。縄張りめぐらせど、何しろ場所広ければその惨憺の景余すところなく見得るなり。げに人間の住みしあとは汚なきものかな。トタン板、焼け石、焼け残りの柱、道具。ところどころにむしろ敷きて、被災者のむれ、整理に働く。いたるところに立退き先を書ける貼紙あり。いまだ余燼鼻をさし、焼失地周辺の家々の持ち出したるたたみや家具や――燃えて無き焼跡よりもむしろこの方が当夜の人々の混乱を想像せしむ。蒼白にひきつりし顔、見ひらかれたる眼、わけのわからぬ絶叫をあげし口など、まざまざと胸痛きまでに思い描かる。[★1]
文語体を使うことで対象や現実と距離を置き、シニカルな立場で戦時下の日本社会を観察している。
時々、突然その文体が変わる。その顕著な例が3月10日だ。
ところが、午後になると突然文体が変わる。
現実世界と接触すると、文体が口語体に変わるのだ。他にも取り上げたい箇所は山ほどあるが、とりあえず先を急ごう。
この日記は元旦から大晦日まで、一日たりとも欠かさずに書かれている。が、12日間だけ、あと追いで書かれたものだ。
このあと、日記は突然6月5日に飛ぶ。
時々、突然その文体が変わる。その顕著な例が3月10日だ。
〔三月〕十日(土) 晴
○午前零時ごろより三時ごろにかけ、B29約百五十機、夜間爆撃。東方の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す。
爆撃は下町なるに、目黒にて新聞の読めるほどなり。[★2]
ところが、午後になると突然文体が変わる。
○午後、松葉と本郷へゆく。
(中略)牛込山伏町あたりにまでやって来ると、もう何ともいいようのない鬼気が感じられはじめた。ときどき罹災民の群に逢う。リヤカーに泥まみれの蒲団や、赤く焼けただれた鍋などをごたごた積んで、額に繃帯した老人や、幽霊のように髪の乱れた女などが、あえぎあえぎ通り過ぎてゆく。――しかし、たとえそれらの姿をしばらく視界から除いても、やっぱりこの何ともいえない鬼気は町に漂っているのである。[★3]
現実世界と接触すると、文体が口語体に変わるのだ。他にも取り上げたい箇所は山ほどあるが、とりあえず先を急ごう。
この日記は元旦から大晦日まで、一日たりとも欠かさずに書かれている。が、12日間だけ、あと追いで書かれたものだ。
〔五月〕二十三日(水) 雨
(中略)○昨日今日珍らしくB29来らず。最近B29の大挙爆撃本土になし。沖縄の戦い、大本営沈黙久しく、新聞の激越なる報道もやや中だるみの感あり。――まさに山雨到らんとして風楼に満つるの日々。[★4]
このあと、日記は突然6月5日に飛ぶ。
いま広く読んでほしい、東京の片隅から見た戦争と戦後
星野博美
1966年東京・戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家、写真家。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第2回いける本大賞、第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著書に『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『のりたまと煙突』(文春文庫)、『みんな彗星を見ていた―私的キリシタン探訪記』(文春文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)など、写真集に『華南体感』(情報センター出版局)、『ホンコンフラワー』(平凡社)など。『ゲンロンβ』のほかに、読売新聞火曜日夕刊、AERA書評欄、集英社学芸WEBなどで連載中。
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