「変わらない社会」を変える大学──鈴木寛×乙武洋匡×東浩紀「君たちはどう学ぶか」イベントレポート
民主党政権下で文部科学副大臣を務めた鈴木は、ZEN大学ではチェアマンに就任している。鈴木が牽引するZEN大学は、「学びたい人なら誰もが学べる環境をつくる」ことを目標としているという。一方、乙武もまた人々が生きる「選択肢を増やす」ことを目標に多方面で活躍してきた。インクルーシブ社会の実現に向け、政治と教育に尽力する二人は大学にどのような未来を描いているのだろうか。4時間にわたった対話の一部をお届けする。
鈴木寛×乙武洋匡×東浩紀「君たちはどう学ぶか──少子化・AI時代のユニバーサル教育(と政治参加)」 URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231030
イベントは鈴木・乙武両氏への東からの問いかけで始まった。鈴木と乙武は、ともに約10年ぶりのゲンロンカフェ登壇である。この10年に起きた政治と社会の変化は大きい。直近ではコロナ禍、少し前ではSNSを介したポピュリズムの台頭などが挙げられる。そのような状況の変化は、教育分野にいかなる課題をもたらしているのか。教育に携わってきた二人にはこの10年の変化がどう見えるのか──。
開口一番に「状況が変わっていないことこそが問題だ」と応じたのが鈴木だ。文部科学省が掲げる政策はある時期から大きく変わってはいる。それまでの形式的平等を重視する方針から、各人に適した公正な個別最適な学びと協働的学習へと重点が移ったのである。だが、制度が変わっても現場は簡単には変わらない。現場を変えるだけの予算が割かれておらず、そのための人財が確保できないからだ。乙武も教師に「ゆとり」がもたらされない限り、どんなに理想的な政策を掲げても問題は解決されないと語る。
鈴木は、この状況に対する解決策こそがZEN大学の設立なのだという。いったいどういうことなのか。「変わらない社会」を変える(かもしれない)教育と大学の未来とはどのようなものなのか。
教育問題とZEN大学
3人の議論は、鈴木と乙武が提出するさまざまなデータから教育の現状と課題を考えるかたちで進んだ。たとえば、乙武は「給特法」の問題を指摘する。1972年に施行されたこの法律によって、公立学校の教員には時間外勤務手当と休日勤務手当がほとんど支払われないことになってしまった。正確には、決められた月の給料の「4%」分しか残業手当が支給されない。小学校の教員は平均月80時間の残業をしているが、仮に教員の月収が30万円だとすると、それに対して1.2万円しか手当が支払われない計算になる。
鈴木はこの問題提起を受け、公立学校の教員全員に一般企業並みの残業手当を支払うにはおよそ1兆円はかかると指摘する。ところが、いま日本の教育行政にはGDPの3%を切る予算しか投じられていない。これは、OECD諸国で最低に近い数字だ。つまり、日本の教育には端的に公的な資金が足りておらず、それが残業手当の問題も引き起こしているのだ。加えて問題なのが、その教育への公財政支出が足らない分を家庭負担が補っているという現状である。これは、受験対策のために塾の負担を担える家庭とそうではない家庭とのあいだの格差拡大につながってしまっている。
こうした格差は大学進学率にも表れている。鈴木によれば、現在の日本の高校生が大学に進学する率は50%程度となっている。教育社会学の分野では、大学進学率が50%以上を「ユニバーサル段階」としている。しかし実は、周辺国の大学進学率は、台湾95%、韓国70%となっており、さらに、理工系の一学年の学生数が、人口2500万弱の台湾も人口5000万強の韓国も1億2500万人の日本も、ほぼ変わらない10万人強であるという。日本の失われた30年の最大の原因は、一挙に情報化が進むこの重要な時期に、質の高い大学教育へのアクセスを若者の確保することができなかったことにある。沖縄県と海を挟んだ台湾とこれだけの大学進学格差がついてしまった。今や、台湾のTSMCという半導体メーカーが世界一になっているが、日本は頭をさげて、TSMCの工場を熊本に誘致しているというありさまだと鈴木は述べた。しかも、この50%という進学率はあくまで全国平均の数値だ。地域ごとの進学率を見ると衝撃的な地域格差がある。鈴木は以下の図を示した。
図1 都会と地方における大学進学率の格差(イベントのスライドより抜粋)
大学進学率が最も高い東京都と最も低い鹿児島県とでは33.6%もの差がある。さらに、地方に行けば、男女の大学進学率の格差も大きい。最下位に近い地域の女子の進学率は、実は途上国のものと変わらないと鈴木は指摘する。イベントでは、鈴木が秋田県で出会った、大学進学をしたくてもできない女子高校生の実情が話題にあがった。鈴木はそのような例をなくすため、できる限り学びたい人が進学できる環境をつくるために活動を続けてきたという。
この地域格差と男女格差に対する解決案が、どこでも学べるオンライン大学の特徴を活かし、これまで以上に安い学費で通えるZEN大学の設立である。ZEN大学への進学は、さまざまな環境での大学進学費を比較した以下の図で、最も安あがりの「国立大学・実家暮らし」よりもさらに低い費用で済む選択肢となる。ZEN大学の設立は、鈴木のこれまでの政治/社会活動と深く結びついている。
図2 国立/私立大学と実家/一人暮らしにかかる費用(イベントのスライドより抜粋)
以上の議論を受けて、乙武は障がいの観点からオンライン大学の意義を語った。身体的な障がいを持つ乙武にとっては、日常のなかに「障がい」がある。たとえば、満員電車への乗車は乙武にとって難しい。障がいは、個人の努力だけには還元できない、「日常」をつくりだす社会の問題でもあるのだ。乙武は、コロナ禍をきっかけにデリバリーのなかった料理店も食事を提供してくれるようになり、これまで食べられなかった食事を味わうことができたのが嬉しかったという。その語りは、健常者が「当たり前」だと感じることが「当たり前」ではないことをあらためて思い知らせてくれるものだった。
鈴木は、ZEN大学の存在はそうした「(大きなショックがなければ)変わらない社会」への刺激にもしたいと語った。現在の教材は文字優位の情報でつくられている。しかし、オンライン授業なら、聴覚優位の特性をもつがゆえに文字優位の学習に抵抗を感じる、いわゆる学習障がいの人々にも適した学びを提供できる。そうした認知的特性に応じるだけでも学習効果は大幅に上昇する。とはいえ、鈴木によれば、そのような特別なソフトウェアを開発するには2万人規模の学生数を見込む必要がある。その意味でも、1学年5,000人を受け入れ、合計で2万人の学生数が見込まれるZEN大学は条件を満たしている。ZEN大学とおなじくドワンゴが経営にかかわるN/S高の学生数や卒業者数も合わせれば、一連の事業が与える社会的なインパクトはより大きなものになるだろう。
「君たちはどう学ぶか」
昨今、文系学部廃止論争や学術会議問題をはじめ、大学論と言えば「大学の自治」や「学問の自由」を軸にした議論が目立ってきた。言ってしまえば、それらの議論は大学教員の労働問題に集約される。それに対して、本イベントは日本社会が陥った、より本質的な教育課題に迫るものだった。終盤に東は、今日の議論の核心は、既存の基準に縛られず、教育をめぐって新しい課題を発見していくことにあったのではないかとまとめた。
最後にイベントのハイライトとも言える場面があった。乙武が語った、かつて友人から受けたという指摘とそれへの応答である。その指摘は、イベントをとおして議論された「現実と理想をめぐるネジレ」に直結するものだ。現実には多くの生徒が「社会の歯車」として生きざるをえないなか、「主体性や個性の発揮」などの理想を語る教育はむしろ「生きづらさ」を生み出しているのではないか──。この問いかけに対し、乙武はどのような教育観で応えたのか。
ここではあえて内容を詳らかにしないが、私見では乙武のその応答には教育と政治が担う未来への責任の在処が示されていたように思われる。教育は誰もが経験するものだが、それゆえに人々が抱く理想が投影されがちだ。教育をめぐる現実を知れば知るほど、そんな思い込みの限界に気がつく。ぜひアーカイブ動画を視聴して、日本の教育の現実を知るだけではなく、その未来に希望を持つ糸口を見出してもらいたい。(青山俊之)