韓国で現代思想は生きていた(16) 今日と同じ明日──韓国社会の新局面|安天

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初出:2015年12月1日刊行『ゲンロン1』

 韓国と日本は、社会としてどこが似ていて、どこが異なるのだろうか。似ている面は、たくさんある。治安の面では、両方とも世界で最も安全な国に属する。消費文化・サブカルチャーの面でも、趣は異なるものの、どちらも独自に楽しめるコンテンツであふれている。食事文化も似ていて、米を主食としており、醤油と味噌を使う料理が多い。

 生活水準の側面においても、それほど違いはない。両国とも便利で安全な公共サービスや民間サービスが充実しているので、平均的な収入があれば、ほぼ同レベルの生活の質を安定的に保つことができる。経済的な余裕の面で考えれば、平均的な収入で、日本に比べて韓国のほうが、少し余裕のある生活ができるかもしれない。日本は韓国より平均収入が少し高いけれども、物価はそれよりもっと高いため、結果的に韓国のほうが生活に余裕があるということになる。けれども、その差はそれほど大きくなく、何かのついでにちょっぴり贅沢ができる程度の差だ。さらに、その差は縮まってきているので、長期的に見れば、ほぼ同じレベルになる可能性が高い。

 それでは、社会のあり方としては、どうか。両方とも高度に発達した資本主義社会であり民主制国家であるからには、そこまで違いはないといえるのか。それとも、無視できない大きな違いが横たわっているのか。個人的な実感としては、社会の変化速度に大きな違いがある。

 日本は、敗戦直後の絶望的な状況から40年で、世界で2番目の経済大国にまでたどり着くものの、その後、バブル崩壊を経て、いまに至っている。バブル崩壊後の緩やかな経済成長を除けば、そして、世界的にも稀な長期にわたる自民党政権を除けば、かなり変化に富んでいたといえるかもしれない。しかし、現代史に限っていえば、変化の激しさは、韓国のほうが格段に著しい。まさに、めまぐるしい変化の連続であった。もちろん、「変化」なのだから、良い方向と悪い方向のどちらにも急激に動くということだ。

 日本社会において変化が乏しくなりつつあった1990年代、宮台真司はその状況を「終わりなき日常」論を用いて思想的に整理してみせた。一方、常に変化する社会であり続けた戦後の韓国では、宮台真司が受け入れられることも、彼が90年代に唱えた「終わりなき日常」に通じるような思想が台頭することもなかった。しかし最近、思うのだ。今後、韓国社会において「終わりなき日常」論の有効性は高まっていくのではなかろうか。まずは、韓国が経験してきた激動が、どのようなものであったか確認しよう。

1 朝鮮戦争から1970年まで 思想の不毛時代


 1945年、韓国は日本の敗戦で植民地状態から解放され、アメリカの軍政を経て1948年に独立を果たした。しかし、解放と同時にアメリカとソ連によって南北に国が分断され、1950年には分断国家同士の戦争に突入する羽目になる。アメリカを中心とした国連軍と中国の参戦で国際戦争と化した朝鮮戦争は、どちらも勝利することなく「休戦」という形で暫定的な収束に至り、この状態がいまも続いている。

 1960年、日本においては著しい経済成長のかたわら60年安保をめぐって社会的な議論が沸騰していたとき、経済的低迷が継続していた韓国では大統領の不正選挙を糾弾する運動が高まり、当時の大統領は下野後、アメリカに亡命する。韓国にとっては、アメリカに一度支給してもらったものの、戦時下の強圧的な統治と不正選挙で失ってしまった民主主義を、自らの手で勝ち取った瞬間であった。しかし、1年足らずで朴正煕によるクーデタが起き、その後、18年間、韓国の大統領は朴正煕であった。1961年、東京オリンピック開催の3年前のことだ。
 朴正煕大統領の時代に、韓国は経済成長の足場を固め、1970年代中頃には、ついに経済規模で北朝鮮より優位に立つことになる。急激な経済発展の原因としては「輸出主導型への経済政策の転換」と「ベトナム戦争への派兵による経済効果」、続いて「農地改革効果の浸透」や1965年の韓日基本条約に付随した「日本からの経済援助」等が挙げられる。政治的には悲惨な時代であったものの、朴正煕の時代がいまの韓国経済をあらしめたことは揺るぎない事実である。朴正煕本人は、1979年、民主化闘争への対応の最中に暗殺される。

 この間、韓国における思想の状況は惨憺たるものであった。日本の場合、60年安保、全共闘、そしてその収束という流れの中で、思想的にさまざまな試みがなされた。翻って、朝鮮戦争から1970年代までの韓国において、思想は禁句に等しかった。朝鮮戦争で韓国社会における社会主義者は一掃されるか、北朝鮮に亡命した(これを「越北」と呼ぶ)。結果的に、社会において左翼自体が存在しなくなったのである。その後、敵国の思想である社会主義・共産主義なるものに興味を持つこと自体が利敵行為とされ、思想犯として刑事処罰される時代が長く続き、思想の多様性自体が危険視された。思想の不毛時代であったといっていい。

2 1980年代 思想の噴火


 朴正煕暗殺直後、またもや軍人によるクーデタが起きる。そして、翌年にはクーデタを主導した全斗煥が大統領に就任する。再び、軍事独裁と経済発展がセットになったいびつな状況が続くことになる。

 しかし、思想的には大きな地殻変動が起きる。今回の軍事独裁政権は、その始まりにおいて、民主化を求める人々に対して徹底的な弾圧を加えた。国民を守るという名目をかかげる「国軍」が、その国民に対して発砲し、何百人もの死者を出した。日本では光州事件という名で知られているできごとである。その事実が知れ渡るにつれ、大学生を中心に反体制的な動きが広まり、根こそぎにされていた社会主義が自然発生的に広まっていく。同時に、1970年代まで何とか命脈を維持していたリベラリズムも急進化し、民主化を要求する声は、時間が経つにつれてどんどん強くなっていった。その到達点が、1987年の民主化運動である。民主化運動の成功で、韓国はやっと現状の民主制国家となる。日本がバブルのまっただなかにあった時代だ。

 このとき民主化の成功を促した外部的要因としては、冷戦が崩壊寸前にあったことが挙げられる。韓国における政治的自由の制限を正当化したのは北朝鮮との対立であった。すなわち、冷戦対立の最前線という地政学的条件が韓国社会に対し圧力として作用していたのが、冷戦をめぐる条件が変化することによって圧力が弱まり、民主化の成功を促したのだ。

 逆に考えれば、韓国でなぜクーデタが2度も起き、それが成功したのかも類推できよう。冷戦対立の最前線に置かれた韓国において、社会的な資源は軍に優先的に配分され、自然と軍の影響力は強まっていった。加えて、同じ理由で、体制のあり方よりは体制自体の安定が重視されることで、体制のあり方の問題に属する民主主義への要求は後回しにされる環境ができてしまった。そのような状況で企てられたのが、2度にわたるクーデタだったのである。

3 民主主義の定着と通貨危機 思想の圧縮成長


 1987年以降、議会民主制と大統領直選制を組み合わせた政治制度は定着し、その後、安定的な政権交代も経験している。いまのところ、昔のような政治的混乱が再発する兆しは全くないといっていい。

 こうして、韓国は政治的安定を実現したものの、民主化から10年が経った1997年、アジア通貨危機で国家破産の危機に見舞われる。1週間で韓国ウォンの通貨価値が半分になるほどに、経済危機は深刻であった。国際通貨基金(IMF)による外貨支援の代わりに構造改革案を受け入れることで、国家破産の危機は回避できたものの、強制的で急激なグローバリゼーションに身を委ねなければならなかった。

 その過程で多くの中小企業が倒産し、経済構造が再編された。もとから財閥中心の経済構造だった韓国において、アジア通貨危機は、経済全体における財閥の比重を極限にまで押し上げた。長期的に見て通貨危機はサムスン、ヒョンデ、LGなどのグローバル企業が台頭する契機になると同時に、少数の大企業就職者以外のたくさんの若者が非正規職につく不安定な雇用状況をもたらす要因にもなった。

 いまの韓国は、その延長線上にあるといえよう。社会全体の経済規模が大きくなったものの、貧富の格差は大きく、激烈な競争社会になってしまった。加えて、競争は激しいのに、その結果を左右する雇用をはじめとした社会的なルールは公正ではないということへの不満が漂っている。さらに、社会的セーフティーネットが十全に整っていない状態であるにもかかわらず、日本よりも速いスピードで少子高齢化が進行しており、貧困による高齢者の自殺が急増している。経済成長の勢いが減速する中、問題は山積してきているのだ。

 1987年の民主化以降、思想的な遅れを取り戻そうとするかのように、韓国における文化・思想シーンはめまぐるしく変化し、1987年からの10年間は、正統マルクス・レーニン主義からユーロコミュニズムを経由し、ポストモダニズムやポストコロニアリズム、そしてカルチュラルスタディーズへと圧縮的な転換を見せた。西欧や日本で約40年かかった道のりを10年でたどったことになる。さまざまな主義・主張が錯綜する慌ただしい時期であったが、アジア通貨危機で思想は二の次になり、その後は早足でたどって来た10年間の歩みを再吟味しながらいまに至っている。

4 変化の終焉?


 他国との武力衝突や政権の崩壊もなく、さまざまな意味で静かで安定的だった戦後日本に比べ、韓国は変化に富んだ、ダイナミックで不安定な社会であった。しかし、もはや韓国社会は、以前のような急激な変化を見せることはないかもしれない。経済的に高度成長期を過ぎてしまったので、今後はゆっくりとした低成長期に入っていく確率が高いし、社会階層も固定化しつつあるため、変化の動力が減少している。よくも悪くもダイナミックさを失っていくだろう。そういう意味で、社会として、より日本に近いものになっていくかもしれない。
 これから注目したいのは、現代史において初めて直面することになる変化の乏しさに、韓国社会がどのような反応を見せるかである。いままでは常に現在とは異なる未来を夢見て、向上心を燃やしていた。その向上心や変化の動力が空回りすることも多々あったものの、一部の成功を積み重ねていくことで、変化が起きてきた。

 しかし、これからは、現在とあまり変わらない未来になっていくはずだ。冒頭で述べたように、宮台真司は1990年代、日本のそのような状況を「終わりなき日常」と呼んでいた。韓国においてこの状況に対する最初の反応は、恐らく閉塞感であるだろう。この閉塞感は避けられない。問題は、そこから何を見出すかだ。もしかしたら、韓国において、宮台真司が読まれる時代が到来するのかもしれない。

 いまのままだと韓国は、前述したように「終わりなき日常」を生きる社会になっていくと思う。そして、それに見合う思想が台頭してくるだろう。ただ、概略した韓国現代史から見えてくるもう1つの側面がある。それは、強大国に挟まれた小国である韓国は、外的な衝撃に甚だ脆弱である、という歴史的事実だ。

 いまもなお、よろしくない外部的な変数は存在する。北朝鮮は常に韓国にとって不安定要素であったし、覇権主義的傾向を増している中国の動向は、北朝鮮の動きとともに、韓国の存立にかかわる変数になってきている。もし、韓国が激変するなら、それはこれらの外部的変数に触発される可能性が高く、したがって悪い意味の激変になりやすい。

 ただ、それらに関する予測は、当然ながら僕の能力を超えている。現状の延長線上で考えたとき、韓国の未来は日本と近しい「終わりなき日常」になるはずだ。

 かつてのダイナミックさを失いつつある韓国社会において、思想の役割も変わらざるを得ないだろう。過去の思想は、現在に働きかけ、それを変化させることによって、より理想に近づけていくことをその使命としていた。しかし、これからの韓国社会においては、変化の乏しくなった現実をいかに受け入れ、その現実をどう捉え直すかという問題に取り組むことこそが思想の果たすべき役割になっていくに違いない。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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