当事者から共事者へ(6) 共事と哲学|小松理虔
初出:2020年07月17日刊行『ゲンロンβ51』
連載も6回目である。以前連載されていた「浜通り通信」とは違い、この連載は「共事」というテーマを決めているため、毎回書き上げるのに苦労している。「浜通り通信」は、自分の暮らしの中で見聞きしたものがそのままネタになった。国道6号線をドライブすれば書けそうなネタはいくつも見つかったし、とにもかくにも震災や原発事故、そしてタイトル通り「浜通り」のことを書けばある程度形になった。けれど、この連載はわけが違う。2カ月に1回という頻度に毎回助けられているところだ。
さて、今回はまず、これまでの文章を少し振り返ってみたい。「共事」というテーマは共通しているが、あるときは福祉、あるときは演劇と、書く内容が毎回大きく異なり、このあたりで振り返っておかないと自分自身の考えを大局的に捉えることが難しくなると感じたからだ。第1回でも書いたように、「共事」という言葉は、ぼくが勝手に閃いただけの言葉であり、そこになんらかの学術的な裏付けがあるわけではない。それがいったい何を指す言葉なのか、どのような論を展開することができるのか、実社会で起きていることとどのようにリンクできるのか、書いてみないとわからないところがある。その思考のプロセスを開示することもまた「共事」だと開き直り、毎度愚考を書き連ねている次第だ。今後もまたしばらくお付き合いいただきたい。
連載の第1回と第3回では、ぼくが昨年度1年間関わった、浜松市のNPO法人クリエイティブサポートレッツが展開する障害福祉の事業について紹介した。1年間の関わりを通じて、ぼくは、専門的な知識がなくても、個人の関心や興味を通じて目の前の利用者と一緒に「いい時間」を過ごすことができると知った。レッツの支援は、「支援する/される」という関係をしばしば逸脱する。支援者は自分の興味や関心を役立てることができ、スタッフもそれに応じて様々な状況を面白がる。そうしたふまじめにも見える日々の活動を通じて、「利用者のため」だけではなく、自分自身も一緒にいることを楽しんでしまうのである。「支援する/される」が揺らいでしまうことこそ、レッツの支援の醍醐味だろう。
第2回では、昨年の台風19号による水害や、ぼくの関わるいわき市のメディア「いごく」の実践をヒントに、いかにして関わりのハードルを下げるか、いかにして下げたハードルを通じて関わった人たちを許容するかについて考えた。直接的、専門的、当事者的な関わりだけでなく、わずかでふまじめな関わりを許容することが共事のポイントだ。社会的な正しさを根拠にした「◯◯でなければならない」と関わり方を限定するのではなく、「◯◯でもいい」と許容していくことで、1の関わりが生まれたことをポジティブに捉えることができる。そしてそれが、次なる共事者を生み出すことにつながる。そんなことを書いた。
第4回では、北茨城市の旧炭鉱町を訪ねたときの紀行文を寄稿した。3月。福島から離れて過ごしたいと思って訪ねた北茨城だったが、当地から離れたことで、福島の復興の現状に別の角度から光を当てることにつながった。現場でゼロ距離で事に当たるのではなく、むしろ遠くに迂回して考えることを通じて事を共にする。そこで生まれる豊かな思考について、ぼくの母の記憶とともに伝えた。そのまち歩きは、結果として「記憶とともに歩くこと」の発見につながった。そして前回の第5回の記事では柳美里さんの『町の形見』を材料に、まち歩きと演劇、フィクション、共事について雑多に考えた。目の前で演じられる悲劇に、ぼくたちは共事することしかできない。けれど、共事することしかできないフィクションだからこそ、悲しい事実は単なるもっともらしさを離れ、真実としか言えない力を与えられて、そこに共事した人たちに手渡されていくのだ。
直接的に事に当たることができないから、ぼくたちは事を共にすることしかできない。だから共事者は、専門家や当事者からみれば、わずかな関わりしか生み出さないように見えるだろう。そこに一緒にいるとか、一緒に考えるとか、まちを歩いてみるとか、自分の関心や興味に引きつけて面白がってみるとか、できるのは、せいぜいその程度のことだ。直接的に課題を解決するわけではない。自分勝手のようにも見えるだろう。けれども共事者は、むしろ真剣に、当事者とは別の方法で、興味や関心があるからこそ、そこに一緒にいて、思考を巡らせ、その状況を楽しんでいるとも言える。レッツの活動を例に取るならば、そういうあやふやな関わりの中に、一方的に「支援する」のでも「支援される」のでもない揺らぎが生まれ、「ナントカ障害者」というレッテルの外部にある「その人らしさ」が見つかるのかもしれない。
今回考えたいのは、一緒にいる、考える、想像する、まちを歩く、といった行為そのものについてだ。当事する能力も技術もないからこそ、ぼくたちにはそうすることしかできないわけだけれど、支援のプロであるレッツのスタッフは、当事者でありながら、積極的に、そうした共事的な支援を取り入れているように見える。そこで今一度、レッツの支援を振り返りながら、一緒にいる、共に考える、想像するという行為に、いったいどんな意味があるのかを考えてみたい。
そのうえで大きなヒントになりそうなのが、國分功一郎さんの著作『中動態の世界――意志と責任の考古学』である。大変話題になった本である。同書を読んだ読者も多いことだろう。ぼくは哲学や思想の専門家ではないから、これから書く解釈が正しいのかはわからない。けれど、当事者の理論の外で自由気ままに思考を巡らすことができるのが共事者の「特権」だ。蛮勇を承知で、今回は中動態をヒントに「事を共にすること」を考えてみたい。
小松理虔
1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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