アンビバレント・ヒップホップ(3) 誰がためにビートは鳴る|吉田雅史
初出:2016年06月10日刊行『ゲンロンβ3』
1. ビートの所有者を巡って
ヒップホップのビートは誰のものか。それが特定の楽曲を指しているのであれば、その作者のものと考えるのが妥当だろう。それではサンプリングされた音源を繋ぎ合わせて制作されたビートは、一体誰のものなのか。個々の音源には、当然、著作者の権利が付随する。それでは、それらが組み合わされたときに生まれる新たなグルーブについてはどうか。
ヒップホップにおいては、サンプリングという特異な制作方法が中心だった時代から、音源の実作者にまつわる議論が行われてきた。そして1曲の楽曲に対して、共作者という形で、複数の作者が存在することを1つの解としてきた。しかしここで同時に考えてみたいのは、そうした特殊な性質を持つヒップホップのビートやグルーブが不特定多数のリスナーに享受されるとき、それらは誰に帰属し、どのように楽しまれてきたのかという点だ。そのために、いわば「ビートの公共性」なるものに着目してみたい[★1]。
この議論には2つの目線を伴う。1つは楽曲の作者を巡って公共性を考える視点。もう1つはそれを楽しむオーディエンス側の視聴環境を考察する視点だ。
まずは作者を巡る議論から始めてみたい。
ブロックパーティから生まれたヒップホップにおいて、ブレイクビーツは誰か特定の個人のものではなかった。Incredible Bongo Bandの「アパッチ」やジェームズ・ブラウンの「Funky Drummer」のビートはDJによって何度でも反復され、オーディエンスたちは心ゆくまで踊り続け、ビートに体を預けた。ブロックパーティは不特定多数に開かれたもので、そこで楽しまれる音楽はある種の公共性を持ちえていた。
やがて70年代末よりシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」を初めとするラップミュージックがレコーディングされるようになるが、これらは従来のディスコミュージックの歌の代わりにラップを乗せたものに近かった。ここで留意しておきたいのは、これらの生バンドによるディスコミュージックは、「ラッパーズ・ディライト」が使用したChicの「Good Times」(1979年)のように、既存の曲を下敷きにしたものであったことだ。ゆえに権利関係を巡るやり取りが発生する。この曲の初期バージョンをディスコで耳にしたChicのナイル・ロジャースは、自身の著作権を主張し、最終的にナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズの2人が「ラッパーズ・ディライト」の共作者として名を連ねることとなる。この一連の出来事は、ヒップホップのコミュニティ内で共有されていたビートの「公共性」という価値観が、その外側の一般社会と接触し、その意味を問われた事象と言えるだろう。そしてそこには商業的な成功に伴い、最早アンダーグラウンドなものとして成立しえなくなったという理由もあった[★2]。その後、「ラッパーズ・ディライト」の成功もあり、数多くのアーティストにより何バージョンもの「Good Times」が変奏される。つまり「Good Times」とそのグルーブは、ある意味では公共財のような機能を果たしていたと言えよう[★3]。
そして1980年代後半に、サンプリングの季節が到来する。サンプラーという技術の結晶を手に入れたビートメイカーたちは、レコードの任意の部分を自由に繋げることができるようになる。ブロックパーティのDJによるブレイクビーツの2枚使いを、サンプラーが代替するようになるのだ。先人たちが残した、無限に近い音源で構成された遺跡(=中古レコード屋)を探索し、掘り起こしたフレーズとフレーズ、グルーブとグルーブを繋ぎ合わせる。そのようにして、異質なフレーズ同士が出会うことで生まれた数々のクラシックは、かつてフランスの詩人ロートレアモンが述べた通り、手術台の上で出会ったミシンと蝙蝠傘のように美しかった。ヒップホップを標榜するコミュニティの中では、これらの無限の音源=フレーズや、そこに宿るグルーブは、誰もが自由に引用可能な公共性を帯びていたのだ。つまり、ここではブランショやバルトの言った「作者の死」が公共性の根拠となっていると言ってもよいだろう。ビートメイカーも、リスナーも、そしてDJも、無意識的にそのような認識を共有していたのだ。
サンプラーの誕生当初はハードウェアの制約によって、サンプリングできる時間は極端に短かったが、やがて数小節にわたって原曲をそのまま引用することも可能となる。それはつまり、サンプリングソースが明確になることでもある。当初はアンダーグラウンドな営みであったヒップホップも、徐々に拡大しレコードセールスも伸びるようになり、やがて1990年代以降、権利を巡る問題に突き当たる。
有名なビズ・マーキーの「Alone Again」訴訟問題。この曲は彼のトレードマークであるユーモアを最大限に発揮したものであったが、ギルバート・オサリバンの楽曲をそのままサンプリングした、ほぼ完全な替え歌だったのだ。権利問題をクリアにしないまま発売された同曲が収録されたアルバムは店頭から回収される騒ぎとなり、ビズ・マーキー側は敗訴する。
この騒動を経て、ブレイクビーツやサンプリングネタの公共性は問われることとなる。それらを楽曲に使用してリリースするには、権利をクリアにし、非常に高額になることもある使用料を支払うことが求められる。それゆえ、クリアランスを取得できずお蔵入りする楽曲も多くなる。ヒップホップのコミュニティ内で共有されている「作者の死」という価値観は、マネタイズを介して外部の社会と出会うこととなったが、端的にそこでは通用しない。
しかし一部のプロデューサーたちは、自身のスキルによって、活路を見出す。その1つは、チョップやフリッピングと呼ばれるテクニックである。あるフレーズをサンプリングした上で、細かくチョップ=切り刻み、順番を変えたり、ピッチの高さを変化させることで、サンプリングソースの輪郭は見えなくなるのだ。この技法は、当初は権利問題回避が1つの目的であったこともあるが、その後クリエイティブな制作手法として確立される。
公共性を失ったブレイクビーツ/ネタたちを変形させ匿名化することで、自身の署名を施すこと。最早サンプリングソースを特定されてしまうような直接的な使用は困難であるという制約によって、ビートの制作方法は多様化し、飛躍的な進化を遂げる。ビートメイカーたちは、上述のフリップのように、サンプリングソースを匿名化する手法を模索する一方で、ドクター・ドレイの『The Chronic』以降のGファンクに顕著なように、フレーズをサンプリングするのではなく演奏し直したり、あるいはスウィズ・ビーツやネプチューンズのように、サンプラーを捨ててドラムマシンやシンセサイザー内蔵音源中心のビート制作に注力するようになる。
そのようにして制作されたビートたちもまた、単にビートメイカーの所有物ではないように見える。どういうことか。ヒップホップの楽曲は12インチレコードで流通した。それ以前から、シングルカットされたディスコやレゲエのレコードのBサイドを埋めるのは、歌の入っていない、いわゆるインストゥルメンタルバージョンやダブミックスが多かった。そしてヒップホップにおいても、ラップ抜きのインストバージョンが確立される。そのビートの上で、無数のMCやダンサーたちが、フリースタイルでスキルを競い合うこととなるのだ。またしばしばビートジャックと呼ばれるように、自身のライムを該当のビートの上でレコーディングし、自身の名を署名した楽曲として発表してしまうこともある。このようにしてビートを使われた側も、アンダーグラウンドな営みであれば基本的には無断の使用が咎められることはない。そのビートメイカーがプロップス(評価)を得ることにも繋がるし、何よりもグルーブとは公共財であり、ヒップホップコミュニティ全体に帰属するものだという考え方が根底にあるからだ[★4]。
有名なビズ・マーキーの「Alone Again」訴訟問題。この曲は彼のトレードマークであるユーモアを最大限に発揮したものであったが、ギルバート・オサリバンの楽曲をそのままサンプリングした、ほぼ完全な替え歌だったのだ。権利問題をクリアにしないまま発売された同曲が収録されたアルバムは店頭から回収される騒ぎとなり、ビズ・マーキー側は敗訴する。
この騒動を経て、ブレイクビーツやサンプリングネタの公共性は問われることとなる。それらを楽曲に使用してリリースするには、権利をクリアにし、非常に高額になることもある使用料を支払うことが求められる。それゆえ、クリアランスを取得できずお蔵入りする楽曲も多くなる。ヒップホップのコミュニティ内で共有されている「作者の死」という価値観は、マネタイズを介して外部の社会と出会うこととなったが、端的にそこでは通用しない。
しかし一部のプロデューサーたちは、自身のスキルによって、活路を見出す。その1つは、チョップやフリッピングと呼ばれるテクニックである。あるフレーズをサンプリングした上で、細かくチョップ=切り刻み、順番を変えたり、ピッチの高さを変化させることで、サンプリングソースの輪郭は見えなくなるのだ。この技法は、当初は権利問題回避が1つの目的であったこともあるが、その後クリエイティブな制作手法として確立される。
公共性を失ったブレイクビーツ/ネタたちを変形させ匿名化することで、自身の署名を施すこと。最早サンプリングソースを特定されてしまうような直接的な使用は困難であるという制約によって、ビートの制作方法は多様化し、飛躍的な進化を遂げる。ビートメイカーたちは、上述のフリップのように、サンプリングソースを匿名化する手法を模索する一方で、ドクター・ドレイの『The Chronic』以降のGファンクに顕著なように、フレーズをサンプリングするのではなく演奏し直したり、あるいはスウィズ・ビーツやネプチューンズのように、サンプラーを捨ててドラムマシンやシンセサイザー内蔵音源中心のビート制作に注力するようになる。
そのようにして制作されたビートたちもまた、単にビートメイカーの所有物ではないように見える。どういうことか。ヒップホップの楽曲は12インチレコードで流通した。それ以前から、シングルカットされたディスコやレゲエのレコードのBサイドを埋めるのは、歌の入っていない、いわゆるインストゥルメンタルバージョンやダブミックスが多かった。そしてヒップホップにおいても、ラップ抜きのインストバージョンが確立される。そのビートの上で、無数のMCやダンサーたちが、フリースタイルでスキルを競い合うこととなるのだ。またしばしばビートジャックと呼ばれるように、自身のライムを該当のビートの上でレコーディングし、自身の名を署名した楽曲として発表してしまうこともある。このようにしてビートを使われた側も、アンダーグラウンドな営みであれば基本的には無断の使用が咎められることはない。そのビートメイカーがプロップス(評価)を得ることにも繋がるし、何よりもグルーブとは公共財であり、ヒップホップコミュニティ全体に帰属するものだという考え方が根底にあるからだ[★4]。
2. ブーンボックスがもたらす公共のビート
次に、リスナーの聴取環境を巡る議論へ入りたい。この論点においても同じように、ヒップホップの黎明期のブロックパーティを考えることから始めよう。リスナーはDJがプレイする楽曲を公共的なブロックパーティで享受し、ダンスに興じた。そしてその延長のクラブで、ラジオで、DJたちが選曲しエンドレスに繋ぎ合わせるグルーブの群れに浸るのがヒップホップの楽しみ方の中心であった。であるならば、リスナーたちはDJの選択に、受動的に従う側面を持っていると言えるだろう。The World's Famous Supreme Team「Hey DJ」を始めとする多くの楽曲でDJの重要性が歌われているし、NasからDEV LARGEまで多くのMCたちのリリックや発言から、当時のラジオプログラムが絶対的存在であったことが窺える[★5]。1935年にマーチン・ブロックがクライド・マッコイの曲をラジオプレイして以来、DJたちは常にグルーブの新しい地平を示し、私たちを旅に連れて行ってくれるのだ[★6]。
さらに1970年代後半以降にはカセットテープが普及していたという背景もあり、「ミックステープ」が流通し始める。これは、様々な既存の楽曲を、文字通りDJがミックスしたテープであり、ラジオプログラムをそのまま収録したようなものから、サンプリングのネタを次々と開陳するものや、DJのターンテーブルスキルを見せつける趣旨のものまで、DJたちがそれぞれに趣向を凝らした様々なタイプのものが生まれた。特にヒップホップやレゲエに特有の文化であり、メディアである。ヘッズと呼ばれるコアなヒップホップファンたちは、自身でもミックステープを作るようになり、それらを個人的に楽しむだけでなく、仲間内で共有するようにもなる。
そして一時期のヒップホップ特有の現象として、ブーンボックスと呼ばれる、比較的サイズの大きなラジカセの存在が挙げられる。派手なペインティングを施したラジカセを肩に担ぎ、大音量でミックステープやラジオプログラムをプレイしながら街中を闊歩する。周囲の人々はそれに合わせて踊ったり、フリースタイルをキックすることも可能であるのだから、これはブロックパーティの延長線上に位置する現象とも言えるだろう。いわば、簡易型、移動型のブロックパーティ。ここでもキーワードはやはり、公共性である。
公共財であるグルーブをリスナーが享受するとき、そこには仲介者としてのDJが君臨していた。国家と個人の公共性を巡る議論を、NPOなどの団体が仲介するように。彼らがクラブやラジオプログラムで不特定多数のリスナーにグルーブを発信し、受け手はさらにそれをブーンボックスなどによりコミュニティ内で共有することで、グルーブの公共性は担保されていたのだ。
しかし徐々に、状況は変わりゆく。それに伴い、グルーブの公共性も変容を迫られることとなる。
吉田雅史
1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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