当事者から共事者へ(17) ウクライナ侵攻と共事の苦しみ|小松理虔

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ゲンロンβ71 2022年3月23日配信予定
 なかなか深く眠れない日が続いている。仕事をしていても気持ちがどこか乗らず、気怠さを感じて事務所のソファーに横たわってしまったり、かといって昼寝しても体の怠さが抜けず、ぼんやりとニュースサイトをザッピングして夜を迎えたり。そんな日が何日か続いている。

 3月。本来ならば震災について、そして原発事故について思い馳せ、12年目を迎える福島の復興のありようや課題、廃炉の現状などについて考え、いまを知る助けになるようなテキストを書かねばならないタイミングだ。ところが、どうにもこうにも書き進められないのだった。じつはこのテキストも、4回ほど別のテーマで書き始めた(いったんは食や観光について書いてみた)が、まったく文章が進まず、消しては書き、書いては消しを繰り返したすえに、またこうして暗澹とした気持ちを抱えながら文章を書き始めた次第だ。

 



 筆が進まない理由は明白である。ロシアによるウクライナへの侵攻だ。テレビをつければ激しい爆撃の様子や住民が泣き叫ぶ様がレポートされ、専門家や政治家が舌鋒鋭く情勢を語っている。新聞社は1面から多くの紙幅を割いてさまざまな記事を掲載しているし、ツイッターを開けば、現地からの生々しい報告や各国の記者たちの論考を目にしない日はない。フェイスブックにもインスタグラムにも、青と黄色の国旗が踊っている。

 状況をできるだけ正確に理解しようとメディアに接続すれば、多くの感情にもぶち当たる。SNSには、現地の人たちの叫びや訴えばかりではなく、怒り、悲しみ、不安、あらゆる負の感情が溢れているように見える。しかしそれでもなお、わずかな希望を持ち、生きようとする声、助けを求めようとする声を発しようとする人たちもいる。またあるいは、この侵攻を自己の主張を強化するために利用しようという人もいる。彼らの激しい言葉や感情を容赦なく浴びせかけられるうち、受け取る情報の量が自分の許容量をオーバーし、それで疲れ切ってしまったのかもしれない。これほど多くの言葉にさらされるのは原発事故以来だろうか。

 



 と言っても、あのときにはこれほど強い疲労感はなかった気がする。メディアやSNSの言葉を追いかけるより、ぼくは掃除する時間を優先しなければならなかったし、水を汲みに行かねばならなかった。スーパーに並んで食糧を手に入れ、開店するかもわからないガソスタの前に車を停め、ガソリンが供給されるのを待つ必要もあった。そうなのだ。ぼくは圧倒的に災禍の「内側」にいて、具体的な行動ができた。いまのように情報を「受信」する側ではなく、圧倒的に「発信」する側にいたと言い換えてもいいだろう。だから、他の人がどんな発言をしているかなんてほとんど気にはならなかった。日々の状況、自分の動き、思いを発信しさえすれば、それは読まれ、多くの人にシェアしてもらえた。あっという間に、ツイッターのフォロワーが2倍、3倍になった。ぼくはあのとき、やはり「当事者」だったのだ。

 ところが今回は、ウクライナの人たちに「当事」することができない。ぼくの家の前に爆弾が落ちてくるわけではなく、住む家に困っているわけでもない。自分で言葉を発する必要はなく、ただただ情報を受信するだけでいい。むしろその気になれば、赤ワインでも飲みながら夜のニュースを眺めることだってできるのだ。それはとても気楽で、歴史の潮目に立つ高揚感や、ある種の興奮すら感じられるかもしれない。もちろんぼくのように、疲労感や無力感、やるせなさ、不安を感じる人も多いだろうし、熱狂と不安の間で「宙吊り」になるような感覚を覚える人もいるかもしれない。

 それは「非当事者」であっても「無関心」とは限らないからだ。ぼくはそうした非当事者だが関心はある人たちを「共事者」と呼んで、ポジティブな意味を考えてきた。だがそんな人こそ、情報や感情に振り回されたり、また当事者の声を利用してしまったりする。無関心になることもできず、その現場に当事者として存在することもできず、自分勝手に当事者の言説を受け止めたり、都合よく解釈したり、混乱したり、不安に陥ったりする。その苦しみを生むのも「共事者」という立場なのだと、自分の発明した言葉をいま改めて自虐的に見つめ直している。

被害者とジャーナリズム



 では当事者のすぐそばにいる記者たち、ジャーナリストたちは、当事者にとってよき共事者たり得ているだろうか。当然、記者たちは現地の生の声を伝えようとする。それはメディアの最も重要な仕事のひとつだ。ただ、当事者の声がメディアを通じて伝えられるほど、その声には「言外の重み」のようなものが付け加えられていく。すると外部の人間は、SNSでその声に自分の主張を託そうとし、結果として二項対立化した構造に呑み込まれる。当事者がこう言っているのだから自分の意見に正統性がある、彼らはこう叫んでいる、だからお前らは間違っているのだと。そうして当事者が意図しない言外の重み、意味、価値のようなものを、共事者たちは自分勝手に付け加えてしまう。共事の持つ悪。そう言っていいかもしれない。

 現地の声を伝えようと奔走する記者たちも、当然「主観」を持って取材に当たる。現地のどの声を伝えればいいか、どの人の、どの本音を書けば読者や視聴者に届くかを意図的に選択している。その時点で客観的な報道など存在しない。だからこそ記者たちは、自らのバイアスを意識し、バランスを保とうとする。しかしそれでも主観を完全に排することはできないだろう。当事者の声は、なにかしらのメディアを通じた時点で、もはや純然たる当事者本人の言葉ではなくなっている。記者たちもまた、「共事の持つ悪」と無縁ではいられないのだ。

 



 メディアの持つ共事の悪。自分でそう書いて、ハッと思い出したニュースがある。福島県浜通りのある町に、震災から10年以上、娘の遺骨を探し続けている男性がいる。今年、その男性のもとを、沖縄で戦没者の遺骨収集を続ける男性が訪れたのだが、2人が浜通り沿岸部を捜索すると、なんと娘さんの遺骨の一部が見つかったというニュースだった。ぼくはこのニュースを見たとき、こんなことがあるのかと、なんて奇跡的なことなんだと大きな衝撃を受けた。福島と沖縄の不思議な縁にも思い馳せたし、思わずぼくの娘の顔が浮かんで、不覚にも泣きそうになってしまった。

 



 



 捜索には、何人かの記者やジャーナリストが立ち会っている。当日だったか、同行したジャーナリストが司会を務めるラジオ番組でも、その出来事が紹介されていたように記憶している。福島の男性と沖縄の男性が共に遺骨を探すという話にプレスリリースが出ていたわけではないだろうから、その日に取材できているということは、当事者に長期間密着し、それだけの信頼を得ていたということだ。時間をかけて関係づくりを続けてきた記者たちには、素直に拍手を送りたいと思う。

 しかしその一方でぼくは、正直に白状すれば、その出来事が奇跡的であったがゆえに、できすぎたドラマのような印象も抱いてしまった。2人の出会いから捜索、発見、メディアでの紹介という流れがスムーズすぎる気がしたし、偶然そうなったというより、記者たちが沖縄の男性に声をかけ、福島の男性と共に捜索することを提案したのではないかとも思えたのだった。2人が協力して遺骨を見つけたら復興を象徴する大きな出来事になるし、福島と沖縄をつなげる接点にもなり得る。それで遺骨が見つかれば、父親に大きな希望と力を与えることになるのだからなにひとつ悪いことはない。それは形を変えた支援とすら言えるかもしれない。

 だが、やはりモヤモヤが残った。なぜだろう。記者やジャーナリストたちが、被害者や当事者を、「悲しい被害者」「弱い当事者」として自己のコントロールの範囲内に押さえ込んでいるように感じられたからかもしれない。いや、より正確に言えば、自分たちは間違いなく弱者のためになることをしているのだという1点の迷いも曇りもない、その真っ直ぐすぎる正義感にたじろいでしまったのだと思う。

 弱者の声、被害を受けた人たちの声を伝える。繰り返せば、それ自体はとても重要なことだ。ジャーナリストの仕事の最も重要なもののひとつだと思う。けれど、その大義の正統性をあまりに無自覚に受け入れ、自分は発信する側で当事者は取材を受ける側という、いわば「縦の関係」を無意識に固定してしまってはいないだろうか。

 ある弱者、ある被害者、ある当事者の声を伝えようとするあまり、彼らとの距離を縮めようとするがあまり、自らの強者性、加害性が不可視化され、見えなくなってしまうということは、ウクライナでも起きている。

 象徴的だったのは、ウクライナで報道を続ける欧米のジャーナリストが、意図せず、アジアやアフリカへの蔑視を垂れ流してしまっていることだ。何かの差別に寄り添おうとして、別の差別を生み出してしまうという矛盾が、そこにある。あるツイッターアカウントがジャーナリストたちの発言をまとめているのでそれを見てみると、ジャーナリストたちは「ここで起きていることはアフガニスタンやイラクで中東で起きていることではない。文明が進んだヨーロッパで起きていることなのだ」というようなことを口々にレポートしていた。こんな非常時にすら、いやだからこそ、日常で行われてきた無意識の差別を開陳してしまうのだろう。もしかしたら彼らはそれを失言だとすら思っていないかもしれない。

 



 もちろん、この白人至上主義的なジャーナリストたちの発言と、遺骨発見のニュースは位相が異なる。片方は差別の問題で、片方は無意識の「弱者のコンテンツ化」の問題だ。だが、両者には共通する部分もあると感じる。当事者との距離感の近さだ。その近さゆえ、「弱者の声を伝えている」という無意識の傲り、正当化するようなマインドが働いていないだろうか。自分は良いことをしているはずだ、弱者に寄り添い彼らの声の発信を手助けしているのだからという記者としての「大義」が、あえて悪く言えば「隠れ蓑」のように機能してしまっているように感じる。

 



 どれだけ当事者に寄り添っているように見えても、どの弱者の声を届けるか、どの被害者の声を伝えるか、どの当事者の声を伝えるかという「選択」をしている時点で、それを選べるという時点で、記者やジャーナリストは圧倒的に強者の立場に立っているはずである。どれほど注意深く当事者を取材したところで、彼らを「コンテンツ化」することに違いはない。「取材する/される」という関係には、伝える側の根源的な強者性が立ち現れるはずだ。けれども、記者たちは、あえて言えば「無邪気に」弱者の声を伝えようとしているようにぼくには見えてしまうのだった。それがモヤモヤの正体かもしれない。

当事者の時代の、共事者の苦しみ


 思えば、この日本で、被害者とジャーナリズムとの距離が一挙に縮まり、SNSと融合して情報や感情が拡散していく環境が生まれた契機は、東日本大震災が契機であった。だからこの11年のメディア環境を語るなら、ずっと「当事者の時代」「被害者の時代」だったと言えるのかもしれない。記者たちは、アカウントから直接連絡して当事者と距離を縮めることができるようになった。弱者の声、当事者の声を聞くことは社会的に要請されるアクションになったし、メディアは、当事者ではないからこそ彼らの声に共感しようと努め、声を拡散しようとしてきた。ぼくは、これまで福島の内側にいたからよく見えなかったが、今回、「福島の当事者」から「ウクライナの非当事者」になることで、ようやくこの11年の環境変化を客観視できるようになったのかもしれない。

 



 いまはまだ速報が重要な段階だ。ウクライナの人たちの声を届けるのは記者たちの最も重要な仕事になるだろう。また、改めて書くまでもなく戦争はやめるべきだし、侵攻を指示したプーチンに対しては、批判の言葉を何千と集めても足りないくらいのネガティブな感情を持たざるを得ない。だが、距離の「近さ」だけでは危うい。記者たちは、誰かを、何かの風景を、一瞬にしてコンテンツにしてしまう力を有している。共事者だったはずの記者が距離を詰めすぎれば、容易に、被取材者と「縦の関係」が生まれてしまうし、自分たち記者が、何かを取材し発信しようと思えば、その行いは、時に形を変えた支配関係を生み出してしまうかもしれない。今後はますます複雑な状況になっていくだろう。いまのところ、日本がこの侵攻に「参戦」しているわけではない。記者たちには、読者が冷静に、対象との距離を置いて事態を捉える助けになるような記事を発信してもらいたい。

 記者たちは、「取材する/される」という「縦の関係」それ自体が持つ強者性に常に批判的な視点を向けてこそ記者たり得る。時に当事者から離れ、距離を置き、自らの言葉に身悶えし、慎み、複雑な現実を受け止め、縦の関係を外れようと模索するなかで、それでもなお距離を詰めていかなければいけない。ぼくは、ついつい距離を近づけようと考えてしまう人間だからこそ、そんな書き手でありたいと思うようになった。

 



 ぼくはこれまで、共事者とは気楽なものだと書いてきた。楽しくふまじめで、おもしろいことを重要視してきた。そう書かなければ、自分の中途半端なポジションを肯定的に受け止められないのではないかと考えてきたからだ。ところが今回のウクライナ情勢で、共事者たちは厳しい状況に追い込まれている。悩み、苦しんでいる。しかし、その悩みや苦しみもまた、当事者から距離をとるワンステップにならないか。自分の強者性に悩み、コンテンツ化してしまう強さに苦しみ、当事できないつらさを味わう。もちろん、戦争には反対だ。ウクライナ人たちの叫びや訴えに耳を傾けたいと思う。しかし、離れているからこそ、その奥にあるものを見ようとする姿勢を保てるのではないか。

 苦しさにのたうちまわるのも共事なのだ。4年前に書いた『新復興論』でも、思い返せばぼくはずっと悩みっぱなしだった。それなのに、その悩みや苦しさを「漂白」し、多くの人たちに魅力的に伝えようとするがあまり、ポジティブな言葉で書き連ねようとしすぎたかもしれない。共事の苦しさ、つらさにも、もう少し向かい合わなければいけなそうだ。

 



 ウクライナの南部。ザポリージャ原子力発電所への爆撃が開始されたというニュースメールが届いた。タイムラインは沸き立ち、新聞社の公式アカウントは「速報」を更新する。それでもなお、ぼくたちはワインを飲みながらニュースを消費できる立場にある。それを卑下して「当事」に走るのでも、ニュースを追いかけて当事者の声を探し回るのでもなく、まさに中途半端な立場に留まり続け、悩み、苦しみ、のたうちまわる。そういう共事のことを、いまぼくは考えている。

 

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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