韓国で現代思想は生きていた(19) 戦後の韓中関係|安天
初出:2016年11月15日刊行『ゲンロン4』
昔から朝鮮半島は、大国に囲まれていた。西には巨大な中国大陸が、東には日本列島があり、中国大陸と日本列島の両方から一方的に攻められた歴史がある。19世紀からは、隣国の大国としてロシアが加わり、その後は歴史的な経緯によってアメリカまでが軍を駐留させている。複数の大国に板挟みにされ、大国の動きに翻弄され続けるのが、地政学的に朝鮮半島を条件づけている基本要素と言っていいかもしれない。
そのなかでも、最近、中華人民共和国の強大化が韓国を悩ませる最も大きな変数になっている。近年においては、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加、弾道弾迎撃ミサイルシステムの配備などをめぐる動きで中国との関係が複雑化していることが一層明確になった。そこで、今回は韓国と中国の関係を概観したい。射程を長くとろうと思えば、何千年も前にさかのぼることもできようが、効率よく現在の両国関係を理解するのを目的とするなら、日本で言う戦後から見れば十分であろう。
太平洋戦争の終戦後、東アジアの状況はダイナミック過ぎて、むしろ混沌としていたと表現したほうがしっくりくる。日本から独立するやいなや、朝鮮半島には韓国と北朝鮮という、2つの国が成立した。戦勝国であった中華民国は、中国共産党との戦いに負けて台湾に逃れ、1949年、大陸には中華人民共和国が成立した。朝鮮半島と中国はともに、それぞれ国が2つある状態になったのである。そして、1950年、朝鮮戦争が勃発する。
1950年6月25日、完全武装した北朝鮮軍が北緯38度線を越えた。北朝鮮軍と比べて、あらゆる面で脆弱だった韓国軍は、これといった抵抗もできず、開戦3日後には首都ソウルを明け渡し、戦線は日に日に南下していった。北朝鮮軍には中華人民共和国建国後、中国の国共内戦において実戦経験を積んだ朝鮮族兵が編入されたことにより、ベテラン軍人が多かったうえに、装備面においてもソ連の支援を得ており、韓国軍を圧倒した。
開戦直後、アメリカを中心とした国連軍が韓国側として参戦する。韓国はすでに、地図から消えるかと思われるところまで追い込まれていたが、国連軍の総司令官マッカーサーは、インチョン上陸作戦を敢行し、形勢逆転に成功する。その後、戦線はひたすら北進し続けた。マッカーサーは、クリスマスは本国で過ごそうと、国連軍の主力であるアメリカ兵を激励した。今度は、北朝鮮が地図から消えるかのようにみえた。ちなみに日本は、国連軍の後方支援の役割を担い、特需景気で一気に経済復興が進んだ[★1]。
一方、国連軍の介入で北朝鮮の敗北がほぼ確実になると、中華人民共和国は北朝鮮側としての参戦を決断し、人民志願軍が鴨緑江を渡る。形のうえでは正規軍ではない志願軍だが、実態は正規軍であった(毛沢東の長男も人民志願軍として参戦し、戦死している)。中華人民共和国は、自分たちが参戦する前の朝鮮戦争を「朝鮮戦争」と呼ぶ半面、彼らが参戦したあとの朝鮮戦争は「抗美援朝戦争」と呼び、区別している。抗美援朝とは、美国(アメリカ)に抵抗し、北朝鮮を支援するという意味だ。当時の毛沢東は、『春秋左氏伝』の「唇亡歯寒」という四字熟語で参戦の理由を説明した。唇が亡べば、歯が寒くなる──すなわち、北朝鮮がなくなると、中華人民共和国も危なくなる、という論理である。
人民志願軍による文字通りの「人海戦術」で、朝鮮半島から消えるかのようにみえた北朝鮮の支配領域は回復していった。国連軍の主力であるアメリカ軍としては、歴史的な敗退であった。度重なる戦略的判断の失敗により、国連軍は撤退を余儀なくされ、戦況は北緯38度線付近で膠着、停戦協定が結ばれ、いまの軍事境界線ができあがる。そうして、韓国からすれば、中華人民共和国は朝鮮戦争における敵国、それもあと少しで朝鮮半島に統一国家が実現するタイミングで軍事介入し、分断の常態化をもたらした忌々しい敵国となった。
そのなかでも、最近、中華人民共和国の強大化が韓国を悩ませる最も大きな変数になっている。近年においては、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加、弾道弾迎撃ミサイルシステムの配備などをめぐる動きで中国との関係が複雑化していることが一層明確になった。そこで、今回は韓国と中国の関係を概観したい。射程を長くとろうと思えば、何千年も前にさかのぼることもできようが、効率よく現在の両国関係を理解するのを目的とするなら、日本で言う戦後から見れば十分であろう。
太平洋戦争の終戦後、東アジアの状況はダイナミック過ぎて、むしろ混沌としていたと表現したほうがしっくりくる。日本から独立するやいなや、朝鮮半島には韓国と北朝鮮という、2つの国が成立した。戦勝国であった中華民国は、中国共産党との戦いに負けて台湾に逃れ、1949年、大陸には中華人民共和国が成立した。朝鮮半島と中国はともに、それぞれ国が2つある状態になったのである。そして、1950年、朝鮮戦争が勃発する。
1 敵国としての中華人民共和国
1950年6月25日、完全武装した北朝鮮軍が北緯38度線を越えた。北朝鮮軍と比べて、あらゆる面で脆弱だった韓国軍は、これといった抵抗もできず、開戦3日後には首都ソウルを明け渡し、戦線は日に日に南下していった。北朝鮮軍には中華人民共和国建国後、中国の国共内戦において実戦経験を積んだ朝鮮族兵が編入されたことにより、ベテラン軍人が多かったうえに、装備面においてもソ連の支援を得ており、韓国軍を圧倒した。
開戦直後、アメリカを中心とした国連軍が韓国側として参戦する。韓国はすでに、地図から消えるかと思われるところまで追い込まれていたが、国連軍の総司令官マッカーサーは、インチョン上陸作戦を敢行し、形勢逆転に成功する。その後、戦線はひたすら北進し続けた。マッカーサーは、クリスマスは本国で過ごそうと、国連軍の主力であるアメリカ兵を激励した。今度は、北朝鮮が地図から消えるかのようにみえた。ちなみに日本は、国連軍の後方支援の役割を担い、特需景気で一気に経済復興が進んだ[★1]。
一方、国連軍の介入で北朝鮮の敗北がほぼ確実になると、中華人民共和国は北朝鮮側としての参戦を決断し、人民志願軍が鴨緑江を渡る。形のうえでは正規軍ではない志願軍だが、実態は正規軍であった(毛沢東の長男も人民志願軍として参戦し、戦死している)。中華人民共和国は、自分たちが参戦する前の朝鮮戦争を「朝鮮戦争」と呼ぶ半面、彼らが参戦したあとの朝鮮戦争は「抗美援朝戦争」と呼び、区別している。抗美援朝とは、美国(アメリカ)に抵抗し、北朝鮮を支援するという意味だ。当時の毛沢東は、『春秋左氏伝』の「唇亡歯寒」という四字熟語で参戦の理由を説明した。唇が亡べば、歯が寒くなる──すなわち、北朝鮮がなくなると、中華人民共和国も危なくなる、という論理である。
人民志願軍による文字通りの「人海戦術」で、朝鮮半島から消えるかのようにみえた北朝鮮の支配領域は回復していった。国連軍の主力であるアメリカ軍としては、歴史的な敗退であった。度重なる戦略的判断の失敗により、国連軍は撤退を余儀なくされ、戦況は北緯38度線付近で膠着、停戦協定が結ばれ、いまの軍事境界線ができあがる。そうして、韓国からすれば、中華人民共和国は朝鮮戦争における敵国、それもあと少しで朝鮮半島に統一国家が実現するタイミングで軍事介入し、分断の常態化をもたらした忌々しい敵国となった。
安天
1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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