韓国で現代思想は生きていた(14) 韓国にある「青春の墓場」|安天
初出:2014年9月15日刊行『ゲンロン通信 #14』
韓国にあって日本にないもの。当てはまるものは数え切れないほど多くあるだろう。しかし、ひとの人生をじかに左右するような重苦しい違い、個人の努力や選択では如何ともし難い頑なな違い、特に男性の人生計画に多大な影響を及ぼす決定的な違いは、それほど多くないはずだ。そう。韓国には徴兵制があり、日本には徴兵制がない。
周知のように、日本には憲法上定められた「国民の三大義務」がある。保護している子どもに教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務である。一方、韓国には憲法に記されている「国民の四大義務」というものがあり、日本の三大義務に「国防の義務」が追加された内容になっている。憲法上、韓国国民は日本国民と比べて義務が1つ多いのである。
憲法には「大韓民国のすべての国民が国防の義務を負う」と記されているものの、実際の運用においては男性のみが徴兵の対象である。男性が韓国国籍をもって生まれた瞬間、人生のレール上に徴兵という駅が待ち構えている、ということだ。その駅に止まらずに通過する人もいるけれども、それはあくまで例外であり、ほとんどの青年は兵役に服すこととなる。
もちろん、僕もその一人だったし、僕の息子の未来においても徴兵という義務は、生々しい輪郭とともに重々しく立ちはだかっている。彼は普通の日本の小学校に通っているが、クラスメートのなかで自分の未来を思い描くとき徴兵を念頭におかなければならないのは彼だけだ。韓国で徴兵制から志願制への転換が起これば話は変わるが、今のところ、その可能性は低い。
したがって、息子が保育園児だったころから機会があるごとに「お前は大きくなれば軍隊に行かなければならない」と話してやらなければならなかった。韓国で生活すればクラスメートをはじめとする周りの男性のほとんどが徴兵と関わりがあるから、いずれ兵隊になるという未来に自然と馴れるようになるけれど、ここは徴兵制の存在しない平和な日本だ。そう簡単に馴れたりするものではない。しかし、もしいやだとしても行くしかないのだから、ともかく避けられない未来を少しでも受け入れやすいように、軍隊へ行くということに頭のなかででも馴れてもらうしかない。
1 憲法が君を呼んでいる
周知のように、日本には憲法上定められた「国民の三大義務」がある。保護している子どもに教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務である。一方、韓国には憲法に記されている「国民の四大義務」というものがあり、日本の三大義務に「国防の義務」が追加された内容になっている。憲法上、韓国国民は日本国民と比べて義務が1つ多いのである。
憲法には「大韓民国のすべての国民が国防の義務を負う」と記されているものの、実際の運用においては男性のみが徴兵の対象である。男性が韓国国籍をもって生まれた瞬間、人生のレール上に徴兵という駅が待ち構えている、ということだ。その駅に止まらずに通過する人もいるけれども、それはあくまで例外であり、ほとんどの青年は兵役に服すこととなる。
もちろん、僕もその一人だったし、僕の息子の未来においても徴兵という義務は、生々しい輪郭とともに重々しく立ちはだかっている。彼は普通の日本の小学校に通っているが、クラスメートのなかで自分の未来を思い描くとき徴兵を念頭におかなければならないのは彼だけだ。韓国で徴兵制から志願制への転換が起これば話は変わるが、今のところ、その可能性は低い。
したがって、息子が保育園児だったころから機会があるごとに「お前は大きくなれば軍隊に行かなければならない」と話してやらなければならなかった。韓国で生活すればクラスメートをはじめとする周りの男性のほとんどが徴兵と関わりがあるから、いずれ兵隊になるという未来に自然と馴れるようになるけれど、ここは徴兵制の存在しない平和な日本だ。そう簡単に馴れたりするものではない。しかし、もしいやだとしても行くしかないのだから、ともかく避けられない未来を少しでも受け入れやすいように、軍隊へ行くということに頭のなかででも馴れてもらうしかない。
2 青春の墓場
韓国で軍隊は「青春の墓場」とも呼ばれる。多くの青年たちにとって軍隊というものは「墓場」に比喩したくなるほど、かなり不本意で、そこそこ暗く、ともすれば相当惨めなものなのだ。愛国を実践することによる溢れる喜びと、家族と国を自分の手で守ることから来る誇りで胸をふくらませながら「国防の義務」を果たす強者がいないわけではないが、その数は少ないと思う。割合でいえば、四つ葉のクローバーに巡りあう確率くらい、といったところだろう。大多数は課せられた義務であるため仕方なく「墓場」へ赴く。できれば行きたくないし、なぜ行かなければならないのか腑に落ちないところも多いけれども、事実上他の選択肢はないので兵隊になる。兵役逃れは刑務所行きだ。
何故そのような暗いイメージに覆われているのかについては、おそらくみなさんも大体は見当がつくはずだ。可能性あふれる青春の一時期を自分の意思とは無関係に、始終プライバシーのかけらもないような集団生活を、それも絶対的な上下関係のまっただ中で強いられる。ご多分にもれず自由でのんびりとした生活をこよなく愛した若いころの僕は、軍隊でのガチガチした生活を思い描くだけで辟易したものだ。
兵隊になるといっても、対峙している朝鮮民主主義人民共和国(以下、略して「北朝鮮」と記す)と韓国は長らく休戦状態にあり、徴兵中に命の危険を感じることはほとんどない。乗っている軍艦が沈没したり、配属された基地が砲撃されるようなことが絶対にないわけではないが、可能性としてはゼロに近い。はっきり言って戦死する兵士より自殺で死ぬ兵士のほうがはるかに多い。毎年約100名の兵士が自殺で亡くなっている[★1]。
要するに、青年たちは身の危険を感じるから行きたくないのではない。まともな待遇も受けられず、存在意義の疑わしい理不尽な規則に縛られ、自分の体が自分のものではなくなり、自分の時間が自分のものでなくなるのが嫌なのである。強いてその生活に意味を見出すとすれば、自分の意に反する生活に自分がどこまで耐えられるのか試せることくらいだ。加えて、うまくいけば、新しい環境に適応する能力に磨きをかけることができるかもしれない。しかし、それらを得るために支払う犠牲は計り知れない。なにしろ「青春の墓場」なんだから。
3 「服務期間」と「きつさ」をはかりにかける
兵役に服す期間は、一般的に1年9ヶ月から2年と、かなりの長期間に及ぶ。僕は3年と100日間という、べらぼうに長い期間兵役についていたが、どちらかと言えば特殊なケースであり、このような例外的なケースまで含めて話をするときりがないので、こういったケースについては説明を省くことをご理解いただきたい。
青春における2年間は、もし自分のために使うことができたら、自分の思い描く未来をさらにエキサイティングなものにするに十分な時間である。その時間をまるごと国家に捧げることになるのだから徴兵制は大した制度だとつくづく思う。しかし、なぐさめになる事柄が全くないわけではない。韓国の兵役服務期間は約2年だが、対峙している北朝鮮の兵役服務期間は、驚くなかれ、およそ10年である。
陸軍兵士を志願すれば1年9ヶ月、海軍兵士は1年11ヶ月、空軍兵士は2年間、軍隊生活を送ることになる。陸海空で期間が異なるのは、様々な意味で「きつさ」が異なるからだ。まず、もっとも多いのが陸軍で、平均的に一番きつい代わりに一番短い。一方、海軍と空軍は競争率があって試験の合格者のみ行くことができる。まあ、それほど難しい試験ではないのだが、定員が決まっているので何らかの形でふるい落とす装置が必要なのが実情だろう。
軍隊は戦時に備えるため存在する。したがって、戦時にもっとも厳しい状況におかれる陸軍の訓練や生活は、非戦時においても厳しい。戦時にその厳しさに耐えられないと戦力として機能しないからだ。「前方」と呼ばれる北朝鮮との「国境地帯」は特に厳しく、そこに配属されたら「2年間、体でも鍛えるか」とはらをくくるしかない。
一方、空軍基地は基本的に滑走路のある都市空港のとなりに多く、決定的な戦力である戦闘機などを戦争初期に失わないためには敵の攻撃可能地点から遠いほうがいいので、結果的に比較的安全な「後方」に位置する。また、空軍は戦闘機が、言い換えればパイロットが戦力であり、当然パイロットは職業軍人で、徴兵された素人は基地施設・装備等のメンテナンスや基地防衛などを担当することになる。後方基地を守っている彼らが戦闘しているようだと、その戦争はかなり厳しい状況ということだ。僕も空軍だったが「俺たちが銃を撃たなきゃならない状況だと、その戦争は終わりだよね(笑)」と冗談をいったりしたものだ。
陸軍の徴兵兵士は戦争が起きると真っ先に戦闘に加わる可能性が多く、空軍の徴兵兵士が開戦直後戦闘に巻き込まれる可能性は相対的に少ない。そして、海軍はその中間程度だ。だから、「きつさ」に差が出てくる。徴兵される青年は「服務期間」と「きつさ」をはかりにかけて、各々の決定を下し、兵士になる。
4 たかが2年、されど2年
2年間、社会と隔離されて生きる。もし、入隊前に恋人がいたなら、別れを覚悟したほうがいい。実際、ほとんどのカップルが別れることになるのだから。一言でいえば Out of sight, out of mind だ。3ヶ月に一度、休暇を貰ってシャバに戻る程度では、どうやらカップル関係を維持するのは難しいようだ。そういった意味で、徴兵制は一部の女性にとっても罪な制度である。
2年間、一応給料が出る。笑えるような額だけれども。ブラジルワールドカップで、韓国チームの第1ゴールを入れたイ・グンホ選手が珍記録で話題になった。ワールドカップに出場した選手のなかで、もっとも給料が少ない選手だったのだ。イ選手は徴兵で韓国軍のサッカーチームに所属していて、給料が一般兵士と同じである。月給は日本円に換算すると約1万2000円。断っておくが、ゼロが一つ足りないのではない。これが正しい数字だ。因みに普通に働けば、この10倍は余裕に稼げる。
とはいえ、味に関するこだわりをすべてあきらめれば、軍隊では食事がただで食える。ただ、残念ながらお金を出して舌が喜んでくれそうなメニューを頼むといった他の選択肢はない。2年間、10人以上の人が同じ空間で寝ることに差し支えがないなら、軍隊生活はより快適なものになるだろう。差し支えがあってもどうしようもないので、慣れるしかない。
軍隊生活から何か有意義な要素をあえて引き出すとすれば、この世において自分に与えられた時間を、自分で自由に使えることの大事さを強烈に認識するようになることだ。また、多くの場合、体が健康になる。ただ、無理を強いられ大きな怪我をしたり、体をこわすケースも結構あるので、十分注意が必要だ。
加えて、多くの男性は共通の体験をすることになり、その分、共有できる話題が増える。こんな笑い話がある。韓国の男性同士がお酒を呑むときことさら盛り上がる話題は「軍隊」と「サッカー」の話で、その中でも最も盛り上がるのは「軍隊でやったサッカー」の話である、と。もしかしたら、他にも有意義な要素があるかもしれないが、僕が思いついたのはこの程度である。
そうやって2年を過ごす。たかが2年、されど2年だ。
★1 「減らない兵士の自殺」アジア経済2012年7月20日 URL= http://military.asiae.co.kr/view.htm?uid=2012072010022416606(現在はリンク切れ)
安天
1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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