1960年代の「想像力」 飛び魚と毒薬(6)(抜粋)──『ゲンロン16』より|石田英敬

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初出:2024年4月10日刊行『ゲンロン16』

 これまで3回、パリ〈68年5月〉の出来事を語ってきた。この連載は、ベルナール・スティグレールとぼくのクロス・バイオグラフィーの試みなのだから、ときどき「現代思想」的な括りの回を折り込んでいきたいと思っている。そこで、今回は、〈68年5月〉をめぐって、1960年代の「想像力」の問題を考えてみたい。

エドガール・モーランさん

 社会学者のエドガール・モーランさん Edgar Morin(1921年-)は、お元気な様子で、Twitter(現X)もしていて、ぼくもフォロワーのひとり。現在102歳、100歳を超えて健在はスゴいね。10年ちょっと前だけれど、一度だけ、パリのシンポジウムで同席させていただいたことがある(ご一緒したのは88歳のときだ)★1。にこにこした温厚なおじいさん。昔は、ちがったのかもしれないが。

 そのモーランさん、68年3月には、中国に講演に行っていた都市社会学者アンリ・ルフェーヴルに頼まれて、パリ第10大学ナンテール校舎の社会学科で代わりに講義をしていた。

 まだ新設工事中という状態のナンテール・キャンパスに出かけていくと、文学部の前で赤毛の小柄な学生が何やらアジ演説をやっていた(あとからそれがコーン゠ベンディットだと分かった)。建物の前で、ポール・リクール Paul Ricoeur(1913-2005年)に会ったが、学生に紙くず籠を頭から被らされた、とかれは神妙な顔で言う。リクールは温厚な人柄だったからね。

 社会学の講義室に入っていくと、「ここはストライキ中だ」と数人の学生が取り囲んで言う。「じゃあ、授業を受けたいか、ストにするか、みんなの意見を聞いてみよう」ということで、全員投票したら圧倒的多数で「授業」という結果。そしたら、活動家の学生たちが「ポリ公、モーラン」と野次って、照明のスイッチを切ってしまった。窓のない部屋だから部屋は真っ暗闇、授業はそこで中断。そんなこんなで、大学はえらい騒ぎになっているな、と好奇心を搔きたてられ、クロード・ルフォール Claude Lefort(1924-2010年)やコルネリウス・カストリアディス Cornelius Castoriadis(1922-1997年)と学生叛乱についての勉強会を立ち上げた★2。68年3月だから、まさしく「三月二二日運動」がナンテールで起こった頃だ。

 モーランさんは、若くしてスペイン人民戦線に参加、対独戦では共産党系レジスタンスの闘士でドイツ占領軍の中尉として最初に敗戦国ドイツに入り調査した人だからね(その成果が、かれの最初の本『ドイツ零年』★3で、ロベルト・ロッセリーニの映画『ドイツ零年』のタイトルはこの本から採られているという説もある★4)。筋金入りの強つわ者ものというわけなのさ。

『ある夏の記録』(1961)

 そのモーランさんが携わった『ある夏の記録 Chronique d’un été』★5を、みなさんは見たことがあるだろうか?

 人類学者で映像人類学の巨匠ジャン・ルーシュ Jean Rouch(1917-2004年)とともに、モーランさんが1960年に共同監督したドキュメンタリ映画で、「シネマ・ヴェリテ」★6の嚆矢であるとともに、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品とされる(1961年公開、同年のカンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟〈FIPRESCI〉賞受賞)。映画を勉強したことがある人はよく知っているはず。ぼくの指導学生にもこの作品をテーマに素晴らしい修士論文を書いてくれた中国からの留学生がいた。

 これまで語ってきた〈68年5月〉の背景を理解するためには、この作品を手がかりにすると、いろいろな意味で分かりやすいとぼくは考えている。

 

 というのも、この作品の始まりは、こうだよね──

(映像)
始業のサイレン音が鳴り響くルノーのビヤンクール工場と通勤してくる労働者たちのシーン
(ナレーション)
「この映画は俳優によって演じられたものではない。人生の時間をシネマ・ヴェリテという新しい経験に充てた男女たちによって生きられたものである」

(ルーシュとモーランが、マルスリーヌ・ロリダンと、これから撮影する映画について相談している場面)
「君はどう生きているのか? Comment vis-tu?」というテーマで映画を作ろうとしていると制作意図を説明するモーラン。「どんなふうにして日々やりくりして生きているのか」を、いろいろな人に語ってもらい映像化したいと説明する。そして、ルーシュが、マルスリーヌに向かって、「君はこの映画に出てもらうので、まず、手始めに、どんなふうに暮らしているのか、語ってみてくれるかい?」と問いかける。マルスリーヌは「自分は応用心理学の調査の仕事をしている」と答え、「その仕事、全然面白くない」と語り始める。そして、ルーシュが、「街で、『あなたは幸せですか?』って、人びとに質問してみるかい?」と提案する。

 ──次の場面から、マルスリーヌはナグラ(携帯録音機)を肩にかけ、マイクを持って、人びとに「あなたは幸せですか? Êtes-vous heureux?」って、インタビューし始める★7。そうやって、この映画は始まるんだ。

 

 どうして、この映画が、〈68年5月〉を理解する手がかりになると思うのか?

 まず、人類学者と社会学者の共作だから、理論的フレームワークはしっかり出来ていて、1960年夏のフランスの若者たちの置かれていた状況をきれいに整理して設定している。

 12ぐらいのパートに切り分けられるが、それぞれが、労働者の仕事場、労働者の家庭、インテリたちの暮らし、学生生活、外国人、旧植民地からやってきた留学生……という具合に、社会調査的にセットされている。でも、忘れてはならないのは、冒頭、マルスリーヌが応用心理学の調査なんて全然面白くないと言っていたことだ。彼女は、そういう社会エンジニアリングとしての応用社会学や応用心理学ではなくて、それとは逆の方法を行くんだ、ということを宣言している。つまり、社会学や心理学という人間科学(人文科学)についての問いが提起されていることを見逃さないようにしよう(これは、人文社会系の学部として発足したナンテールで社会学を学ぶ学生たちにも共有されていた問題意識だとモーランさんは書いている★8)。ひとつの映像作品から得られるのはもちろん限定された視角だけれど、1960年代初めの労働者やインテリの置かれていた実存の状況が観察できると思うわけだ。

「シネマ・ヴェリテ」

 登場人物みんなの自発的な発言を聴取するために、要所要所に、食事とおしゃべりがセットされている。人類学者だからね。エスノグラフィーで得た手法だ。食卓を囲んで飲み喰いしながらみんなでおしゃべりする、つまり、饗食(ギリシャ語で言うシュンポジオン=シンポジウム)しているわけだ。

 

 労働者のアンジェロはルノーの一般工(OS)なのだけれど★9、会社の管理職が言うように、いろいろな資格をとって、労働者としての階梯を上がっていっていったいなんになるんだろう。そういうことをやっている上司を見るといったいなんのために生きているんだ、って疑問に思う。そうだろう、みんなそう思うよね、それって機械になることと同じだと同僚たちに訴える。口笛を吹きながら郊外(たぶんブーローニュ)の家まで帰宅していく家路には、まだ、子供の頃からの田園的な町並みが拡がっている。母親と暮らしている一軒家では、柔道の練習をしたりダントン(フランス革命期の人物)の本を読んだりしている。いったい俺はなんのために生きているんだ、機械みたいに働くためじゃないだろう。そのように、この〈労働する人〉は自問している。アンジェロを映画撮影に呼んできたルノーの労働者のジャックは、カストリアディスやルフォールがつくった社会主義グループ「社会主義か野蛮か」に近い人★10。かれらの問題意識は、初期マルクスの言う「疎外」の問題なんだよ。

 街頭で人びとに「あなたは幸せですか?」って問いかけていたマルスリーヌだが、彼女自身も、同棲中で年下の学生ジャン゠ピエールとの愛の行方に悩んでいる。彼女の腕には一五歳のときに父親とともにナチスに捕らえられアウシュヴィッツに送られたときの囚人ナンバーの入れ墨がある。パパと昔歩いた、コンコルド広場からレ・アールの市場への道を歩きながら、「パパ、パパはどうして私をひとり残して逝ってしまったの」と、人知れず自分に語りかける(のを開発されたばかりのナグラⅢが同時録音している。こうした録音技術はこの当時初めて可能になったんだよ)。(『ゲンロン16』へ続く)

 

★1 Table ronde internationale: «KATÔ SHÛICHI OU PENSER LA DIVERSITÉ CULTURELLE» Le 12 décembre 2009, Maison de la Cutlure du Japon à Paris, France.  その後、このシンポジウムは Katô Shûichi ou pener la diversité culturelle, sous la direction de Jean-François Sabouret, CNRS Éditions, Paris, janvier 2012. として出版された。拙稿は、«Qu’est-ce que les Lumières?: sur l’éthos d’un intellectuel universel», pp. 57–62.  同書の日本語版は、ジュリー・ブロック編『加藤周一における「時間と空間」』、かもがわ出版、2012年。拙稿は、第一章「啓蒙とは何か──普遍的知識人のエートスについて」、72-80頁。
★2 その成果の一端が、Edgard Morin, Claude Lefort, Cornelius Castroriadis, Mai 68: La Brèche, Fayard, 2008(この本の初版は1968年。その後、各著者の10年後、20年後の論が加えられて現在の版に至っている)。
★3 エドガール・モラン『ドイツ零年』、古田幸男訳、法政大学出版局、1989年(原著 Edgard Morin, L’an zéro de l’Allemagne は1946年刊)。
★4 Wikipedia フランス語版の«L’An zéro de l’Allemagne»の項にその記述があるが、参照先の出典の記述の根拠(モーランがロッセリーニに許諾して映画タイトルが付けられたというモーランの証言)が私自身では確認できていない。URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/L%27An_zéro_de_l%27Allemagne#cite_note-5(2024年1月31日閲覧)
★5 Vimeo でも見られるけれど、映像の状態がだいぶよくないから、リマスター版を見ることをすすめたい。Chronique d’un été (DVD) Éditions Montparnasse URL= https://www.editionsmontparnasse.fr/p1476/Chronique-d-un-ete-DVD
★6 シネマ・ヴェリテとは何かについては、例えば、次のような解説動画を見るとよい。正確には本人たちは「新しい〈シネマ・ヴェリテ〉 Un nouveau “cinéma-vérité”」と言っていて、ジガ・ヴェルトフの「キノ・プラウダ」を踏まえている。URL= https://www.youtube.com/watch?v=loiDfeM792U
★7 ルーシュは、16ミリカメラとステファン・クデルスキが開発した電子スピードコントロール付きのトランジスタ・テープレコーダ「ナグラⅢ」のプロトタイプを組み合わせて同時録画録音する方法を使った。URL= https://en.wikipedia.org/wiki/Chronicle_of_a_Summer(2024年1月31日閲覧)  ナグラⅢについては第4回でも紹介したので説明は割愛するが、例えば以下の記事に詳しい。URL= https://fr.wikipedia.org/wiki/Nagra
★8 Morin et als. Mai 68: La Brèche, ibid. chap.1 La commune étudiante.
★9 フランスで工場労働者はOS(ouvrier spécialisé 字義通りには特化労働者)、OQ(ouvrier qualifié 字義通りには資格労働者)、OHQ(ouvrier hautement qualifié 字義通りには高資格労働者)の3種に分けられる。OSは最も一般的で、比較的単純な作業を行う者を指す。
★10 このグループは、非共産党系、トロツキズムにも批判的な社会主義のグループで、その同名の雑誌はつとに有名。同人には、ジャン゠フランソワ・リオタールもいた。

 

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
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