韓国で現代思想は生きていた(5) 新自由主義化から「経済民主化」への転換はいかに?|安天

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初出:2012年6月20日刊行『ゲンロンエトセトラ #3』
 4月、韓国で総選挙があった。総選挙は4年に一度行われる。韓国は日本と異なり、両院制ではなく一院制であるため、制度上は4年に一度の選挙で政党の力関係が決まる。一方、大統領選挙は5年に一度行われる。すなわち、20年に一度、二つのサイクルが重なる年が来る。今年がそうだ。政治の年といっても過言ではないだろう。

 予想を覆して総選挙で勝利を収めた与党だが、その裏には激烈な党内改革があり、路線転換があった。この転換が本物であるなら、12月の大統領選挙でどの政党の候補が選出されようが、韓国社会の向かう道は今までとは異なるものになるはずだ。2012年は果たして分岐点となるのだろうか?

1. 15年間続いた新自由主義化


 富の分配を重視する左派政権だからこそ実現できる保守的な政策がある。韓国の左派政権もそのような政策を取ってきた。キム・デジュン(金大中)が大統領のとき(1998年〜2003年)、為替危機を乗り越えるために韓国社会の全般にわたる新自由主義化が推し進められた。ノ・ムヒョン(盧武鉉)が大統領のとき(2003年〜2008年)、韓米FTAの協議が軌道に乗った。いずれのケースでも、保守的な大統領だったら支配層の利害を代弁する政策でしかないと、はるかに大きな抵抗と非難にさらされ、より多くの困難に直面したであろう。スラヴォイ・ジジェクは『ポストモダンの共産主義』で「愛国心あふれる強硬右派と認められた保守主義者にしかできない、革新的なことがある。アルジェリアの独立承認はドゴールにしか、米中国交樹立はニクソンにしかできなかった。いずれのケースでも、革新的な大統領だったら、国益を裏切った、コミュニストいやテロリストに国を売ったとたちまち非難されただろう。」と言ったが、正反対のこともあり得るのである。

 保守的な大統領候補と比べてより経済的な平等を重視していた左派傾向の大統領が新自由主義へと大きく舵を切ったことで、それは既得権益層のための転換ではなく、韓国がグローバリゼーションの状況で生き残るための苦渋の決断として受け止められた。もちろん、リストラと非正規雇用の増加によって多くの人たちの生活基盤が脆弱化したため、新自由主義化に対する反発は大きかった。しかし、もし同じような政策を保守政権が押し進めたなら、それに対する反発運動はずっと大規模なものになったに違いない。

 よって、イ・ミョンバク(李明博)大統領(2008年〜現在)の右派政権による規制緩和は、直前の10年間に渡る左派政権の基調を受け継いだものともいえる。もちろん、首都圏への過剰集中問題を解決するためにノ前大統領が打ち出した首都機能移転政策に大幅に手を加えその規模を縮小する傍ら、左派政権時代には行われなかった四大江運河事業に代表される大規模な土木工事を核心政策として推し進めるなど、その相違は決して小さくない。左右政権のこのような様々な相違にもかかわらず、この15年間韓国において新自由主義の推進という経済政策の基調は一貫していた。この一貫性が、韓国社会の方向性を条件づける要因として機能していることは間違いない。

2. 叫ばれる「経済民主化」と保守与党の左旋回


 政治的には、これに対する反作用が明確にあらわれている。前回論じたように昨年のソウル市長辞職は「普遍的給食無償化 vs 選別的給食無償化」という福祉政策をめぐる対立によるものだった。ソウル市長補欠選における左派系候補の勝利は、市民たちの関心が長年にわたる新自由主義化の副作用を和らげる制度的セーフティネットの構築に向けられていることを印象づけた。OECDの資料(Divided We Stand: Why Inequality Keeps Rising, 2011)によれば、韓国社会の所得不平等はOECDの平均を下回る反面、所得再分配の効果が下から2番目で、セーフティネットの不備は一目瞭然である。

 そこで登場したキーワードが「経済民主化」だ。25年前の民主化で政治的権利を平等に獲得したように、政府の政策を転換させることで経済的格差を是正しなければならない、という動きが強まっている。左派系の野党は元々経済的再分配を主張していたので目新しくないが、この結果を真剣に受け止め保守与党が大きく動いたのは注目すべき変化である。

 昨年末、与党はソウル市長補欠選の敗北と政権関係者の相次ぐ腐敗スキャンダルのダブルパンチで窮地に追い詰められ、社会的にはアン・チョルス(安哲秀)現象がこれに追い打ちをかけた。史上最低の支持率を突きつけられ、党自体の瓦解までささやかれていた与党は、今まで党内において非主流派であったパク・グネ(朴槿恵)を「非常対策委員長」に任命した。党内の全権を委ねられたパクは、外部の人物を積極的に対策委員会に招き入れ、大規模な党内改革に取り組む。具体的には既存の主流派の反対を押し切って人的革新と世代交代を実現する一方、政策を全面的に再検討し「民生(福祉)」の充実へと大きく舵を切った。右派の論客から、与党は右派政党としてのアイデンティティを捨ててしまった、という非難を受けるほど大胆な脱保守化が試みられた。政策的には、保守から右派系中道へと立ち位置自体を変えたと言って良いだろう。

 路線修正が可能だった客観的な条件として、空白となる与党の右側に、与党を代替できる有力な保守系政党がないことも挙げられよう。そこには、左旋回しても保守支持層は相変わらず与党を選ぶだろう、という自信が見え隠れする。与党の自己革新はかなりの強度で進められ、最後には党名まで「大きな国」という意味の「ハンナラ党」から、「新しい世界」という意味の「セヌリ党」に変えた。党名だけみれば、新しい価値を目指す革新政党に見間違えられるほどである。そして、4月11日に行われた総選挙に挑む際には党を象徴する色も──朝鮮戦争以後、韓国においては共産主義を連想させるため長らく政治的に忌避されてきた──「赤」を選んだ。「アカ」と糾弾される可能性のないゆえに可能な選択だったといえる。比例代表の当選圏にフィリピン出身の帰化女性を配置し、多文化家庭(外国出身の配偶者を含む家庭)に対する包容力もアピールした。ある意味では野党よりも新鮮な側面を見せたのである。

3. 総選挙から大統領選へ


 与党までも現在のイ政権の路線と差別化をはかったため、結果的に、韓国の主要政党全体が新自由主義化という現実に福祉政策の強化で対応する方向性を共有することになり、総選挙に突入するまえに、与野党の政策的な相違はすでに薄らいでいた。そのため総選挙の争点は政策よりはネガティヴ・キャンペーンへと移っていった。留まることを知らない現イ政権がらみの不正と権力濫用事件の暴露と摘発は、与党に不利な状況を作り出していると考えられたが、イ大統領と距離を取り続けてきたパクが親イ系人物たちを排除したうえで与党改革を進めたことで、政権と与党との距離が認知されるようになり、政権への反発がそのまま与党支持率の下落には繫がらなかったようだ。

 結果として、総選挙でパクが中心になって進められた与党の党内改革は報われた。全300議席のうち、与党のセヌリ党は152議席で、過半数以上の確保に成功したのである。ちなみに内訳は、第一野党の民主統合党(中道左派系)が127議席、第二野党の統合進歩党(左派系)が13議席、第三野党の自由先進党(右派系)が5議席、無所属が3議席となっており、前回に比べれば左派系が大きく議席を伸ばしている(左派系野党の名に「統合」がついているのは、それぞれいくつかの党が統合して今の党を作ったからである)。解体までささやかれた与党を立て直し、予想を覆す勝利を収めたことで、先頭に立って指揮を採っていたパクの地位は揺るぎないものとなった。総選挙の結果は、大統領候補についての世論調査にも直ちに影響を与え、ついにパクがアン・チョルスを上回る支持率を回復した。アンは相変わらず政治に対しては距離をとっているが、諸野党の候補が支持を伸ばせない状況が続けば、いずれ諸野党支持層はアンに希望を託すことになるだろう。

 総選挙を制したセヌリ党が大統領選挙も制すのか、それとも野党側が巻き返すのか。どうしても焦点は、誰が大統領になるのかに向けられがちである。しかし、少し違う見方もできるのではないだろうか。誰が大統領になるかは、もちろん決定的な重要性をもつが、それ以前にアン・チョルス現象などの社会状況を真剣に受け止め、与党が路線転換に動いた時点ですでに、韓国社会の目指す方向が変わる可能性は大きく開けたのではないだろうか。

 総選挙勝利以後、セヌリ党の内部では早くも「非常対策委員会」が掲げた「経済民主化」などの左旋回的政策に批判的な言説が出始めている。すなわち、危機を脱したので以前の路線に回帰しよう、という動きがある。セヌリ党が過半数を確保した以上、もし大統領選挙で左派傾向の大統領が選出されたとしても──ノ前大統領がそうであったように──セヌリ党の協力が得られなければ政策実現は難しくなる。ゆえに、セヌリ党の路線転換が「本物なのか、それとも危機を脱するための一時的なパフォーマンスに過ぎなかったのか」が決定的な意味をもつことになるだろう。

 冒頭で言ったように、韓国の新自由主義化は左派政権時代に進められた。今、保守与党が路線転換を宣言している。この新しい路線の先には、右派政権が「経済民主化」を進める事態が待っているのかもしれない。誰が大統領になるかに劣らず、セヌリ党の今後の動向が韓国の未来を左右することになるだろう。

 

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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