韓国で現代思想は生きていた(1) 柄谷行人はいかにして韓国の知的スターになったか|安天

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初出:2011年10月20日刊行『しそちず! #7』
 韓国の思想界でゼロ年代に最も話題になった外国の思想家を二人挙げるとすれば、スラヴォイ・ジジェクと柄谷行人だろう。今年9月5日付の京郷新聞の記事によれば、2000年以後、ジジェクは23作、柄谷は12作の著書が翻訳された(京郷新聞は左派系日刊紙で、右派系の朝鮮日報・中央日報とは異なりネット上で和訳記事を提供していない)。なかでも柄谷の『近代文学の終り』は1万部以上売られ、ひとつの文学現象になっている。「柄谷行人が『近代文学の終り』を告げたが」という言葉が、韓国の文学言説において枕詞と化したほどである。その後ろには、ジャック・デリダ、ジョルジョ・アガンベン、アラン・バディウ、ジャック・ランシエールの名が連なる。この記事のタイトルは、「ハーバーマスとフーコーの空席、ジジェクと柄谷が埋める」。韓国の思想界において柄谷がいかに注目されているか窺い知ることができよう。

 韓国で日本の小説が大人気なのは、ご存じの方も多いと思う。日本での韓流ブームとは比較にならないほど長い期間にわたって日本の小説が読まれ続けている。コンビニでも日本の小説を目にすることができる。日本の書店で韓国の小説を目にすることはまずない状況とは対照的である。村上春樹は80年代後半から読まれ始め、『1Q84』も世界で最も速く翻訳され1年もしないうちにミリオンセラーになった。最近は韓国作家が書いた小説より、日本小説の翻訳刊行数のほうが多いという。90年代は春樹の他に村上龍、吉本ばなな、江國香織なとどが読まれたが、ゼロ年代に入ってからは平野啓一郎、伊坂幸太郎、東野圭吾、恩田陸、西尾維新、谷川流たにがわながるなどと、読まれるジャンル自体が多様化している。
 この流れから日本の批評も読まれるようになったのだろうか? 実は、あまり関係がない。柄谷以外の日本の批評家が注目を浴びているわけでもない。日本の小説を楽しむ層と、柄谷の著作の読者層はあまり重ならない。前者は(そういうものがあるとすれば)一般大衆である反面、後者は思想や哲学に関心をもつインテリ・クラスタである。よって、韓国での柄谷現象は、日本小説の流行ではなく、韓国の知的言説の変化という文脈からアプローチする必要がある。

 97年、『日本近代文学の起源』(以下『起源』)が柄谷の著作としては初めて韓国に翻訳された。『起源』は、日本の近代文学史を読み替えることで、言文一致、キリスト教、義務教育、遠近法などといった近代日本の知的装置が、意味に汚染されていた前近代的な言葉を近代にふさわしい透明な記号へと変換させていくプロセスを提示した。近代化が、人間の世界認識自体をどのように変えたのかを浮き彫りにしたのである。ここで柄谷は人間の「内面」やありふれた町の「風景」も近代的な知的制度の産物として捉え、近代全般を相対化してみせた。それは、まさしく90年代後半の韓国インテリたちが探し求めていた視点であり、方法だった。その理由を概観してみよう。

 韓国社会は87年の民主化運動で大統領直選制をはじめとする形式的民主主義を勝ち取る。民主化運動は相矛盾した二つの側面をもっていた。ひとつは、様々な議題に対して自由に議論できる政治制度を実現しようとする動き。次に、最優先課題である民主化にすべての力を結集するため、環境・女性・人権・現代史の暗部など、他の諸問題は後回しにする、潜在的な抑圧性をも帯びる動き。この両側面の間に生じるひずみが、90年代に入ってから、それまで後回しにされた諸問題を一気に噴出させる。
 この変化は、社会構成員の多くが共通の話題を楽しむ、いわゆる「大きな物語」中心の社会(近代社会)から、各々の関心事が多様化し「小さな物語」が並存する社会(ポストモダン社会)への移行という変化と構造的に似ている。民主化という一つの大きな物語に共感していた時代から、相異なる身近な諸問題に関心が分散していく時代へとシフトしていったのである。ただ、日本で80年代に全面化したポストモダン化と、韓国の90年代に見られたポストモダン化との間には、無視できない違いがある。韓国の場合、民主化が他の諸問題の社会的議題化を可能にする根幹であるという共通認識があり、この民主化の経験がポストモダン社会への移行後にも韓国社会の政治的関心の高さを維持させる一つの原因となっている。

 韓国にとってポストモダン社会への移行期である90年代、社会変化によってフーコーをはじめとする欧米のポスト構造主義も現実的な説得力をもつようになり、思想や学問的方法論として本格的に受け入れられていく。しかし、欧米のポスト構造主義者たちはあくまでも欧米の近代化プロセスに対する批判に力点を置いており、その枠組をそのまま朝鮮半島の近代化プロセスに適用するのは無理があった。ポスト構造主義を理論的には導入したものの、それを具体的に韓国社会や歴史の記述に応用する方法が分からず手探りしていた韓国の文系インテリたちの前に、突如姿を現したのが『起源』であった。

 日本は欧米以外の国で唯一、自力で近代化に成功した国である。朝鮮半島にとって日本の先例が欧米に比べてはるかに参考になることは容易に想像できよう。さらに朝鮮半島における近代化の多くは日本による植民地化の過程とも重なる。『起源』で柄谷が「制度」と呼んでいたものは、そのまま植民地化を通して朝鮮半島に移植されていた。90年代後半の韓国の文学・文化研究者たちからすれば『起源』は、彼らがこれから研究しようとしていた問題のかなりの部分を先取りしていたのである。こうして柄谷行人は『起源』一冊で、韓国の文系インテリたちに鮮烈な印象を与え、韓国の思想界に初めて広く受け入れられる日本の批評家となったのだ。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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