南太平洋の「ユダヤ人」──他者との共存をメラネシア的に考える ひろがりアジア(14)|橋爪太作

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webゲンロン 2024年9月19日配信

 2019年2月20日、私は南太平洋のソロモン諸島・マライタ島で、調査先から帰るための乗り合いトラックを探していた。この島では個人や企業が所有するトラックが実質的な公共交通機関となっており、料金を払えば誰でも乗ることができる。待っても待っても来ないので道沿いに歩いていると、フロントガラスにダビデの星が描かれたトラックが後ろからやってきた。同行する友人が、助手席に座るサングラスをかけたひげ面の男を指さし言った。「あれが予言者マイケル・マイリアウ。このトラックは彼の支持者のものだ」。

 荷台によじ登ると、意外なことが待ちうけていた。現地の人々に交じって、ヘブライ文字が書かれたキャップをかぶった若い白人の男が一人ぽつんと座っていたのだ。話を聞くと、彼はイスラエル出身のバックパッカーで、マライタ島でビレッジステイする計画なのだという。

 「ステイ先はインターネットで見つけた。これからこの人たちの村に一週間滞在する」と屈託なく語る彼を前に、私は衝撃のあまり内心凍り付いていた。なぜなら、そのトラックに乗っている予言者マイケル・マイリアウは「マライタ島民ユダヤ起源説」を唱える人物だったからである。彼は自分たちの集団、ひいてはマライタ島民全体の祖先がユダヤ人であると主張し、支持者とともにマライタ島北部に暮らしていた。イスラエル人のバックパッカーを乗せたそのトラックは、まさしく今、そのカルトの村へと向かっていたのだ……。

写真1 マライタ島の乗り合いトラック(本文に登場するトラックとは別のもの)

 フィールドワークを続けるうちにマライタ島民ユダヤ起源説の衝撃はさまざまな記憶にかき消されていった。思い出したのは、それから約5年後のことだった。

 2023年10月に起きたハマスによるイスラエル攻撃と、その後の民間人を巻き込んだ悲惨な戦闘は、世界中の人々の目を釘付けにした。しばらくして、10月7日のハマスによる攻撃で死亡した人々が1000人以上に登ることが明らかになり、さらにそのうち少なからぬ数がさまざまな理由でイスラエルに来ていた外国籍の保持者であることが報じられた。21人という最大の犠牲者を出したタイ人の多くは東北部の貧しい地域出身で、家族の借金返済やより良い暮らしのため、果樹園などで単純労働に従事していたという。その他の犠牲者はケアワーカーのフィリピン人、農業を学ぶネパール人などであった。

 イスラエル・パレスチナ対立の前線にまで、より良い暮らしを求める移民が入り込み、現地社会の不可欠な一部となっていたわけである。その意味で、この事件はイスラエルとパレスチナの長年の対立だけでなく、そのような武力紛争の背後には、国境を越えてグローバルに移動する名もなき人々の暮らしというもう一つの現実があることを、私たちに垣間見せてくれた。

 さて、南太平洋メラネシア地域・ソロモン諸島を調査地とする人類学者である私は、この時期SNSや海外のニュース番組で続々と流れてくる情報に耳をそばだてつつ、犠牲者の国籍に「ソロモン諸島」の文字がないかチェックしていた。といっても、ソロモン諸島の人々がイスラエルに働きに行っているとは思っていなかった。この人々がイスラエルを目指すとすれば、もっと別の理由があった……。

 

 なぜ南太平洋の島に自分たちはユダヤ人であると信じる人々が暮らしているのか。なぜイスラエル・パレスチナ紛争のニュースに接してマライタ島民ユダヤ起源説のことを思い出したのか。そして、なぜ人類学者である私もその事態に部分的に巻き込まれてしまっているのか。──この論考で描き出したいのは、私たちが生きるグローバル化した世界のさらに向こう側にある異質な〈他者〉の世界と、その異質さを受け止めるための人類学的思考の可能性である。

ソロモン諸島・マライタ島の位置(作成=編集部)

途方もないことが起きる場所

 パプアニューギニアの東方、珊瑚海に広がるソロモン諸島は、990あまりの島に約70万人が暮らす群島国家である。私はその中の一つ、マライタ島で2017年から調査を行なってきた。

 オセアニア地域は、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアの3つに大別される。そのうちソロモン諸島はパプアニューギニア、ヴァヌアツ、ニューカレドニア、フィジーとならび、メラネシアに分類される。「黒い島々」を意味するその名前の通り、メラネシアに住む人々はまるでアフリカの黒人のような黒い肌と巻き毛を持つが、その祖先は数万年前の旧石器時代にインドから今の東南アジア島嶼部、オーストラリアへと進出したオーストラロイドと呼ばれる人種の末裔である。

 近現代のソロモン諸島で最も有名な事件は、日米両軍が激突したガダルカナル島をはじめとする第二次世界大戦の一連の戦いだろう。21世紀の今も島々には軍艦や飛行機の残骸が転がり、一部は観光名所となっている。それだけでなく、今なお地中には両軍の将兵の遺骨が多数残っており、毎年日本から遺骨収集団が訪れている。また近年では太平洋における米中対立が大きくクローズアップされる中で、ソロモン諸島が中国と国交を樹立し、大量の援助を受け入れたことがマスメディアで報道されたのも記憶に新しい。

 とはいえ、日本の人々にとってのソロモン諸島が日常的な視野の外にあるマイナーな地域であることは間違いない。ガダルカナル島のことは教科書で知っていても、それが現在のソロモン諸島の首都であることは知らない。かつては私もそんな日本人の一人であった。

写真2 ガダルカナル島の国際空港にアプローチする飛行機から首都・ホニアラを望む

写真3 戦争遺物を展示する私設博物館

 そのような「辺境」のマイノリティに着目し、その固有性、特異性を内側から理解することを通じて、新たな人間についての知を作り上げてきたのが文化・社会人類学という学問である★1。たとえば、近代人類学のかたちを作ったとされるマリノフスキーは、ソロモン諸島の北方にあるトロブリアンド諸島に長期間滞在し、島に暮らす人々の文化や社会を『西太平洋の遠洋航海者』という民族誌にまとめあげた★2。それゆえ、人類学にとってメラネシアは「辺境」どころか、マリノフスキー以来、重要な事例や概念をいくつも生み出してきた中心地であり、今日に至るまで多くの研究者がこの地に渡航してきた。

 なぜメラネシアは人類学者の興味を惹きつけるのか。この問いには人類学者の数だけ回答があり得るだろう。私にとってメラネシアが面白いのは、ここが自分や自分の属する世界の想像力を超えた「途方もないことが起きる場所」だからだ。たとえば、冒頭に紹介したように、この島の人々の一部が自らの祖先を失われたユダヤ10部族の末裔だと考えており、実際にイスラエルに使節団を派遣している、といったように……。

世界の終わりと島の騒動

 私が初めてマライタ島を訪れた2018年1月、島にはある噂が駆け巡っていた。それは、だいたい次のような内容であった。

 マライタ島中部のクワラアエ地域の一部の村々で暴動が起きた。原因は、この地域で信徒を集めていたある新興宗教の予言者が「世界の終わり」を予言したことによる。彼の予言によれば2018年1月16日に大地が裂け、今ある世界は不信心者ともどもすべて飲み込まれる。そして裂け目から新たな黄金の街が出現し、信者たちはそこで何不自由なく住まうのだという。

 信者たちは飼っていたブタを全部殺して飲めや歌えの大騒ぎをし、その日が来るのを今か今かと待っていた。ところが1月16日になっても何も起こらなかったので、全財産をただのような値段で売り払ってしまった人々は怒り、一部は暴動を起こした。

 しばらくして新聞報道が出始め、この噂が紛れもない事実であることがわかった。事件の発端となったのはKingdom Movementという名の宗教運動であった。この教団はマライタ島の人々の祖先がイスラエルに由来する選民であり、教えに従う者は救われると主張した★3。彼に従う忠実な信徒たちは、家やトタン板、木材、キッチン用具などを売り払い、代わりに海の向こうから船に積まれた「カーゴ」がやって来るのを期待していたという★4

 メディアはこの事件を、嘘つきの指導者に率いられた無知な人々が、神の教えを誤って解釈した結果であるとスキャンダラスに書き立てた。私はと言えば、着いて早々こんな騒動が起こってしまい、はたしてこれからこの島に無事に住んでいけるのだろうかと、ただ呆然とするばかりであった。

 

 それから3ヶ月後、一時帰国から戻った私は、マライタ島でいよいよ本格的な調査を始めた。あの奇妙な事件のことはずっと引っかかっていたが、紆余曲折の末に住むことになった村の宗派はカトリックで、周囲にはこの件と関わりのある人々はいなかった★5

 ところが、調査を進める中で、奇妙なことがたびたび起こった。たとえば村の老人たちに一族の系譜や移住について聞き取りをしている最中、彼らが「われわれの最初の祖先はイスラエルからやってきた」と主張することがしばしばあった。文字のような痕跡がある石を見つけ、そうした時代の遺物ではないかと疑う人もいた。幹線道路沿いの家屋や商店の一部には、なぜかユダヤ人のシンボル「ダビデの星」が取り付けられていた。

 イスラエルから数千キロ離れた南太平洋の島で、唐突に登場する「ユダヤ」をめぐる語りや遺物。これは一体何なのか。その中心にいたのが、冒頭に紹介した乗り合いトラックの助手席に座っていた予言者マイケル・マイリアウ率いる、「マライタ島民ユダヤ起源説」を信じるカルト団体だった。

写真4 ダビデの星を掲げたマライタ島の商店(左の建物)

マライタ島民ユダヤ起源説

 マライタ島の人口は約16万人であり、それらは11前後の言語集団に分かれている。その中の1つ、同島北端に住んでいるのがトアバイタ語話者の集団である。ここに「マライタ人ユダヤ起源説」を掲げて活動しているカルト集団が存在している。All People’s Prayer Assembly(APPA)という名を持つこの団体は、1980年代半ばにマイケル・マエリアウによって、彼が牧師を務めていた南海福音教会から分派する形で設立された。

 APPAの神学によれば、トアバイタの人々の祖先は失われたユダヤ10氏族であり★6、20世紀にこの地にキリスト教が到来するはるか以前にマライタ島に到来していた。ところが先住民の影響を受けたユダヤ人たちは、祖先崇拝や食人などの「悪習」に染まってしまい、やがてそのアイデンティティを喪失した。ゆえにトアバイタ人は自らの起源を回復し、この地を真のエルサレムとしなければならないとされる★7

 私がマライタ島での調査中に出くわした「ユダヤ」や「イスラエル」をめぐる語りも、多くはAPPAを震源とするものであった。むろん批判的な人もいたが、運動はキリスト教の宗派を超えて影響をもたらしていた。たとえば調査中には島ではAPPAのプロモーション・ビデオが大流行しており、そこでは彼らがイスラエルに派遣したという「使節団」が、訪問先の体育館のようなところでマライタ島の踊りを披露していた。

写真5 調査地の人々がスマホのファイル転送アプリで拡散していたAPPAのプロモーション動画。場面はそれぞれ、演説する予言者マイケル・マイリアウ(左上)、エルサレムのドローン映像(右上)、ソロモン諸島とイスラエルの国旗の上に合成されたマライタ島を象徴する鷲(左下)、イスラエルで歓迎を受ける使節団(右下)。

 島におけるAPPAの存在感の中核となっていたのは「本当のイスラエル人」をめぐる語りであった。私の友人であり主要なインフォーマントの一人は、「自分たちの祖先がユダヤ人だとか、ノアの箱舟がマライタ島の山にあるとかいう話は本当かどうか分からないが」と前置きした上で、「彼らの集会に行ったら本当にイスラエル人がいるのを見た、という人がいるんだ」と力説した。そのイスラエル人は集まった群衆の前で金の塊を示し、「これは失われたソロモン王の黄金の一部だ。残りもやがてあなた方の元に戻ってくる」と言ったのだという。

 「本当のイスラエル人が現れた」という語りは、その後も複数の(必ずしも運動に賛同しない)人たちから繰り返し聞かれた。この南太平洋の小さな島になぜ縁もゆかりもないはずのイスラエル人がいるのか、APPAとマイケル・マイリアウの言っていることはもしかすると本当なのか……。人々の口ぶりからは、そんな戸惑いが感じられた。

近代への応答とカーゴ・カルト

 じつはソロモン諸島にユダヤ起源説を信じる人たちが存在しているということは、以前から人類学者のあいだでは知られていた。たとえば伝統あるオセアニア地域の人類学分野の学術誌Oceaniaは、2015年に「イスラエルの子孫──過去と現在の太平洋におけるユダヤ人アイデンティティ」という特集を組んでいる★8。ここではそのような調査と分析をもとに「マライタ島民ユダヤ起源説」の背景に迫ってみたい。

 

 2000年代初頭にAPPAで調査を行った人類学者のジャープ・ティマーは、「マライタ島民ユダヤ起源説」を、自らの伝統的な慣習(「カストム」と総称される)とキリスト教に代表される近代的な制度の間に断絶を抱えるマライタ島の人々が、そのアイデンティティの断絶を何とか埋め合わせようとしてきた一連の試みの中に位置づけている★9

 祖霊祭祀を中心とする精霊信仰が営まれていたマライタ島に、キリスト教の宣教師が上陸したのは20世紀初頭のことである。それからわずか1世紀足らずの間に、人口のほとんどがキリスト教徒となった。問題は両者をつなぐものがないことだ。導入されて数世代しか経たないキリスト教では、人々のアイデンティティの根幹に開いた穴を埋めることができない★10

 こうしたジレンマを抱えたマライタ島の人々が、そのアイデンティティの亀裂を埋めるために自主的に再創造した過去こそ、「マライタ島民ユダヤ起源説」である。ユダヤ教は「妬む神」ヤハウェやレビ記に記されたさまざまな禁忌など、マライタ島の伝統的な祖霊信仰との類似点が多く、さらにキリスト教の前身でもある。だから、「われわれの祖先はユダヤ人だ」という主張は、キリスト教と祖先をより古く真正な「起源」の下で統合し、選ばれた民としてのトアバイタ人の共同体を立ち上げるための政治=宗教的言説なのだ。彼はこのように結論づける。

 

 もう少し視野を広げてみよう。ユダヤ起源説的な考え方自体は世界中に存在するが、メラネシアでも、ソロモン諸島だけでなくパプアニューギニア、フィジーなどの国々に、ユダヤ起源説が広く流布している。これらの国々に共通するのは、19世紀以降に植民地化やキリスト教への改宗などの大きな社会変動を経験していることである。突如として不可解な状況に放り込まれた人々は、その状況を何とか理解し制御しようと、ある宗教運動を生み出した。1880年頃からメラネシアの各地では、祖先や精霊に祈りを捧げることで白人の富が海の向こうからもたらされるという信仰が見られるようになった。その運動を「カーゴ・カルト」(積荷信仰)という。

 なぜ「カーゴ」(積荷)なのかという疑問に対しては、次のように説明できる。白人が持ち込んだ工業製品の洪水(缶詰、銃、蒸気船、飛行機等々)に驚いた現地の人々は、何とかこれらの「カーゴ」を手に入れ、自分たちも白人のように豊かになりたいと思った。しかし、目の前にある富は、白人たちの資本主義と私有財産制度によって守られており、それを手に入れるためには搾取的な交易のルールに従わなければならない。そこに登場するのが「白人たちは実は戻ってきたわれわれの祖先であり、だからカーゴは本来われわれのものなのだ」と主張するカリスマ的な予言者である。人々はその予言を信じて、これまでの伝統的な暮らし──畑、集落、伝統的な祭祀など──をみずから破壊し、いつか「本当の白人=祖先」がカーゴをいっぱいに積んだ蒸気船とともに現れることを信じてその日の到来を待ち続ける。

 たとえば、初期の代表的なカーゴ・カルト運動であり、1919年から31年頃まで続いたパプアニューギニアのヴァイララ狂信では、エヴァラという予言者に率いられた人々が、死んだ祖先がカーゴとともに蒸気船で帰還するという啓示を信じ、伝統的な祭祀を破却し、白人との交易を拒否するとともに、自分たちでキリスト教会やプランテーション企業のやり方に倣った新たな実践を発案した。そこでは、たとえば祖先に呼びかけるための新たな神殿は「オフィス」と呼ばれ、その脇には旗竿が建てられた。さらに一本の旗竿には藤を用いた「電線」がつき、その線の端には「調整室」が作られていたという★11

 一部のカーゴ・カルトは、第二次世界大戦を経て、生活向上や政治的権利の獲得などのより世俗的な目標を掲げるようになった。他方、第二次世界大戦後に白人とはじめて接触したニューギニア島高地では、1940年代からカーゴ・カルトが拡大し始め、人々はカーゴを運ぶ祖先の鳥=飛行機を呼び寄せるため、自発的に「滑走路」を建設した★12

 その後、歴史上のカーゴ・カルトの多くは、政府の弾圧や予言の失敗によって支持者を失った。しかし、米軍を模倣した「軍事訓練」を行い、救世主の到来を待ち望むヴァヌアツのジョン・フラム運動のように、「カーゴ・カルト的なもの」は21世紀の現在でも存続し、また新たに生まれている★13。みずからの祖先を失われたユダヤ10氏族に求め、イスラエルからの使者がソロモン王の金塊を持ってくるという予言を信じるマライタ島のAPPAも、現代の「カーゴ・カルト的なもの」の一つといえるだろう。

写真6 ニューギニアのマダン海岸地方に飛行機の形をしたカーゴ・ハウスが築かれたことを報じる雑誌記事(Pacific Islands Monthly, May 1950. オーストラリア国立図書館所蔵)

他者の衝撃をどう受け止めるか

 一見して理解不能なカーゴ・カルトであっても、グローバリゼーションの荒波に巻き込まれた南太平洋の人々からの応答として、ひとまず理解することはできる。しかし、それで議論が尽くされたわけではない。そのように合理的な説明を与えてしまうこと以外に、「途方もないこと」として現れる他者の衝撃を受け止める方法はないのだろうか。

 

 カーゴ・カルト研究の第一人者である人類学者の春日直樹は、メラネシアを訪れたヨーロッパ人の行政官や宣教師、植民者、人類学者らがカーゴ・カルトをめぐって産出してきた言説を、以下のような4種類に分類している★14

【言説1】 カーゴ・カルトを植民地的状況における在来文化の破壊がもたらした混乱の中で生まれた、非合理な「狂気」や「精神障害」として捉える議論。

【言説2】 「カーゴ」を生産する近代科学と経済体制について無知なままに、手持ちの文化的手段を用いてその願望を実現しようとした、メラネシアの人々なりに合理的な企てと見なす議論。ここでカーゴ・カルトは、脱植民地化と政治的独立に向けた民衆の抵抗として捉えられる。

【言説3】 先の【言説2】が前提としていた「近代的知識の欠如」という条件が一応解消された後もカーゴ・カルトが再発し続ける状況を前に、それをメラネシア固有の文化として説明する議論。

【言説4】 「カーゴ・カルト」という概念自体が、観察者である西洋の文化的偏見によって一方的に作られたとする議論。

 春日は、これら4種類の言説の背景として植民地化から戦後の民族運動、そしてポストコロニアリズムや構築主義に至る歴史があることを指摘しつつ、それらがいずれも、カーゴ・カルトを「民衆の抵抗」や「メラネシア固有の文化」、「ヨーロッパ人による植民地主義的な言説構築のプロセス」のような、私たちにとって理解可能な枠組みへと落とし込んでいることに警告を発する。そして、カルトの所業を「狂気」という言葉で説明する【言説1】の行政官や植民者たちに着目し、彼らがなぜ──現在の政治・学術的な正しさの基準では断罪されるしかない──そのような言葉を使ってしまったのか、その原因となった「衝撃」にこだわり続ける必要があると主張する。

 

 これから先、本論では春日が示唆する他者理解の暗い山道へと踏み入りたい。なぜなら、私もまた、カーゴ・カルトを固有の衝撃において経験してしまったからだ。私は、彼らの所業を「狂気」や「無知」と断罪するつもりはないが、だからといって「異文化の世界観」や「脱植民地化に向かう歴史の一コマ」、あるいは「グローバリゼーションへの抵抗」といった合理的な物語の中に収容することもできないと感じている。そこには、明解な説明を与えようとするとこぼれ落ちてしまうような、より複雑な状況があるように思われるのである。

 そのとき、キーワードとなるのが「グローバリゼーション」だろう。すでに述べてきたように、カーゴ・カルトやユダヤ起源説は、植民地支配や近代化というグローバリゼーションに対するメラネシアの人々の反応として生じてきたものだ。そしてマライタ島のユダヤ起源説カルトは、今ではインターネットを駆使し、「本物のイスラエル人」を村に招くに至っている。

 メラネシアについて専門的に学び始めるはるか前から、おどろおどろしくエキゾチックな響きを持った「カーゴ・カルト」という言葉は、私の中に衝撃とともに刻まれていた。だが、現実に出会ったカーゴ・カルトは、かつての想像していたエキゾチックな他者以上の何かであった。島のユダヤ起源説カルトはグローバルなインターネット空間に網を張り、それに引っかかった現実のユダヤ人がイスラエルから島に訪れ、彼らの神話に取り込まれている……。地理的・文化的にかけ離れた土地へと渡航し、そこで出会った他者を記述する人類学的フィールドワーカーであったはずの私は、いつの間にか、もっとも「エキゾチック」な他者との出会いを通じて、「グローバル」な言説や運動に巻き込まれていたのである。

 こうした人類学的フィールドワークの前提としての自/他の区分そのものが揺らぐ状況の中で、人類学者はいかにして自らの経験を理解し、記述すればよいのだろうか。

 それは言ってみれば、絵の中の人物がフレームの向こうからにゅっと腕を伸ばしこちらにつかみかかってくるような、現実と虚構が入り混じる事態である。あるいは、まさしく「大地が裂けて新たな街が現れる」という予言のように、自己が拠って立つ地盤が失われ、図と地が識別不能になるカオス的な出来事である。固有なものや異質なものを持つ「他者」がいるはずだと向かったメラネシアの土地で、私はその「固有さ」や「異質さ」が、自分自身と地続きであることに気づいてしまったのだ。

 

 私がマライタ島民ユダヤ起源説に対しておぼえた衝撃は、現代の人類学者が直面している課題をあらわしているともいえる。なぜならグローバリゼーションの進展によって、隔絶された辺境の地に出向き、そこにある固有の文化を研究するという人類学の伝統的な「フィールドワーカー」像が成り立たなくなってしまったからだ。

 だが、みんながスマホを持ちインターネットでつながったからといって、固有なものや特異なものにこだわる人類学者の仕事がなくなるわけではない。1990年代以降の人類学者は、一見して抽象的・普遍的なグローバリゼーションが、無数の異質な要素のパッチワークであることを明らかにしてきた。たとえば21世紀を代表する人類学者の一人であるアナ・ツィンは、「熱帯雨林問題」というグローバルな言説の背後に、インドネシアの熱帯雨林というローカルな場所における国家、開発業者、環境NGO、先住民らの断絶や絡み合いがあることを明らかにし、さらにそこから、あらゆるものを滑らかに飲み込むようにみえるグローバルな結びつき(コネクション)であっても、実は無数の誤解や断絶、つまり「摩擦」(フリクション)と不即不離の関係にあることを主張する★15

 グローバル化によって結びついた世界は、実は無数の断絶に満ちている。結合と断絶はしばしば対立的に捉えられるが、「コネクション=フリクション」というツィンの視点を導入することで、同じものの2つの顔として想像し直すことが可能になる。マライタ島の「ユダヤ起源説カルト」と「イスラエル人バックパッカー」の関係もそのような視点から捉えられるだろう。大航海時代以来のヨーロッパとメラネシアの結びつきは南太平洋の島々に「ユダヤ起源説」を生み出した。そしてそれを支えているのは、自分はただの観光客だと信じるイスラエル人のバックパッカーと、彼を「イスラエルからの使者」だと信じるカルトの村の人々の「誤解」と「断絶」なのだ。マライタ島民ユダヤ起源説は、まさしくコネクション=フリクションによってかたちづくられている。

 あの日、乗り合いトラックの中で私が受けた衝撃は、まさしくその「断絶」に他ならない。屈託なく村への滞在予定を語るバックパッカーと出会ったとき、私は「なるほど、APPAは世界を放浪するイスラエル人バックパッカーをSNSで呼び込み★16、何も知らないままの彼を『歓迎のセレモニー』などと偽ってカルトの集会に出席させて、マライタ島民ユダヤ起源説の根拠に使っているのだ」と直感せざるを得なかった……。

 壮絶な「コネクション=フリクション」に出会ってしまった人類学者は、その衝撃をどう受け止め、記述すればいいのだろうか。私が経験したマライタ島の摩擦から生まれる妖しい光を頼りに、メラネシアとグローバルのねじれた歴史をもう少し追いかけてみよう。

他者への幻想と裏返しの人類学

 水平線の彼方に幻想を抱いてきたのは、カーゴを待つメラネシアの人々だけではない。15世紀に大航海時代が始まったとき、ヨーロッパ人にとっても太平洋はまったくの知られざる領域であった。当時、南半球にはユーラシアや北米と同じくらいの大きさの巨大な「未知の大陸」(テラ・インコグニタ)があると想定されており、冒険者たちはその発見を目指して太平洋に乗り出した。

 1567年にソロモン諸島を「発見」したスペイン人アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラもまた、未知の大陸を探す途中でこの島々に行き着いた人物である。彼はこの島々こそが聖書に登場する「オフィル」──ソロモン王の神殿を飾る大量の黄金を産出したとされる伝説的な東方の地──だと確信し、島々の領有と植民地化に向けたより本格的な探検行に出資するよう、スペイン政府を説得することに成功した。ところが当時の航海技術の未熟さのため★17、ソロモン諸島を目指した船団は、そこから6000kmほど東方にあるマルケサス諸島に到達してしまう。再びヨーロッパ人がソロモン諸島に辿り着くのは、さらに150年後を待たなければならなかった★18

 このように、当時最先端の航海技術を持ち、世界中の海を踏破した英雄的な探検者たちを突き動かしていたのは、実は「黄金があふれる伝説の島」という幻想であった。マライタ島に広がる「ソロモン王の黄金を携えたイスラエル人が帰還してくる」というユダヤ起源説カルトのプロパガンダは、この皮肉な事実にさらにひねりを加えている。つまり、他者をめぐる幻想は、西洋を起源とする近代=マジョリティが他者=マイノリティに一方的に押しつけるだけではない。他者もまた近代=マジョリティ──ここには近代世界システムにおいてマジョリティの側に位置するようになった私たち日本人も含まれるだろう──に対して幻想している。

写真7 16世紀末に描かれたオーストラリア、ニューギニア、ソロモン諸島の地図(Jode, Cornelis de, "Novae Guineae forma, & situs", 1593. オーストラリア国立図書館所蔵)

 他者をめぐる幻想は、まさしく人類学を成り立たせるものでもある。

 

 マリノフスキー以来の近代人類学は、長期フィールドワークを通じて、他者の「文化」や「社会」を内側から記述することを目指してきた。今日、人類学者になるためには2年程度の現地フィールドワークを実施し、その後、調査した人々についての民族誌を書くことが要求される。

 とはいえ、フィールドワークの経験がそのまま「文化」のような抽象的な全体概念と結びつくわけではない。たとえば「ゴルフ」という概念を知らない人にとって、それは一群の人間が平原を歩き回り、その中の1名がたまに棒きれで球を叩いて次の行き先を決める、いささか風変わりな「散歩」と見えるかもしれない。それと同様に、調査当初のフィールドワーカーの眼前に広がっているのは、それが「ゴルフ」であるのか「散歩」であるのかすら皆目見当がつかないような、なんだかよく分からない人やモノの堆積である。

 たとえば、『精神の生態学』の著者であるグレゴリー・ベイトソンは、自身の最初のフィールドワークの失敗について次のように語っている。

[……]形式的なディティールばかりにこだわる人類学の体制にあきあきしていたわたしは、なんとかニューギニアの文化を肌で感じたいという漠然とした思いを抱いて、当地に乗り込んでいったわけです。しかし、[……]原住民が集まって、キンマの葉を噛み、それをペッペッと吐き出しながら談笑するさまを眺めているうちに、これは無理だという絶望の気持ちが抑えがたく湧きあがってきました。★19

 なぜベイトソンは「キンマの葉を噛み、それをペッペッと吐き出しながら談笑する」原住民たちに絶望したのか。ここには人類学固有の「バラバラの知識を組織化する」という問題が横たわっている。

 

 人類学の条件とは何だろうか。単に見たものや感じたことをそのまま書いても、あるいはフィールドで出会った個々の事象についてのマニアックな知識を集積しても、それだけで民族誌になるわけではない。冒険家や作家の辺境探検記と、プロフェッショナルな人類学者が書く民族誌を分けるのは、後者では個々のデータの集積を超えた「抽象化」と「関係づけ」がなされているということである。

 調査中の人類学者は、押し寄せる大量のデータに圧倒された状態にある。何が重要で何が重要でないのかは分からないが、とにかく引っかかったものはすべて記録するしかない。ところがフィールドから戻った人類学者は、民族誌を書くために、現地でよく分からないままに収集したデータを自分にとって馴染みのある一連のカテゴリー(「親族」「宗教」「経済」等々)に分類する必要に迫られる。さらにそれらを貫く論理(「メラネシアでは、親族も経済も贈与交換によって動いている」等々)を見出し、一つのまとまりをもった全体としての「○○文化」を編み上げていかなければならない。こうして人類学者の頭の中に他者の「文化」が生み出され、さらにそれが論文として出版されたり読者によって別の「文化」と体系的に比較されたりして、間主観的に共有された現実となっていく。

 要するに、人類学者はすでに存在している他者の文化をよく知るために現地に行くのではないのだ。人類学者が実際に行なっているのは、人類学者自身が調査前から抱いていた観念が、調査のなかで出会った具体的な他者と絡み合い、やがてその他者のありのままの客観的記述と見なされるテクストを生み出すという、奇妙なプロセスなのである。そこでは「自己」と「他者」は単純に区別できるものではなく、入り混じっている。

 人類学が知識を生み出すこのプロセスを、近年注目を浴びている人類学者のロイ・ワグナーは、人類学者とその調査対象となる他者の間に生成する、「幻想の相互投射関係」に他ならないと論じている★20。先に述べたベイトソンの絶望は、彼が持っていた「文化」のイメージと、現地の人々が行っていた「文化のようなもの」があまりにもかけ離れており、それを民族誌として編み上げる自信を打ち砕かれたことに起因するだろう。

 

 いずれにしてもフィールドに降り立つ人類学者は、目の前にいきなり現れた得体の知れないモノどもに困惑しつつ、そこから他者を理解するために役立つ知識をどうにか引き出し、なんとか民族誌として整理しなければならない。

 であるならば、とワグナーは言う。人類学という近代西洋的な知の実践は、意外にもメラネシアのカーゴ・カルトと似ているのではないか。カーゴ・カルトとは、白人の出現という得体の知れない事態を、他者のモノ(カーゴ)に秘められたその秘密を暴くことを通じて、同じように理解しようとする試みであると考えられないか。少なくともそのようなアナロジーを打ち立てることは可能ではないか。

 

 カーゴ・カルトとは裏返しの人類学である。このような視点に立つと、さらなる分析が可能になる。カーゴ・カルトと人類学は、いずれも人間が行う他者理解という目的では共通しているが、その手段が違っている。人類学者は探求の果てに揺るぎない知識=言語を求め、カルトは「本当の自分」を証すモノを求める。つまりカーゴ・カルトにおいて、知識=言葉とは、「こうである」現実をありのままに記述する道具ではなく、「こうであるかもしれない」可能性を引き出し、現実化するための道具といえる。だから、重要なのはカルトのエキセントリックな主張ではなく、その言葉から何が実現されようとしているかに注目することなのである。

 ユダヤ起源説カルトによってSNSにばらまかれた真偽不明の言葉は、やがて「本物のイスラエル人」という形を取って群衆の前に現れる。イスラエル人のバックパッカーは、カルトの言説が語る抽象的な「イスラエル」を部分的に具現化するとともに、その背後にある〈まだ‐ない〉現実を、ユダヤ起源説を信じる人々に予感させるだろう。

 この瞬間、バックパッカーの身体は不可視のユートピアが到来されるための「道」となっている★21。この道が開かれれば、この地にはさらなるイスラエル人が到来し、やがてイスラエル国家からの開発援助(「ソロモン王の黄金」の帰還)によってトアバイタ人の生活は大きく変貌するに違いない。その時、「われわれはユダヤ10氏族の末裔である」という予言は、カルトの主張を疑う人々ですら認めざるを得ないような、確固たる真理へと転じることとなるだろう。

 「われわれの祖先はユダヤである」というカルトが主張する命題は、真でも偽でもなく、真理への途上にある。この〈まだ‐ない〉真理は第三者から見れば奇妙な信念でしかないが、そこに巻き込まれてコミットするようになった者にとっては必然である。人々はこの視点から世界を制作し、予言を現実化していく。ちょうど、旧約聖書という神話に基づき建国されたイスラエルが、その命題を真にするため、今もなおおびただしい暴力の上にイスラエル国家の境界を構築し続けているのと同じように……。そのプロセスは、人類学が問い直してきたその知識生成のプロセスにも重なってみえる。

異様な世界で胡乱な他者と共存するために

 話を冒頭に戻そう。イスラエルとハマスの戦闘が勃発したとき、なぜ私は戦場にソロモン諸島民がいるかもしれないと思ったのか。

 それは、実はイスラエルもまた、世界に点在する「ユダヤ起源説」信者を利用しているからだ★22。たとえばインド北東部に居住するチベット・ビルマ系少数民族の一つは、祖先が失われたユダヤ10氏族の一つマナセ族であると主張し、「ブネイ・メナシェ」(マナセの子孫たち)と自称している★23。そして実際にイスラエルに移住しているのである。

 ブネイ・メナシェの移住の手引きを行ったのは、イスラエルの民間団体Shavei Israelだ。この団体は2006年までに1700名あまりをイスラエルに帰化させたが、その多くはガザ地区やヨルダン川西岸に隣接する入植地に誘導された★24。このことはイスラエル国内で政治的問題となり、その後、団体は移住事業を停止したという。

 自らの神話を現実化するため、イスラエル人バックパッカーを呼び込み、イスラエルに使節を派遣していたマライタ島のAPPAは、知ってか知らずか相当にやばい橋を渡っていたようだ。Shaveri Israelやそれに類する団体がソロモン諸島のユダヤ起源説カルトを知れば、その存在を間違いなく利用してくるだろう。いや、単にニュースになっていないだけで、もしかすると本当に「ユダヤ人」となってしまったマライタ島民もいるのかもしれない。

 いずれにしても、カルトを「メラネシア独自の世界観」あるいは「西洋の植民地支配に対する土着の抵抗」のようにロマン主義的に捉えることは、もはやできない。確かにユダヤ起源説を信じるソロモン諸島の人々は西洋近代との関係では植民地支配の犠牲となってきたマイノリティかもしれない。だが、世界を覆うグローバルな幻想と誤解のネットワークの中では、同じ人々が「ユダヤ人」になり、イスラエル/パレスチナ対立の最前線において「マジョリティ」の側に立つというのも、また現実となりうることなのだ。

 

 人類学はその他者理解の方法として、長らく「文化相対主義」を掲げてきた。あらゆる集団は独自の文化を持つ点において平等であると主張する文化相対主義は、自由と寛容を掲げる近代リベラリズムの思想的基盤に組み込まれ、現在に至っている。

 他方、世界の多極化と言われる時代において、文化相対主義を成り立たせてきた地盤は崩れはじめているようにもみえる。あらゆる多様性を尊重するリベラルな世界がそれ自体いかなる基盤の上に成り立つのかという問題が、改めて問い直されているのである。そのような動きに呼応して、21世紀の人類学は、「一つの自然」の上に「複数の文化」が構築されているというこれまでの前提をさらに相対化し、「複数の自然」の中に生じる、いくつもの──しばしば相互に相容れない──世界構築の営みとして、研究対象となる物事を捉えようとしている。

 人々が共に立つ地盤が失われたとき、顕在化してくるのは「共感できない他者を封じ込めたい」という剥き出しの欲望である。そこで利用されるのが、たとえば、さまざまな遠隔化のテクノロジーだ。危険な他者は壁の向こうに追いやられ、敵はゲーム画面上のキャラクターと識別不能になる。実際、イスラエルの人々はガザ地区に壁を築くことで、リアルな他者をフィクション化していった。ガザ戦争は、こうしてフィクション化された他者が、監視カメラとドローンで守られた壁を越えて、現実の存在となって戻ってきた事態であるといえる。

 しかし、異質な世界同士の関係は、このような劇的な対立だけではない。マライタ島のカルトとイスラエルの結びつきのように、秘かな相互浸透や相互誤解が蠢いている。メラネシアで人類学者たちが行ってきたカーゴ・カルトやマライタ島民ユダヤ起源説の調査の先に見えてくるのは、そのような複数の世界の関係である。

 

 2019年のあの日、そうとは知らずにカルトのトラックに乗った私は、「予言者」とイスラエル人バックパッカーの出会いに遭遇し、言葉にならない衝撃を受けた。白人の出現に衝撃を受けたメラネシア人が、カーゴ・カルトの実践の中で自己とは何か、他者とは何かを問い直したように、私もまた、フィールドで出会ってしまった圧倒的な他者を通じて、いま改めて自己と他者の関係を理解するためにこの論考を書いている。

 カーゴ・カルトが裏返しの人類学であるならば、あるいは人類学が「裏返しのカーゴ・カルト」であるならば、その役割は、異質な世界同士の関係のありかたを考えることにある。そしてカーゴ・カルトが私たちにとってそうであるように、異質な世界との関係はときに一見して理解不能なものだ。

 20世紀的な文化相対主義とリベラリズムがその基盤から解体しつつある時代を生きる21世紀の人類学者にできるのは、まず、今ある現実を作り上げているさまざまな幻想や誤解、断絶を明るみに出すことだろう。さらにその先で、誤解の下にあたらしい地盤が見いだせるとしたら、あるいはこの異様な世界の中で胡乱な他者と共存する道が開かれるのかもしれない。

 


★1 人類学(anthropology)は人間の身体的特徴や遺伝子など先天的性質を研究する自然人類学と、言語や文化などの後天的性質を研究する文化・社会人類学に大別されるが、この論考では後者を「人類学」として総称する。
★2 マリノフスキー、ブロニスラウ『西太平洋の遠洋航海者——メラネシアのニュー・ギニア諸島における住民たちの事業と冒険の報告』講談社学術文庫、2010年。
★3 "New Church Movement" Solomon Star. January 15, 2018. [online] URL= https://www.solomonstarnews.com/new-church-movement/
★4 "Pastor Kaleni: I didn't authorize them to sell their properties" Solomon Star. January 22, 2018. [online] URL= https://www.solomonstarnews.com/pastor-kaleni-i-didn-t-authorize-them-to-sell-their-properties/
★5 ソロモン諸島の人口の約90%はキリスト教徒。主要な宗派は英国国教会から分派したチャーチ・オブ・メラネシア(35%)、ローマ・カトリック(19%)、福音派系の南海福音教会(17%)、合同教会(11%)、セブンスデー・アドベンチスト(10%)であり、他にエホバの証人や新使徒教会なども活動している。
★6 紀元前1200年にユダヤの民がイスラエルの地を手に入れた際、12の部族が11の土地に入植した。最大人口のユダ族は南部にユダ王国を築き、残りの10部族は北部にイスラエル王国を築いた。ところが紀元前721年にイスラエル王国がアッシリア帝国に征服されると住民は帝国各地に追放され、次第に現地の民と混ざり合い行方不明となった。この歴史的事実が後に伝説化したのが、ユダヤ・キリスト教圏における「失われたユダヤ10氏族」の探求である。
★7 Timmer, Jaap, "Building Jerusalem in North Malaita, Solomon Islands" Oceania 85(3), 2015.
★8 Newland, Lynda and Terry M. Brown (eds.), "Descent from Israel and Jewish Identities in the Pacific, Past and Present", Oceania 85(3), 2015.
★9 Timmer, Jaap, Ibid.
★10 現代マライタ島におけるこの問題を取りあげた論文として以下を参照。橋爪太作「起源の闇と不穏な未来のあいだ——現代ソロモン諸島マライタ島西ファタレカにおける社会変容の深層」、『文化人類学』87(1)。
★11 ワースレイ、ピーター『千年王国と未開社会——メラネシアのカーゴ・カルト運動』、紀伊國屋書店、1981年、112頁。この旗竿は祖先の蒸気船と交信するための「無線アンテナ」だと推測される。
★12 同上、274頁。なおこの歴史的事実は、パプアニューギニアを舞台とした諸星大二郎のマンガ『マッドメン』でも描かれている。
★13 第二次世界大戦中にヴァヌアツのタンナ島に現れたとされる、ジョン・フラムという神秘的な予言者を信奉する宗教運動。同地に駐留したアメリカ軍をカーゴの化身と見なし、その軍事訓練を真似た儀式を年に1回行っている(佐藤健寿『CARGO CULT』、朝日新聞出版、2023年)。
★14 春日直樹「「発端の闇」としての植民地——カーゴ・カルトはなぜ「狂気」だったか」、山下晋司・山本真鳥(編)『植民地主義と文化——人類学のパースペクティヴ』、新曜社、1997年。
★15 ツィン、アナ『摩擦——グローバル・コネクションの民族誌』、水声社、2024年。
★16 イスラエル国籍を持つすべてのユダヤ人は、高校卒業後すぐに兵役(男性3年、女性2年)に入る。現地では、退役から進学・就職の間に世界中を旅行することが一般的な慣習となっている。
★17 大洋での船の位置測定に必要な緯度と経度のうち、前者は天測によって比較的容易に知ることができた。しかし母港と現在地の時間の正確な差を知る必要がある後者の測定は、1735年の航海用クロノメーターの発明によってはじめて可能になった。
★18 エーコ、ウンベルト『異世界の書——幻想領国地誌集成』、東洋書林、2015年、326-334頁。
★19 ベイトソン、グレゴリー『精神の生態学(改訂第2版)』、新思索社、2000年、141-142頁。
★20 Wagner, Roy, The Invention of Culture (Revised and Expanded Edition), The University of Chicago Press, 1981.
★21 パプアニューギニアのカーゴ・カルト運動についての有名な民族誌は『カーゴの道』というタイトルである(Lawrence, Peater, Road Belong Cargo: A study of the Cargo Movement in the Southern Madang District New Guinea, Manchester University Press, 1964.)。このように、「われわれ」のもとにカーゴがもたらされる「道」があり、それが何らかの原因(白人の妨害等々)で塞がれているという想像力はカーゴ・カルトでたびたび見られる。APPAの予言者マイケル・マイリアウをめぐる伝説の一つにも、「彼はエルサレムに渡航し、東(ソロモン諸島の方角)の城門を開け放った」(=そこに封じられていたものを帰還させた)というものがある。
★22 以下の事実は吉田航太氏からご教示いただいた。記して感謝申し上げる。
★23 村上武則「インド北東部におけるブネイ・メナシェと中国エクソダス論——クキ・チン系諸民族の起源をめぐる言説の展開と錯綜」、日本文化人類学会研究大会発表要旨集、2022年。
★24 たとえばガザ地区に隣接するイスラエルの都市スデロットには、2023年時点で100家族以上のブネイ・メナシェが居住しており、ハマスの攻撃で一時避難した後も帰還を望んでいるという。 "Since Hamas atrocities, Bnei Menashe Jews face enemies on two fronts" The Times of Israel. December 9, 2023. [online] URL= https://www.timesofisrael.com/since-hamas-atrocities-bnei-menashe-jews-face-enemies-on-two-fronts/

橋爪太作

1986年、鹿児島県生まれ。大阪公立大学准教授。東京大学教養学部を経て、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学科(相関社会科学専攻)で博士号を取得。専門は、文化人類学、メラネシア地域研究。著作に、『大地と星々のあいだで:生き延びるための人類学的思考』(イースト・プレス)、「起源の闇と不穏な未来のあいだ:現代ソロモン諸島マライタ島西ファタレカにおける社会変容の深層」(『文化人類学』87巻1号)など。「起源の闇と不穏な未来のあいだ」で第19回日本文化人類学会奨励賞を受賞。最近考えているテーマは、琵琶湖、地質学、極限環境での居住など。

1 コメント

  • tomonokai80432024/10/18 14:18

    先にシラスで、 橋爪太作 聞き手=植田将暉 世界一ヤバい人類学入門 ──マリノフスキー、存在論的転回、そしてメラネシアの大地へ【#学問のミライ #8】 https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240817 を視聴しました。 そのためか、すごい読みやすかったです。(著者の話を一回聞いたことがあるっていうのは、論考を読むときに読みやすくなる効果があると思います。) このカーゴ・カルトの話の発端、橋爪さんが初めてマライタ島を訪れた2018年1月にそんな衝撃的な事件(噂?)と遭遇するとは…。それはこの先やっていけるんだろうかと不安になるのも解る気がしました。 ただ、そこからイスラエル・パレスチナの紛争の激化から、この遠い地域とのつながり、裏表の関係性を考察されていて、頭がいい意味でぐちゃぐちゃにかき乱された感じがしました。 この論考の書き方は、自分たちを安全地帯においてくれない感じ、高みの見物をさせてくれない感じがして、人類学者とはこういうものかとやられた感がありました。 “人類学の条件とは何だろうか。単に見たものや感じたことをそのまま書いても、あるいはフィールドで出会った個々の事象についてのマニアックな知識を集積しても、それだけで民族誌になるわけではない。冒険家や作家の辺境探検記と、プロフェッショナルな人類学者が書く民族誌を分けるのは、後者では個々のデータの集積を超えた「抽象化」と「関係づけ」がなされているということである。” 自分に引きつけて考えず、考えるって難しい…。自分は自分に引きつけて考えるようになっています。 人類学者とは…という学びにもなりました。

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