当事者から共事者へ(16) 下北から福島を見る|小松理虔

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初出:2022年2月25日刊行『ゲンロンβ70』

 北の果てで食うマグロ丼は絶品だった。誰もが知っている、あのマグロの味である。けれども、これまで食べたどのマグロよりも強くマグロの味がした。細胞ひとつひとつに脂と旨味が入り込んでいるのではないかと思わせるほどサシは細かく、脂は繊細で、醤油につけると、ふわっと溶け出していく。蓄養マグロのような魚脂ぎょし臭さはなく、筋張ってもいない。大トロのようにとろけてはいかないのがいい。しっかりと食感を残し、噛むと口の中で味が爆発するように一気に広がるのだ。本来、人が味を感知するのは舌のはずだが、歯でも味わっている気がするし、頰の内側でも味を感知しているような気がする。酢飯の具合もほどよく、味覚が口いっぱいに拡張していくかのような、そんなうまさだった。

 目の前に広がる大間の海は、日本海と太平洋を結ぶ津軽海峡に位置する。黒潮、対馬海流、千島海流の3海流が流れ込み、プランクトンが豊富だ。これを狙いに巨大なマグロが来遊する。また、大間のマグロは沖合5キロほどの近海で獲れるため、とにかく鮮度がいい。漁法もまた然りで、魚の体に傷がつかない一本釣りや延縄で漁獲される。鮮度保持へのこだわりが並ではないのだ。と、そんな蘊蓄もまた、味を膨らませる絶妙なスパイスになる。口でも頭でも味わう。大人ひとり分、10分もせずに完食してしまった。

 



 ご馳走様でしたと挨拶し、店の外に出て少し歩いてみた。そばに、石川啄木の歌碑を見つけた。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる


 歌集『一握の砂』に収録された、大変有名な歌である。地元では、この歌は大間崎の沖にある弁天島を詠んだものと言われているそうで、この歌碑も地元の有志が建立したという。啄木は夭折の詩人としても知られる。世界に開けているはずの大海を前にして、泳ぐわけでもなくただ磯場で波を浴びるほかない蟹たちに、自分の行き場のなさを投影したのだろうか。この歌を詠んで改めて大間の海と空を眺めると、晴れがましい気持ちの中に、どこか寂しさ、もの悲しさがつきまとう。

大間の天然マグロ丼。これまでに食べたどのマグロ丼よりもうまかった
 

大間漁港に停泊している漁船。大変数が多く、漁業が地域の中核になっていることがうかがい知れた

北の果ての狼狽


 そもそも今回、なぜぼくがいわきから遠く離れた下北半島にやってきたかといえば、「逃避行」である。連載に何を書けばいいのかほとんど思い浮かばず、「どこかに行けば何かしら書けるだろう」と、辛い現場から逃げるようにしてやってきたのだ。前々回、そして前回と、下北半島の各地、主に旧斗南藩の遺構を巡り、見聞きしたこと、感じたことなどを書き綴ってきた。今回は、旅の2日目の後半と、3日目の模様を紹介したい。

 



 本州最北端のマグロ丼に別れを告げ、大間崎から南西に位置する大間原発を目指す。車で15分ほどだろうか、町から意外なほど近いところに原発はあった。いや、正しくはこの原発はまだ未完成で、1ワットも電気を生産してはいない。完成予定は明確には決まっておらず、朝日新聞の報道では、本格工事の再開が2022年、運転開始は2028年になるとあった★1

 原発を近距離から撮影できるポイントはないか。明らかに怪しい「いわき」ナンバーの車を、これまた怪しい時速10キロほどの速度で運転し、ポイントを探す。すると、幹線道路を一筋ほど入ったところに、関係者が使う通路だろうか、車が1台通れるくらいの幅の道路があった。しばらく走ると、案の定、鉄柵の奥に建屋が見えた。

 至近距離から原発を撮ろうとすると、なぜかいつも少し緊張してしまう。やはりこの鉄柵が、近づく者たちに無言のプレッシャーを与えるのだろう。それに、地元の人や、そこで働いている人たちに見られたらバツが悪いというのもある。そもそも田舎町でカメラを構えていたら、目の前が原発でなくても警戒されてしまうはずだ。それで、別に悪いことをしているわけではないのに、いつも正体不明の緊張を感じてしまうのだった。そういう緊張が、ぼくは嫌いではないのだが。

フェンス越しに撮影できた建設中の大間原発

 
 大間原発は、電源開発株式会社(J−POWER)が管理する原発だ。この「電源開発」という会社、東京電力のお膝元に暮らすぼくにとっては、あまり聞き慣れない会社である。車の運転席に座り、手元のスマホで検索してみる。

 電源開発は、1952年、国策によって立ち上げられたエネルギー会社だ。戦前・戦中の電力需要を担った日本発送電株式会社がGHQによって解体・分社化されたため、戦後の電力生産は脆弱だった。そこで国が法律を定め、旺盛な電力需要に対応しようと電源開発を立ち上げたのだ。まず力を入れたのが、ダム開発と水力発電の整備だった。中でも福島県の「奥只見電源開発事業」は社運をかけたビッグプロジェクトであったようだ。奥只見の水量は全国有数で、慢性的な電力不足に陥っていた首都圏への電力供給拠点として白羽の矢が立ったということらしい。

 前回★2、この奥只見の件を少しだけ紹介した。まさにあの奥会津、奥只見ダムや田子倉ダムなどを建設したのが、この電源開発だったというわけだ。ダムの開発は困難を極め、住民の反対運動も起きた。工事は難航し、多数の殉職者を出すことになる。建設にあたり、そこに住んでいた住民は賠償金を手にしたものの、ふるさとは「帰還困難」なダム湖の底へ沈んだ。繰り返される賠償と離散の歴史。帰還困難区域は、今から50年以上も前に福島県内に存在していたことになる。新しい帰還困難区域をつくったのが東京電力だとすれば、50年前の帰還困難区域をつくったのが電源開発。会津と浜通り、そして下北半島が再びつながり合う。

 



 話を目の前の原発に戻そう。大間原発の最大の特徴は、ウラン燃料だけでなく「MOX燃料」をすべての炉心に使えることだ。「MOX」とは「ウラン・プルトニウム混合酸化物」のことを指す。原子力発電所で使うウラン燃料は、発電の過程でプルトニウムを作り出すが、燃料として使われたあとにも、再利用できるウランやプルトニウムがまだ残っている。残ったウランやプルトニウムは化学的に処理することで取り出すことができ(これがいわゆる「再処理」だ)、それを混ぜ合わせるとMOX燃料ができる。このMOX燃料を原子力発電所で利用することを「プルサーマル」と呼ぶ。そしてこのプルサーマルは「核燃料サイクル」の根幹をなす。つまり、大間原発は核燃料サイクルの中核となる原発だということだ。

 建設工事は紆余曲折を経た。本来は、2014年に運転開始をする予定だったが、2011年の東日本大震災で建設工事が休止状態になる。その後、一旦は工事が再開するも、隣接する自治体である函館市が建設凍結を求めて提訴。それに加え、原子力規制庁の新規制基準の審査にも時間がかかった。加えて政治にも振り回された。昨年行われた自民党総裁選では、当時の行政改革担当大臣だった河野太郎が突如として核燃料サイクルの見直しを発表したことは、新聞やテレビを賑わす大きなニュースになった。計画は、これからも二転三転し続けるのだろうか。

 さらに、昨年8月の豪雨災害では、大間とむつ市をつなぐ国道279号線で土砂崩れが起き、建築資材が運べなくなるという事態にも陥った。そういえば、大間に来るのに通ってきた国道が、たしかに工事中だったことを思い出した。そのときはなんの工事がわからなかったが、豪雨災害の復旧工事だったのか。

 国道279号線は、急傾斜地と津軽海峡の間を縫うような道路だった。たしかに原発で何かが起きたときの避難経路としては心もとない。いや、それ以上に、風景が強く印象に残った。山の斜面と海岸線との距離が近く、平地がほとんどない。海岸沿いのわずかな土地に体を寄せ合うように民家が立ち並ぶ。おそらく、漁業を細々と営むような住民が多いのだろう。どこまでも空は広く美しかった。そしてその片隅に、最北端の土地ゆえの過酷さを感じずにはいられなかった。

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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