愛について──符合の現代文化論(3) 少女漫画と齟齬の戦略(前)|さやわか

初出:2020年02月28日刊行『ゲンロンβ46』
現代の社会が多様性に開かれ、人々が寛容さに向かっていくには、私たちは「愛」に根拠がないことを積極的に受け入れ、「愛」を執着から解き放つべきである。それが、過去2回で筆者が述べたことだった。
執着的な愛とは何か。たとえばそれは、家族愛の根拠を血縁だけに求めることだ。筆者はこの連載の第1回目で、その傾向が反映された作品例として映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』を挙げた。同作では、作品の中盤までに非血縁的な家族愛の価値が語られ、プロットの趨勢に大きく影響する。にもかかわらず作品は結末で、血縁関係こそをクローズアップして終わってしまうのだ。
また連載第2回目では、ドラマ『全裸監督』を取り上げ、肉体的な性愛と精神的な愛情の結びつきについて書いた。この作品の原作は、性行為と愛情は関連がないと言い切るポテンシャルを秘めていた。しかし、ドラマ版はむしろ性と愛情を凡庸に絡めたプロットを築き、その結果、かえって批判を招いてしまった。
血縁と家族愛、あるいは肉体的性愛と精神的愛情、どちらにしても二項の結びつき、すなわち「符合」には根拠がない。それでも人は、両者の1対1の符合に固執してしまう。つまり「愛とはそういうものだ」と、慣習的に考えてしまう。のめり込むような盲目的なその態度こそが、筆者の言う「執着的な愛」である。
では、私たちが「愛」に根拠がないことを積極的に受け入れ、これを乗り越えるためには、どうすればいいか。血縁が家族愛を意味し、性愛が愛情を表すというのは、記号と指示対象の対応の問題でもある。そこで前回までに筆者は、1対1だと思われがちな記号と意味との符合を切断し、別の意味に付け替えることを示唆した。
その行為を指して、以後は符合の対義語である「齟齬」という言葉を使おうと思う。記号と意味の関係に、食い違い、一致しない攪乱をもたらし、それによって、そもそも「愛」にも根拠がなかったと認めさせることは、どのように可能なのか。あるいはどのような作品に、その姿勢を見ることができるだろうか。この連載の目的は、「符合」ばかりが目立つ現代文化に、「齟齬」をもたらすことにある。
そもそも日本人が「愛」に囚われるようになったのは、近代以降のことだ。この経緯について、デビッド・ノッターは論文「男女交際・コートシップ」で詳細に記している。彼によれば、日本では明治以降の欧米思想を積極的に受け入れる潮流の中で、「家庭」「ホーム」という近代的な家族像が輸入された[★1]。その特徴を一口に言えば「恋愛結婚で成り立つ家族」となる。
これは結婚相手が親に選ばれるのでなく、本人たちの愛情関係による結婚で成り立つ家族である。それまでの日本では、夫婦や子女は家系の存続のために存在するもので、「愛」なる未知の考え方で結ばれた関係ではなかった。近代的な結婚観と家族観が持ち込まれて、初めて日本人は「愛」という概念を知ったわけだ。
ただし、日本だけが特殊だったわけではない。上記した家族像は、近世以前には欧米でも存在せず、19世紀に成立したばかりだった。白田秀彰は中世ヨーロッパの上流階級を例に、以下のように書いている。
[前略]ザクセン人にあっては、貴族と平民の結婚の試みは死刑とされました。これは、貴族階級に狼褻な庶民階級が入り込んでくることが忌み嫌われたからでしょう。白田の説は、欧米であっても、結婚や家族にまつわる「執着的な愛」が近代以降に人々の心を捉えるようになったと指摘するものだ。そしてそれは近代における地球規模の西洋化の波を受けて、日本にも到来する。その結果、結婚と家族は構成員同士に愛情があって成立するとの考え方が定着していったのだ。 では、この執着的な愛はそもそもどのように生まれたのか。これについては、近代以降に盛況となった「ロマンティックラブ」と呼ばれる、恋愛に対する理想像の存在がかかわっている。 これはその名の通り、18世紀末から19世紀前半のロマン主義文学の影響を受けて広く一般に浸透したものだ。ロマン主義はもともと、それまでのキリスト教的な教条主義からの解放を求めた、自由な精神や感性の重視を特徴として、ヨーロッパ中で支持された。 しかしその思想は、政治や社会にも影響を及ぼすに至って、むしろ保守的な傾向を帯びるようになっていく。たとえば、今日の社会でも大きな存在感を持つナショナリズムは、この時期にロマン主義の影響があって成立したと、20世紀の政治学者カール・シュミットは批判的に総括している。ロマン主義が個人の感性と自由を重んじたがゆえに、人々はかえって国家や民族などの外部の権威によって自らを価値付けなければならなくなったのだ。
逆に、上層階級において、「釣り合いがとれた」と評価される結婚のほとんどが、財産や軍事を理由とした政略結婚でしたから、財産継承者である男子が誕生すれば、結婚の目的は果たされたことになります。夫と妻との間に恋愛感情があることはむしろ珍しく、通常の場合、それぞれが別に恋人を持っていました。すなわち、結婚と恋愛がまったく分離していたわけです。こうして見てくれば、結婚が財産の継承に関係する制度であり、人間の精神と肉体の歓びである恋愛とは別のものであることがわかるかと思います。[★2]
同様にロマン主義は、既存の保守的な家族制度を追認することにもなった。そこで大きな影響を及ぼしたのがロマンティックラブだ。前述したように、本来ロマン主義は個人の心情を重んじ、芸術においても自由恋愛が好んで描かれた。しかしこれがロマン主義のもうひとつの特徴である中世への憧憬と重なって、家系の存続を第一義とする旧来的な結婚制度を重んじる形へ歪められていく。これについて、仏文学者の鈴木隆美は次のようにまとめている。
中世宮廷恋愛の伝統は、女性はお姫様、男性は騎士という、ジェンダーのプロトタイプを与えました。そしてお姫様と騎士の恋愛、永遠に続く愛が、もともとは婚外恋愛だったはずなのですが、いつの間にか通常の家庭の結婚生活にまで侵入していきます。もともと恋愛は、結婚と無関係なものだからこそ、人間の自由さと精神性の高さを示す、崇高な存在として称揚された。ところがロマン主義が広く社会へ浸透した際に、恋愛のその崇高なイメージは処女性や貞淑など「純潔さ」を尊ぶものに変化し、唯一無二の相手との結婚がそのゴールとして捉えられるようになる。また2人の愛が生み出す一粒種として、世継ぎを作ることも奨励される。かくしてロマンティックラブは、恋愛、結婚、出産の3つをセットとする保守的なイデオロギー、束縛的な社会規範として機能するようになったのだ。 ただ興味深いのは、鈴木がここでロマンティックラブ・イデオロギーの影響下にある文化として、とりわけ「ハリウッド映画」や「日本の少女マンガ」を挙げていることだ。たしかに前述した通り、ハリウッド映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』の結末は、家父長制を基礎とした血縁的な近代的家族像へと回帰するものだった。また少女漫画も、典型的なロマンティックラブの描かれたものとして長らく認識されてきたし、実際にジャンルとしてそのような定型表現を伴ってもきた。両者はロマンティックラブに基づく「符合」に縛られたジャンルに見える。 しかしこの連載では、少女漫画の持つ定型表現に、むしろ「齟齬」を生み出す可能性を見てみたい。『ゲンロンβ39』の論考で指摘した通り漫画は記号を利用して物語を効率的に伝えることに大きな特徴がある表現だ[★4]。したがって少女漫画でロマンティックラブが多く描かれるのも、そもそも読者の「恋愛」に対する典型的なイメージを積極的に活用し、記号的に提示したものだと言える。 つまり少女漫画がロマンティックラブを多く描くのは、必ずしもイデオロギーを追認するものとして、すなわち女性の保守化と男性上位社会を無批判に推し進めようとして描かれているとは言い切れない。むしろ漫画家たちは常に記号と意味の符合に敏感にならざるを得ないからこそ、ロマンティックラブのように本来根拠のない記号と意味の符合を意識的に捉えることができる。 彼らは表現を更新することによって、しばしばそれを乗り越えようとする。少女漫画の中に、女性について進歩的な思想を持った作品が存在するということではない。少女漫画の表現の更新そのものが、このジャンルの記号と意味の符合を問い直すことになるのだ。 つまりここに、符合の攪乱、齟齬への試みが生まれる。そしてそれが、ロマンティックラブ・イデオロギーのような、社会に根付く「執着的な愛」の存在を気づかせることへ繋がっていくのだ。
結婚し、家庭を作り、決して浮気しない。お姫様は選ばれし男に尽くされ、金を稼いでもらい、家事をする、男は、女性を守り、永遠に愛し、お姫様のわがままを全て聞き入れ、金を稼ぐ。浮気は肉体の罪であり、精神的な愛である結婚は肉体の罪を超えて、安定した家庭を作るのに役立つことになります。
このようにして、天上の恋愛、崇高な、聖なる宗教的次元にあり、もともと結婚という世俗のシステムの外側で発達していった恋愛制度が、地上の日々の生活、結婚生活の中にまで浸透し、男はこうあるべき、女はこうあるべき、というジェンダーを作り上げることになります。
[中略]
その影響力は計り知れないほどで、例えばハリウッド映画にせよ、日本の少女マンガにせよ、ロマンティックラブ・イデオロギーの影響を受けていないものは皆無だ、と言って良いほどです。[★3]
その具体例として、ここでは山岸凉子が1971年に、クラシックバレエを題材に描いた少女漫画『アラベスク』を取り上げる。 山岸凉子は「花の24年組」と呼ばれる、1970年代に台頭した革新的な少女漫画作家たちの1人に数えられる。24年組とは昭和24年前後に生まれた作家を指すがゆえのネーミングだとされるが、実際のところ彼らの生年はさほど一致していない。 ゆえに定義は曖昧だが、評論家の村上知彦は漫画評論集『黄昏通信』で、24年組の作家たちは1968年から1969年に「いっせいにデビューした」としている[★5]。これはおそらく24年組の代表格とされる大島弓子や萩尾望都のデビュー年を念頭に置いた言葉だろう。あるいは同様に24年組の中心人物として扱われることの多い竹宮恵子が1967年デビューであることも視野に入れたものかもしれない。ともかく、この頃から70年代にかけて登場した、新しさを感じさせる少女漫画のことが24年組と呼ばれているわけだ。 このグループに属するとされる作家の特徴として、その多くがSFやファンタジーの要素を積極的に採り入れたこと、当時はタブー視されていた男性を主人公とした少女漫画を描いたことなどが挙げられる。 しかし本稿にとってとりわけ興味深いのは、彼らが同性愛や近親愛を好んで描いたこと、そして近代的家族の不和と崩壊をシリアスに描いたことだ。つまり24年組は、恋愛、結婚、出産によって愛情ある近代的家族が生まれるという、記号と意味の符合の無根拠さ、ロマンティックラブ・イデオロギーの持つ「執着的な愛」を攪乱した作家たちだった。 山岸も典型的な24年組の作家として、家族の問題を描き続けている。たとえば1979年に発表した短篇『天人唐草』は、性を抑圧する父親の存在によって最終的には狂気へ至る女性を描いた異色作品として高く評価されている。またこの時期に山岸は、『スピンクス』『狐女』『鬼来迎』など、母親によるネグレクトや虐待も好んで描いている。結末で子供が親から逃れることができても、救いがもたらされない作品も多い。 他の24年組の作家も、こうした筋書きに近い作品を繰り返し描いている。ここで筆者が見てみたいのは、24年組はなぜそうしたテーマの少女漫画を描くようになったのかだ。以下、その経緯を示す作品として、山岸凉子が家族について多数の作品を描くようになる直前に描いた『アラベスク』を取り上げる。同作で山岸は、後に試みる「ロマンティックラブ」の符合の解体に先立って、少女漫画に最初の齟齬をもたらしているのだ。
山岸は1947年に北海道で生まれた。父親は三井鉱山の勤め人で、偶然だが萩尾望都の父親も同じ職業だ。『AERA』に掲載されたインタビューによると、山岸の幼い頃の家庭は「『サザエさん』の磯野家そのまま」だったといい、「仕事から戻ると着物に着替える父、倫理感の強い専業主婦の母は礼儀作法に厳しく、両親ともに教育熱心だった」らしい[★6]。 山岸は小学校に入る頃からバレエ教室に通わされていたが、経済的な事情から中1でやめることになる。その後長らく表現欲求を発散できずにいたが、高校2年で一念発起し、家族に反対されながらも切実に漫画家を目指すようになる。 だが、当初の彼女はなかなか漫画家として芽が出なかった。作品を読ませた編集者にも、諦めたほうがいいとたびたび言われたという。理由は漫画の内容はもちろんのこと、その絵柄が、当時の少女漫画らしいものでなかったからだ。1969年にようやく短篇『レフトアンドライト』でデビューできたが、それは彼女本来の絵柄を封印したものだった。
では、本来の山岸とは違う「少女漫画らしい絵」とは何か。簡単に言えば『鉄腕アトム』など手塚治虫の初期作品もその系譜に連なる、丸っこい描線で描かれた、いかにも記号性の高い「漫画っぽい」絵柄である。『レフトアンドライト』でも、丸みのある頭部と、動作によってゴムのようにしなる身体を持つキャラクターが意識して描かれている。山岸の本来の絵柄はこれとは真逆で、人物の顔は面長で、体つきも人間らしく骨が通り、肉の付いたものだった。 ただ、彼女の志向する絵柄は、当時の漫画全体の流行から見れば、決して異端だったわけではない。というのも60年代後半からは「劇画」と呼ばれる、骨ばった、リアリスティックな、しばしば荒々しい絵の漫画や、あるいはその影響を受けた漫画が、『週刊少年マガジン』などのメジャー誌に載るようになっていたからだ。この時期には梶原一騎と川崎のぼるの『巨人の星』(1966-1971年)や、ちばてつや『あしたのジョー』(1967-1973年)、さいとう・たかを『ゴルゴ13』(1968年-連載中)など、劇画出身の作家や、その絵柄を採り入れたヒット作が多数生まれている。 劇画風の漫画が盛況を迎えたことで、初期の手塚に代表されるような丸っこい描線は、次第に下火になっていた。にもかかわらず、少女漫画ではそうしたリアリズムはそぐわないとされていたわけだ。ジャンルとして典型的なロマンティックラブを描くことが多かったのと同様に、絵柄にもなお記号性の高さが求められていたのである。
しかし、ここに山岸凉子は齟齬を生み出そうとした。初めての長編作品『アラベスク』を、自分本来の絵柄で描いたのだ。つまり彼女は、骨ばって筋肉を持った肉体で踊る、リアリスティックなバレエ漫画を描いた。これは当時の少女漫画からすると異例なことであった。前述の『AERA』インタビューには、次のように書かれている。
「アラベスク」は当初、編集者から歓迎されない作品であった。バレエものは古いという理由だが、今までのバレエ漫画に対してずっと違和感があった山岸は、独自の世界を描こうと考えた。ごつごつした筋肉や踊ることへ向かう気持ちを、好みの大人っぽい顔と細い線で描きたかった。この頃、萩尾望都と竹宮恵子が共同生活を送る、少女漫画革命の聖地「大泉サロン」に出入りし、触発されることも多かった。この頃、山岸がバレエ漫画を「ごつごつした筋肉」で描くことにこだわった話は、同じ24年組の竹宮恵子も証言をしている[★8]。 そもそもバレエものが「古い」とされたのは、要するに当時のバレエ漫画が、従来のいかにも漫画らしい絵に、まさにロマン主義的な夢物語を結びつけたものばかりで、その符合に誰もが見飽きていたがゆえだろう。つまり絵も内容も、手垢の付いた記号と化していたわけだ。そこで山岸は絵柄を「ごつごつごした筋肉」に置き換えることで、ここに齟齬を生み出した。 単純な言い方をすれば、山岸はリアル志向だった、となるだろう。だが、そもそも漫画家がリアルさを志向するとき、彼らは必ず漫画が原理的に持つ記号性を打破しようとしているのだ。 これは評論家の大塚英志が「アトムの命題」と呼ぶ、漫画やアニメのキャラクター論にかかわっている。 アトムの命題とは何か。簡単にまとめると、漫画は記号でしかないキャラクターの死を描くことができるのか、という問いだ。昭和20年に手塚治虫が『勝利の日まで』という作品で、ミッキーマウスのような記号的な身体を持つ漫画のキャラクターに血を流させ、死なせたことに注目した。それ以後、「リアリズムの手法でしか描けないことをリアリズムの対極にある記号的な手法で描こうとする努力を手塚は――そして戦後まんが史は行ってきた」と大塚は言う[★9]。 大塚が強調するのは、記号でしかないキャラクターに、傷ついたり死んだりする肉体を与える矛盾した試みを繰り返すことで、日本漫画のキャラクターは「内面」を描けるようになった、ということだ。彼の考えでは、この試みが手塚からはじまって石ノ森章太郎を経由し、24年組へと受け継がれていく軌跡は、70年代初めに柄谷行人が「内面の発見」と呼んだ、日本近代文学の発展過程の反復としてある。 この説には説得力があるが、大塚は60年代以降の劇画の影響や、「ごつごつした筋肉」を描くために絵柄を変化させた『アラベスク』のような少女漫画の試みについて触れていない。 要するに、大塚の議論は絵柄の変化や違いを度外視し、キャラクターを一括して記号としてのみ捉えるものだ。 たしかに漫画の図像は記号であるから、大塚のラディカルな整理も正しい。しかし、大塚の言うように漫画が記号のまま傷ついたり死んだりすることが重要なのであれば、山岸が絵柄を変える必要もなかったはずだ。
[中略]
3回連載でスタートし、1回目の原稿を渡した時点で、「2回で終わらせて『野菊の墓』を描いてくれ」と編集者から電話があった。失意のどん底にいると、1回目が掲載された「りぼん」が発売された。編集者からまた電話が入った。アンケートでいきなり1位だったという。「ごめん。できるだけ長く続けて」。少女漫画で初めて自己達成を描いた名作が誕生した。[★7]
山岸が『アラベスク』でやったのは、少女漫画と言えば丸みや弾力のある絵柄で、バレエものと言えば非リアリズムで描くのが当然とされる、このジャンルにある「執着的な愛」を、「ごつごつした筋肉」によるリアルな絵に差し替えて攪乱することだった。 そのリアルな絵もまた、広い意味では記号にすぎない。しかし彼女は、従来とは違う絵で作品を組み立てることで、バレエ漫画に染みついた記号と意味の符合に、齟齬を生み出したのだ。その結果『アラベスク』は当時のバレエでは世界最高峰の一角を成していたレニングラード・キーロフ・バレエ団やモスクワ・ボリショイ・バレエ団を題材に選び、また当時の共産主義下のソ連の雰囲気も感じさせる、リアルな作品になっていく。 もちろん前述のように、山岸がリアル志向だったから、そのような絵と物語を描いたのだと言うこともできる。しかし、逆に考えるべきではないか。山岸がそのような絵を志し、バレエ漫画の記号と意味の関係に齟齬をもたらしたことが、作品がリアルな物語内容を盛り込むことを許したのだと。
そもそも、記号的キャラクターを使ってリアリズム的な死を描く矛盾こそが日本の漫画を進歩させたという大塚の主張も、わかるようでよくわからないところがあった。大塚は、死が原則的に「リアリズムの手法でしか描けないこと」であり、記号にはそれができない、という前提に立って議論を展開していた。しかしそうであるならば、記号で死を描くのは一切不可能で、何も描くことができないはずだ。 困難な課題への挑戦を続けることでジャンルが成長したという理屈自体はわかりやすい。だが手塚は『勝利の日まで』で「記号的なキャラクターは死なない」という符合を攪乱し、「死ぬこともある」という別の意味へ付け替え、齟齬を発生させた、と言うほうがしっくり来るのではないか。 そのほうが、漫画家の行える幅広い試みを、より正確に示すことができる。つまり漫画家がやっているのは、大塚が言うように非リアリズムの表現でリアルを描く矛盾した試みには留まらない。描こうとする図像がリアルであるにせよそうでないにせよ、その記号がどんな意味と結びつくかを検討し、ときとしてその関係に齟齬を引き起こすことを志す。それが漫画家の営みであり、その試行錯誤で日本の漫画は発展したのだ。
以上のような理解を経ることで、山岸凉子が家族の崩壊を扱った作品をさかんに描くようになったのが、『アラベスク』以降である理由が実によくわかる。 村上知彦は前掲書の中で「山岸涼子にとって〈家〉とのたたかいが永遠の主題である」にもかかわらず、『アラベスク』が「〈家〉の問題をひとまずおいて、自分とは何者か、の問いを究極までおしすすめる試みだったのではないか」と指摘している[★10]。 ここで村上はあくまでも物語のテーマに即して語っている。だが山岸が絵柄を変えたことに注目した本稿を踏まえたほうが、村上の言葉はより理解しやすい。つまり村上の言う「自分とは何者か、の問いを究極までおしすすめる試み」とは、筆者の言い方だと、少女漫画と従来的な絵柄の符合を切断する試みを指している。そのようにキャラクターの強度を試すにあたり、バレエという、身体を徹底的に追い込み、調律する舞台芸術を題材にしたことは、意味深く感じられるところだ。 そして、この作品の試みが成功裏に終わったがゆえに、山岸凉子は村上の言う「〈家〉とのたたかい」へ向かえるようになった。つまり、少女漫画と絵柄の関係に齟齬を生み出すことに成功し、続いては村上が「ひとまずおいて」いたという「〈家〉とのたたかい」という主題についても、つまりロマンティックラブ・イデオロギーを背景にした、近代的家族と愛情の符合をも、切断してみせる準備が整ったのだ。 24年組の作家が1968年から1969年に「いっせいにデビューした」のであれば、『アラベスク』は彼らの活動の中でも、比較的早い時期に登場した作品だ。その後70年代を通して、なぜ24年組がさかんに近代的家族の崩壊とロマンティックラブ・イデオロギーへの違和感を語ることができたのか。それは山岸凉子がこの段階で、少女漫画の記号と意味に齟齬を発生させる試みに着手していたからに他ならない。次回はこの試みを踏まえて、以降の少女漫画がロマンティックラブ・イデオロギーへどのように向き合ったかを確認しよう。しかしそれもまた、漫画の表現技法の更新を視野に入れた議論になる。
★1 デビッド・ノッター「男女交際・コートシップ ―「純潔」の日米比較社会史―」、『京都大学大学院教育学研究科紀要(46)』、2000年、235頁。
★2 白田秀彰『性表現規制の文化史』、亜紀書房、2017年、195頁。
★3 鈴木隆美『恋愛制度束縛の2500年史――古代ギリシャ・ローマから現代日本まで』、光文社新書、2018年。電子版より引用。
★4 さやわか「記号的には裸を見せない――弓月光と漫画のジェンダーバイアスについて」、『ゲンロンβ39』、2019年。
★5 村上知彦『黄昏通信――同時代まんがのために』、ブロンズ新社、1979年、129頁。
★6『AERA』、朝日新聞出版、2016年12月12日号、61頁。
★7 同書、63頁。
★8 竹宮恵子『少年の名はジルベール』、小学館、2016年、電子版より引用。
★9 大塚英志『キャラクター小説の作り方』、星海社、2013年、136頁。
★10 村上、前掲書、124頁。


さやわか
1974年生まれ。ライター、物語評論家、マンガ原作者。〈ゲンロン ひらめき☆マンガ教室〉主任講師。著書に『僕たちのゲーム史』、『文学の読み方』(いずれも星海社新書)、『キャラの思考法』、『世界を物語として生きるために』(いずれも青土社)、『名探偵コナンと平成』(コア新書)、『ゲーム雑誌ガイドブック』(三才ブックス)など。編著に『マンガ家になる!』(ゲンロン、西島大介との共編)、マンガ原作に『キューティーミューティー』、『永守くんが一途すぎて困る。』(いずれもLINEコミックス、作画・ふみふみこ)がある。
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