ドキュメンタリーはエンターテインメントでなければならない(抜粋)──『ゲンロン15』より|原一男+大島新+石戸諭

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初出:2023年10月27日刊行『ゲンロン15』

ドキュメンタリーとフィクションの境目


石戸諭 本日は映画監督の原一男さん、大島新さんと「ドキュメンタリーはどこへゆく」というテーマでお話しできればと思います。原さんは、劇映画の現場を経て、1972年に映画監督デビュー。アナーキストの奥崎謙三さんを追った『ゆきゆきて、神軍』(1987年)など数々のドキュメンタリー作品を監督し、50年以上にわたり第一線で活動を続けています。2021年には水俣病をテーマにした大作『水俣曼荼羅』★1[図1]を発表しました。大島さんは、テレビで「情熱大陸」など数多くのドキュメンタリー番組に携わったあと、政治家の小川淳也さんを追った『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年)や『香川1区』(2021年)などの話題作を監督。また、著書『ドキュメンタリーの舞台裏』では、原さんの作品を分析されています。どうぞよろしくお願いします。 

 まずは『水俣曼荼羅』についてお話をうかがいましょう。この作品はDVDだと3枚組で6時間以上あるという超大作です。しかもディレクターズカット版ではさらに1時間半あるという。 

図1 『水俣曼荼羅』

原一男 いつもは映画は2時間じゃなきゃいけないって、自分に言い聞かせながら作っているんです。でも50年やっているんだから、1本くらい長くたっていいだろうと。長い長いとみなさんに怒られますが、世界には長い映画がいっぱいある。王兵ワン・ビンの映画なんて10時間以上です。 

石戸 じつは、ぼくは「意外と短いな」という感想を抱きました。顔のショットが多いのがポイントなのかと思ったのですが、いかがでしょうか。 

 わたしは顔が好きなんでしょうね。やっぱりひとの感情、気持ちって顔に表れますもん。ドキュメンタリーのいちばんの肝は人間の感情を描くことであるという先輩の教えを、後生大事にずっと守っています。 

石戸 大島さんは『水俣曼荼羅』をどうご覧になりましたか。 

大島新 わたしは原監督に、「映画は3回見ないとわからない」と教わりました。だから6時間12分ある『水俣曼荼羅』も、半泣きになりながら3回見ました。同じ水俣を撮った巨匠として土本典昭監督がいますが、土本さんが運動家としての要素が強いのに対し、原さんは水俣病という問題をなんとかしなければならないという思いを持ちつつも、映画監督であることを優先している、つまり作品としておもしろいものにすることを大事にされているように感じます。この作品は水俣病の問題を扱っているのに、たとえば最後のほうの坂本しのぶさんという患者さんの恋のエピソードなど、なんだこの演出は、と思わされるようなシーンが入る。彼女の歴代の好きなひとが代わる代わる登場するんです[図2]。ほかにも、かつて漁師とその家族が食べていた太刀魚料理を再現するとか[図3]、ちょっとマッドサイエンティストふうの解剖学の教授・浴野成生えきのしげおさんがホルマリン漬けの脳をユニクロの袋に入れて、電車に乗って持ち歩いているとか。土本監督なら絶対に入れないシーンでしょう。 

図2 『水俣曼荼羅』より、かつての好きなひとと会って照れ笑いする坂本しのぶさん
 

図3 同、漁師村の太刀魚料理を再現してみんなで食べる

 さすがです。そういう指摘は3回見ないと出てこない。 

大島 原さんが演出で場のセッティングをされているシーンが、じつはいくつもありますよね。たとえば生駒秀夫さんという患者さんが初夜を過ごしたという旅館で夫婦のインタビューがありますが、あれは設定がされているでしょう。 

 生駒さんは患者さんのなかでいちばん付き合いが長いんですけど、話をするうちに、新婚旅行の地がわたしたちの水俣の定宿と同じ湯の鶴温泉だと知ったんです。で、一気に親近感が湧いてしまって、1泊分プレゼントするから行こうよ、と。それでインタビューをしました。 

大島 しかも背景を飾っている。 

 鶴っていいなと思って、廊下の端っこに置いてあったいまや使われていない障子を引っ張り出してきて、鶴が浮き彫りになるようなライティングをしました[図4]。 

図4 『水俣曼荼羅』より、湯の鶴温泉で食事を楽しむ生駒秀夫さん夫妻
 

石戸 見事な演出ですね。 

 それくらいはやります。 

石戸 大島さんだったらやりますか。 

大島 やらないです。 

石戸 このあたりの一線はどのように引くものなのでしょうか。ぼくは映像作品を作ったことはありませんが、活字の世界ではノンフィクションという隣接分野にいる。だから、基本的には演出をしないという倫理観のほうが正しいのではと思ってしまいます。 

 30年前はそうでした。しかし、いまや演出しても平気です。いまの若いひとたちはもっと進んでいる。わたしは演出を肯定的に捉えているので名前を挙げますが、たとえば佐々木誠さんの『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』(2015年)や、『ヨコハマメリー』(2005年)で知られる中村高寛さんの『禅と骨』(2016年)では、ドキュメンタリー映画のなかになんの断りもなく役者を使っています。わたしは再現シーンを入れるにも、上品にさりげなく、なぜそのシーンを入れたかがわかるようにしていました。断りを入れないと悪いかな、という気持ちがあったんです。でも、佐々木さんや中村さんの世代になると、ドキュメンタリーにフィクションを入れることに対してもはや抵抗がない。 

 実際、過去のひとや過去の出来事を描こうとするとき、死んでしまったひとは実体としてもう撮影できない。だから、それを映像的におもしろくなるようにするには役者を使うしかない。テレビでもやっているじゃないですか。映画として興味を持って見られるべきであるにもかかわらず、ドキュメンタリーは演出をしてはいけないというのは、ドキュメンタリーを劇映画と区別して、隅に追いやる差別だと思います。 

石戸 演出をやってはいけないというルールはもちろんないですが、どこまでを許容するか、という一線はあるのでないかと思います。大島さんはその一線をどう捉えていますか? 

大島 わたしはもともとテレビのドキュメンタリーで育ったということもあり、圧倒的にオーガニックが良いと思っています。もちろん、あるものをそのまま撮るなかでストーリーを作りはしますが、断りなくフィクションを入れるような演出はやりません。それは、善悪とか許される/許されないという問題ではなく、わたし自身の好みがそこにあるからです。ただ、わたしと被写体との関係性において、わたしのカメラがあることによって状況が動いたりするのはすごく楽しい。自分だから撮れているという実感も湧くので、そこはためらわず、積極的にやっています。 

 それは同時代的な認識で、わたしも同じです。いっぽう、被写体の邪魔をしないようにそばにいて、丹念に長い時間をかけてじっと見守っていくというのが、ドキュメンタリーを撮るひとのあるべき態度だというイメージがいまでもありますよね。でも、なんでわざわざそんな不自由なことをしなくてはいけないのか。作るのはわたしなのだから、被写体の魅力をどうすれば可視化できるのかと考えたうえで、必要であれば演出をしていいと思います。どうおもしろく撮れるかを考えたほうがスリリングじゃないですか。

カメラの台数と神の目線


大島 以前、原さんとカメラの台数をめぐって論争をしたことがあるんです。原さんの『れいわ一揆』[図5](2019年)とわたしの『香川1区』[図6]には、ともに選挙の投開票のシーンがあります。わたしが使用したカメラは1台です。対して原さんは6台も使用している。同時進行で起きている別の方向のことは1台のカメラでは撮れないから、たくさんのカメラを回してカットバックで切れ味よく編集していこう、というのが原さんなんですね。 

 わたしは、取材者がひとりの場合、信頼するカメラマンの眼を信じて1台のカメラで見せたほうがオーガニックだと考えています。人間の眼はあちこちに視線が移り変わるわけだから、それに任せてみるんです。『香川1区』の小川淳也さんの当選シーン[図7]は4分40秒のワンカットで、いちども編集点がありません。けれどももし原さんチームが同じ場所にいたら、数秒ごとにどんどん切り替わって、たぶん何十カットにもなるでしょう。 

図5 『れいわ一揆』。ポスターに14名の撮影者がクレジットされている
 

図6 『香川1区』
 

図7 『香川1区』より、2021年の衆議院選挙で当選した小川淳也さん
 

 投開票の場にはいろんな立場のひとがいますよね。『れいわ一揆』の場合は、れいわ新選組の山本太郎という党の代表、その呼びかけに応じた立候補者、投票したひと、裏方さん、マスコミのひとなどです[図8]。そのそれぞれの感情がぶつかり合ってこそ、会場が持つ雰囲気をリアルに表現できる。いろいろなひとを捉えるには、カメラの台数が多くなきゃいけない。わたしはそのリズム感を見せたほうが、より現場のリアルが表現できると考えます。 

図8 『れいわ一揆』より、2019年の参議院選挙にて。投開票日の記者会見の場面

石戸 ぼくは新聞記者出身ですが、多くの投開票の現場はひとりで行けと言われます。そのときになにが起きているか、ぜんぶ自分の責任で感じなければいけない。そこにはある種のリアリティがある。それが、カメラが複数になって視点が分散すると、撮り手の感情も分散してしまうのではないでしょうか。 

 田原総一朗さんがまだドキュメンタリーを撮っているころに、編集の現場で、「一台のカメラにおれはこだわっているんだ」と言っているのを聞いたことがあります。その考え方はわからないわけではありません。でも、わたしはあるときから、そもそもカメラ=撮り手の目線と考えるのは傲慢ではないか、と考えるようになった。 

石戸 それはなにがきっかけなのでしょう。 

 劇映画の現場でのことです。今村昌平監督の『復讐するは我にあり』(1979年)という作品で、わたしは撮影助手をしていました。今村さんは現場でカットを割るんですが、このカットはこのひとの目線だから、この位置にカメラを置いて撮ろう、とそれぞれのカットがだれの目線なのかを口に出しながら撮影を進めるんです。そのひとつでね、主人公の父を演じる三國連太郎さんの亡くなったはずの奥さんが、なぜか廊下を歩いている画が入る。そのとき、忘れもしないんですけど、今村さんはこのカットはだれかの目線じゃなくて、神の目線だよなって言った。なるほどカメラマンや監督の目線ではなく神の目線と考えたほうが自由じゃないか、とふと思ったんです。どこから撮っても、どこでカットが入ってもいい。そこがいまのやり方の出発点かな。 

石戸 人間の視点に囚われるとかえって不自由になってしまう、と。おもしろいですね。 

 ほかにも、熊井啓監督の助監督をしているとき、『海と毒薬』(1986年)という作品のカットを割るなかで、「ワンシーンのここぞというところで真俯瞰が入ると効くんだよ」と言われたことがあります。真俯瞰はまさに「神の目線」で、それが入ることでシーンが一気に立体的に見えるようになります。 

大島 やはり原さんは映画のひとですね。そこがわたしとはちがうな。わたしが現場に行くのは取材に行くのであって、まずは被写体ありきです。でも原さんは映画ありきで、撮影のためにやっている。 

 わたしはカメラで撮影することが好きで、カメラマンをやっているんです。 

石戸 撮影と考えれば、被写体となるひとはある意味では役者さんと同じだから、現場でどう動かしてもいいんじゃないか、ということにもなりそうですね。そういう考えはちょっとありますか。 

 ちょっとどころか全面的にそうじゃないかな。 

大島 全面的にそうですよ(笑)。『ゆきゆきて、神軍』などは、すごくそれが出ています。 

 

『ゆきゆきて、神軍』は劇映画


石戸 1987年公開の『ゆきゆきて、神軍』では、原さんは奥崎謙三さんという、ニューギニア戦線で従軍していた元陸軍軍人を撮っています★2[図9]。原さん自身、本作での奥崎さんとの関係性を「完全な共犯関係」と言っていますが、この作品についてお話をうかがえますか。 

 まず、あの作品に関するわたしの最大のミスについてお話ししましょう。(『ゲンロン15』へ続く) 

図9 『ゆきゆきて、神軍』。ポスターでは奥崎さんの個性が強調されている
 

 


本座談会は、2023年4月28日にゲンロンカフェで行われた公開座談会「ドキュメンタリーはどこへゆく──『ゆきゆきて、神軍』から『水俣曼荼羅』まで」を編集・改稿したものです。

2023年4月28日 東京、ゲンロンカフェ 構成=數藤友亮+編集部 注・撮影=編集部 図版提供=疾走プロダクション(図1-4、9) 風狂映画舎(図5、8) ネツゲン(図6、7)

 


★1 『水俣曼荼羅』(2020年)は、いまなお続く水俣病患者の認定とその補償に関する裁判を取り上げた、原一男監督によるドキュメンタリー映画。患者と支援者、水俣病の発病メカニズムを研究する大学教授など、関係者の人生模様から水俣病をめぐる現実を多角的に描いた作品である。 
★2 奥崎謙三は、日本の元陸軍軍人。激戦地であったニューギニア戦線を生き残った。後に、金銭トラブルを発端とした刺殺事件による服役、昭和天皇へのパチンコ玉の撃ち込み、ポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラのバラ撒きなど、慰霊と天皇の戦争責任を追及するアナーキストとして活動した。

 

原一男

1945年6月、山口県宇部市生まれ。1972年、小林佐智子と共に疾走プロダクションを設立。同年、『さようならCP』でデビュー。74年には『極私的エロス・恋歌 1974』を発表。87年の『ゆきゆきて、神軍』が大ヒットを記録、世界的に高い評価を得る。94年に『全身小説家』、05年には初の劇映画となる 『またの日の知華』を監督。2017年に『ニッポン国VS泉南石綿村』を発表。2019年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて、全作品が特集上映された。同年、風狂映画舎を設立し、『れいわ一揆』を発表。2020年、『水俣曼荼羅』を完成させた。

石戸諭

1984年生まれ、東京都出身。2006年立命館大学法学部卒業、同年に毎日新聞入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年1月に BuzzFeed Japan に入社。2018年4月に独立した。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)。ニューズウィーク日本版「百田尚樹現象」で第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。

大島新

1969年神奈川県生まれ。ドキュメンタリー監督・プロデューサー。フジテレビを経て1999年フリーとなり、MBS「情熱大陸」NHK「課外授業ようこそ先輩」フジテレビ「ザ・ノンフィクション」など数多くの番組を演出・プロデュース。2009年映像製作会社ネツゲンを設立。監督作品に『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』(2017/第17回 日本映画批評家大賞ドキュメンタリー作品賞)『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020/第94回キネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位)『香川1区』(2022)など。プロデュース
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