アンビバレント・ヒップホップ(番外篇)「後ろめたさ」のフロウ──鬼と小名浜の距離|吉田雅史

初出:2016年11月11日刊行『ゲンロンβ8』
1.2016年7月
2016年7月26日、小松理虔氏と僕はゲンロンカフェにて対談イベントの機会を持った。イベントタイトルは「『言葉』は日本の『リアル』を刷新できるか──ラップ、福島、ツーリズム」[★1]。僕たちは3.11を扱ったいくつかの日本語ラップ曲を取り上げ、ヒップホップだからこそ可能となっている表現に着目した。さらには、震災時に文学が直面した問題に対し、日本語ラップはいかに応答したかについて考察した。すなわち、当事者性をどのように取り扱うかという問題だ。
議論の中で、僕は「後ろめたさ」というキーワードを提出した。それこそが、ある意味で日本語ラップの発展に一役買っているのではないかというのが、僕の主張だった。ネガティヴな響きを持つ「後ろめたさ」が、実はポジティヴな駆動力ともなっているとしたら。ヒップホップという文化の輸入者である日本人が、その重要な要素の1つであるオリジナリティを標榜することの、後ろめたさ。ゲットーも不幸な出自も持たずに、「リアル」を掲げることの後ろめたさ。「黒いノリ」を追求する後ろめたさ。当事者でないのにそれを語ることの、後ろめたさ。
そして、MCたちの言葉が何なのかを理解するための補助線として、「三層モデル」を導入した。すなわち、MCたちがラップするときの自身の在りか=目線を、どこに定めるかという問題だ。第一層は「実存」、第二層は「キャラクター」、第三層は「第三者」の視点がリリックに表れるというものだ。第二層の「キャラクター」についての議論は、『ユリイカ』の日本語ラップ特集に掲載された岩下朋世氏の論考「『リアル』になる」[★2]に詳しいが、通常MCは第二層のキャラクターとしての自身をレペゼンする。MCは楽曲において、まず何よりも、第二層の自身を自己紹介するのだ。そしてその延長線上に世界観を構築し、物語を紡いでゆく。しかしそれがあまりにも肥大化することで、第三層の可能性、つまり当事者でない第三者として対象について歌う想像力が損なわれているのではないか。
小松氏の数ある文章の中でも、特に印象深い一篇がある。『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』[★3]収録の「取り戻すべきコモディティの誇り」と題された、泉駅と小名浜を巡るその論考は、鬼の「小名浜」のパンチラインで幕を開ける。「旅打ちはまるで小名浜のカモメ/行ったり来たりが歩幅なのかもね」という極めて印象深いライム。この曲こそが、僕と小松氏を本当の意味で引き合わせてくれた。人は、ある対象への賛辞を共有できる他者と、無条件に分かり合った気になってしまうものだ。僕たちはイベントでもこの楽曲を取り上げ、リリックや曲構成の特異性について議論した。
僕は小名浜を訪問することにした。そこへ行けば、日本語ラップ史の中でも異彩を放つこのようなラインが生まれた理由が、少しでも明らかになるかもしれない。そう思ったからだ。
2.2016年10月
前日、宿を取ったいわき駅から常磐線で上り方面に3つ、泉駅に到着する。改札を抜け、駅舎の2階の窓から海側の景色に目を向ける。数日間続いた曇天の後、久々に拝む空の蒼さ。そして住宅地の向こう側に見えるのは、上空へと上る煙突からの煙と、その垂直性に抗うように水平に伸びる工場群の陰影。「小名浜」のミュージックビデオの冒頭シーン[★4]を思い出しつつ、ピックアップしにやって来た小松氏の車に乗り込む。サングラス姿の小松氏の表情は、彼の地元にいるせいなのか、東京でのそれとは少し違って見える。
車は一路工業地帯へ。産業道路である常磐バイパスを南西に走ると、工場地帯が姿を現す。巨大なコンビナート。堆く積まれた石炭の山。スチームパンクの世界に描かれるような、錆び付いたパイプが張り巡らされた工場。小名浜のミッドガル[★5]。視界のサイズ認識機能が変調をきたすのを感じる。日曜日ということもあり、人の気配が全く感じられない。無人の圧力。しかし煙突からは、確かに煙が噴き出している。小松氏は、前述の論考の中で「首都圏の『快適』や『便利』のために二四時間稼働をやめない工場群」と記している。これらの工場群は、南に位置する首都圏のために、東京のために稼働し続けている。
工場地帯の西に位置する金山公園の展望台に上り、コンビナート群を見下ろす。立ち上る煙の群れを眺めながら、小松氏は語ってくれた。自身の生立ち、経験に根差した、小名浜のリアリティを。2つある小名浜地区の中学校のこと。平地区との違い。ヤンキーが出会う音楽。ヒップホップ。しっくりくるのはウエストコーストのギャングスタスタイル。


再び車に乗り込み、今度は北に進路を取る。やがて景色は一変する。潮の香り。工場地帯は形を潜め、海岸沿いの港町へ。小名浜地区は、南北の差異を包含している。南は工業、北は漁業で成り立つ街。
日本においては、東京の、特に渋谷を中心に立ち上がったヒップホップ文化は、90年代後半から、その地域性を無視しては語れないものとなった。つまり東京へのカウンターとして、北海道、仙台、名古屋、福岡などの地域が多彩な才能を生み、渋谷に対する新宿が重要なトポスを形成した。アメリカでは、当初ニューヨークに端を発したこの文化は、ロサンゼルスの全く異なる様式、価値観の下で巨大に成長し、やがてアトランタやヒューストン、ニューオリンズなどのサウスサイドが覇権を握る。つまりヒップホップは、南北を孕み、南北に駆動されてきた。もちろん、南北は相対的だ。南は更なる南を含み、北は南なくしては居場所を失う。
小名浜において、その南北の切断面として、あるいは接続点として、地区の中心に位置するのはソープランド街だ。20軒近くの店舗が犇めく一画。店の前で腕組みをする、強面の客引きたちの眼力。しかし同時にそこに宿る、どこかあっけらかんとした表情。なにしろ、小名浜地区を代表するホテルの1つも隣接するなど、ここは隔離された特別な区画というわけではない。ソープ街の風景は、この土地に根差している。彼らの表情に、たとえば「後ろめたさ」を読み取ろうとするのは、如何にも外側の人間の発想に思われた。
一方、彼らを車の中から、敢えてネガティヴに言えば「見物」する僕の視線には、ある種の「後ろめたさ」が滲んでいたかもしれない。もともとアメリカでのラップ・ミュージックの商業的成功も、穿った見方をするならこのような「見物」の上に成り立っているところがある。当事者のゲットー出身の黒人ラッパーに対して、白人の中流層以上のリスナーを想定したとき、そこにはある種の欲望の存在が見え隠れする。壁の向こうの知りえない世界を「見物」することへの欲望。鬼やMC漢の所属するMSCのアルバムのリスニング体験も、そのような欲望を喚起するものではないか。ドキュメンタリー映画や小説、ルポを鑑賞するときの、それのように。
しかしドキュメンタリーのように当事者が被写体になることと、ラップ・ミュージックのように当事者が自らを作品として提示することの間には大きな隔たりがある。たとえばMC漢は『ヒップホップ・ドリーム』(2015年)の中で、劇映画と自身のリリックの世界を比較し「みなさんもギャング映画やヤクザ映画がお好きでしょう。それと同じ感覚でMC漢のギャングスタ・ラップを楽しんでください」と述べている[★6]。MCが「見物」を受け止めるのは、あくまでも前述の三層モデルの第二層、「キャラクター」としてである。
「小名浜」を聴いた僕たちが、それを一種のドキュメンタリーのように捉えたくなる理由の1つ。それは固有名の説得性だ。鬼が挙げる、多くの地名や人名、出来事などの固有名。その固有名の持ち主には、存命の者たちもいれば、そうでない者たちもいる。それらのリリックは、とてもパーソナルなものだ。パーソナルなものだからこそ、外側の人間たちは、その内側を覗きたくなる。つまり、それらはパーソナルなものだからこそ、逆に開かれていると言える。鬼は作品内に、それらの名を刻んだ。ある種の追悼のようにして。あるいは、スペシャル・サンクスのようにして。それらを自身の作品の一部とすること。その後ろめたさは、彼のペン先を鈍らせただろうか。
日本においては、東京の、特に渋谷を中心に立ち上がったヒップホップ文化は、90年代後半から、その地域性を無視しては語れないものとなった。つまり東京へのカウンターとして、北海道、仙台、名古屋、福岡などの地域が多彩な才能を生み、渋谷に対する新宿が重要なトポスを形成した。アメリカでは、当初ニューヨークに端を発したこの文化は、ロサンゼルスの全く異なる様式、価値観の下で巨大に成長し、やがてアトランタやヒューストン、ニューオリンズなどのサウスサイドが覇権を握る。つまりヒップホップは、南北を孕み、南北に駆動されてきた。もちろん、南北は相対的だ。南は更なる南を含み、北は南なくしては居場所を失う。
小名浜において、その南北の切断面として、あるいは接続点として、地区の中心に位置するのはソープランド街だ。20軒近くの店舗が犇めく一画。店の前で腕組みをする、強面の客引きたちの眼力。しかし同時にそこに宿る、どこかあっけらかんとした表情。なにしろ、小名浜地区を代表するホテルの1つも隣接するなど、ここは隔離された特別な区画というわけではない。ソープ街の風景は、この土地に根差している。彼らの表情に、たとえば「後ろめたさ」を読み取ろうとするのは、如何にも外側の人間の発想に思われた。
一方、彼らを車の中から、敢えてネガティヴに言えば「見物」する僕の視線には、ある種の「後ろめたさ」が滲んでいたかもしれない。もともとアメリカでのラップ・ミュージックの商業的成功も、穿った見方をするならこのような「見物」の上に成り立っているところがある。当事者のゲットー出身の黒人ラッパーに対して、白人の中流層以上のリスナーを想定したとき、そこにはある種の欲望の存在が見え隠れする。壁の向こうの知りえない世界を「見物」することへの欲望。鬼やMC漢の所属するMSCのアルバムのリスニング体験も、そのような欲望を喚起するものではないか。ドキュメンタリー映画や小説、ルポを鑑賞するときの、それのように。
しかしドキュメンタリーのように当事者が被写体になることと、ラップ・ミュージックのように当事者が自らを作品として提示することの間には大きな隔たりがある。たとえばMC漢は『ヒップホップ・ドリーム』(2015年)の中で、劇映画と自身のリリックの世界を比較し「みなさんもギャング映画やヤクザ映画がお好きでしょう。それと同じ感覚でMC漢のギャングスタ・ラップを楽しんでください」と述べている[★6]。MCが「見物」を受け止めるのは、あくまでも前述の三層モデルの第二層、「キャラクター」としてである。
「小名浜」を聴いた僕たちが、それを一種のドキュメンタリーのように捉えたくなる理由の1つ。それは固有名の説得性だ。鬼が挙げる、多くの地名や人名、出来事などの固有名。その固有名の持ち主には、存命の者たちもいれば、そうでない者たちもいる。それらのリリックは、とてもパーソナルなものだ。パーソナルなものだからこそ、外側の人間たちは、その内側を覗きたくなる。つまり、それらはパーソナルなものだからこそ、逆に開かれていると言える。鬼は作品内に、それらの名を刻んだ。ある種の追悼のようにして。あるいは、スペシャル・サンクスのようにして。それらを自身の作品の一部とすること。その後ろめたさは、彼のペン先を鈍らせただろうか。
3.1978年某月
1978年生まれの鬼。彼のアーティストとしての特異性とは何だろうか。そして「小名浜」という楽曲の特異性とは。
一般にMCのラップスキルは、ライム、フロウ、デリバリーの3つで評価されると言われる。これらはそれぞれ、どのように韻を踏むか、どのようにリズムに乗せるか、どのような言葉をチョイスするか、と言い換えられる。つまり、ライムとデリバリーはリリックの問題であり、フロウはリズムと音楽性の問題である。
では「小名浜」をはじめとした鬼の楽曲の特異性を、リリックとフロウの2つの側面から見てみよう。まずはリリック面。彼のリリックは、端的に、文学的である。もちろん、全てのMCのライムは、程度の差こそあれ、ある種の文学性を宿しているとも言えるだろう。そして、ラップ・ミュージックのリリックを単に文学と比較する態度には、留意が必要だ。なぜなら僕たちは、意識的/無意識的かを問わず、文学の側に権威的な価値を認めた上で、ラップのリリックにも同様の価値を見出そうとしがちだからだ。しかしラップは、従来の文学では捉えることが困難な価値を孕んでいる。それを見定めることが、ラップの言葉を批評する意義の1つに違いない。
そのような前提の上に立ってもなお、鬼のそれは、明らかな純文学の影響下にあると言いたくなる。そしてその1つの源泉は、中学時代に更生院で出会った五木寛之『青年は荒野をめざす』に始まる読書経験にあるだろう。具体的な作品名としては、たとえば鬼のファーストアルバムである『獄窓』(2009年)収録の「甘い思い出」で言及されている、吉川英治の『親鸞』などがある。
その他にも、鬼に少なからず影響を与えている2人の作家がいる。曲中で具体的な作品名に言及されることはないが、何度かインタビューでその名前が触れられる2人。太宰治と、勝目梓である。
まず見ておきたいのは、太宰からの影響だ。吉本隆明は、太宰が自らについて、「小説の読者にサービスしている」と言及していることに触れ、太宰の小説に潜むサービス精神について指摘している[★7]。「生のまま」でなく、物語として聞かせようというサービス精神。さらに吉本は、前述の太宰の文章を受け、作家であれ批評家であれ、読者に対して、売文をしている意識があるかないかで大きな違いがあると説いた。普通の生活から逸れて、つまらないことを言って日銭を稼いでいるという「後ろめたさ」があるか。その「旅芸人」の精神こそが作家の最低限のモラルであるという。
鬼は新宿でホストをしていた頃、何もしゃべらない無言の客に遭遇することがあったそうだ。そしてそれも仕事だと思い、ひたすら壁に向かうように、何時間も1人でしゃべり続けたという。言葉を吐き続けること。そしてそれを売り続けること。それを生きる糧とすること。
さらに言えば、吉本が「旅芸人」の精神と呼んだ心意気をも、鬼は有していた。「旅打ちはまるで小名浜のカモメ」の「旅打ち」とは、賭博をしながら土地を流れてゆくことだ。「フーテン」と呼ばれることもあったほど、ある時期まで福島、東京、新潟、仙台、京都、三重、千葉を転々としていた鬼。その理由は「どこにいてもつまらなくなってしまう」からだという。
その経験が、居場所を定めずに言葉=ライムを売るMCとしての自意識にも反映されている。ラップ・ミュージックにおいて問われるリリックの「リアル」は、加工を施さない「生のまま」であることが称揚される。『獄窓』収録曲だけでなく、全曲に女性MCやシンガーをフィーチャーして制作された『蛾』(2012年)や『嗚咽』(2011年)の楽曲群の筆致には、明らかに、リスナーに物語として提示する構えが企図されているように見える。
そして2人目の影響源である勝目梓。勝目は芥川賞や直木賞の候補ともなったいくつかの純文学作品に取り組んだ後、娯楽小説家に転身する。その理由は、当時同人として参加していた『文藝首都』に加わってきた若干19歳の中上健次と、その後親しく付き合うようになる森敦の才能を目の当たりにしたからだという。しかし、ひと月に1000枚以上の原稿を書き続け、これまでに300冊以上の著作を残してきたヴァイタリティこそ、勝目の才能ではないか。『鬼畜』『鬼影』『鬼刃』や『鬼聲』など「鬼」が含まれるタイトルを持つ作品も多い彼のスタイルは、徹底的にエロスとヴァイオレンスに振り切られたものだ。しかしその文体には、転身後の勝目になお潜む文学への拘りが滲み出ている。それが、鬼自身の経験を反映したと思しきリリックの、時にえげつないエロスの描写に、少なからず影響を与えてはいないか。
もう1つ、忘れてはならないことがある。「小名浜」が収録された鬼一家名義のアルバムのタイトルである『赤落』(2008年)[★8]。それは刑務所に入ることを指す隠語である。「小名浜」や、『獄窓』収録曲のリリックの大部分は、獄中で書かれた。獄中の文学でもある。
『獄窓』の収録曲の1つである「精神病質」に「目を閉じまぶたに浮かぶ過去/なぞる罪に虫酸と情欲/繋がる謎/沈む性と慟哭/闇夜を知らぬ牢獄」というライムがある。鬼にとっての牢獄が「闇夜を知らぬ」場所であるとはどういうことだろうか。
獄中の文学と聞けば、早い時間の消灯後、闇夜の中、眠れずに思考を巡らせる作家たちの姿がイメージされるかもしれない。たとえば埴谷雄高は、午後7時に消灯を迎える豊多摩刑務所の壁を前にして、不眠症に悩まされながらも、とにかく思考実験を繰り返した。彼の代表作である『死霊』の主人公である、三輪家の4兄弟の思想のプロトタイプも、この獄中の思考実験から生まれた。埴谷はただ考えることが喜びとなり「刑務所から出るのがいやになった」ほどだという[★9]。
また、鬼によるTHA BLUE HERB のBOSS The MCへのディス曲である「ばちこい」ではBOSSの「BOSSISM」の中の有名なラインである「ラッパ-は光/言葉は影」を、光と影の立場は反対だと否定する。獄中に在って、鬼の頭の中に常に渦巻いていたのは「光としての言葉」だった。つまり鬼も埴谷のように、獄中の闇夜で、騒めく思考=言葉に照らされ続けたのではないか。Nasのように眠りを知らず、言葉で過去を反芻し続けたのではないか[★10]。その意味で、本当の闇夜=思考の沈黙が訪れることはなかったのではないか。だからこそ、彼は牢獄に闇夜のイメージを持たず、「闇夜を知らぬ牢獄」とライムした。そう理解できないだろうか。
鬼のリリックは、何よりも、そのように照らしつける言葉として、彼の作品群を貫いている。
その経験が、居場所を定めずに言葉=ライムを売るMCとしての自意識にも反映されている。ラップ・ミュージックにおいて問われるリリックの「リアル」は、加工を施さない「生のまま」であることが称揚される。『獄窓』収録曲だけでなく、全曲に女性MCやシンガーをフィーチャーして制作された『蛾』(2012年)や『嗚咽』(2011年)の楽曲群の筆致には、明らかに、リスナーに物語として提示する構えが企図されているように見える。
そして2人目の影響源である勝目梓。勝目は芥川賞や直木賞の候補ともなったいくつかの純文学作品に取り組んだ後、娯楽小説家に転身する。その理由は、当時同人として参加していた『文藝首都』に加わってきた若干19歳の中上健次と、その後親しく付き合うようになる森敦の才能を目の当たりにしたからだという。しかし、ひと月に1000枚以上の原稿を書き続け、これまでに300冊以上の著作を残してきたヴァイタリティこそ、勝目の才能ではないか。『鬼畜』『鬼影』『鬼刃』や『鬼聲』など「鬼」が含まれるタイトルを持つ作品も多い彼のスタイルは、徹底的にエロスとヴァイオレンスに振り切られたものだ。しかしその文体には、転身後の勝目になお潜む文学への拘りが滲み出ている。それが、鬼自身の経験を反映したと思しきリリックの、時にえげつないエロスの描写に、少なからず影響を与えてはいないか。
もう1つ、忘れてはならないことがある。「小名浜」が収録された鬼一家名義のアルバムのタイトルである『赤落』(2008年)[★8]。それは刑務所に入ることを指す隠語である。「小名浜」や、『獄窓』収録曲のリリックの大部分は、獄中で書かれた。獄中の文学でもある。
『獄窓』の収録曲の1つである「精神病質」に「目を閉じまぶたに浮かぶ過去/なぞる罪に虫酸と情欲/繋がる謎/沈む性と慟哭/闇夜を知らぬ牢獄」というライムがある。鬼にとっての牢獄が「闇夜を知らぬ」場所であるとはどういうことだろうか。
獄中の文学と聞けば、早い時間の消灯後、闇夜の中、眠れずに思考を巡らせる作家たちの姿がイメージされるかもしれない。たとえば埴谷雄高は、午後7時に消灯を迎える豊多摩刑務所の壁を前にして、不眠症に悩まされながらも、とにかく思考実験を繰り返した。彼の代表作である『死霊』の主人公である、三輪家の4兄弟の思想のプロトタイプも、この獄中の思考実験から生まれた。埴谷はただ考えることが喜びとなり「刑務所から出るのがいやになった」ほどだという[★9]。
また、鬼によるTHA BLUE HERB のBOSS The MCへのディス曲である「ばちこい」ではBOSSの「BOSSISM」の中の有名なラインである「ラッパ-は光/言葉は影」を、光と影の立場は反対だと否定する。獄中に在って、鬼の頭の中に常に渦巻いていたのは「光としての言葉」だった。つまり鬼も埴谷のように、獄中の闇夜で、騒めく思考=言葉に照らされ続けたのではないか。Nasのように眠りを知らず、言葉で過去を反芻し続けたのではないか[★10]。その意味で、本当の闇夜=思考の沈黙が訪れることはなかったのではないか。だからこそ、彼は牢獄に闇夜のイメージを持たず、「闇夜を知らぬ牢獄」とライムした。そう理解できないだろうか。
鬼のリリックは、何よりも、そのように照らしつける言葉として、彼の作品群を貫いている。
4.2008年10月
次に、鬼のフロウ面の特異性に着目したい。『赤落』収録の「小名浜」は端的に、非常に音楽的だ。ここにはメロディがあり、コードがある。その原因の一端は、I-DeA(アイデア)のビートにある。エレピに牽引される、2小節単位でループされるコード進行。鬼が「ビートに書かされた」と言及しているように、このビートの音楽性の高さは誰もが頷くところだろう。そして鬼のライム。フックで聞かれる、所謂「歌」の部分。シンギングラップと呼ばれる、R&B/ソウルの歌とラップを組み合わせたスタイルとは異なり、鬼はあくまでもMCとして、このフックを歌っている。
ピッチが合っている、つまり、ビートに対して正しい音程でライムしている。それは昔から指摘されている、良いMCの条件の1つだ。バンドでヴォーカルを務めた経験もある鬼は、この条件を楽々クリアしている。それは『獄窓』のオープニングを飾る「いきがり」の冒頭や、ドラマーのDr. Kakinuma、ベーシストのBassTOMと結成したトリオ「ピンゾロ」のアルバム『P.P.P.』を聴けば明らかだ。ときにジャズのスキャット風のラインも披露する彼は、安易にアメリカのそれをなぞるのではなく、日本語での表現を追求している。アメリカの音楽を参照しつつも独自の進化を遂げた昭和歌謡の延長線を描くように。
「小名浜」には、小名浜のネガティヴな側面を映し出すような表現が散見される。しかし小松氏によれば、地元では好意的に受け入れられているという。カラオケでかかれば、フックの部分を老若男女が皆で歌うとも。鬼の音楽的なルーツはどこにあるのか。彼は、初めて針を落とした曲は上田正樹の「悲しい色やね」だと答えている。「小名浜」の引力のあるフックには、この昭和歌謡からの影響が多分にあるのではないか。
そして、鬼が音楽面で受けたもう1つの影響。それは15~16歳の頃に「MTV」で見た、P・ディディやメアリー・J・ブライジのパフォーマンスだという。バンドの生演奏をバックにスピットされるラップを聞いて、彼は「あ、できそう」と思ったという[★11]。
それらは、生まれた時代も違えば、場所も違う。全く毛色の異なる、2つの影響源。
これらの影響源を持つことの当然の帰結として、彼は、ラップは音楽的でなければならないと言う。「いきがり」の中の「ド肝抜くファンクスター/なんか文句あんすか」というライムに表れているように、それはファンクでもある。そして、同曲の「中途半端じゃ死んだツレも踊らん/盆のじゃんがら並に止まらん馬鹿」というライムに表れているように、じゃんがらは、彼にとってのファンクと言えるものかもしれない。
地元をレペゼンするワードとして彼がピックアップした「じゃんがら」。これは鬼にとってどんな意味を持つのだろう。現在のじゃんがらは、「ぶっつけ」「道中太鼓」「歌(手踊り)」という3つの要素から成る。しかし、いわき文化や民俗研究者の夏井芳徳が著書の『ぢゃんがらの国』[★12]で指摘している、興味深い考察がある。彼によれば、じゃんがらがいわきに伝えられた当初は、「歌」のパートは存在しなかったという。つまり、それは、いわきの人々によって付け加えられたのだ。
まずは「ぶっつけ」と「道中太鼓」が、江戸時代前期に江戸から、つまりいわきの南から伝えられた。「歌」は、江戸後期に北から伝えられたのだと、夏井は指摘している。つまり、別の時期に別の場所から伝えられたこれらの要素を、いわきの人々が組み合わせ、現在のじゃんがらが形作られたと言える。じゃんがらとは、南北の混合体なのだ。
鬼という音楽家、そして「小名浜」という楽曲の形成も、これに似たプロセスを経ている。つまり「過去のルーツ=南」からの昭和歌謡と、鬼が目指す視線の先の「目標地点=北」に位置するヒップホップ/R&Bの洗礼(中学生の鬼に多大な影響を与えた五木寛之『青年は荒野をめざす』の主人公、ジュンが目指した「荒野」もまた、ロシアであり、北欧だった)。この両者の混合体が、鬼のスタイルを象ってはいないか。
鬼には、確かにその血が流れている。じゃんがらに「歌」を引き合わせた、いわきという土地の血が。
その影響源を探ることで見えてくる、鬼の特異性。一般的に、MCがリリックとフロウのクオリティを考えるとき、どうしても前者はライムに、後者はリズムに重きを置きがちだ。しかしこれまで見てきたように、鬼は、リリックにおいては「文体」に、フロウにおいては「音程」において際立っている。であるからこそ、その立ち位置を唯一無二のものとしているのだと言えるだろう。そして「俺は引用はしない」と明言し、引用=サンプリングを重用するヒップホップ・マナーに対して、あくまでも自分の言葉だけで語ろうとする姿勢。その姿勢もまた、彼の特異な心意気を、象徴している。
5. 1946年2月
彼は、例のいまひとりの炊事兵と一緒の部屋で、何年このかたはじめて比較的ひっそりと生活することができた。港町は、美しかった。
(ノーマン・メイラー「兵士たちの言葉」)[★13]
ここでもう一度、「小名浜」のサビのラインに戻ろう。「小名浜の汽笛を背に受け、都へ向かえ」と歌われる、汽笛が響く、美しき港町。短い期間だが、1946年の2月から3月にかけて、この港町に滞在した1人のアメリカ人作家がいた。ピューリッツァー賞受賞作家のノーマン・メイラーだ。太平洋戦争に従軍したメイラーは、その経験を元に『裸者と死者』などの小説を著した。戦後、進駐軍の一員として銚子に滞在した後、わずか2ヶ月ながら、炊事兵となって小名浜に滞在した。河出書房新社版『アメリカの夢』の訳者の山西英一による解説では、「小名浜の美しい海岸の印象は、いまもかれの心に鮮やかに焼きつけられていて、しきりに懐かしがっている」と言及されている[★14]。小松氏は、都会から小名浜を訪ねてくる人々が持つ「美しい港町」のイメージは一部にすぎないことを見せるため、いつも街の案内時には工場地帯をドライブするという。メイラーのこの記憶も、いわば美化されたものだったのだろうか。

アルコール中毒を患い、妻をナイフで刺し、精神病院に収監されたこともあるメイラー。彼は、「精神病者」と「精神異常者」の違いについて論じている。メイラーによれば、精神異常者は、自己の欲求不満の怒りを肉体的行為として吐き出すことができない。一方の精神病者は、暴力的行為を平然と行うリスクを抱えている。メイラーは精神鑑定を受けた際、自分があくまでも正気を失っていない「精神病者」だと主張した。さもなければ、自身のこれまでの著作や発言は全て「精神異常者」の戯言と化してしまうからだ。[★15]
実は、鬼の楽曲の中にも、自己の「精神病者」としての側面について歌ったものがある。『獄窓』収録曲の「精神病質」。このアルバムの中で唯一、昔話や記憶ではなく、「いま」の状況を取り上げた曲だという。彼がこの曲で示しているものとは一体何だったのだろうか。
「目を閉じまぶたに浮かぶ過去/なぞる罪に虫酸と情欲/繋がる謎」という、先ほども取り上げたライン。彼は過去の罪に対し、虫酸が走る思いがあると同時に、そこに情欲を抱いてもいる。その「情欲」とは、過去を特別視しようとする欲望であろう。そして彼は「過去を美化できるだけご立派/いびつな折り合いと辻褄」と歌い、それを「美化」してしまうような態度を批判している。
確かに鬼は自ら「精神病質」=「精神異常者」だと歌っており、彼が置かれていたのは病的な状況だったかもしれない。しかし鬼の罪は、現在の「正気」からは思いも至らないような状況で犯されたものではない。つまり鬼は、メイラーの基準で言えば「精神病者」にあたる。鬼にとって、当時の状況を理解できない「異常」なものとして捉えることは、「美化」することと同意である。そして彼は、自分自身も含めた「傷口を見せ合う愚かさ」に気付かず「腹の足しになりゃあ美徳も食う」人間を、「情におきかける乞食」であり「飴に群がる蟻」の如き「物乞い」であると喝破する。
加えてこれに続く「罪の始まりを怨情に掲げよう」というラインには、もう1つ気になる点がある。なぜ「怨情」という語を敢えて用いているのか。李白の詩に、この「怨情」の語が冠されたものがある。そこで描かれる「怨情」とは「満たされない思い」を指している。李白は、美しい宮中の女性の顔に涙を流した跡を認め「誰を恨んでいるのか、それは分からない」と歌っている。「罪の始まり」をそのような「満たされない思い」に掲げるということ。鬼は一体、誰を恨んでいるのか。
『獄窓』というアルバムのシリアスな側面を支える終盤の流れ。T.TANAKAのビートによる「精神病質」に続くのは、KEMUIのビートによる「消化不良」だ。細かいフリップ[★16]で巧みに音程が操られる、抒情的な上モノとハードなドラム。これらの要素において通底する、T.TANAKAとKEMUIの2人による、2つのビート。双方ともアコギのサンプルを使いながら、現在形で描かれる「精神病質」のビートは、抒情性の中に、それでも「いま」を前進するしかない駆動力を潜ませる。一方、幼少時の記憶を軸とする「消化不良」は明らかにノスタルジーを感じさせる旋律を有す。
しかも単にネタをループさせるのではなく、フリップという技を使ってこの両者を描き分ける。フリップは、ヒップホップにおける典型的なサンプリングベースのビート制作に、異を唱えるように登場した。それはサンプリングしたフレーズを、自らの解釈で演奏し直してしまう手法だ。ヒップホップにおける非常に重要な要素である引用=サンプリングの文化。それはビート制作にも、リリックにも表れる。その単なる「引用」を否定し、あくまでも自身の言葉を探求した鬼と、堂に入ったフリップを披露するT.TANAKAとKEMUIは、これらの楽曲において、見事に共鳴し合っている。とはいえアコギのフリップを共通項とする、聴き方によっては似通った楽曲を、何故終盤に並べたのだろうか。
「消化不良」なのは一体何か。この曲を貫くもの。幼少期へのノスタルジー。そして、自分たちを捨てたが、依然として巨大な存在として君臨する父親への思い。鬼はいまも「一人で生きろと親父の言葉に生かされ苦しむ日々」を生きる。「人を許せぬ弱さにジャムを塗り頬張る物語」と歌いながらも、父親との関係は依然として、消化不良のまま滞留している。
獄中で「消化不良」な思いに向き合った彼は、外に出ても依然として「消化不良」を抱えている。それが「精神病質」で歌われる「自信の無さ上げた棚の中/不信感が甘いぼた餅なら/それすべて平らげろ/罪の始まりを怨情に掲げよう」というラインに現れる「不信感」という「甘いぼた餅」だ。
恨みと不信は、父親に向けられ、他者に向けられ、そして自己に向けられる。これらの思いを生んだ場所。「赤落ノスタルジー」が住まう場所。彼はそれらの恨みと不信の半分を抱えて、G街と呼ぶ新宿ゴールデン街に生きる。しかし残り半分は、いまでも小焼けが射す、団地の四畳半に置かれたままだ。
鬼にとっての小名浜は、一方ではこのような恨みと不信の住処である。しかし他方、彼は過去の記憶の美化とのせめぎ合いにもがいている。過去の罪を、父親との不和を美化したいという誘惑。その誘惑に対し、楽曲の形で釘を刺しながら抗う。抗いつつも、団地の四畳半に、父親の不在に、そして小名浜の街に、そう感じる自身に後ろめたさの苦味を覚えつつも、甘美なノスタルジーを見てしまう。
そしてその様子もまた、鬼の言葉に照らしつけられる。闇に紛れることなく、楽曲の中に描かれている。前者は『獄窓』の18曲目を飾る「精神病質」に、後者は19曲目の「消化不良」に。だから両者は鏡写しのようなアコギのフリップに彩られ、互いに隣り合っている。この2曲が象る、小名浜。現在進行形の不信感と美化されたノスタルジーが同居する場所。
「消化不良」の最後のヴァース。「西口の雑踏/七浜の潮騒/夏の陽炎に違いなど無い」と歌う彼の身体は、半分に引き裂かれる。ゴールデン街と小名浜が象徴する、南北に、引き裂かれている。過去の記憶に対するアンビバレンツ。父親に対するアンビバレンツ。ヒップホップに対するアンビバレンツ。それらが従える後ろめたさの、甘味と苦味を想像すること。その想像力を持てるかどうか、僕たちは、試されている。
小名浜という街。小松氏に導かれるまま巡った光景の欠片たち。それらの記憶と、鬼の「小名浜」への距離感を計りながら、彼にとっての小名浜という場所が何なのかを考えてきた。しかし僕が小名浜で見たものは、それだけではなかった。「後ろめたさ」というキーワードに牽引されるように立ち現れてきたもの。それは、小名浜という地に根差す、生と死の物語であり、震災から5年半を経た、いわきの姿であった。それらに対峙する小松氏の表情は未だ険しく、しかし複雑な思いの丈を、開陳してくれた。次回は、それらの光景の欠片を、引き続き辿ってみたい。
「消化不良」なのは一体何か。この曲を貫くもの。幼少期へのノスタルジー。そして、自分たちを捨てたが、依然として巨大な存在として君臨する父親への思い。鬼はいまも「一人で生きろと親父の言葉に生かされ苦しむ日々」を生きる。「人を許せぬ弱さにジャムを塗り頬張る物語」と歌いながらも、父親との関係は依然として、消化不良のまま滞留している。
獄中で「消化不良」な思いに向き合った彼は、外に出ても依然として「消化不良」を抱えている。それが「精神病質」で歌われる「自信の無さ上げた棚の中/不信感が甘いぼた餅なら/それすべて平らげろ/罪の始まりを怨情に掲げよう」というラインに現れる「不信感」という「甘いぼた餅」だ。
恨みと不信は、父親に向けられ、他者に向けられ、そして自己に向けられる。これらの思いを生んだ場所。「赤落ノスタルジー」が住まう場所。彼はそれらの恨みと不信の半分を抱えて、G街と呼ぶ新宿ゴールデン街に生きる。しかし残り半分は、いまでも小焼けが射す、団地の四畳半に置かれたままだ。
鬼にとっての小名浜は、一方ではこのような恨みと不信の住処である。しかし他方、彼は過去の記憶の美化とのせめぎ合いにもがいている。過去の罪を、父親との不和を美化したいという誘惑。その誘惑に対し、楽曲の形で釘を刺しながら抗う。抗いつつも、団地の四畳半に、父親の不在に、そして小名浜の街に、そう感じる自身に後ろめたさの苦味を覚えつつも、甘美なノスタルジーを見てしまう。
そしてその様子もまた、鬼の言葉に照らしつけられる。闇に紛れることなく、楽曲の中に描かれている。前者は『獄窓』の18曲目を飾る「精神病質」に、後者は19曲目の「消化不良」に。だから両者は鏡写しのようなアコギのフリップに彩られ、互いに隣り合っている。この2曲が象る、小名浜。現在進行形の不信感と美化されたノスタルジーが同居する場所。
「消化不良」の最後のヴァース。「西口の雑踏/七浜の潮騒/夏の陽炎に違いなど無い」と歌う彼の身体は、半分に引き裂かれる。ゴールデン街と小名浜が象徴する、南北に、引き裂かれている。過去の記憶に対するアンビバレンツ。父親に対するアンビバレンツ。ヒップホップに対するアンビバレンツ。それらが従える後ろめたさの、甘味と苦味を想像すること。その想像力を持てるかどうか、僕たちは、試されている。
■
小名浜という街。小松氏に導かれるまま巡った光景の欠片たち。それらの記憶と、鬼の「小名浜」への距離感を計りながら、彼にとっての小名浜という場所が何なのかを考えてきた。しかし僕が小名浜で見たものは、それだけではなかった。「後ろめたさ」というキーワードに牽引されるように立ち現れてきたもの。それは、小名浜という地に根差す、生と死の物語であり、震災から5年半を経た、いわきの姿であった。それらに対峙する小松氏の表情は未だ険しく、しかし複雑な思いの丈を、開陳してくれた。次回は、それらの光景の欠片を、引き続き辿ってみたい。
撮影=吉田雅史+編集部
★1 小松理虔×吉田雅史「『言葉』は日本の『リアル』を刷新できるか──ラップ、福島、ツーリズム」 URL= http://genron-cafe.jp/event/20160726/
★2 岩下朋世「『リアル』になる」、『ユリイカ6月号 特集:日本語ラップ』、青土社、2016年、118-126頁。
★3 五十嵐泰正・開沼博編『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』、河出書房新社、2015年。
★4 「小名浜」のMVは、鬼が連れの車で小名浜駅に降ろされ、また別の車にピックアップされるシーンで幕を開ける。
★5 「ミッドガル」とは、スクウェア・エニックスの『ファイナルファンタジーⅦ』シリーズの中心となる都市。そのスチームパンク的な世界観と、煙を吐き出す錆びたパイプの迷宮のような小名浜の工場が呼応しているため、地元の人々にこのように呼ばれることがあるという。
★6 漢 a.k.a. GAMI『ヒップホップ・ドリーム』、河出書房新社、2015年、153頁。
★7 吉本隆明ほか『吉本隆明「太宰治」を語る──シンポジウム津軽・弘前'88の記録』、大和書房、1988年、76-79頁。
★8 鬼一家は、鬼がビートメイカー兼MCのD-EARTHら、東北エリアのMCと組んだクルー。「小名浜」は2008年に鬼一家名義でリリースされた『赤落』収録曲。
★9 埴谷雄高『生命・宇宙・人類』、角川春樹事務所、1996年、42頁。
★10 Nasは90年代から活動する、ニューヨークを代表するベテランMC。その代表曲『N.Y. State of Mind』の「I never sleep, 'cause sleep is the cousin of death(俺は決して眠らない、眠りは死の従兄弟だから)」というラインは有名。
★11 都築響一『ヒップホップの詩人たち』、新潮社、2013年、113頁。
★12 夏井芳徳『ぢゃんがらの国』、歴史春秋出版、2012年。
★13 ノーマン・メイラー「兵士たちの言葉」、『ノーマン・メイラー全集〈第5〉ぼく自身のための広告』、新潮社、1969年、130頁。
★14 ノーマン・メイラー 『アメリカの夢──河出世界文学体系〈99〉』河出書房新社、1980年、351頁。
★15 野島秀勝『実存の西部──ノーマン・メイラー』、研究社、1982年、99頁参照。
★16 ヒップホップのビート制作のプロセスにおけるテクニックの1つ。サンプリングベースのビートの場合、サンプリングしたフレーズをループさせるのが基本となるが、フリップとは、サンプリングするフレーズを切り刻み(チョップ)、ピアノなどを弾くように音階を付けて演奏すること。元のサンプリングフレーズの一部を変奏する形となるため、原型からは大きく変化することとなる。90年代中盤以降、ビートで引用するサンプリングソースに対し、著作権料を支払うことが一般的になるが、そこから逃れるため発明されたという側面もある。


吉田雅史
1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
アンビバレント・ヒップホップ
- ヒップホップを/が生きるということ(後)
- ヒップホップを/が生きるということ(中)
- ヒップホップを/が生きるということ(前)
- おしゃべりラップ論
- アンビバレント・ヒップホップ(20) 筆記体でラップする 〜マンブル・ラップ論〜|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(19)変声を夢見ること──ヴォコーダーからオートチューンへ|吉田雅史
- ラップとしゃべりを分かつもの
- 『Act Like You Know… ―演じる声に耳をすますこと―』
- アンビバレント・ヒップホップ(16)『ギャングスタ・ラッパーは筋肉の夢を見るか?』|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(15) 変身するラッパーの身体を演じよ!|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(14)無名の群衆 vs.ラップヒーロー|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(13)RAP, LIP and CLIP──ヒップホップMVの物語論(後篇)|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(12)RAP, LIP and CLIP──ヒップホップMVの物語論(中篇)|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(11) RAP, LIP and CLIP──ヒップホップMVの物語論(前篇)|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(10) 訛りのある眼差し──日本語ラップ風景論|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(9) 抒情ガ棲ミツク国ノ詩|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(番外篇)「後ろめたさ」のフロウ──鬼と小名浜の距離|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(8)ねじれた自意識、ラップの生き死に|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(7) ラップ・ジェスチャー論~手は口ほどにモノをいう~(後篇)|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(6) ラップ・ジェスチャー論~手は口ほどにモノをいう~(前篇)|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(5) この街に舞い降りた天使たちの羽根はノイズの粒子でできている|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(4)サウンドトラック・フォー・トリッパー|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(3) 誰がためにビートは鳴る|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(2) ズレる/ズラす人間、機械、そしてサイボーグ|吉田雅史
- アンビバレント・ヒップホップ(1) 反復するビートに人は何を見るか|吉田雅史