「訂正する力」から考える平和──東浩紀×辻田真佐憲「2023年を『訂正する力』で斬る!」イベントレポート
「訂正する力」で平和をつくる
ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃事件が起きた2022年と比べると、2023年は世界や日本を揺るがす大きな出来事は(ジャニーズの性加害問題などいくつかは挙げられるだろうが)比較的なかったように思われた。
しかし10月7日、パレスチナのガザ地区を実質支配するイスラム組織・ハマスがイスラエルに侵攻したことをきっかけに、イスラエルとハマスによる大規模な衝突が起こった。辻田はこれを受けて、「訂正する力はいままさに起きている戦いにどうアプローチできるのか」と問うたのだ。
東は、この衝突はロシア・ウクライナ戦争ほど単純には捉えられないと答えた。細かな歴史的文脈はあるものの、ロシアの侵攻は許容されるものではなく、ウクライナが侵略された「被害者」であることは明白だ。たほうで今回侵攻を受けたイスラエルには、パレスチナとの長く複雑な歴史的・政治的関係だけでなく、ハマスに対する圧倒的な軍事力がある。その中で直接的なアプローチを行うのは難しい。
しかし「訂正する力」は、平和をつくる力でもある。そこで東はもう一つ「忘却」というキーワードを挙げた。 いまは「記憶」の政治の時代だ。当事者や国家は過去の暴力や戦争による被害を記憶し、加害者に責任を問いつづけている。たしかに被害を記憶し、被害者の名誉を回復することは重要だ。東も、アメリカや韓国の博物館が被害者を丹念に調査し紹介していることを評価している。
しかしその被害をもとに、互いに相手を責めつづければ和解は実現しない。東によれば被害の「記憶」ではなく「忘却」、つまり過去の記憶を「訂正」することが平和につながるのだ。じっさい『訂正する力』には、古代ギリシアのペロポンネソス戦争で、内乱の記憶を「忘れる」ことでかつての敵と和解し平和を実現した史実があげられている(198頁)。
辻田が懸念するとおり、その「忘却」を加害者側が求めることは問題だろう。東もその危険性に理解を示したが、重要なのは人間には政治以外の生活や文化があることだという。カール・シュミットが政治の本質を「友と敵の区別」に見さだめたことを裏返せば、友と敵を分けないことが平和な状態であり、それは政治の「欠如」であり「忘却」を意味すると、東はイベント中に繰り返し強調した。
この平和論には東の「実存」も関わっている。1971年に団塊ジュニア世代として生まれ育った東は、自身を「平和ボケ」の世代だと称した。若干自虐めいた表現だが、しかしこの世代ならではの経験が東の議論を強化し、説得力を与えていると筆者は考える。
『訂正する力』によれば、哲学には「時事」「理論」「実存」の三つの要素が不可欠だ(140頁)。詳しくは同書を参照していただきたいが、「実存」を欠いた理論や時事評論は支持を集めづらいという。自分の人生や生活に関係がないと思われてしまえば、いくら正しく説得的な言葉でも人びとに届かない。「ポリコレ」的言説に反発するひとも多い現状を思うと尚更だ。理論を鍛え上げ時事問題に応答するだけでなく、みずからの人生や実感という「実存」を踏まえて論ずる東の姿勢に、哲学に関心がある者として学ぶべきところがあった。
辻田もまた自身の「実存」に関わる観点から、東の平和論が参考になったと答えた。周知のとおり戦前の日本や軍事に深い関心を持つ辻田によれば、戦前にはわかりやすい(しかしいまでは問題であるような)「国体」があった一方、いまの日本には明確な自画像がない。そこで安易な「日本復活」にも「日本全否定」にも陥らずに、戦後日本の肯定的な姿を描きうるものとして「訂正による平和」があるのではないかという。この辻田の実感もまた、国民国家の枠組みで生きるしかない現状において、国のよりよいあり方を考えるために重要な姿勢であろう。