道理の前で 飛び魚と毒薬(11)|石田英敬

ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口はただお前のためだけに用意されたものだからだ。
──フランツ・カフカ「道理の前で」[★1]
これまで連載を読んで来られた皆さんはお分かりと思うが、第8回で語ったベルナールの事件、第10回で語った私の事件、この二つの出来事を物語ることで、このクロス・バイオグラフィーの第一部はひとまず語り了えたことになる。
今回からは、第2部へと進むことにしよう。
ぼくたちが今いる歴史の時間は、だいたい1970年の半ばから1980年代の初めにかけてだ。
日本では首相が「三角大福」(分かるかな「三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫」のこと)から中曽根康弘へと移り変わった時代。英国ではマーガレット・サッチャーが1979年に首相になり、米国ではロナルド・レーガンが1981年に大統領に就任する。現在にいたるネオリベラリズムと結びついた「保守革命」の基調が作られていく時期にあたる。
東側(社会主義諸国)ではブレジネフの末期からアンドロポフ、チェルネンコへと、ソ連の社会主義体制が老いた巨象の死を迎えようとしていた。
1976年9月9日に毛沢東が死んだ。そのとき、ぼくはパリのオルセー劇場にいて、日本から来た観世寿夫の「世阿弥座」の能公演を観ようとしていた[★2]。幕が上がる直前、「中国で毛沢東が死んだ」という緊急ニュースが場内アナウンスされて客席がどよめいたことを憶えている。中国は、4人組から鄧小平の「改革開放」の時代へ[★3]。
経済世界は、戦後復興期(フランスでいう「栄光の30年」)が完全に終わり、ヨーロッパは石油ショックから永い長い経済停滞期へと沈んだ。石油ショックを乗り越えた日本だけが、バブルへの道を歩み始めた頃だ。
フランスでは、中道のジスカール・デスタン大統領(1974-1981)から左翼連合政権の樹立(1981年)へと歴史は動いた[★4]。ミッテラン大統領が1981年5月21日の大統領就任式の日、赤いバラの花束を抱えてパンテオンへと入っていった。それについては、いずれ多少詳しく書くことにしよう。
文化状況については、これから徐々に語っていくことにする。
★2 オルセー劇場とは、パリ7区、現在のオルセー美術館の位置にあった鉄道オルセー駅の上階(というか屋根裏というべきか)に仮設テントのように作られていた劇場。〈68年5月〉に学生たちと連帯してオデオン座を開放していたジャンルイ・バローが、政府から睨まれてオデオン座支配人をクビになった。そこで彼の劇団である、ルノー・バロー劇団が1972年から1979年までテント劇場風の舞台(といってもかなり大がかりな施設)を構えていたのだ。詳しくは以下のウィキペディア項目とINAアーカイヴを参照。URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Théâtre_d'Orsay/ https://www.ina.fr/ina-eclaire-actu/annees-70-la-gare-d-orsay-abrite-le-theatre-le-plus-original-de-paris
★3 四人組は、1960年代から約10年続いた中華人民共和国の文化大革命を主導した4人の政治家、江青・張春橋・姚文元・王洪文を指す呼称。毛沢東の死去後に失脚し、華国鋒が中国共産党中央委員会主席に就任。その後、復権した鄧小平が1978年から中国を共産主義経済から資本主義経済に転換させる「改革開放」を掲げ、今日の中国の市場経済の基調をつくった。
★4 フランスでは〈68年5月〉ののち、1972年に社会党と共産党を中心として「共同綱領」にもとづく政府をめざす左派の動きが結集。1974年の大統領選挙ではジスカール・デスタンの中道・右派連合が勝利したものの、1981年の選挙では左翼連合の社会党書記長のフランソワ・ミッテラン François Mittérand (1916-1996)が大統領に選出された。後出のミッテランの就任式の様子はyoutubeで見ることができる。URL= https://www.youtube.com/watch?v=NDIaGSoNwjQ
★5 Chantal Akerman, Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles, 1975. 「Je Tu Il Elle」については、連載第1回を参照されたい。URL= https://webgenron.com/articles/gb080081_01
★6 以下のオフィシャルサイトを参照。歌詞部分訳は石田による。Sex Pistols - God Save The Queen Revisited. URL= https://www.youtube.com/watch?v=g-38GX2YQig
★7 西ドイツではバーダー、マインホフのドイツ赤軍、イタリアではアルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件の「赤い旅団」が有名だが、フランスでも極左テロ組織「直接行動 Action directe」が1978年以降、財界首脳を誘拐、政治家を銃撃するなどのテロを多発。1986年にはルノー財団総裁を殺害するなどした。
★8 ジャック・メスリーヌ Jacques Mesrine (1936-1979)は、富裕なパリの家庭に生まれたアルジェリア戦争からの元帰還兵。カナダとアメリカ、中南米で犯罪と脱獄を繰り返したのちに、フランスに帰国。1973年ごろから、フランスで銀行強盗をかさねて検挙されても裁判所から脱走、さらにパリのサンテ刑務所から脱獄、不動産王を誘拐して身代金を要求、脱走中に週刊誌記者インタビューに応じるなど、犯罪のメディア化現象を引き起こした。その点では、日本の1980年代のメディア型犯罪、グリコ・森永事件の怪人21面相を思わせる事件。1979年11月パリの北18区クリニャンクール門の路上で恋人ともに信号待ち停車中のBMWが警官隊に包囲され一斉射撃を浴びて死亡した。
メスリーヌについては、本人の自伝を含めて出版多数。幾つかの日本語訳もある。youtubeで見ることのできる本格的ドキュメンタリーもある。例えば、Faites Entrer l'Accusé : Jacques Mesrine, l'homme aux mille visages. URL= https://www.youtube.com/watch?v=OEhNcNqJjsg
★9 Prison Saint-Michel (Toulouse) URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Prison_Saint-Michel_(Toulouse)
★10 ベルナールの店については本連載第8回と第9回をそれぞれ参照。
★11 1929年頃の施設の様子は次のブログで見ることが出来る。
URL= https://www.lebusca.fr/2006/11/prison-st-michel-photographies-des-xixeme-et-xxeme-siecle.html
★12 URL= http://www.dominiquedelpoux.eu/prison-toulouse-saint-michel/
★13 Jacques Chaban-Delmas (1915-2000)は、第二次大戦中のレジスタンス活動家、国家官僚、ドゴール派の中心的政治家。〈68年5月〉の危機を収拾するために「新しい社会」をスローガンに新内閣を発足させた。「新しい社会」は、ジャック・ドロールJacques Delorsやシモン・ノラSimon Noraら気鋭の国家官僚が立案執筆を担当した、総合的な社会政策パッケージで、中央集権的な統制から脱却し、地方分権、行政の簡素化、国民への情報公開を推進することを提言していた。しかし、車番=デルマスは大統領のポンピドゥーとの折り合いも悪く、計画は大方実行に移されぬままに終わった。
★14 ミシェル・フーコー、著述家で『Esprit』誌編集長ジャン・マリー・ドームナック Jean-Marie Domenach, 歴史家ピエール ヴィダル゠ナケ Pierre Vidal-Naquetらによって組織された監獄情報グループ(Groupe d'information sur les prisons: GIP)については、今後、より詳細に述べる場面があるだろうが、とりあえず、次のように紹介しておく。監獄制度の問題点を明らかにし、改善を目指した社会運動体。政治犯と通常犯の区別を超えて、刑務所における大規模なアンケートを実施。 監獄における劣悪な環境や人権侵害の実態を、囚人自身の言葉を通して社会に訴えかけることで、監獄制度に対する批判的な意識を高め改革を促すことを目的とした。
★15 『監視と処罰──監獄の誕生』については、次の拙稿もご参考までに。URL= http://nulptyxcom.blogspot.com/2018/03/20184.html
★16 フランスの刑務所政策の変遷は以下のサイトにまとめられている。URL= https://www.vie-publique.fr/eclairage/269812-politique-penitentiaire-chronologie#_945---1980--mise-en-place-des-grands-principes-qui-régissent-encore-aujourd’hui-la-politique-pénitentiaire
★17 この連載で何度か参照しているラジオシリーズの、第3回放送分を参照。 URL= https://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/a-voix-nue/un-laboratoire-carceral-9609143
★18 例えば、次の社会学者の調査 Corinne Rostain Une institution dégradante, la prison (Gallimard, 2021)、ベルナールが出演証言しているFrance Interの次のラジオ番組、FRANCE INTER (2006) Bernard Stiegler, philosophe et ancien braqueur, nous parle de la prisonなどを参照。後者は非公式ながら以下で視聴できる。URL= https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=kbxj-XW2cWo
★19 Bernard Stiegler, Dans la disruption: comment ne pas devenir fou? , Les Liens qui Libèrent, 2016, p.93.
★20 以下のサイトとウィキペディアの記事を参照。URL= https://www.vie-publique.fr/fiches/268775-quels-sont-les-differents-types-de-prisons/https://fr.wikipedia.org/wiki/Liste_des_%C3%A9tablissements_p%C3%A9nitentiaires_en_France
★21 1967年の映像は以下のINAアーカイブで見られる。
URL= https://www.ina.fr/ina-eclaire-actu/video/caf96033131/prison-modele-de-muret
ルモンド紙にミュレ拘置センターの長期服役者の生活を2017年に取材したドキュメンタリー番組についての記事が掲載されている。番組自体には日本からはアクセスできない。URL= https://www.lemonde.fr/televisions-radio/article/2017/10/15/tv-la-vie-derriere-les-murs-ou-l-ordinaire-des-longues-peines_5201222_1655027.html
★22 ギヨーム・ジレについては以下の博物館の紹介が詳しい。URL= https://expositions-virtuelles.citedelarchitecture.fr/GILLET/00-OUVERTURE.html
★23 URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Centre_de_détention_de_Muret
★24 国際監獄監視団フランス支部(1990年に発足したNGO)の次のページを参照。
URL= https://oip.org/breve/encellulement-individuel-cent-cinquante-ans-plus-tard-lapplication-du-principe-encore-repoussee/
★25 理由は、拘置所の慢性的な過密状態で、2021年9月では、収容者の54%が収容率が120%を超える施設で生活しており、1281人の収容者がベッドを持たず、床に置かれたマットレスで寝ていたという調査がある。
2022年10月27日、国民議会は、2023年度予算案の第一読会において、個別監房の原則を例外とする可能性をさらに5年間延長する修正案を採択した。この例外措置は、「施設内の部屋の配置や収容者数がその適用を可能にしない場合」に認められるもので、2022年12月31日まで有効とされていたものだが、このモラトリアムは、2027年12月31日まで延長されることとなった。
★26 France Inter 2006 の前掲番組より。なおQHS(高度監視房)とは、囚人を完全な隔離状態に置く特別な独房。その運用は、非人間的との評価からフランスではミッテラン大統領時代の法務大臣ロベール・バダンテールによって1982年に制度変更され隔離状態が緩和された。URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Quartier_de_haute_sécurité
1978年当時の状況については、次のINAのアーカイヴで見ることができる。URL= https://www.ina.fr/ina-eclaire-actu/video/caa7801644001/quartier-haute-securite
★27 同番組より。
★28 『狂気の歴史』の第一版の原書タイトルは、Fol et déraison — l’histoire de la folie à l’ âge classique, Plon, 1961)だった。


石田英敬
飛び魚と毒薬
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