観光客の哲学の余白に(10) 触視的平面の誕生(2)|東浩紀
けれども現代はタッチパネルの時代である。そしてタッチパネルはスクリーンとはまったく異なる性質をもっている。それは受動性と能動性、可視性と可触性をともに兼ね備えた平面だ。それゆえ、タッチパネルに囲まれた現代においては、世界の対象は、見えるだけではなく触ることもできるものとして、そして触られることでなんらかの「反応」を返すものとして、すなわち、受動的なだけではなく能動性も備えた存在として想像されることになる。ぼくは前回、視覚的であるとともに触覚的で、受動的であるとともに能動的でもあるそのような複合的な性格を、「触視的」という言葉で形容することを提案した。私と世界の関係を、一方向的な視覚性によってではなく、双方向的な触視性から捉える。それこそが、21世紀の、すなわちポストモダンの時代精神の特徴だというのが本稿の主張だ。
この主張は哲学と深く関係している。ゲンロンでは、いま石田英敬が2017年に3回にわたって行った講義[★1]を単行本として出版するべく、準備を進めている。講義に出席した読者であれば、そこで石田がフロイトの「マジックメモ Wunderblock」の概念を説明するにあたり、映画の例を出していたことを覚えているだろう。精神分析の心や記憶についての仮説は、映画のメディア論的構造に似ている。にもかかわらずフロイトは映画にほとんど言及していない。それは逆説だというのが石田の主張だが、けれどもぼくの考えでは、「マジックメモ」はむしろ映画よりもタッチパネルに似ている。フロイトの現代的な可能性は、映画に戻るより、彼がそこでスクリーンのなにに不満だったのかを考えたほうが、よりくっきり見えてくるのではないか。
あるいはまた勘のいい読者であれば、以上のような「触視性」への注目が、最近話題の新しい哲学の潮流、「オブジェクト指向存在論」の議論と関係することに気づいたかもしれない。実際、主体と客体のあいだに存在論的亀裂を認めず、木や石にも人間と同じような「接触」の身分を認めようとするグレアム・ハーマンの哲学は[★2]、ぼくにはまさに、特定のイメージに指を触れると特定のメニューが現れる、タッチパネルのユーザー体験の理論化のように思われる。そしてそれはまた、『ゲンロン』が次号で「ゲーム」を特集することとも密接に関係している。『Life Is Strange』や『BEYOND : Two Souls』といった近年の英語圏のアドベンチャーゲームで表現されているのは、仮想世界のあらゆる対象が3Dモデルで再現され、そのすべてと相互作用できるオープンワールドの理想とは異なり(一般にはこちらがゲームの未来だとみなされているのだが)、プレイヤーがある特定のものに触れると特定の選択肢が現れ特定の未来が開けるという、じつにタッチパネル的な世界観である。タッチパネルの触視性とオブジェクト指向存在論、アドベンチャーゲームの空間感覚のあいだには、真剣に検討すべき連関がある。
20世紀の哲学は(少なくとも大陸系の哲学は)映画の哲学だった。フッサールの現象学はデカルトの継承を謳い、それゆえ主体を徹底して視覚の比喩で捉えた。それを乗り越えようとしたハイデガーは触覚(手)の比喩を多用したが、それをさらに乗り越えようとしたラカンはかえってスクリーン(映画)のモデルに戻ってしまう。そして哲学者は世界中で映画を論じるようになる。ひとことで言えばそれが20世紀の思想史のドラマだったが、21世紀に入り、哲学もいよいよ、タッチパネルやゲームの普及に呼応したパラダイム転換を迎えつつあるのかもしれない。本職の研究者はなにを乱暴なことをと呆れるかもしれないが、キットラーの研究を持ち出すまでもなく、同時代のメディア環境が哲学を規定することは十分にありうる話だ。哲学の「厳密さ」などは、しょせんは日常の経験と切り離せないものなのである。タッチパネルの時代にはタッチパネルの哲学が必然的に現れる。
とはいえ、哲学やゲームの話は次回以降に回すこととしよう。まずは、前回の最後で積み残した宿題、GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)の本質がなぜ触視性の模倣にあると言えるのか、その理由を説明しておかねばならない。
ぼくたちがいま日常的に利用しているコンピュータへの入力方法、すなわち、画面のうえにさまざまなイメージ(アイコン)が並び、マウスなどのデバイスでポインタ(カーソル)を操作し、それらイメージを選択し操作することで特定の命令を与える方法は、一般にGUIと呼ばれている。
GUIの発明は、コンピュータの普及において欠かせないものだった。GUIが発明されるまえ、コンピュータはキーボードで文字列(コマンド)を打ち込んで操作するほかなく、それゆえ専門家か一部の好事家しか操作することができない特殊な機器だったからである。もしかりにGUIが発明されなかったら、いくら半導体の値段が下がり演算速度があがったとしても、これほど多くのひとがコンピュータを触る世界は来なかったことだろう。実際、GUIが存在しなかった時代のSF作家は、PCやスマートフォンの普及をほとんど予見できなかった。彼らは、コンピュータといえば、白衣を着た科学者や軍人が扱う巨大装置だと思い込んでいたのだ[★3]。
現在のGUIにはいくつかの起源がある。世界初のGUIは、軍用の特殊機器で使われたと言われる。一般の使用を目指した世界初のGUIは、アイヴァン・サザランドが1963年に開発した「スケッチパッド」だ。スケッチパッドはライトペンによる入力を実現していた。少し遅れて、のちコンピュータの操作で欠かせないものとなるポインティングデバイス、「マウス」がダグラス・エンゲルバードによって発明される。けれども、GUIの歴史でもっとも重要な人物だと広くみなされているのは、1940年生まれのプログラマー、アラン・ケイである。
ケイは1970年代に、ゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)で、「ダイナブック」と呼ばれるパーソナル・コンピュータのアイデアを提唱したことで知られる(のち日本の家電メーカーによって発売される同名の商品とはなんの関係もないらしい)。ダイナブックは、大判のノートていどの大きさで、片手でもち、多くの書類が格納され、絵や音楽が処理でき、子どもでも操作できる安価な情報機器として構想された。当時ケイが作ったモックアップを見ると、ダイナブックは、キーボードがついたiPadのようなかたちをしている。当時の技術ではその構想をそのまま実現するのはむずかしかったが、ケイが主導する研究の過程でさまざまな新しい技術が生まれた。たとえば、いまでもぼくたちがイントラネットで使っているイーサネットはそのひとつだし、世界初のオブジェクト指向プログラミング言語(スモールトーク)もここから生まれている。
そしてケイは、1973年に作られたダイナブックの試作1号機「アルト」で、それら新技術とサザランドやエンゲルバードら先行者のアイデアを統合して、現在につながるはじめてのGUIを完成させることになる。読者にはできれば動画を検索して実際の操作を見てみてほしいが、アルトのOS(スモールトーク)ではすでに、メニューバーを備えた複数のウィンドウが開き、それぞれのウィンドウのなかでは、マウスで特定の文字列を選んで編集したり、画像をマウスでつかみ、ウィンドウを超えて移動しほかの画像と重ねたりといったことが簡単にできるようになっている。アルトの開発は児童をテストユーザーとして行われ、基本的な操作はコマンドの知識がなくても可能になっていた。ケイがそこで示した設計思想は、いまぼくたちの日常にありふれている、特定のイメージに特定の方法で接触すると特定のメニューが現れるというインターフェイス経験の、まさに原型となっている。
ケイの研究はゼロックスではついに商品化されることがなかった。しかし、その設計思想はエンジニアたちに大きな影響を与え、それが1980年代のパーソナル・コンピュータの成功につながることになる。1979年の秋、まだ20代半ばだったスティーブ・ジョブズはPARCを訪れ、アルトのデモンストレーションから啓示を得た。その啓示に基づいて開発されたのが1983年のLisaであり、1984年のMacintoshである。OSでGUIを標準装備したMacintoshは爆発的な成功を収め、マイクロソフトのWindowsなどの追随者を生み、全世界のスクリーンをウィンドウとアイコンとメニューで覆い尽くしていく。
さて、GUIそのものは必ずしも触覚に関係しない。それはスクリーンに投影されるデザインである。GUIのユーザーはマウスには触れるが、必ずしもスクリーンに触れるわけではない。対象に触れるのはあくまでもカーソルであり、その制御は視覚に委ねられている。
つまり、GUIの経験は視覚的な経験である。むしろ、GUIの特徴としてよく挙げられるのは、そこですべてが見えているという過度な可視性だ。コンソールに向かってコマンドを打ち込むとき、ユーザーはコンピュータのなかでなにが起きているかほとんど知覚することができない。けれどもGUIを利用すれば、ユーザーは、いま自分がディレクトリのどこにいて、どの書類やどのアプリケーションを処理しようとしているか、いつでも視覚的かつ直感的に理解することができる。GUIが商業的に成功したのは、それを導入すると、コンピュータがその中身まですべてが見え、ユーザーが制御できるようになるかのような感覚を与えてくれたからだ。実際、PARCの訪問を終えアップル社に戻ったジョブズは、アルトは「すべてが視覚的」だからすばらしいと興奮気味に語ったと伝えられている[★4]。ジョブズはLisaとMacintoshを、まさにすべてを視覚的に見せるべく開発したのだ。
それゆえ、GUIの本質について美学的かつメディア論的に語るのであれば、まずはその全面的な可視性に注目するのが正しいだろう。ぼくもかつてはそう考えていた。前回の注でも記したように、ぼくはかつて、GUIの特徴を形容するため「過視的」という言葉を造語したことがある。当時のぼくは、インターフェイスの特徴は、映画やテレビといったそれまでの映像メディアよりもさらに視覚的であること、すなわちスクリーンよりもスクリーン的であることにあると考えていた。
にもかかわらず、ぼくはいまは意見を変え、GUIの本質を、可視性だけでなく、可視性と可触性の組み合わせ、すなわち「触視性」に見いだすべきだと考えている。というよりも、その触覚への志向を理解しないと、GUIのほんとうの革命性、とりわけ、しばしばコンピュータやゲームの特徴と呼ばれる「インタラクティビティ」の本質は見えてこないと考えている。
なぜか。その理由は、ほかならぬケイが、1970年代の論文で、彼が理想とするインターフェイスの本質は触覚的な体験にあると語っていたからである。次回はその論文の紹介から始めよう。
★1 ゲンロンカフェでの2017年2月17日、5月24日、11月24日の三つのイベント。2月17日と5月24日の講義は、本稿執筆時点で購入が可能になっている。 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20170217 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20170524 (編集部注:2021年5月現在、11月24日の講義動画および、三つの講義動画をセットにした商品も購入いただけます。また、講義を書籍化した、ゲンロン叢書002『新記号論』も発売中です。)
★2 グレアム・ハーマン『四方対象』、人文書院、2017年、183頁以下参照。
★3 むろん例外はある。なかでも有名な例は、ロバート・ハインラインが1948年に発表した「深淵」という短編小説である。ハインラインはそこで、現在のパーソナル・コンピュータを連想させるような架空のネットワーク型情報処理支援装置を描き、それは少年時代のケイにも大きな影響を与えた。ただここで重要なのは、ハインラインの短編自体が、じつは技術者のヴァネヴァー・ブッシュが1945年に発表した「MEMEX」の構想に着想を得て書かれていたことである。つまりはそれは、SF作家の空想が技術者に影響を与えたという一方向的な関係ではなかった。実際、MEMEXの構想は、ハインラインの短編を介することなくダグラス・エンゲルバードやテッド・ネルソンの仕事に多大な影響を与えている。MEMEXは、マイクロフィルムの巨大なアーカイブと連結した機械式の個人用呼び出し装置で、いまだパーソナル・コンピュータもインターネットも存在しない時代に構想されたものではあるが、現在のハイパーテキストの概念の起源にあたると位置づけられている。
★4 浜野保樹「評伝アラン・ケイ」、アラン・ケイ『アラン・ケイ』、アスキー出版局、1992年、200頁参照。
東浩紀
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