ひろがりアジア(7) 大物浦とミャンマーの〈声〉──木ノ下歌舞伎『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』と在日ミャンマー人による寸劇|日置貴之
ゲンロンα 2021年5月11日配信
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5年の間に、私たちを取り巻く環境が、いかに大きく変わったか。いかに激しく変わり続けているか。そのことを思った。
木ノ下歌舞伎『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』の幕切れである。「碇」を頭上に持ち上げた主人公・平知盛は、色褪せた旭日旗やレインボーフラッグを身にまとっている。背中には「TOKYO 2020」のエンブレムらしきものも見える。さらに目を凝らせば、彼の右胸には小さなミャンマー国旗があった。
木ノ下歌舞伎は、歌舞伎・浄瑠璃の古典作品を現代的に演出しなおすことに取り組んできた。主宰の木ノ下裕一は、作品ごとに異なる演出家とタッグを組み、共同作業で古典作品の新たな側面を提示する。この『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』でも、木ノ下と演出の多田淳之介は、中世の源平の合戦を題材に近世の浄瑠璃作者が1747年に執筆し、人形浄瑠璃のみならず歌舞伎でも現代まで演じ続けられている作品に、さまざまな文脈を重ね、読み替えていく。それ自体は、2012年の初演、16年の再演と今回で変わらない。しかし、再演以来の5年で、そこに重ねられるべき新たな文脈が生じ、それを目にする私たち自身も大きくものの見方を変えざるを得なかった。
再演の直後、地球の裏側ではスポーツの祭典が華々しく行われ、閉会式では当時の日本の首相が人気ゲームのキャラクターに扮して登場した。招致の時点から東京でのオリンピック・パラリンピックに対する反対の声はあったし、以後も計画を大きく超えて増大する費用や、東京の過酷な夏の暑さの問題などが話題に上った。それでも、おそらく最後は一大イベントが開催され、戦後最長の在任期間を誇った首相の花道が飾られることになるのだろうと、期待するにせよ、諦めとともにせよ、多くの人々が思っていたであろう。
そのような予想は大きく裏切られた。未知の感染症の発生と世界的流行によって五輪・パラ五輪は延期となり、安倍晋三首相は持病の悪化を理由として退陣したのだった。そして、今なお私たちは感染症の流行の前で先行き不透明な日々を送っている。延期となった五輪・パラ五輪は、海外からの観客受け入れが断念されたものの、聖火リレーは一部で中止されながらも、3度目の緊急事態宣言下でもつながれている(ただし、木ノ下歌舞伎の東京公演の時点では海外観客についての判断は下されておらず、聖火リレーも開始されていなかった)。
「渡海屋・大物浦」は、全5段から成る『義経千本桜』の2段目にあたり、平知盛を主人公としている。史実では知盛は源氏との壇ノ浦の戦いで没した。『平家物語』は知盛が、それまで奉じてきた安徳天皇らの入水を見届けたのち、乳母子の伊賀平内左衛門家長と手を取り組んで海に沈んだと記している。およそ560年のちの浄瑠璃作者である並木千柳(宗輔)らは、大胆にも「パラレル・ワールド」における源平合戦を描き出した。
『義経千本桜』の世界では、「壇ノ浦の戦い」は起きない。源義経は「屋島」での戦闘で平家を倒したことを都で報告する。ところが、実は平家の3人の有力な大将である、知盛、維盛、教経は生き延びていた。義経は彼らが戦死したと公表しつつ、密かにその行方を追っている。しかし、その義経の「情報戦」は鎌倉の兄・頼朝の疑念を生む結果となり、家来・武蔵坊弁慶の短慮もあって、義経は逃亡生活を余儀なくされるのであった。
義経一行が、船で九州に逃れるべく立ち寄ったのが、現在の兵庫県尼崎市の「大物浦」に臨む「渡海屋」である。そして、そこの主人・銀平とその妻子こそが、義経の命を狙う知盛と安徳天皇、その乳人・典侍の局だった。
義経を欺き、海上で討ち取るという知盛の計略だったが、すべては義経に気取られていた。味方は散々に打ち破られ、自身も深傷を追った知盛は、なおも義経に挑みかかる。しかし、彼を待っていたのは、これからは義経の庇護を受けるという幼い天皇の言葉と、典侍の局の自害であった。天皇を奉じるという「正当性」を失い、さらに幼い天皇に地獄の苦しみを強いてきた父・清盛以来の平家一族の罪を実感した知盛は、巨大な碇を担ぎ海へ飛び入る。多くの人が知る「歴史」とは異なる形で生き延び、平家滅亡という「歴史」に抗おうとした知盛の闘いは失敗に終わり、彼は海に沈んだという「歴史」だけが残る。
多田による演出で、とりわけ巧みなのは衣裳の使い方である。木ノ下歌舞伎の上演では、2時間10分ほどの上演時間の冒頭30分強で、保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)から平家滅亡(1185年)に至る過程を演じて見せる。『義経千本桜』には描かれないが、江戸時代の観客が「常識」として知っていたこの場面でも、そして、それに続いて演じられる「渡海屋・大物浦」本編でも、次から次へと人が死んでいく。9人の俳優は、殺されるたび衣裳を脱ぎ捨て、多くの役を演じていく。舞台上に脱ぎ捨てられた衣裳は、いわば無数の「遺体」に見立てられるわけだが、次には安徳天皇を演じる立蔵葉子の肩に重ねられることで、天皇が身にまとう「束帯」に、最後には知盛の長刀に巻き付けられることで「碇」へと姿を変えていく。「見立て」は日本の、特に江戸時代の文化において極めて重要な意味を持つ表現技法だが、多田はその手法を用いて、無数の死者たちによって紡ぎ出された「歴史」が、幼い天皇の上にのしかかり、知盛とともに海へと消えていくさまを視覚化した。
主人公・知盛の衣裳もまた、雄弁である。深傷を負った知盛は、冒頭で述べた通り、旭日旗やレインボーフラッグ、五輪のエンブレムなどを身にまとう。そのそれぞれに意図はあろうが、旭日旗を身にまとい、それが天皇のためであると信じて戦った末に傷ついた知盛を安徳天皇が見切り、義経の保護下に入る瞬間は、この演出の主題がもっとも明確に現れた場面といえよう。知盛に引導を渡そうとする弁慶は、アロハシャツに短パンという姿である。
新たな庇護者のもと、したたかに生き延びる天皇だが、『義経千本桜』では安徳天皇を「姫宮」と設定する。安徳天皇が実は女性であり、天皇の外戚となることを望んだ清盛によって、男性と偽って即位させられたとする説は、源平合戦の終結から遠くない中世からすでに囁かれていたらしい。『平家物語』は、天皇の誕生に際して、安産のまじないである「甑(こしき)落とし」が行われたが、皇子誕生の場合は南の方角へ落とすべき甑が、北に落とされたことを記す。『平家物語』は天皇の性別が詐称されたと明確に記すわけではないが、『義経千本桜』が上演された江戸時代には、安徳天皇が実は女性であることは貴族社会における暗黙の事実であった、とする見方が広く浸透するに至っていた。
父・清盛による、あってはならない偽りによって、幼い天皇に過酷な運命を強いてしまったことは、知盛の入水の一因となる。この場面を、知盛が背負ったエンブレムとともに眺める時、私たちが見過ごしてきたものの多さを思う。報道を通じて、「アンダーコントロール」や「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」といった欺瞞に満ちた言葉を聞く時、私の態度は父の「天道をあざむ」く「其悪逆」(原作『義経千本桜』)を知りつつ、自らの最期が迫るまで何も言えなかった知盛と同じではなかったか。何かを見過ごしてきた、否、今も見過ごし続けてしまっているという感覚は、コロナウイルス禍にあって、いよいよ強い。
多田演出では、衣裳という視覚的要素とともに、聴覚的要素も印象的である。初音ミク「千本桜」、ジョン・レノン「イマジン」や「戦場のメリークリスマス」といった楽曲が用いられるとともに、上演の終盤で聞こえてくるのは、それまでに舞台上で生き、闘い、死に、去っていった多くの人々の〈声〉である。すでに記した通り、彼ら、彼女らが脱ぎ捨てた衣裳は、最後に集められ、「碇」へと姿を変えるが、彼らの〈声〉もまた、録音によって再び観客の耳に届けられる。無数の〈声〉は次第にオーバーラップし、そして消えていく。
ところで、木ノ下によれば、そこに重ねられているのは舞台に登場した人々の〈声〉だけではない。客席から判別することは困難だが、そこにも知盛の衣裳同様にさまざまな文脈を持った〈声〉が重ねられていたらしく、その中の一つに、ミャンマーの民衆の叫びがあったという。知盛の胸に下がったミャンマー国旗とこの民衆の〈声〉。それは、木ノ下と多田が、この作品に盛り込んださまざまな文脈の中でも、最新にして現在進行形のものであった。
木ノ下歌舞伎の東京公演初日に先立つこと1ヶ月弱、昨年11月の総選挙後初の議会が開会される予定だった2月1日に、ミャンマー国軍は突如、ウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問をはじめとする政権幹部を拘束した。軍は総選挙の結果を無効とし、非常事態宣言を発出。国家行政評議会が設立され、国軍総司令官のミンアウンフラインが議長となった。これに対して、多くの国民による反クーデターデモが行われたが、それに対する軍の弾圧は強まり、2月19日に首都ネピドーでのデモ中に銃撃を受けた20歳の女性が死亡した。以降、各地で多くの人命が失われる事態が生じており、世界の注目が集まっているが、本稿執筆時点で解決に向けた糸口は見えていない。
父・清盛による、あってはならない偽りによって、幼い天皇に過酷な運命を強いてしまったことは、知盛の入水の一因となる。この場面を、知盛が背負ったエンブレムとともに眺める時、私たちが見過ごしてきたものの多さを思う。報道を通じて、「アンダーコントロール」や「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」といった欺瞞に満ちた言葉を聞く時、私の態度は父の「天道をあざむ」く「其悪逆」(原作『義経千本桜』)を知りつつ、自らの最期が迫るまで何も言えなかった知盛と同じではなかったか。何かを見過ごしてきた、否、今も見過ごし続けてしまっているという感覚は、コロナウイルス禍にあって、いよいよ強い。
多田演出では、衣裳という視覚的要素とともに、聴覚的要素も印象的である。初音ミク「千本桜」、ジョン・レノン「イマジン」や「戦場のメリークリスマス」といった楽曲が用いられるとともに、上演の終盤で聞こえてくるのは、それまでに舞台上で生き、闘い、死に、去っていった多くの人々の〈声〉である。すでに記した通り、彼ら、彼女らが脱ぎ捨てた衣裳は、最後に集められ、「碇」へと姿を変えるが、彼らの〈声〉もまた、録音によって再び観客の耳に届けられる。無数の〈声〉は次第にオーバーラップし、そして消えていく。
ところで、木ノ下によれば、そこに重ねられているのは舞台に登場した人々の〈声〉だけではない。客席から判別することは困難だが、そこにも知盛の衣裳同様にさまざまな文脈を持った〈声〉が重ねられていたらしく、その中の一つに、ミャンマーの民衆の叫びがあったという。知盛の胸に下がったミャンマー国旗とこの民衆の〈声〉。それは、木ノ下と多田が、この作品に盛り込んださまざまな文脈の中でも、最新にして現在進行形のものであった。
木ノ下歌舞伎の東京公演初日に先立つこと1ヶ月弱、昨年11月の総選挙後初の議会が開会される予定だった2月1日に、ミャンマー国軍は突如、ウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問をはじめとする政権幹部を拘束した。軍は総選挙の結果を無効とし、非常事態宣言を発出。国家行政評議会が設立され、国軍総司令官のミンアウンフラインが議長となった。これに対して、多くの国民による反クーデターデモが行われたが、それに対する軍の弾圧は強まり、2月19日に首都ネピドーでのデモ中に銃撃を受けた20歳の女性が死亡した。以降、各地で多くの人命が失われる事態が生じており、世界の注目が集まっているが、本稿執筆時点で解決に向けた糸口は見えていない。
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主に江戸時代末期から明治期の演劇を研究する筆者にとって、近年のミャンマーは興味深い国であった。ノンフィクション作家の高野秀行氏は、2004年にミャンマー各地をめぐって記した『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫)で、当時の軍政下のミャンマーを「武家社会」になぞらえている。その後、日本人ジャーナリスト・長井健司氏が犠牲となった2007年の反政府デモなどを経て、2011年に民政移管が実現、2016年には軍政下での民主化活動のリーダーであったアウンサンスーチー氏が実質的な指導者である国家顧問に就任した。軍政時代のミャンマーが「武家社会」であるとすれば、現在は明治10〜20年代といったところであろうか。たしかにクーデター以前のミャンマーには文明開化期の日本を思わせる大きな時代変化の波が感じられた(こうした急激な変化を惜しむ日本人も多いが)。
明治の日本では、明治20年代以降、次第に新派劇や喜劇、新劇といったそれまでの伝統演劇とは異なるジャンルの演劇が生まれた。一方、現在のミャンマーも、筆者の知る限りでは、大衆演劇ザッポエや人形劇ヨウッテーポエといった伝統的な演劇、伝統舞踊や音楽が舞台芸術の主流である一方で、最大都市ヤンゴンを中心に「現代演劇」も萌芽を見せつつある(その中には、TPAM2017に参加したトゥクマ・カイーテ・シアターなど、すでに日本で紹介された団体・アーティストも存在する)。
それだけでも興味深いのだが、今回のクーデターを受けて、日本に暮らすミャンマー人たちが行う抗議活動に接する中で、ミャンマーにはこれ以外にも、脈々と生き続ける「演劇」が存在することを知った。それは、独裁体制と闘うための演劇的パフォーマンスである。
主に東京周辺に生活するミャンマー人とそれを支援する日本人による、「軍事クーデターに反対する在日ミャンマー人非暴力活動委員会」は、軍事クーデター勃発直後の2月から、多くのミャンマー人が生活する高田馬場駅前やミャンマー大使館前をはじめとする都内各地でのデモ、署名活動などを行なっている。そうした活動の中で、ミャンマー国内のデモに対する弾圧の様子を演じて見せるパフォーマンスが発生した。
パフォーマンスが最初に行われたのは、3月6日の高田馬場駅前広場での抗議活動の際である。日本政府に対して、軍事政権の承認を行わないことや、アウンサンスーチー氏らの解放への働きかけなどを求める署名が集められるとともに、ミャンマーで起きていることを視覚的に伝えるべく、寸劇が演じられた。この試みは、翌7日も同じ場所で行われ、確認できた限りではさらに14日、4月18日の池袋駅東口での活動の中でも行われた。
パフォーマンスは10分弱の短いもので、活動に参加する在日ミャンマー人15人〜20人程度が、軍人・警察官とデモ隊の役に分かれ、ミャンマー国内でのデモ弾圧の様子を演じる。台詞はいずれも簡単なもので、弾圧を行う側は恫喝の言葉、民衆は叫び声や泣き声をあげる。いずれもミャンマー語である。軍人役の人々は、玩具店で調達したおもちゃの銃や迷彩柄の服などを身につけている。参加者の中にはミャンマーの伝統衣装ロンジーを来た人の姿もある。日によっては、首に「日本記者Press」と記した札を掛けた日本人記者役が連行される場面もあったようだ。
ミャンマーの情勢に対する関心が高まる中で、弾圧の様子はテレビ等のメディアでもしばしば報じられ、インターネット上には現地の人々がスマートフォン等で撮影した非常に生々しい写真、動画も数多く流布している(軍事政権による通信の遮断が強化されて以降は、そうした情報も少なくなってしまっているが)。それでも、在日ミャンマー人たちが「演劇」という形式を用いたのはなぜだろうか。
実は、ミャンマーの民主化運動の中では以前から、こうした類いの演劇的パフォーマンスがしばしば行われてきたのだという。独裁体制に対する非暴力闘争を研究するジーン・シャープの著作『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(瀧口範子訳、ちくま学芸文庫、2012年。英語の原文はパブリック・ドメインとして公開されている)は、題名通り、独裁体制に非暴力的手段によって立ち向かうための具体的手立てを紹介している。実はこの「教科書」は、1993年に「ビルマ(ミャンマー)の傑出した亡命外交官で、当時『新時代ジャーナル(Khit Pyaing)』の編集長だった故ウー・ティン・マウン・ウィンの要請によって書かれた」ものだという(日本語版、p. 138)。そして、シャープが示す「非暴力行動198の方法」というリストの中には、「演劇や音楽会を上演する」といった項目が見られる。
この著作はミャンマーを含むさまざまな地域でシャープ自身が見聞きした非暴力的抵抗活動の実例の分析をもとに書かれており、おそらくミャンマーでも、1993年以前からこうした演劇的パフォーマンスは存在したのであろう。そのノウハウは、人から人へ、またはこうした「教科書」に記されることで、広がっていったはずである。
現在、日本に住むミャンマー人たちの中で最古参の人々は、主に1988年の民主化運動(結果として当時の最高指導者ネウィンは退陣に追い込まれたものの、今回同様、無差別の銃撃等による多数の犠牲者を出して鎮圧された)に関与して国を追われた「88世代」の面々である。彼らは祖国を遠く離れた日本で生活しつつ、民主化運動にも関わってきたが、彼らと長い付き合いのある日本人たちの記憶では、少なくとも1990年代から、民主化運動や少数民族に対する国軍の弾圧の模様を演じた寸劇が、日本国内でも民主化運動家らが集まるイベントなどの際に演じられていたという。
現在の抗議活動の先頭に立っているのは、「88世代」の人々とは違い、日本で学び、働くためにやってきた若い世代の在日ミャンマー人たちであり、演劇的パフォーマンスの参加者も彼ら若者が中心であるように見える。一方で、「88世代」の人々も若い彼らを背後から支えている(その様子は、高野秀行氏の「移民の宴 ミャンマー反クーデター編」『小説現代』2021年4月号に詳しい)。筆者自身、活動に取り組む若いミャンマー人と接して、SNS等を自在に駆使して、非常に手際良く物事を進めていく姿に感銘を受けているが、そうした若者たちが、「演劇」という古いメディアをも、おそらく先輩たちからもアドバイスを受けつつ利用しているというのも興味深い。
この著作はミャンマーを含むさまざまな地域でシャープ自身が見聞きした非暴力的抵抗活動の実例の分析をもとに書かれており、おそらくミャンマーでも、1993年以前からこうした演劇的パフォーマンスは存在したのであろう。そのノウハウは、人から人へ、またはこうした「教科書」に記されることで、広がっていったはずである。
現在、日本に住むミャンマー人たちの中で最古参の人々は、主に1988年の民主化運動(結果として当時の最高指導者ネウィンは退陣に追い込まれたものの、今回同様、無差別の銃撃等による多数の犠牲者を出して鎮圧された)に関与して国を追われた「88世代」の面々である。彼らは祖国を遠く離れた日本で生活しつつ、民主化運動にも関わってきたが、彼らと長い付き合いのある日本人たちの記憶では、少なくとも1990年代から、民主化運動や少数民族に対する国軍の弾圧の模様を演じた寸劇が、日本国内でも民主化運動家らが集まるイベントなどの際に演じられていたという。
現在の抗議活動の先頭に立っているのは、「88世代」の人々とは違い、日本で学び、働くためにやってきた若い世代の在日ミャンマー人たちであり、演劇的パフォーマンスの参加者も彼ら若者が中心であるように見える。一方で、「88世代」の人々も若い彼らを背後から支えている(その様子は、高野秀行氏の「移民の宴 ミャンマー反クーデター編」『小説現代』2021年4月号に詳しい)。筆者自身、活動に取り組む若いミャンマー人と接して、SNS等を自在に駆使して、非常に手際良く物事を進めていく姿に感銘を受けているが、そうした若者たちが、「演劇」という古いメディアをも、おそらく先輩たちからもアドバイスを受けつつ利用しているというのも興味深い。
日本にいる私たちがミャンマーの現状に対してできることはほとんどないようにも見える。しかし、さまざまなプラットフォームを通じて昨年の選挙で当選した民主派議員らから成る連邦議会代表委員会(CRPH)やおよび国民統一政府(NUG)、市民的不服従運動(CDM)に参加する公務員らを支援することが可能である。しかし、こうした金銭的援助にも増して重要なのは、ミャンマーで起きていることに関心を持ち続け、彼らの〈声〉を聞くことである。在日ミャンマー人たちは、小規模なものも含めればほぼ毎日、各地で何らかの形で抗議活動を続けている。「軍事クーデターに反対する在日ミャンマー人非暴力活動委員会」は4月25日をもって解散し、日本からCRPHを支援する「CRPH支援協会・日本(SUPPORT CRPH-JAPAN)」が新たに発足したが、同団体をはじめとする多くグループは、Facebookで活動の告知・報告を行なっている。今後も演劇的パフォーマンスが行われる機会はあるかもしれない。それを覗きに行くだけでもいい。
木ノ下は『義経千本桜』の稽古・公演期間中、ミャンマー国旗のピンバッジを身につけていたという。そうしたことだけでも、銃弾の下で怯える人たち、家族・友人の身を案じて夜も眠れない人々にとって、希望になるはずである。
私たち個人が、この世の中で起こるすべての問題に対して何らかの行動を起こすことは不可能である。しかし、ただ黙ってすべてを見過ごすわけにもいかない。清盛の「悪逆」に異議を唱える理性と勇気を持ちたい。
*本稿の執筆にあたっては、木ノ下裕一氏、本郷麻衣氏(木ノ下歌舞伎)、熊澤新氏(SUPPORT CRPH-JAPAN)、落合清司氏にご協力いただきました。感謝申し上げます。なお、木ノ下歌舞伎『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』は、2021年6月26日・27日にまつもと市民芸術館で上演予定です。
木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』
作|竹田出雲・三好松洛・並木千柳
監修・補綴|木ノ下裕一
演出|多田淳之介[東京デスロック]
出演|佐藤誠 大川潤子 立蔵葉子 夏目慎也 武谷公雄 佐山和泉 山本雅幸 三島景太 大石将弘
松本公演:2021年6月26日・27日 まつもと市民芸術館 実験劇場
一般発売:2021年5月15日[土]10:00
久留米公演:2021年7月1日 久留米シティプラザ 久留米座
一般発売:2021年5月22日[土]10:00
URL=https://kinoshita-kabuki.org
木ノ下は『義経千本桜』の稽古・公演期間中、ミャンマー国旗のピンバッジを身につけていたという。そうしたことだけでも、銃弾の下で怯える人たち、家族・友人の身を案じて夜も眠れない人々にとって、希望になるはずである。
私たち個人が、この世の中で起こるすべての問題に対して何らかの行動を起こすことは不可能である。しかし、ただ黙ってすべてを見過ごすわけにもいかない。清盛の「悪逆」に異議を唱える理性と勇気を持ちたい。
*本稿の執筆にあたっては、木ノ下裕一氏、本郷麻衣氏(木ノ下歌舞伎)、熊澤新氏(SUPPORT CRPH-JAPAN)、落合清司氏にご協力いただきました。感謝申し上げます。なお、木ノ下歌舞伎『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』は、2021年6月26日・27日にまつもと市民芸術館で上演予定です。
木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』
作|竹田出雲・三好松洛・並木千柳
監修・補綴|木ノ下裕一
演出|多田淳之介[東京デスロック]
出演|佐藤誠 大川潤子 立蔵葉子 夏目慎也 武谷公雄 佐山和泉 山本雅幸 三島景太 大石将弘
松本公演:2021年6月26日・27日 まつもと市民芸術館 実験劇場
一般発売:2021年5月15日[土]10:00
久留米公演:2021年7月1日 久留米シティプラザ 久留米座
一般発売:2021年5月22日[土]10:00
URL=https://kinoshita-kabuki.org
日置貴之
明治大学情報コミュニケーション学部准教授。幕末・明治期を中心として日本演劇の研究をしている。新聞や電信、鉄道といった文明開化期の新たな事物が登場する歌舞伎の「散切物」や、演劇における災害・戦争・病などの表象に関心がある。著書に『変貌する時代のなかの歌舞伎 幕末・明治期歌舞伎史』(笠間書院)など。明治期の戦争劇4作品を翻刻して解説を付した『明治期戦争劇集成』をオンラインで公開中(http://hdl.handle.net/10291/21580)。
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