カネの建築論──住宅ローン・田園都市・雑居ビル じんぶんアジール(1)|國安孝具

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webゲンロン 2024年7月4日配信

 新しいリレーエッセイ、「じんぶんアジール」の連載を開始します! 若手研究者や大学院生たちに、みずからの研究や関心と日々のくらしをゆるくつなぐ思索を展開してもらう企画です。

 第1回は、ゲンロン社員の國安孝具による建築エッセイ。彼の出自と五反田のゲンロンカフェは、「建築」と「カネ」という視点からどのように交差するのか。ぜひお楽しみください。(編集部)

 4月からゲンロンの社員になった。大学院まで学んできた建築からは離れることになる。

 なんてセンチメンタルになる暇もなく、「万博と建築」シンポジウムの企画がやってきた。いきなり世間から注目されるイベントを担当することになり、プレッシャーで体重が5キロ増えた。

 万博にかぎらず、建築が炎上しやすい時代である。思えば、ぼくがゲンロンを知ったのも2013年の「福島第一原発観光地化計画展」だった。当時、この展覧会の炎上についてはあまり知らなかった。おそらく展覧会の存在を知ったのも、大学の先輩にあたる建築家、藤村龍至さんが関わっていたからだろう。自分のツイートを遡ってみると、2013年12月29日に展覧会を訪れたことをつぶやいている。「福島第一原発観光地化計画展だん」。SNSが牧歌的だった時代の空気がすごい。

 博士課程まで進学して、ひとより何周も遅れて社会人になった。設計事務所に務めたり、大学教員になったりしていたら、日々トークイベントの売上に悩むこともなかっただろう。しかしそれも含めて、ビジネスの世界は面白い。ここから建築を考えることはできないだろうか。このちょっと変な中小企業から。

住宅ローンという建築思想

 建設費の問題はいつも炎上の中心にある。建築は多額の費用がかかるものだが、その効果のほうは数値化がむずかしい。そのせいだろうか、今回の万博では、火消しとして万博の経済効果が熱心にうたわれた。

 表向きの説明はどうあれ、経済効果が目的となるのは万博やオリンピックに限らない。「箱の家」シリーズでよく知られている建築家の難波和彦さんは最近、住宅が景気対策として重宝されてきたことを論じている。というのも、住宅の経済波及効果は大きく、その建設費の2倍を超えるからだ。家を買うとなれば家電や家具も新調したい。車だって買うかもしれない。

 とはいえ、家は高い買い物だ。ほとんどのひとはローンを利用することになる。とくに、1950年に設立され2007年まで存続した住宅金融公庫は、低金利の公的な住宅ローンとして膨大な数の住宅の建設を支えてきた。ところでこの住宅金融公庫、GHQの誘導でつくられたものだとも言われているらしい。

 その目的とはなにか。難波さんは次のように書く。

家族としては最小の単位である核家族がそれぞれの住まいをもつようになれば、そこで生活する家族は、自分たちの生活を守るために、自然に保守的な思想をもつようになると考えられたのです。つまり持家政策は、終戦後に頭をもたげてきた共同体的な思想、すなわちもう一方の戦勝国であるソヴィエト連邦や中華人民共和国などの社会主義や共産主義陣営の思想に対する対抗案として導入されたといわれています。★1

 ゲンロンの出版物を追っているひとであれば、ここで本田晃子さんの『革命と住宅』を思い出すはずだ。この本で紹介されているソ連の集合住宅は、家族を解体し、見ず知らずのひとたちに共同生活を強いるためにつくられた。その住宅や生活のあり方は、いま日本に暮らすわたしたちからすれば奇妙にみえる。しかし、最小の家族である核家族がわざわざ独立した住宅を所有することは、同じくらい奇妙なことではないだろうか。

 なんにせよ、住宅ローンも家族についてのひとつの思想なのだ。ただし、共産主義の理念をあらわした住宅とは異なり、具体的なかたちをもつことはなく、その主体も現れてこない思想である。

「空想的田園都市」としてのつくば

 ぼくはといえば、住宅ローンとは無縁のユートピアに暮らしていたことがある。小学校を卒業するまで住んでいた、つくば市の公務員宿舎だ。公務員宿舎といっても集合住宅ではなく、庭付きの一軒家だった(正確にいえば、線対称の住宅が1枚の壁を共有するかたちで2軒が1セットになっていたのだが、住民の意識としてはあくまで一軒家だった)。

 庭のまえには自動車の入れない遊歩道。パーゴラとベンチ、砂場のある共用スペース。幼稚園や児童館、大きな公園までは、遊歩道を通り横断歩道をいちど渡るだけでアクセスできた。この空間がユートピアであったことには、中学に入学するタイミングで両親が夢のマイホームを建て、引っ越してから気づいた。いや、当時は弟と共同とはいえ部屋がもらえたことに舞い上がっていたから、この空間の魅力に気づいたのはもっとあとかもしれない。いずれにせよ、以前住んでいた公務員宿舎の周辺に比べると、新しい家のある住宅街はいくら住み慣れてもどこかよそよそしかった。家族だけがぷよぷよと海に浮かんでいるみたいだった。隣近所で共有している場所がないのだ。それに、庭を出るとそこは車道だった。まさか歩道のない道があるなんて……。そんな思い出の公務員宿舎のあった場所も、いちど更地にされて、いまはふつうの住宅街となっている。住宅ローンが日本中につくっている空間だ。

2013年、約10年ぶりに訪れたつくば市並木の公務員宿舎。中央に写るのが、ジグザグに蛇行する遊歩道。廃止決定後で荒廃した様子だったが、一部は東日本大震災の避難者のための住宅として使われていたらしい。撮影=筆者

 公務員宿舎から引っ越した先も、つくば市内ではあった。国立の筑波大学や国土地理院、JAXA筑波宇宙センターといった研究機関を中心とする「研究学園都市」として知られるつくばだが、じつは「田園都市」でもある。1970年に定められた「筑波研究学園都市建設法」をみてみよう。

第一条 この法律は、筑波研究学園都市の建設に関する総合的な計画を策定し、その実施を推進することにより、試験研究及び教育を行なうのにふさわしい研究学園都市を建設するとともに、これを均衡のとれた田園都市として整備し、あわせて首都圏の既成市街地における人口の過度集中の緩和に寄与することを目的とする。★2

 ところで、田園都市といっても、いまでは単なる住宅宣伝用のキャッチコピーだと思っているひとが多いかもしれないので、ここで説明しておこう。田園都市とは、19世紀末にイギリス人のエベネザー・ハワードによって発案された都市のあり方である。そのアイデアは瞬く間に世界に広がった。ハワードが提案したのは、既存の大都市に依存するベッドタウンとは異なり、住宅だけでなく十分な職場と雇用があり、食料も自前で生産できる自立した都市だ。理想的な面積は6000エーカー(2400ha)とされ、これは品川区の面積 2285haと近い。ここには3万人が暮らすことが想定されていた(品川区の人口は現在38万人)。こう聞くと空想的なプロジェクトのように思われるかもしれないが、1898年に田園都市のアイデアを発表したハワードは、なんとそのわずか5年後、1903年にはロンドン近郊のレッチワースで田園都市の建設に着手している。

ハワードによる田園都市(Garden City)のダイアグラム。注記(N.B.)の部分に注目してほしい。これはダイアグラムに過ぎず、プランは敷地が決まるまで描くことはできない、とハワードは念を押している。田園都市には田園調布のような同心円状のイメージもあるが、重要なのは街のかたちではない。 URL= https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%8E%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AE%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%80%8F3%E7%89%88-05.jpg Public Domain

 どうして、ハワードは新しいアイデアに基づく都市をそんなスピードで実現できたのか? 決して、彼が大金持ちだったわけではない。

 その方法は、ハワードの『明日の田園都市』を読めば身にしみてよくわかる。都市のヴィジョンを期待して読むと、延々と、いやになるほど延々と、カネの話が続くからだ。ハワードは土地の取得費と建設費、それに各年の歳入と歳出をよくよく検討し、当時の劣悪な環境のロンドンよりはるかに素晴らしい住環境をロンドンの家賃より安く手に入れられることを示してみせたのだ。

 さらにいうと、それを可能にしているのは土地の所有と利用に関するスキームである。出資者からカネを集めて用地を買収したあと、田園都市の土地は一括して管理団体が所有して、田園都市に暮らすひとびとはカネを払って土地を借りる。いわば土地のサブスクだが、土地の私有を認めないという意味では、資本主義のなかに共産主義的なシステムをつくったといってもいい。「共産主義がすばらしい原理である一方で、個人主義も負けず劣らずすばらしい」。ハワードはそう書いている★3

 というわけで結局、つくばは田園都市ではないというべきだろう。なぜなら、そこに土地とカネについての新しいシステムはないからだ。たしかに、自立した都市をつくったという意味では、1923年に分譲が開始された田園調布や、1953年に開発が始まった多摩田園都市よりも、つくばは田園都市に近い。それでも、田園都市(Garden City)というのは、ただの緑豊かな都市のことではないのだ。

 ここでもうひとつの疑問が浮かぶ。なぜわたしたちは田園都市を誤解し続けているのか。なかなか壮大な問いではあるが、ここでは初心に戻って考えてみたい。じつは、日本に田園都市のアイデアが紹介されたのはかなり早く、ほとんどリアルタイムといってもいい。1907年に内務省地方局有志がその名もずばり『田園都市』なる冊子を発行しているのだ(これはのちに『田園都市と日本人』として文庫化された)。ただし、ハワードの著作そのものの翻訳ではない。そして、優秀で志の高かったであろう明治の官僚たちも、最後には日本にはもともと田園都市があったのだと結論してしまう。それがなんと平安京のことなのだ。

桓武の帝が、山河襟帯自然に城をなすとのたまいて、この山城の要地を択び、はじめて都をさだめたまいしは、遠く一千有余年の昔にあり。ときは古今をへだて、地は東西を別つも、田園都市の実体がつとにわが邦に現実せられ、いままた泰西の識者が新たにこれを唱えて、刻下主要の問題となすにいたりしは、ことやすこぶる奇とすべきを覚ゆ。★4

 要するにここで言われているのは、「このごろ欧米で話題の緑豊かな都市をはるか昔に先んじてつくってた日本すごい」ということである。都市の景観ばかりを見ていると、そこに含まれている構造を見落としてしまう。注目しないといけないのは、必ずしもかたちに現れないカネの動きのほうだ。新しい都市や新しい生活様式をつくるということは結局、新しいカネの仕組みをつくることではないだろうか。

 

 とは書いてみたものの、いわば「空想的田園都市」であるつくばの、それも公務員宿舎にユートピアを感じてしまう自分もたしかにいる。しかし、そろそろ現実に戻らなければ……。ひとまず五反田に帰ろう。

雑居ビルから考える

 ゲンロンカフェは五反田の雑居ビルの6階にある。もうすぐ築50年になる年季の入ったビルである。ゲンロン創業者の東浩紀は最近、雑居ビルの豊かさについてよく語っている──深夜であってもお客さんが自由に出入りできて、それなりに騒がしくても許される「ゆるい」空間。ある意味では無責任なこの空間がなければゲンロンカフェは成立しない。

 ちなみに、わずかに残っていた記憶と「新時代の司書サービス」であるクジラのAIを頼りに調べたところ★5、2022年3月25日のイベントの終盤、早朝5時になろうかというところで東が雑居ビル論を語っていたことまで遡ることができた★6。ぼくがはじめて東の雑居ビル論を聞いたのはここだったと思う。うっすらとでもそれを覚えていたのは、ジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』を読んだばかりのタイミングだったからだ。

 ジェイコブスは、生活者の目線で都市計画を論じたこの名著のなかで、古い建物の価値を強調している。しかし、それは歴史的な価値を重視しているからではない。美しい建築を残すべきだといっているのでもない。シンプルに、古い建物は家賃が安いから大事なのだ。なぜなら、付近のほかの建物には入居できないタイプの商売がそこならできるからだ。それは、異なるリズムのひとの流れをつくる。つまり、家賃の安い建物はその街の多様性を担保する貴重な存在なのだ。そして、あまりに当然なことをいうけど、古い建物は新しくつくることはできない。

 雑居ビルと、単に古くて家賃が安い建物。イコールではないが共通するところは多い。たとえば、どちらもいわゆる「建築家」が扱う領域ではない。ここでは、いいデザインは家賃を下げづらくしてしまう悪しきものとさえ言えるかもしれない。思えば、お気に入りの定食屋や喫茶店はだいたい古びた建物に入っている。というより、ふつうに生活していて訪れる建物が建築家の作品ばかりというひとはほとんどいないはずだ。そんな当たり前のことに気づいたのは、コロナ禍で大学が閉鎖され、宙に浮いたような時間を過ごしていたときだった。それまでは、そんなことにも気づかないくらい建築に夢中だった。

 ただし、これを「建築家」や「デザイン」の問題にしてしまうと見誤る。そうではなく、所有者のほうに目を移すべきだ。というのも、雑居ビルや古い建物が存在し続けているのは、ある意味、所有者によってほっておかれている結果だからである。経済合理性から考えれば、さっさと建て替えて家賃の高いビルにするほうがいい。つまり、ここで問われているのは、都市のなかに「作為」の外側、あるいは「ゆるさ」をどう確保していくか、という問題なのかもしれない。

 ここでその解答を示すことはできないが、いずれにせよ、街の多様性もカネの問題である。夢のない話に聞こえるかもしれないが、ここから考えていくしかないのだろう。建築の外側──雑居ビルのなかで働くことをとおして、もうすこし考えていきたいと思っている。

 

 最後に余談。ジェイコブスは第二次世界大戦中、アメリカ国務省の戦時情報局に勤めていた。戦後も国務省に残り、ソ連にアメリカン・ライフを発信するプロパガンダ雑誌の編集に携わっていたらしい★7。そしてその後、マッカーシズムのなかで共産主義者であるという疑いをかけられ、みずから国務省を辞める。ジェイコブスが建築の世界に入っていくのはそれからだ。

 住宅金融公庫、エベネザー・ハワードと田園都市、そしてジェイン・ジェイコブス。資本主義と共産主義の対立が共通して現れることに興味を惹かれる。大きな物語とはそういう現れ方をするものだと言われればそうなのかもしれないが、これも宿題のひとつである。


★1 難波和彦『住まいをよむ』、NHKテキスト、2024年、50-51頁。
★2 URL= https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC1000000073 強調は筆者。
★3 エベネザー・ハワード『新訳 明日の田園都市』、山形浩生訳、鹿島出版会、2016年、184頁。
★4 内務省地方局有志『田園都市と日本人』、講談社学術文庫、1980年、346-347頁。
★5 クジラについては以下の記事を参照。 URL= https://webgenron.com/articles/kujira_api
★6 久田将義×吉田豪×石戸諭×東浩紀(+辻田真佐憲)「2021年度炎上案件徹底総括! ネットとメディアはどこに行くのか──『噂のワイドショー』ゲンロンカフェ出張編2022」、2022年3月25日。URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20220325(現在は視聴期限切れで非公開)
★7 アンソニー・フリント『ジェイコブズ対モーゼス』、渡邉泰彦訳、鹿島出版会、2011年の第1章を参照。また以下のWikipediaにもその記述がある。URL= https://en.wikipedia.org/wiki/Amerika_%28magazine%29

國安孝具

1990年、茨城県生まれ。2024年、東京工業大学環境・社会理工学院建築学系の博士後期課程を単位取得満期退学し、株式会社ゲンロンに入社。担当業務はイベント企画、編集補助など。

1 コメント

  • Kaorumii2024/10/28 15:48

    建築をカネの動きから考えるという視点が面白い。文化の経済的基盤(カネ)の大事さを気づかせてくれたゲンロンならではの記事。最近アメリカでgentrificationや都市の住宅費の高さが問題になっていて、かつては雑多なアーチストが住まうニューヨークにアーチストが住めなくなってきているという話を思い出した。まさに「街の多様性もカネの問題」。続きが楽しみ。

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