韓国で現代思想は生きていた(8) 獨島から見える韓国|安天

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初出:2013年01月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #6』
 2012年の夏は異様に熱かった。気温のことではない。隣国との関係をめぐる情勢についてだ。韓国と日本の関係も近年では、もっとも緊張感の走った時期となった。熱気に包まれているとき、その件について話すと無駄に誤解されることが多いという経験則から、当時はあえて触れなかったが、季節は冬へと移り変わり、件のこともクールダウンした。今回は、日本社会にはなかなか伝わってこない韓国内部の文脈など、韓国人として僕が言いたかったことを書き綴ってみたい。

1 えぇ〜?? どうして?


 8月10日、韓国の大統領が獨島(日本名「竹島」)を訪れたというニュースを耳にしたとき、最初に僕の口から出てきた言葉は「えぇ〜?? どうして?」だった。なぜそのようなことをするのか、理解に苦しんだ。韓国政府が獨島の領有権をより確実にすることを目的とした合理的な判断をし、それに即して行動する主体であると想定したとき、大統領の獨島訪問はどう考えてもその目的に反する非合理的な行為だからだ。

 領有権を主張する他の国があり、自国がその領地を実効支配している場合、実効支配の期間が長くなればなるほど、後に国際司法裁判所など第三者に判断を委ねることになったとき、自国により有利になる。そして、実効支配の期間をできるだけ長くするためには、その存在さえ気づかないほど静かに、事をあら立てず時間が経つのを待つのが得策である。だまっていれば、時間が味方になってくれる。その領土にこだわりがあるのなら、無為が最善なのである。

 したがって、実効支配をしている側が自ら当該領地に対して国際世論が注目するような行動を起こすのは、少なくとも、その領地に対する領有権をより強化することには繫がらない。むしろ、第三者がその領地を「紛争地」として認識する契機になりかねない。しかし、なぜか韓国の大統領は自らそのような行動を起こしてしまった。のちに、石原慎太郎氏の一連の行為に引きずられ、日本政府も尖閣諸島(中国名「釣魚島」)に対して似たような対応に出るのを目撃することになり、強烈なデジャビュに襲われたのだが……。

2 「我らの領土」と叫んで得られるものは?


 とりあえず大統領が訪れた理由は、この二つのうちいずれかであろう。「獨島の実効支配を強化することは二の次で、その行為から派生する、なにか別の効果を狙っていた」か、「獨島訪問が本当に領有権の強化になると思った」か。しかし、後者を答えとして選ぶ気にはなかなかなれない。その後の流れからわかるように、大統領の獨島訪問は「獨島が領土問題になっている」という国際的な認識の広まりに帰結した。もし、そうなることを本当に知らなかったのなら、韓国政府の基本的な判断力に疑問を呈さざるをえない。そのようなリスクを知った上で、それでもあえて覚悟してやった、と思いたい。

 韓国では、日本の防衛省が7月31日に出した『防衛白書』で獨島について言及していることを発端の一つとして指摘する人もいるが、この言及は2005年から毎年行われており、恒例の行事となっている。「韓国大統領として初めての獨島訪問」はそれへの対応としては過剰である。相手が激しく抗議し、活発に国際世論に働きかけている状況なら話は別だが、相手が突飛なアクションを起こしたわけでもないのに、声高に「我らの領土」であると叫んで得られるものは自己満足以外にない。

 大統領訪問の次の日である8月11日、偶然にもロンドン・オリンピックのサッカー競技3位決定戦のめぐり合わせは韓国と日本だった。試合終了後、韓国選手のうち一人がサポーターからもらった厚紙を高く掲げてスタジアムを走った。その厚紙には「獨島は我らの領土(독도는우리땅)」と書かれていた。IOCはこの選手のパフォーマンスが一切の政治的主張を禁じるIOC規約に触れる可能性があるとして、メダル授与式への参加を控えるよう要請したので、選手はメダル授与式に参加できなかった。このアクシデントも、パフォーマンスをした側は「自分の気持ちをそのままかたちにした」のかもしれない。しかし、結果的にその行為がもたらしたのは「獨島は紛争地域である」という認識の拡散だった。自己満足は得たかもしれないが、客観的状況においては決してプラスに働かなかった。

3 放送禁止曲だった「獨島は我らの領土」


 オリンピックでの出来事を知ったとき、僕は何より「獨島は我らの領土」という表現自体に興味をそそられた。実は、幼い頃からどことなく何回も聞き、自然に耳慣れした歌のひとつに「獨島は我らの領土」というのがある。1982年に作られた歌で、歌詞は少ししか覚えていないが、その曲のメロディーは今もよく覚えている。韓国で長年生活した人で、この歌を一度も聴いたことがない、という人はあまりいないだろう。

 面白いことにこの曲は一時、韓国で放送禁止曲になったことがある。1983年のことで、当時はいわゆる日本の教科書問題で韓国内の世論が日本に対して強い反発を見せていた。軍事独裁を行っていた全斗煥チョンドゥファン政権は、目前に控えていた韓日閣僚会議や韓日議員連盟総会などに支障をきたすことを憂い、日本に対する反発世論を強引に抑えていく。そんな中、当時ヒットしていた「獨島は我らの領土」も一時的に放送禁止曲にされたのである。このような歌がヒット曲になるほどだから、30年前から韓国社会において獨島を知らない人はほとんどいなかったといえよう。スタジアムにいたサポーターがわざわざ「獨島は我らの領土」というフレーズを選んだことには、このような経緯がある。韓国では、誰もが知っているフレーズなのだ。内向きなフレーズである感がぬぐえない。

4 民族主義と民主主義が結合した80年代


「獨島は我らの領土」が放送禁止曲になっていたことの意味を、もう少し時代的文脈をふまえて確認しよう。周知のように、日本の敗戦、すなわち朝鮮からすれば植民地支配からの解放直後、南北分断で朝鮮半島全体が冷戦対立のまっただ中に投げ込まれる。そのため、米軍の占領とその後の李承晩イスンマン大統領時代を通して、左翼が主流だった抗日独立運動系列よりは、植民地時代に日本の植民地政策に協力していた人たちが重用された。朝鮮戦争は、この流れに勢いをつけ、韓国で左翼は事実上消滅する。これがいわゆる「韓国の支配層は過去の植民地協力者たちによって構成されている」という親日派問題で、韓国現代史を語る有力な言説の一つとなっている(「親日派問題」については第3回の連載で別途論じたことがある)。

 1970年代から韓国は軍事独裁下に置かれるが、その独裁は「反共産主義」のもとで正当化された。「反共」が至上命題であり、そのためなら軍事独裁も致し方ない、あるいは軍事独裁のほうがより有効である、というふうに。それゆえ、80年代における韓国の民主化運動は冷戦体制それ自体と対峙しなければならなかった。民主化運動の最大の敵は独裁政権だったが、その後ろで戦略的な理由で独裁政権を黙認しているアメリカも糾弾の対象となる。軍事独裁の打倒、冷戦体制を理由に独裁を黙認するアメリカへの反対、「親日派」で構成された支配層への対抗がワンセットになったのである。こうして韓国では80年代に、民族主義と民主化運動との強力なタッグが成立する。この流れが形成されつつあった時期に、「獨島は我らの領土」は作られ、まもなく放送禁止曲に指定された。

 これは、過ぎ去った昔の話として片付けられるものではない。なぜなら、一方で80年代の軍事独裁・親米系は韓国における今の保守派の主流を、他方で民族主義と民主化運動の結合を通して新たに台頭した勢力は今の進歩派の主流をかたちづくっているからだ。

5 韓国マスメディアの反応──「陣営論理」


 大統領の獨島訪問はおそらく「領有権の強化」ではなく「別の何かを狙ったもの」だと言った。どうしようもないほど低下した支持率を少しでも上げるための国内用サプライズ・イべント、といったところだろう。10%台だった支持率がその後、数ポイント上がって20%を超えたという新聞記事もあったので、国内的にはまったく無駄だったとは言えないだろうが、決定的な変化をもたらしたわけでもない★1

 大統領の獨島訪問に対する韓国マスメディアの反応は、真っ二つに割れた。保守系の朝鮮日報、中央日報などは、「毅然とした対応であった」と大統領の行動を肯定的に評価した。ネット上に日本語翻訳版の記事を積極的に掲載しているのは保守系なので、日本にはどうしても韓国の進歩系の主張は届きにくいと思われるが、進歩系のハンギョレ新聞、京郷新聞などからは、「果たして実益になったのか」、「むしろ国際的に紛争地帯として注目される羽目になったのではないか」という否定的な評価が多かった。現職の大統領が保守系なので保守色の強いメディアは賞賛し、進歩系のメディアは批判するという構図にすっぽり入る、予想通りの反応といえる。

 おそらく、今の大統領が進歩系の人で同じく獨島訪問をしたら、保守系新聞はそれを慎重さが足りないと批判し、進歩系新聞はこれを擁護しただろう。最近の韓国メディアは「行為自体」よりも「誰がその行為をしたのか」、すなわちどの陣営の人が行為の主体なのかを重視し、それに基づいて評価する傾向が強い。こうした論理の組み立て方を批判する人たちは、これを「陣営論理」と呼んでいる。

 大統領の獨島訪問に対してもマスメディアは「陣営論理」で論調を組み立てた、ということができる。それを踏まえた上でのことだが、李明博イミョンバク大統領の訪問に対しては進歩系のほうに言い分があると思う。一般的な傾向として韓国の進歩系メディアは「親日派問題」の徹底的な追及を求め、慰安婦問題など歴史認識問題においても強硬な立場を示すきらいがあるが、今回の件については柔軟な対応を求める側面も見せた。もちろん、「獨島は韓国固有の領土であり、いかなる譲歩もありえない」という基本的な立場は、進歩・保守ともに揺るぎない大前提になっている。

6 問題になっているのは資源ではなく歴史


 獨島が両国で問題になるたびに、韓国と日本の両方から必ずといっていいほど出てくる主張がある。「相手が獨島に目をつけているのは、実はその周辺にある資源がほしいからだ」というものだ。しかし、この主張は韓日いずれについても当てはまらない。日本付近の海底でメタンハイドレートが発見されたのは2006年だが、先程見たように韓国では1980年代から「獨島は我らの領土」という歌がヒットしていた。資源の有無とは関係がないのだ。日本も、資源とは関係なく対応しているように感じられる。この種の主張をしている人たちは、相手を資源に目が眩んだ輩に仕立てあげたいのでは、というのが僕の推測である。また、問題の核心がもし資源だったら、むしろ解決方法を見つけるのはそれほど難しくないだろう。お金でなんとかなる問題になるからだ。

 獨島問題は、韓国においては領土の問題というより歴史の問題、植民地支配の問題として位置づけられている。一方、日本においては、過去の植民地支配とは独立した領土問題という位置づけだ。この視点の齟齬が、問題の解決を特に難しくしている。そのため、獨島問題は両国が国交を結んだ1965年以来、両政府とも「解決しないことをもって解決とする」という暗黙の共通認識のもと、できるだけ触れずにきた。悪く言えば問題の先延ばしだが、これといった解決方法を見いだせないのが現状であるのも確かだ。だから、韓国の歴代大統領は獨島を訪問するようなことはしてこなかったのである。

 李大統領は、この暗黙の了解にヒビを入れた。韓国が今までのゲームのルールにはもう従わなくなった、ということだろうか? 多分、そうではない。獨島訪問は緻密な計画のもとで行われたものというよりは、内政的困難において局面打開を狙った突発的な行動である可能性が高いからだ。したがって、韓国はこれ以上ことを大きくせず、「獨島をめぐる領土問題は存在しない」の一点張りを今後貫くだろう。これは日本が「尖閣諸島をめぐる領土問題は存在しない」の一点張りを貫くのと同じ論理構造である。実効支配している側は今のままで問題ない、という態度を維持するのが一番無難なのだ。だから、僕は思う。大統領は獨島に行かないほうがよかったのだ。

 



編集部注:本コラムでは、韓国人である筆者の意向を尊重し、「獨島」という呼称をそのまま掲載していますが、これは株式会社ゲンロンの立場を表明するものではありません。

★1 ヘラルド経済インターネット版の記事(http://news.heraldcorp.com/view.php?ud=20120820000360&md=20120820101311_D)によれば8月初めに17%だった支持率は訪問後の13日に19%、17日には28%まで上昇した。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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