愛について──符合の現代文化論(14) 古くて新しい、疑似家族という論点について(1)|さやわか

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初出:2023年4月18日刊行『ゲンロンβ80+81』

 1942年、坂口安吾は「日本文化私観」と題するエッセイを発表した。これは戦後に書かれた「堕落論」と並び、彼の代表作と称される。 

 簡単に言うと、これはナショナリズムが声高に叫ばれた当時の風潮へ冷や水を浴びせる内容になっている。「伝統」に権威付けられた寺社仏閣や日本画などの文化を知らずとも、いいではないか。今は戦中である。空に飛行機が飛び、いたるところにバラック屋根の住居が立ち並んでいる。だが、そこに日本人の生活があるのなら、それこそが日本文化だし、伝統の息づく場所だろう。安吾は、次のように啖呵を切る。 

 

 俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦そうである。まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。若し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。★1



 ここで安吾は、寺をありがたがっていれば伝統が守られるわけではない、と主張している。それはこの連載の用語で言い換えると、寺は記号でしかない、ということである。既存の記号(「寺」)を固持したからといって、結び付いた意味(「伝統」)が満たされるわけではない。むしろ、記号と意味が強く符合した状態は、実情とはかけ離れがちである、というわけだ。なお彼は、敗戦間もない頃に書いた「堕落論」でも、今こそ日本人は高潔ぶらずに、極限まで愚かしく生き、その過程で自らを再発見し、救う道を探るべきだ(「生きよ、堕ちよ」)と書いている。実情は記号に先行するものであり、前者をより重視すべきというのは、安吾にとって一貫した思想なのだ。 

 ところで「日本文化私観」の中には「家に就て」と題された章がある。この章では、一見すると主題である「日本文化」とは無関係に思われる、「自宅へ帰ること」に関する安吾の独白が書かれている。 

 

 帰る途中、友達の所へ寄る。そこでは、一向に、悲しさや、うしろめたさが、ないのである。そうして、平々凡々と四五人の友達の所をわたり歩き、家へ戻る。すると、やっぱり、悲しさ、うしろめたさが生れてくる。「帰る」ということは、不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。「帰る」以上、女房も子供も、母もなくとも、どうしても、悔いと悲しさから逃げることが出来ないのだ。帰るということの中には、必ず、ふりかえる魔物がいる。

 戦後、安吾は死の8年前に結婚した。だからこのエッセイが描いているのは彼の独身時代で、仕事相手や友人との社交を終え、いざ自宅に帰った時にその家の空虚さ、自らの孤独さに気づく場面である。 

 ただ、この孤独は、単純に自宅の人気のなさから生まれるものではない。ここには「家」という記号が意味するものと、自らの生活のギャップへの不安が見え隠れしている。これについて哲学者の中村雄二郎は、「疑似家族の崩壊と安吾の『日本文化私観』」と題したエッセイで以下のように記している。 

 

ここに、プライベートな個人を支え、保証する自立的なユニットへの要求とその現実での不在の表出をみることはできないだろうか。現実に多くの家族が寄り集まっている家はあっても、それが自立的なユニットたりえない、虚偽の、擬似的なものでしかなければ、少なくとも安吾にとっては、そこに「帰り」ついたところで、悔いや悲しさからは逃れられない。 
  
 では、どうしたらいいのか。[中略]かれは「帰らなければいい」、「いつも前進すればいい」と言うのであり、このことのつながりにおいて、敗戦直後の混乱期に中途半端なきりかえによって事態をのりきろうとする風潮や、ごまかしによる旧秩序の保存や、安易な方向転換の態度に対して、「堕落論」の「生きよ、堕ちよ、その正統な手続きの外に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか」という叫びがなされるのである。★2



 中村は、安吾が自らとのギャップに不安を覚える「家」が、「堕落論」で糾弾される「ごまかしによる旧秩序の保存」と地続きだと示唆する。それはすなわち、教育勅語を思想的基盤とし、各家庭から天皇までを直結させる、戦中の家族主義的イデオロギーである。これは古来から存在した父権的家族像を、天皇を頂点つまり父として抱く疑似家族像へと敷衍するものだ。ところが安吾が自宅に帰ると、そこにあるのは夜遊びを続け、満足な家庭も持たぬ、一人暮らしの実情である。ゆえに安吾は自らを、国全体を巨大な一家と見なす疑似家族の一員として感じられない。彼はそこに「悔いや悲しさ」を覚える。しかし、ならばこそ安吾は記号より実情を重視すべく、あえて「前進すればいい」と言うのである。 

 中村は安吾のエッセイを、戦後の日本人が取るべき態度を示すものと考える。日本人は戦後、教育勅語を中心とする疑似家族的イデオロギーを失った。ならば、戦中すでにその父権的な疑似家族像からの疎外感を書いていた安吾の姿勢に学ぶべきものがあるというわけだ。つまり「家」という言葉に紐付けられた社会規範=意味と、我々の「家」の実情とが乖離してしまったとしても、そのまま「前進すればいい」、それに極限まで向き合おう、というのだ。 

 安吾と中村のこの問題意識は、現代でも形を変えて反復している。戦前、各世帯が「家」を、安定して運営できたのは、天皇を頂点とした「疑似家族」的イデオロギーがあったからこそだった。しかし戦後このイデオロギーは崩壊したため、人々は代替となるイデオロギーとしてロマンティックラブを求めた。だが今では、ロマンティックラブもまた、現代的な家族の求心力としては力不足になった。今や、戦前の巨大な疑似家族(国家)とも、単一の夫婦関係に基づく近代的な家族とも異なる、多様性に基づいた、今日的な「疑似家族」が求められているのだ。

さやわか

1974年生まれ。ライター、物語評論家、マンガ原作者。〈ゲンロン ひらめき☆マンガ教室〉主任講師。著書に『僕たちのゲーム史』、『文学の読み方』(いずれも星海社新書)、『キャラの思考法』、『世界を物語として生きるために』(いずれも青土社)、『名探偵コナンと平成』(コア新書)、『ゲーム雑誌ガイドブック』(三才ブックス)など。編著に『マンガ家になる!』(ゲンロン、西島大介との共編)、マンガ原作に『キューティーミューティー』、『永守くんが一途すぎて困る。』(いずれもLINEコミックス、作画・ふみふみこ)がある。

3 コメント

  • Hiz_Japonesia2023/04/25 08:57

    非常に面白い記事でした。それとは知らずに、これから『逃げ恥』のようなことに取り組もうとしていました。基本的にキラキラした流行りものは嫌いなので、TVドラマ版を視聴していませんでした。少女マンガ版を読んでみようと思います。人生の参考になりました。ありがとうございます。

  • iincho2023/05/26 17:28

    是枝監督の「万引き家族」「ベイビーブローカー」や「真実」などの映画を見て、ぼんやりと思うことはありました。「これ、他人だからうまくいくんだろうな」「他人じゃないからうまくいかないんだよな」「しかし、血縁だろうが他人だろうが、家族って脆いな…」という程度です。このように批評的に考えたことはありませんでした。旧来の家族像をなぞる、目指すもの(天皇の赤子!!)でしかない。私自身、疑似家族ものについては「憧れ」と「どうせ夢だろ」という相反する思いが強烈にあります。その「どうせ」という思いが最近の画期的な作品によって「まさか・・・実現?」というところまで来ているんですね。逃げ恥全然見てませんでした!!!! 血縁とは何なのか。「家族になる」とは何なのでしょう。一緒に暮らしたら家族になれるでしょうか。これからも考え続けていくと思います。その時にこの論考も参考にさせていただきたいです。

  • sing a song2025/09/29 18:20

    寺と坊主と僕たちの幼稚園 坂口安吾の「寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。」という力強い言葉に、僕は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。この記事を読むまで、物事にはまず立派な「器」があって、その中に「中身」が収まるのだと、何の疑いもなく信じてきたからです。しかし安吾は、その常識こそが本質を見えなくさせているのだと、戦中の日本で喝破しました。 実は私は、小さな私立幼稚園の運営に関わっています。そして、恥ずかしながら安吾が批判する考えに、どっぷりと浸かっていたことに気づかされました。立派な園舎があって、新しい遊具があって、整った環境がある。それが幼稚園の価値だと思い込んでいたのです。でも、それは全くの間違いでした。園舎が子どもたちを育てるのではありません。そこに生き生きとした先生がいて、毎日泣いたり笑ったりしながら成長していく子どもたちがいて、はじめてその場所は「幼稚園」という温かい生命を宿すのです。先生や子どもたちという「坊主」がいてこそ、「幼稚園」という名の「寺」は意味を持つのだ——この当たり前の事実に、この記事を通してようやく気づくことができました。 安吾が感じていたのは、建物や制度といった「記号」だけが一人歩きし、そこに宿るはずの人間の「実情」が置き去りにされてしまうことへの危機感でした。彼が孤独を感じた「家」もまた、戦時中の「国=疑似家族」という巨大なイデオロギーの「記号」でした。そして記事は、その「疑似家族」の形が時代と共に変わり、現代の私たちが新しい家族のあり方を模索している、と論を進めます。 かつては国という大きな「家」があり、少し前まではお父さんお母さんを中心とした近代的な「家族」という決まった型がありました。しかし今、私たちはそのどちらの「型」にも収まりきれない、多様な人間関係の中に生きています。それは不安なことかもしれません。しかし、安吾の言葉を借りれば、「寺がなくとも、良寛は存在する」のです。決まった型や名前がなくても、そこに人と人との確かなつながりがあれば、それこそが新しい「家族」の姿なのかもしれません。 この記事は、私に仕事のあり方を、そして日々の生活を見つめ直す、大切なきっかけをくれました。大事なのは立派な「寺」を建てることではなく、そこにいたいと思ってくれる「坊主」の心を育むこと。物事の本質を見失わないようにしたいと、強く思います。そういえば、「Make Gotanda Great Again」という言葉も、五反田という街(寺)を偉大にするのは、建物や名前ではなく、そこに集う人々の熱意(坊主)に他ならない、というメッセージが込められているに違いありません。友の会総会には、その精神の象徴である限定Tシャツを着て参加できたら、最高に嬉しいです。

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