想像力を権力に! 1968年5月20日 飛び魚と毒薬(5)|石田英敬

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webゲンロン 2024年4月9日 配信

 前回詳しく語った5月10日夜から11日朝にかけての「バリケードの夜」の衝突は多数の負傷者を出し、警官隊の暴力的な弾圧は人びとの義憤を買うことになった。メディアの論調がこの夜を境に大きく変化した。大学だけの問題ではもはやなくなったのだ。

 コーン゠ベンディットらの学生指導者たちはゼネストを呼びかけ、週が明けた13日月曜日には、じっさいに労働団体も合流してゼネストが行われた。大学生、高校生、労働者、会社従業員が全国各地からパリに集まって、街頭に50万人、フランス全国でも100万人規模のデモ隊が出た★1。その後も巨大なデモがさらに続き、フランス各地に労働者のストや工場の占拠が拡がり、異議申立ての動きはますます拡大していく。

 これ以後、〈68年5月〉の研究では、第二の局面、「社会期」に入ったとされる★2

都市と革命

 パリは、街全体が劇場といってもよい都市だ。

 ヨーロッパの都市(シテ)は政治空間(ポリス)でありかつ劇場でもある。石造りのパリの街を本に喩えたのはヴィクトール・ユーゴーだ。彼の『レ・ミゼラブル』でちびっこガヴロッシュが活躍する、1832年の六月蜂起のバリケードを思い起こしてほしい。「革命」は、この劇場都市が好んで定期的に上演する人気のスペクタクルだ(フランスという国のソフト・パワーの源泉といってよいかな)。

 高校で勉強した世界史を思い出そう。フランス革命(1789年バスチーユ襲撃、1792年フランス第1共和政成立)、7月革命(1830年)、2月革命(1848年)、パリ・コミューン(1871年)、人民戦線(1936年)、パリ解放(1944年)……。その都度、この首都は人民蜂起による政体の転換──だから「革命」──の舞台となってきた。1世代分(つまり30年ぐらい)ここで生活していれば、革命騒ぎには必ず出くわすことになる。

 そして、世代を超えてその物語は語り継がれる。共和国の方でも7月14日の革命記念日(東洋のさる国では、それを「パリ祭」などという甘ったるいおフランス味にして政治的に脱色してお祝いしているが)を国家の祝祭の中心に据えているし、ちょっとした政治問題となれば人びとはデモしにバスチーユ広場に出かけていく。

パリ・コミューンとは何か。それはまず巨大で雄大な祭りであった。フランス人民と人民一般の精髄であるパリの人民が、自分自身に捧げ、かつ世界に示した一つの祭りであった。シテ島における春の祭り、財産を奪われた者とプロレタリアの祭り、革命的祭りであるとともに大革命の祭り、現代のもっとも大きな全体的祭りであったこの祭りは、何よりもまず壮麗と喜びのなかでくりひろげられる。
[中略]
ついで、あるいは同時に人民は自分自身の祭りに満足し、それを見世物(スペクタクル)に変える。人民は思いちがいをし、誤りをおかすことになる。なぜなら人民が自分自身にあたえる見世物は、それ自体が人民をまどわすからである★3

 とつぜん引用したが、ナンテール校の教授だった都市社会学者アンリ・ルフェーヴル Henri Lefebvre(1901-1991)の『パリ・コミューン』の一節だ。原著は1965年に刊行されているが、「コミューン」という文言を置き換えれば、そっくりそのまま〈68年5月〉の記述と見まごうばかりだ。じっさい、同じく社会学者のエドガール・モーラン Edgard Morin(1921 -)が、68年5月にルモンド紙にリアルタムでこの出来事について連載したときのタイトルは、「学生コミューン」だった★4

 

★1 デモ参加者人数について諸説あるようだが「パリで50万人(警察発表23万人 国営放送ORTF 17万1千)」、労働組合連合諸団体は「全国で100万」と wikipedia フランス語版の「Mai 68」の「Le 13 mai」の項にある。URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Mai_68
★2 68年5月から6月にかけての〈68年5月〉の出来事は三区分に分けるのが一般的とされる。第1期が5月3日から13日までの「学生運動」期。第2期は労働運動が合流した5月13日から、5月27日にポンピドゥー内閣のもと労働組合連合諸団体と企業雇用諸団体との間で社会的諸項目についてなされた「グルネルの合意」(フランス労働省の所在地、パリ七区グルネル街に由来)までの「社会期」。第3期は5月27日からのドゴール派の巻き返しに始まり6月30日の解散総選挙で右派が圧勝するまでの「政治期」。以下のwikipedia仏語版、” Mai 68“の項を参照。 URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Mai_68
★3 『パリ・コミューン』[上]、河野健二・柴田朝子訳、岩波書店、1967年、15-16頁
★4 Edgard Morin, Claude Lefort, Cornelius Castroriadis, Mai 68 La Brèche, Fayard, 2008, chap.1(この本の初版は1968年 )。
★5 URL= https://www.marxists.org/francais/blanqui/1866/instructions.htm
★6 URL=https://www.youtube.com/watch?v=9znkMEtRWRg
Grands soirs & petits matins : mai 1968 comme si vous y étiez, 1968-78 : 16 mm, 105 min, production Films Paris New York. 邦題『革命の夜、いくつもの朝 』(1968)/ウィリアム・クライン監督 William Kleinはオムニバス映画『ヴェトナムから遠く離れて』の監督の一人でもある。
★7 あるいは、21世紀に入っても、フランスの街頭では、人びとが急に言葉を交わし議論し始める光景はときに見られるのであって、2016年3月31日に行われた「労働法」に反対するデモをきっかけにして、夕刻になると人びとが広場に集まって社会問題を議論する「夜立ち上がる Nuit debout」と呼ばれる社会運動がフランス各地に拡がりしばらく続いた。あるいは、2018年にはガソリン値上げに端を発して街角を占拠して社会的諸要求を掲げる「黄色いベスト運動 le mouvement des gilets jaunes」が全国に拡がるなど、自然発生的で直接民主主義的な意思表示の動きは(パリに限らず)フランスではままよくあることなのだ。
★8 バローが演じた、マルセル・カルネの映画『天井桟敷の人びと』のバチストのパントマイムを皆さんは見ているだろうか。ドイツ占領下でポール・クローデルの『繻子の靴』を上演。様々な国の演劇をフランスに紹介するなど、戦後のフランス演劇界に新風を吹き込んだ。夫人のマドレーヌ・ルノーとルノー・バロー劇団を作った。詳しくは、この日本語のwikipediaの項(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン=ルイ・バロー)を見てほしい。〈68年5月〉でオデオン座を開放した件で、その後、マルローの文化省から睨まれて、一時はオルセー駅の ”天井裏 ”にテント劇場を構えていた。ベケットやデュラスなど、とても面白い芝居をたくさん上演していたな。日本にも劇団を率いて三度も来日、日本の能をフランスに紹介したのも彼だ。
★9 このヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌の動画で幾つかの代表的なポスターを見ることができる。URL= https://www.youtube.com/watch?v=-kSFrgguoWo&t=1s
★10 このときのサルトルの姿は以下のパリ市のアーカイブで複数のショットを見ることができる。URL= https://bibliotheques-specialisees.paris.fr/ark:/73873/FRCGMNOV-751045102-PH02/A1609173/v0001.simple.selectedTab=record
★11 URL= https://www.youtube.com/watch?v=b8ANsa6wZdw 
★12 この対話は、すぐあとに出てくるコーン゠ベンディットへのサルトルによるインタビューの邦訳(D. コーン=バンディ、サルトル J.P.「想像力が権力をとる〔フランス・5月革命〕」海老坂武訳、『中央公論』1968年8月号、183‐190頁。のちダニエル・コーン-バンディ他 『学生革命』、海老坂武訳、人文書院、1968年に収録)とともに抜粋が訳出され、つづいて次の書籍で全文が飜訳されている。「ソルボンヌにおけるサルトル」(花輪莞爾訳)、サルトル『否認の思想』海老坂武他訳、人文書院、1968年、65頁-81頁。この対話の起こしが全文掲載されたのは、当時のソルボンヌのビラおよびユーゴスラビアの新聞Politikaに飜訳が掲載されたのみであったようだから、この日本語版は貴重な記録だろう。
★13 Entretien de Jean-Paul Sartre avec Daniel Cohn-Bendit, « L’imagination au pouvoir », Le Nouvel Observateur, no 183, supplément spécial, 20 mai 1968.
★14 だから、であろう、このインタビューの邦訳のタイトルは「想像力が権力を取る」となっている。
★15 wildcat strike の訳語で、一部の組合員が労働組合執行部の指令なしにストライキにはいること。小学館『日本国語大辞典』参照。
★16 「ソルボンヌにおけるサルトル」、80‐81頁。なおマルクーゼの『一次元的人間』のフランス語訳は、この発言の前月の68年4月に出版された(Herbert Marcuse L’homme unidimensionnel: un essai sur l’idéologie de la société industrielle avancée, éd: de Minuit 1968)。引用中の「われわれの希望とは、希望のないところからしかやってこない。」という部分でサルトルは同書の結論部を参照している。「ファシズム時代のはじめに、ヴァルター・ベンヤミンはこう書いた――希望なき人びとのためにのみ、われわれには希望があたえられている。」(H.マルクーゼ『一次元的人間 — 先進産業社会のイデオロギーの研究』、生松敬三、三沢謙一訳、河出書房新社、1980年、281頁。)
★17 東大の大学院の文献講読の授業とかで、課題の図書に展開している概念のネットワークをIT空間上で表現するというタスクを出すと、マルクス主義用語を読めない学生が日本の学生には多いということはすでに経験ずみだ。中国からの留学生は、公式マルクス主義的な知識は基礎教育で受けているからその差が見えて興味深い(文献講読の概念ネットワークをトピックマップを使って表現するという授業は、2006年頃にやっていたのですね。まだネット上では関連記事が読めるから、例えばこちらをどうぞ。写真に表示されているのが、バルトとかソシュールとかの名前で概念が指示されている僕の授業の様子。URL=https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20061030/252180/
★18 おなじことを日本の例で考えるとすれば、例えば、東京のカルチエ・ラタン、お茶の水駅から旧プリンス自動車(現在の日産自動車に合併・吸収)の村山工場(武蔵村山市)までの距離かもしれないが、35キロはある。
★19 ただし、それは、目に見えなくなっているだけで、じっさいには、工場は第三世界に外だし(オフショアリング)されていて、そこでは、じつにひどい過酷な労働が強いられていたりする。
★20 「想像力が権力を取る」(海老坂武訳)、『学生革命』、110-112頁 (インタビュー原文を参照して、若干口語調に改めた)。
★21 同書、117-119頁 (インタビュー原文を参照して、若干口語調に改めた)。
★22 代表的著作としては、サルトル全集第12巻『想像力の問題』人文書院 1983(『イマジーネール 想像力の現象学的心理学』講談社学術文庫 2020)原著は1940年刊。

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
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